2008-02-22
主の御手に。
インターネットにつなぐのにお金を取るくせに、
(ここでもうあり得ない・・・)
すぐに接続が切れる。
ホントに1,2分おき。
(更にあり得ない・・・)
で、昨日はアトランタに着いたのが11時頃だったので
おとなしく寝ました。
チェックアウトの時に、交渉ですね。
今朝はこちらは雨。
NJはかなり激しく雪が降っているようです。
皆さんお気をつけて・・・。
昨日の夜はNCからアトランタまで6時間余り。
途中で急にみんな止まったと思ったら、
20台くらい前で車3台の事故を起していました。
事故自体は見ないですんだのですが、
へしゃげた車を見ると、自分が無茶をしていなくても、
隣や目の前で事故が起こると、
巻き込まれちゃうだろうなあと、ゾッとしました。
まあ、考えてみれば、6時間ということは東京-大阪間以上ですからね。
帰りも無理のないようにします。
昨日の大学見学は、楽しかったです。
親である私たちは、自分が当事者じゃないからか、
「30年前に帰りたい!」といい気なものでした。
そして思い出していました。
アメリカの大学は、日本のように(今はわかりませんが、30年前の日本のように・・・)、
合格発表が張り出されるのではなくて、
手紙で来るんですよね。
で、自分は郵便が来る時間帯が嫌で嫌でしょうがなくて、
その時間帯、外に出かけていたんですよね。
たくさんもらいました。
I regret to tell you...ってヤツ。
日本語にすると「残念ながら・・・」というのですよね。
最初は日本の学校で習ったように
「私はあなたを入学させないで『後悔しています』」と読んで、
「ん、もしかしたら、入れない決定をしたんだけど、それを後悔してやっぱり入れてくれるのかな・・・」なんてかわいい期待をしたこともありました。(笑)
ま、その程度の英語の力でしたから、しょうがないと言えば、しょうがない・・・。
やがて主の前に出る時には、
イエスの十字架によって、受け入れてもらえる、
それは確実。
自分が何をしたかを、自分の能力をアピールする必要もない。
自分の可能性を一生懸命ふくらませて見せる必要もない。
ありがたいことです。
さて、もうおとといになりますが、20日、水曜日の聖書。
20日はルカ14:25-35
「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」34節。
だんだん荷物が増えてくる。
「財産」なんて人前で言えるものはないけれども、
でも、いろいろため込み始めている。
自分の手の回りに置き始めている。
捨てられないものがどれほどたくさんあるだろうか。
主の前に差し出そうと思う。
主にすべてを差し出して、
主が喜ばれるように使うものでありたいと思う。
差し出したものが、自分の喜ぶように
用いられるかどうかも、
気にしない者でありたいと思う。
主が喜ばれるなら、それでいい。
ほんとうに主にささげることを、
捨てることを学ばせて頂きたい。
主よ、
すべてを捨てることを学ばせて下さい。
こだわっているたくさんのこと、
たくさんのもの、
あなたに差し出して、
あなたの喜ばれるように用いられることを、
願っていく、そのような歩みをさせて下さい。
2008-02-20
熱い思いで・・・。
-6度くらい。
そして、-3度くらいに上がった10時頃、出発して、
I-95を南下。
NJは晴れて、南の方に下がった時には2度くらいに上がった気温が、
ワシントンあたりに来たら、-2度くらいで雪が降っていました。
一時は激しく降って、見通しが悪くなるくらい。
でも、ヴァージニア州の途中から、急に温度が上がって、
NCでは17度くらいあります。
金曜日の雪の可能性ですが、
ワシントン以北はやはり雪の可能性、かなり高そうです。
NJも・・・。
金曜日の夜、走るところはだいたい雨で、
Freezing Rainの心配はないようですが、
土曜日の朝通過するRichmondあたりから
ワシントン・ボルチモア・・・あたりがどうなるか、ちょっと心配しながら見ています。
ということで、今日の昼間はほとんど車の中でした。
今日のメインイベントは、「カーナビ・初体験」でしたね。
コチラではGPSと呼ばれています。
今回、行き先は、ホテルx2、大学x2、ふつうのお宅x2で、
たくさん迷いそうなところがあったので、
Google Mapをプリントして持っていくだけでは、
迷った時にはお手上げ・・・という話になり、
昨日になって、「やっぱりカーナビがいいか」と
レンタカーと一緒に借りることになりました。
今、安いのはあるのですが、
日進月歩の技術の進歩+値崩れを考えると、
普段そんなに必要ないものを、買うのもなあ・・・。
借りるならば、いつでも最新式を借りられる、
ということで、今回は借りることに。
でも、ほんとうに助かりますね。
時々、「え~?」って案内をしますが・・・。
知らないところを走るのにはほんとうにいいです。
それに、思わず「何でそんな道を教えるんだ!」とか
「言うのが遅い!」と文句を言ってしまっても、
相手が傷つかない・・・というのもいいですね。
「take an U-turn」を連呼されて、うるさい時には
ボリュームを最低にしてしまうという技も使えます。
人間の場合は、こうは行きません。(^^;)
一番助かったのはのんちだったかも・・・。
1日ですっかり「トモダチ」になってしまいました。
人生のGPS。
自分がどこにいて、どこに行こうとしているのか、
どの道を歩めばいいのか、
教えてくれるGPS。
それは「聖書」だったり、
「聖霊様」だったりする。
ほんとうに忍耐強く教えてくれる。
U-Turn!という警告を、
無視しないで、ボリュームをオフにしないで、
そこに従う者となれますように。
さて、昨日2月19日の聖書。
昨日はルカ14:15-24でした。
「街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。」23節。
私たちは、いろんな方を教会にお誘いする時に、
その後のことをも考えて、「無理に」というのはどうかなあ、と思っています。
そして、「引かれちゃうと困るから」と結構遠慮することもあります。
でも、そういう心配りが時々いいのかなあと思うこともあります。
主は無理にでも人々を連れてきてほしい、
と言われるのです。
いずれにせよ、
ほんとうに情熱を持って、
人々にこの神様の準備してくださっている
祝宴に人々をお連れしたいと思います。
おととい書いた、地下鉄の案内図を作った人のように、
ほんとうに情熱を持って、
神様の祝宴の素晴らしさを語り、
人々をそこにお連れする、そのような働きをさせて頂こうと思いました。
主よ、
情熱を与えてくださってありがとうございます。
あなたのことを、あなたの準備してくださっている祝宴の素晴らしさを、
熱く熱く語る者としてください。
そして、人々をそこにお連れすることができますように。
あなたの準備してくださっているものは、
すばらしいものですから、それを胸を張って紹介させてください。
2008-02-19
13年半ぶりの・・・
寒い日でした。
特に夕方から・・・。
どんどん、冷えてきて、今は夜の12時だけど、
-3.6度。今夜はまた-6度とかになりそうです。
で、水曜日の夕方、チョイ雪です。
ところが南の方・・・ワシントンとかが中心のようで、
明日のルートに引っかかりそう。
そして、金曜日ももしかしたらです。
金曜日の夜は、アトランタから土曜日の4時を目標に、
一気に帰る予定ですので、ワシントンDC以北あたりの天気が気になるところです。
さて、どうなることやら。
そう、明日から、お休みをいただいて、
息子の大学見学に南部に行って来ます。
私が行きたくて行けなかった(ま、私は大学院でしたが・・・)NCの大学と、
アメリカで唯一学位を取った学校(こっちは神学校でした)のあるアトランタの大学と、
2つを駆け足で回ってきます。
私は2年半ぶりのアトランタですが、
のんちとハジにとっては13年半ぶり。
ユキも生後2ヶ月で2泊くらいしているのですが、
まあ、ユキとサキとにとっては初めてです。
そのころお世話になっていた、
ボブ先生のお宅に伺ったり、
去年NJにいた一家のお宅に伺ったり、
ほんと、また短い時間の中にいろいろ詰め込んでいます。
そのボブ先生と奥さんのベティー先生は、
アトランタのお父さんとお母さんです。
長いこと仙台で宣教師をしておられた先生で、
引退してアメリカに帰られて、
こちらでまた請われて、ノークロスの教会の牧師をされているご夫妻です。
あれから13年ということは、もう先生方も80代ですよね。
日曜日、教会に行くと、
「ヨクイラッシャイマシタ」と笑顔で迎えてくださいました。
1週間、英語の中で戦って来ると、
日曜日に、先生の日本語と、笑顔に癒されるんですよね。
毎週教会に行くのは当たり前だし、
みんなの教会だから、「牧師がみんなを迎える」わけではないし、
その「歓迎」を期待するのではなくて、神様を礼拝しに教会に行くんですが、
なんだか、あの先生の「ヨクイラッシャイマシタ」には特別な力がありました。
日本の「ふろおけ」というか「湯船」というか、あの「おふろ」を船便で
アトランタまで送って、ご自宅のバスタブにはめ込んで使っておられる、
大の親日家です。
13年半ぶりの再会、楽しみです。
さて、昨日2月18日の聖書。
昨日はルカによる福音書14:1-14
「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。」14節。
優越感ではなく、
偽善的でもなく、
心の中で何も期待するものもなく、
与えることができるような者になりたいと思いました。
心から謙虚な姿勢で生きる者でありたいと思います。
「お返し」にはいろんな可能性があると思います。
文字通りの日本的な「お返し」。
「お互い様」的な関係。
また、「ほめられること」「感謝されること」「評価されること」。
たとえば、コチラで日本から来て、苦学しておられる学生さんとか、
見ていると、何とかしたいと思います。
自分もそうでしたから・・・。
「甘えてばかりで申し訳ない」と言ってきたら、
「そのうちにあなたが稼げるようになったら、次にここに来る若い子に、
同じようにしてあげてくれよ。」と言いたいと思います。
別にお返しなんか、少しも期待していません。
でも、その子にこれっぽっちも感謝の気持ちがなかったら、
「やってもらって当然」という態度だったら、
「なんだかなあ」と思っちゃうと思うんですよね。
それもいけないんでしょうか。
与えるって、報いを求めないで与える、ってどういうことなんだろう、
と考えさせられました。
主よ、
あなたが私たちを愛された時に、
やっぱり「私たちがあなたを愛する」ことを期待されましたよね。
どこまでもどこまでも、私たちを赦してくださるあなたも、
やはり、私たちがあなたの元に帰ることを
期待しておられますよね。
だから、期待していいんですよね。
でも、あなたほど、私は期待し続けることが
できないみたいですね。
忍耐力が足りないみたいです。
見返りも報いもいりません。
天国であなたから頂ければ十分です。
でもでも、不十分な愛ですが、
注いだ愛によって、注いだ労力によって、
人々の目があなたに向けられますように。
あなたを愛する人が起されますように。
わがままを許してください。
どうか、この世でも、
「神様のもとに導かれる人をたくさん見る」
という報い、それはどうしてもほしいです。
その報いを与えてください。
2008-02-18
ひらめきと努力
ちょっと気持ち悪いくらい・・・
でもそんなこと言っちゃあいけません。
ほんとうに暖かい日は助かります。
でも時々雨も降って、
夕方からどんどん気温は下がってきました。
今、夜の10時すぎで5度まで下がってきています。
明日の朝は0度くらいまで下がる予想が出ています。
昼間も5度以下でしょう。
気温の変化が激しいときは、ホント、注意が必要です。
お体には気をつけて・・・。
日本で、夜滞在先に帰って、寝る前に何の気無しにテレビをつけると、
一つの思いつきから、ビジネスを初めて、今では年商5億円を上げる会社の経営者となった、主婦の方の話をしていました。
そのビジネスは、1年半前の日本訪問の時、「至れり尽くせりだなあ・・・」と思って写真付で紹介した地下鉄の「降りる駅でどの出口から出るためには何両目に乗ればいいか」をまとめた表でした。
1年半前の記事はコチラ。
で、この表を作るきっかけは、その方がベビーカーを押しながら地下鉄のホームで歩き回っていた時に、「こういうのがあればいいなあ」と思ったことだったそうです。
ここまでは誰でも思いつくこと。
でも、ここからは誰でもやることではない。
まあ、自分がいつも使っている駅では、
何時の電車の何両目に乗って茅場町駅でダッシュで乗り換えると、
日比谷線の何時何分の東横線直通電車に乗り換えられて、
高校の駅には何時に着く、とか当たり前にやっていましたからね。
だから、余り必要だとは思わなかったわけですが、
久しぶりに海外から東京に来て、
え~っと・・・と迷うんですよね。
だから、そういう人には確かに必要。
必要だなあ、とか、あったらいいなあ、で終わるのが普通の人。
でも、このお母さんは違った。
週末、夫に子供を任せて、地下鉄の駅を全部回って、
階段の位置、トイレの場所、エスカレーターの場所、一つ一つ調べて、
ノートに書き込んでいったそうです。
ちょうど、地下鉄サリン事件のあとで、
そんなことをしていたら、「怪しいヤツ」ということで、
何度も職務質問をされたそうですが(まあ、そうでしょうねえ)、
全部の駅のノートができたところで、
「これは何かの形にしないといけない」と思ったそうです。
それで、いくつもの出版社を回ったそうですが、
その中で最初に採用してくれたのが、
an(元の名は「アルバイトニュース」・・・私もよくお世話になりました)。
アルバイトの面接の時間に遅れないように、
準備をする助けになる、と掲載されたそうです。
それが、あちらコチラで採用され、
ついに営団地下鉄(・・・あ、今は東京メトロ・・・ですね)に採用されたそうです。
いやあ、すごい、と思いました。
ひらめきだけじゃなくて、努力。
ほんとうに大切だと思います。
私たちは神様から素晴らしい「福音」という宝物をもらっているわけだから、
それをどうやって、多くの方々に伝えていくのか、
「ひらめきと努力」で、やっていこうと思いました。
ものすごいやりがいのある、
情熱をかけるべき働きだと思います。
さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は、ルカによる福音書13章18-35節。
「努力して狭い門から入りなさい。」24節。
狭い門からはいる・・・。
よく聞く言葉です。
なんだか、のほほーんと生きている自分がいるように思います。
狭い門から入ろうとしているだろうか。
ある時は、これは「見つけるのが難しい」という意味で取られることがあります。
でも、「努力して」ということとはちょっと違う感じがします。
もちろん、入試じゃないんですから「競争率が高い」という意味ではありません。
ひたむきに・・・という感じでしょうか。
脇目もふらずに・・・でしょうか。
捨てるべきものを捨てて・・・ということでしょうか。
いずれにせよ、
自然体だけではない、ということでしょうね。
パウロの
「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」
というコリント第1の手紙9章24-27節の言葉を思い出します。
主よ、
狭い門からはいる、ということの意味を、
もっともっと私の実生活の中で教えてください。
そして、情熱を持って、
あなたの福音を伝えていく、
その熱心さを守ってください。
自分の力による熱心さではなく、
ただ、あなたの愛に押し出される熱い思いによって、
歩む者とならせてください。
2008-02-17
悔い改め
でも、まだ大雨にはなっていません。
これからも雨が降ったり止んだりの夜だと思いますが、
時々強く降ると思います。
でも、今は夜の10時半で7度。
気温はこれからも上がり続け、
明日の最高は15度くらいの予報が出ています。
明日は8月30日からのファミリーキャンプの会場の下見。
雨が上がって15度まで上がるなら、それは下見日和ですね。
久しぶりのNJでの礼拝。
やはり帰ってきたなあと感じました。
連休と、また体調を崩された方もおられて、
いつもよりも少なめですが、
一人一人に触れてくださったことを感じます。
子供向けのお話もあって、
子供たちが一生懸命聞いてくれるのがまたうれしいです。
明日に備えて、今日も早く休みます。
何とか時差ボケ脱出となりますように。
で、なかなか追いつけませんが、昨日土曜日の聖書。
昨日はルカによる福音書13:1-17
「わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」5節。
自分も悔い改めるべきこと、
悔い改めなければならないことを、
もう一度思わされました。
人のことをどうこう言ったり思ったり・・・。
そんなことよりも、自分自身のことを考えて、
主の前に出ることの大切さを思います。
いつも主から目を離さないでいたいと思います。
嵐の中で嵐に目を奪われないで、
主を見つめて歩みたいと思います。
主よ、
悔い改めるべきこと、示してください。
そして、聖霊様の導きに対して、
従順な者でありますように。
あなたの導きに従う者でありますように。
イエスさまを見つめながら歩む者でありますように。
決意。
今日は朝やっぱり冷えました。
-5度くらい。
でも、なんだか、寒く感じません。
風の強さもあるんでしょうか。
家の中の時間が長くて、外出の時も、車ですからねえ~。
実際、一日1-2度までしか上がらない寒い日でした。
今、夜中の1時前ですが、-4.8度。
寒い夜です。
ま、今夜はこれ以上余り下がらず、-6度止まりだと思います・・・。
そして明日の午後からあさっての午前中にかけて大雨です。
私が戻る前の日も大雨だったようですので、お気をつけて。
さあ、明日は日曜日ですので、
これ以上遅くならないように、
金曜日15日の聖書。昨日はルカ12:49-59でした。
「 あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。」51節。
この言葉の厳しさを感じました。
イエスがこの世に来られた時に、
まさに、イエスは剣を投げ込まれるような
はっきりした態度を取られました。
もうちょっとうまくはなせないのか、とか、
もうちょっと人々の心を柔らかくすることを考えないのか、とか、
高校生や大学生の頃、ヨハネによる福音書などを読むと、感じていました。
そして、大人になって、
イエスのようにできなくて、逃げてしまう自分を時々見ます。
(だからといって「人の心を柔らかくする」すべも持っていないと思うのですが・・・)
イエスははっきりと語りました。
そして、それが時々、人々の心、特に、「自分は正しい」と思っている人々の心に迫りました。そして、イエスは憎まれました。
アンパンマンの主題歌ではないですが、
「愛と勇気」がほしいと思いました。
ほんとうに人々に対して愛と勇気を持って語っていく者でありたいと思いました。
それが「平和」・・・表面的な平和・・・を壊すことになってしまっても、
それによってホンモノの平和を築き上げるために、
愛と勇気を持って語っていきたいと思います。
主よ、
イエスさまが持っておられた愛と勇気を与えてください。
事なかれ主義に陥ってしまうことがありませんように。
明日の礼拝を祝福してください。
ほんとうにあなたを神様としてあがめることを経験できますように。