2010-05-27

世界の中心で主に声を上げる。

いえ、決してNYが世界の中心だなんて
決めつけているわけではないのですが、
やはり、夕方のTimes Squareに行くと、
「おー」と思わせるものがありますよね。
観光客もビジネスマンも沢山の人々が行き交っていく中、
主に声を上げました。




昨日の夜は、NYでの祈り会の予定でしたが、
場所を提供してくださる方を含めて、
みなさんお仕事だったり、ご用事があったりで、
キャンセルとなってしまい、でも祈りたかったので、
Times Squareのこんなところに座って、




人の流れを見ながら、聖書を開いて祈っていました。


そして、ここにTimes Square Churchという大きな教会が与えられている事のものすごさを思いました。David Wilkerson牧師が今から24年前に42丁目を歩いていて、神様からのCallingを感じて始めた教会ですが、その彼を動かし、多くの人々を救いへと導かれた神様が、私達とも共におられる心強さを思わされました。


昨日は30度を超える暑さ、今日は雷雨。
さて、明日は・・・気温も20度台前半で、
過ごしやすい一日となりそうです。


今日の午後はキッズクラブ。
多くの始めての子どもたち、NJに引っ越してこられたばかりの方々、
たくさん来られました。


JOYJOYキャンプも締め切りまであと2日。
「iPad日本発売か、JOYJOYキャンプ申し込みか」というほどの盛り上がりを見せています。
ここに来て「今から間に合いますか?」という問い合わせも幾つか。
もう郵送では(ほぼ)間に合いません。
そんな中、「直接持っていくから・・・」という申し出も。
今年は今までの最大の申し込みになるかも・・・。


そして、今夜は1週間ぶりのスカイプ会議。
子どもたちのために、何を伝えたらいいのか、
熱い議論が2時間以上も続きました。
大人とは一つ違ったアプローチの必要性も感じさせられ、
どのように語ったらいいのか、考えさせられています。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ51:11−19。


「ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の主である。」19節。

主こそ、私たちの分け前。
主ご自身を私たちは分け前としていただいている。
それはなんという素晴らしいことだろうか。

主の与えてくださるもの、
主がもってもられるもの、
主が私たちの人生にその歩みをいろんなレベルで共有するようにと与えられる人々。
主の与えてくださる励まし、慰め。

それらも素晴らしいけれども、
主はご自身を私たちに与えられる。

私たちの分け前となってくださる。

だから、この方が私たちの分け前だから、
堅く立っていくことができる。

大胆に歩み始めることができる。

主よ、
あなたに感謝します。
あなたが共にいてくださるから、
あなたご自身が私たちの分け前だから、
心から感謝します。
どうか、あなたと共に歩む喜びの中に生かして下さい。

2010-05-26

W Anniversary

26日の朝です。
昨日は夜、どんどん届くJOYJOYキャンプの受付の整理をしていたら、
疲れきって、11時前にはダウンしてしまいました。


考えてみたら、昨日の朝はハジのSummer Jobの面接のために、朝4時半起きだったんですね。で、夜には力尽きた・・・という感じでした。でも、肝心の朝5時から(!)の面接は「担当者が来ていないから、後で連絡する」だったそうです・・・。そんなことってあるんでしょうか。


さて、今日26日は7年目のマツイ記念日。
「え?何それ?」という方は、こちらへ。
今年はとうとうマツイくんも赤くなってしまいまして、
一つの時代が終わったことを感じさせられています。
Angelsの試合はなかなかこちらでは見れませんしねえ。
日本の方が見れるのではないでしょうか。


そして、このマツイ記念日は、先週NCでお世話になったご夫妻の結婚記念日だったんですねえ。今年は52回目だそうです。


渡米48年、多くの嵐の中を通ってこられたご夫妻ですが、共に主を見上げ、支え合って歩んでいる姿には本当に元気をいただけます。お二人がどのようにクリスチャンになられたかはこちら


このブログの愛読者であられるおふたりに心からお祝い申し上げます!


さて、今日の聖書。
今日はエゼキエル書の51:1−10。


「主は、私たちの正義の主張を明らかにされた。」10節。

はい、もう、理屈抜きに、励まされます。
私たちは自分の正しさを主張する必要もない。
主が判断してくださっているから、
主が判断して下さり、明らかにされるから、
ただただ、誠実に主に従っていきて行こう。

もしも、自分が間違っていたら、主はそのことも示してくださるだろう。

恐れないで、主に信頼して、従っていこう。

主よ、
あなたの御言葉を感謝します。
あなたが共にいてくださること、
あなたが正しい判断をしてくださること。
私たちの正義を明らかにしてくださること。
またある時には罪を示してくださること。
信頼して行きます。


今日の一日の私の歩みも、
教会の一人ひとりの歩みも、
ここに来られるひとりひとりの歩みも、
守ってくださいますように。


さて、今日は久しぶりのNYDayです。
行ってきます。

2010-05-24

投資と節約。

毎朝のように日本のニュースで「仕分け」の話をやっている。
まあ、そんなことがあるのか、ひどいなあ、という話もあれば、
そこまで切って、大丈夫?という話もあったとか。


自分はだいたい「与えられたものを大切に」と考える方だけれども、
それで損することもあるのかもしれない。
思い切って投資するときに、何倍にもなって帰ってくる、
そんなことを逃してしまっていることがあるかもしれない。
財テクの話しじゃなくて、時間の使い方とか、お金の使い方とか。


古い製品にしがみついて、それに時間や労力をとられて、
新しいものを買った場合の何倍ものエネルギーを使っていることもあるだろう。


だから、バランスが必要だと思う。


いつも思わされるのはコンピューター。
昨年の暮れに、15年ぶりくらいに、PowerBook 145以来のMacを使い始めた。
ノートブックで一番安い白MacBookを200ドル引き+消費税3.5%の店で買って、
(普通、NJの消費税は7%)
それ以上の投資を全くしないで使い始めた。


BootcampでWindows XPも走らせて、
Win版のMS OfficeとMac版のOpenOfficeで何とかやってきた。


でも、やっぱりBootcampは面倒くさい。
そこで、メモリを2G買い足して4Gにして、
VMware Fusionを導入。
合計160ドルくらい。


そしたら、もう、何て快適!
WinもMacもほんの一瞬の切り替えでできる。


何で今まで「追加投資なし」にこだわっていたんだろうかと思いました。


はい、そのMacに最初から入っているPhoto Boothという内蔵カメラで写真を撮るソフトで遊んだ写真がこちら。




左はのんちじゃなくて、サキです。念のため。






まあ、こんなふうに遊んでいるレベルですから、
何のためにあえてMacを買う?という感も否めませんが・・・。
やっぱり「遊び心」でしょうか。


でも、本当に投資の大切さも思わされる。
特に私達に大切なのは
「労力の投資」。


「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」第1コリント15:58


「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」伝道の書11:1


主のために労することはすぐにリターンがなくても、「多くの日の後」にそれを得ることができる。それが主の約束です。


また我々の世代の責任として、「次の世代への投資」も大切にしていきたいと思います。


今日は予想よりも気持ちが良かったですね。
それほど蒸し暑くもなく、それほどどんよりでもなく。


でも、明日からは暑くなりそうです。
あさっては、マジ暑くなりそうです。


今日の聖書。
今日はエレミヤ50:17−32。


「主に向かい、イスラエルの聖なる方に向かって高ぶったからだ。」29節。


この箇所に何回も出てきますね。

「高ぶる者」という表現。

「高ぶる」ってどういう事なんでしょうか?
ここでは「神様に向かって」ということが言われていますね。

神様に向かって高ぶる。

やはり、神ではなくて、自分がすべてを決めていくかのような態度、
すべてが自分の力で歩んでいるかのような態度でしょうか。

でも、そうだとすると、
自分も決して、当てはまらないということはない、のだと思いました。

自分の目から見て、『あの人偉そうだな』『あの人腰が低いよね』ということよりも、
神様の前に本当にへりくだっているかどうか、なんだと思います。

処世術ではなくて、主の前に本当に自分の弱さ、貧しさを、認めて出る者でありたいです。

主よ、
あなたが今日の一日を守って下さってありがとうございます。
あなたのために「無駄」と思えるようなことを、大胆にしていくことができますように。
そして、いつもいつもあなたの前にへりくだって、本当の自分を認めて出ることができますように。

主の御手の中にあること。

昨夜はそれほど疲れを覚えていなかったのですが、
9時には睡魔に襲われて、そのまま寝てしまいました。
それで、今朝は3時起き。
すっかり朝モードです。


昨日の礼拝。特に「わたしは救われるためにはどうすればいいんですか?」という、ペンテコステの日に3000人の人々がしたようなレスポンスはいただいておりませんが、
でも、すべては主の御手の中にあることを思わされて、
平安の中にあります。
そう、昨日のメッセージの最初にも語らせていただきましたが、
聖霊様は自由な方。自由にお一人ひとりに触れて下さいますから。


もう十数年前のことですが、
アメリカから日本に一時帰国をしたときに、
一人の方をご訪問しました。


その方は、私達が日本で、大きな教会の副牧師をしていた頃、
私達の住んでいたところの近くで始まった小さな集会に集い始めいてた方でした。
お子さんをめぐる一つのトラブルのことで、心に痛みを覚えておられました。


その時に、いろいろお話をお伺いして、聖書を開いて、お祈りをしました。
帰り道、なんだか、心が通じきらない、もどかしさ、
聖書の言葉が届いているのか、どうか、わからない思いをもって、
電車に乗って帰りました。


でも、それから2週間後くらいでしょうか、
お便りをいただきました。
その日の夜に、祈りの中で、主が語ってくださったそうです。
そして、その方は、ご主人の仕事で、まもなくNYのLong Islandに引越され、
NJに引っ越してきた私達と、そのころ、Yaohanといっていた今のMitsuwaで再会。


そして、その後、現地の英語の教会で洗礼を受けられました。
今はCAで信仰生活を送っておられます。


だから、本当に人の心に触れてくださるのは主なのです。
それを信頼して歩んでいこうと思います。


さて、昨日までの「ひびみこ」から。
22日に読んだところですが、


「わたしはエラムの力の源であるその弓を砕く」49章36節。

またまた何度も出てくるテーマですが、
人々は神ではないものを「力の源」にしていました。
この場合は軍事力でしょうか。
それを主は砕かれる。

本当の力の源はどこにあるのか、それを教えるために。

わたしは、教会の牧師として何を頼りにしてきたんだろうかと思います。

正直なところ、ここでも何度も書いていると思いますが、
やはり人を頼りにしてしまうんだろうと思います。
マンパワー。

大学で社会学を学んでいる中で、
その重要性を何度も感じた、マンパワー。

牧師として奉仕をしている中でも、
最初に副牧師として任命を受けた、200人の方々が集う教会でも、
また今奉仕をしているNJの教会でも、
やはりマンパワーの大切さを感じさせられてきました。

そう、特に信仰的に筋の通った人々のマンパワー。

でも、結局のところ、どこまで行っても、
自分自身の最終的な力の源は主ご自身で、
自分自身が主によって力をいただいていかないといけない、
ということをあまり学ばないできのだと思います。

最近読んだある牧師さんの体験記も、
そのことを書いていました。
「一緒にやろう」という同労者が与えられて、張り切って新しい教会を始めたけれども、
ある時、彼が「やっぱりやめる」と言い出した。

その時に、自分はいつの間にか、
この同労者がいる、ということを頼りにしてしまったのではないだろうか、と書いておられました。そして、そこから、神様を頼りにして、神様だけを頼りにして再出発をされたと。

主が与えられた同労者に感謝しつつ、
しかし、主にこそ、力の源があることを、
いつもいつも大切にしつつ、歩みたいと思います。

主よ、
たくさんの信仰の友、
支えて下さる方々、
教会の同志としてのメンバーたち。
感謝します。
しかし、究極的な力の源があなたであること、
あなたご自身を頼りにして歩んでいくこと、
同労者たちも、互いを頼りにしてもたれ合うのではなくて、
共にあなたを頼り、共にあなたを見上げる仲間であることを、
忘れることがありませんように。


今日のひとりひとりの歩みを守って下さい。


わたしの月曜日も守って下さい。


明るくなってきました。目覚ましも鳴りました。
教会に行って祈ってきます。


今日はどんより、蒸し暑い一日となりそうです。

2010-05-23

日曜日への期待。

ペンテコステの日曜日になりました。
今、真夜中の12時を回ったところです。

説教の原稿が出来上がり、もう休みますが、
それをはるかにこえて、聖霊様が、
お一人ひとりのうちに豊かに語ってくださいますように。

2000年前のペテロの説教。
本当にストレートで、
気遣いよりも大胆さを感じます。

でも、人々の心が聖霊様によって悔い改めに導かれて、
3000人の人々が洗礼を受けるのです。

本当にストレートに福音を語ることができますように。

祈りつつ、期待しつつ。