2006-07-01

罪から離れよう

今日は暑くなりました。
でも、恐れていたほどは湿度が上がらなかったですね。
この時期にしてはすごしやすい日でした。

今日インゲンをいくつか収穫。
つるなしとつるありの2種類を植えているのですが、
つるなしのほうが早く実ができて、でも、いっぺんに終わってしまいそうです。
つるありのほうは、つるが伸びでそのあちらこちらに次々と花が咲いています。
つるなし、つるあり両方で30本くらい収穫しましたが、
つるありは始まったばかり・・・。これから次々と実をつけてくれそうです。

30本程度では料理にはなりません。
どんどんなってくれるといいのですが・・・。

今日の朝はハドソン川沿いの公園で早朝祈祷会でした。
例年より人数は少なかったですが、
明日洗礼を受ける予定の方がこられたので、
みんな励まされる集まりでした。

そう、明日は今年2回目の洗礼式です。
祝福を祈ります。
朝はグリニッチの教会に行ってまいります。

今日はへブル人への手紙の残り、9?13章を読みました。
心に留まった言葉は10章26節
「もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。」
厳しい言葉です。
わかっているのに、神の愛を知っているのに、
キリストの十字架上の犠牲を知っているのに、
故意に罪を犯し続けるならば、そこにはあがないの血潮は残っていないのだと言う。
ドキッとしました。
自分自身の心に刻み付けておかなければ、と思いました。
そして、人々にも語っていかなければと思いました。
神様を甘く見ること、
「どうせ許してくださるんだから何をしてもいいんだ」
と甘く見ることの恐ろしさを思わされました。

神様、
私を罪から守ってください。
イエスの十字架の犠牲の大きさ、
神の愛の大きさを深く深く、
知っていく者でありますように。
明日の日曜日、特に洗礼式を祝福してください。

イエスのとりなし

今夜の雨は意外でした。
天気予報もほとんど雨は予想していなかったようです。
でも、結果は雷と土砂降り。
昼間カラッと晴れたので、雨は恵みの雨でしたが、
天気予報の奥の深さを感じた夜でした。

明日は今日よりワンランク蒸し暑さアップ。
30度は楽々突破でしょう。
朝はちょっと涼しいでしょうが・・・。
明日の朝は6時半からハドソン川沿いの公園で祈り会。
気持ちいいですよお!
ジャケットは忘れずに。

今日は午後、人にお会いして、
夜は集会でした。
夏は集会のペースがスローになりますが、
集まった人たちは熱い!
今日はいつにも増して熱い語り合いの時となりました。
「クリスチャンとは何か?」みたいなことになると、私もついつい熱く語ってしまうんですよね。
「神に愛されていることに、キリストが自分のために十字架にかかって下さったことに、
感謝して生きる、うれしくて、楽しくて、生きる、それだよ」みたいに・・・。
よかったです。

今日の聖書。
今日はヘブライ人への手紙1-8章を読みました。
そう、今日でちょうど今年も折り返し地点。
半年で読み通すのは無理でしたが、
あと10日くらいで読み通せそうです。
そしたら、今度は新約聖書を一日一章でゆっくり読んでいきたいと思います。

今日心に留ったのは7章25節。
「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」
イエスは今も生きておられる。
そして今もとりなしをして下さっている。
自分も、本当に主のとりなしがなかったら、
憐れみがなかったら、神の前に出ることなんかできない存在だ。
だから、今も祈って下さっていること、
今も私のことを心にかけてくださっていることを、
心から感謝した。

それも「完全に救う」ことが出来る、ということ。
「何とか救う」ではなく、
「完全に救う」方であること、
心から感謝。

イエスさま、
あなたのとりなしに感謝します。
あなたが私のために今も心を注ぎ、
十字架の血潮をもってとりなして下さっていることに感謝します。
そして、「完全に救う」方であるから感謝します。
私を今日も守って下さい。
あらゆる誘惑から守って下さい。



2006-06-29

よい行いに熱心に

「あいつ」がやってきました。今年も・・・。
今年はもう大丈夫かと思っていたのですが、
もうすぐ7月というこの時期に

まあ、考えてみれば、いつも被害が出始めるのが、このころなんですね。

まだ姿を見たわけではありませんが、
今日の夕方、気がついたらガンガン食われていました。

被害その1。
ブロッコリー丸裸。




被害その2。
ナスぼろぼろ。

種から育てて、やっと最初の花がついたところだったのに。

被害その3。
ピーマン壊滅。

こちらも種からで、いくつかつぼみが大きくなってきたなあ、という矢先。

来ましたねえ。
いよいよ臨戦態勢です。
でも、今年はあまり熱くならないようにと、自分に言い聞かせています。

たかが野菜です。
ヨナ書にもあります。人の心の状態よりも、植物が枯れたことに腹を立ててしまう預言者。

今年はもっと人の心に目を向けなければ・・・。

きょうもずいぶん晴れました。
そして蒸し暑い一日でした。
でも夜は涼しくなってきたように思います。
そして、今11時半ですが、外では雷がゴロゴロ言っています。

場所によってはFloodが大変なようですが、
私たちのところは守られています。

明日は今日までに比べるとずっとカラッとするでしょう。
気温は30度くらいかな。
これは今日までと同じくらい。
ちょっと一息というところでしょうか。

poison ivyのかぶれも、峠は越しました。
これからは少しずつよくなっていくことでしょう。

今日はたまっていた仕事(デスクワーク)+各種連絡+2人の方にお会いする
ということであっという間に一日が過ぎていきましたが、
それでも、先週までに比べると、ずっと落ち着いています。
結構抜けていた仕事もあり、かなり迷惑をかけているなあ、と反省。
これからの2ヶ月。祈りと御言葉に集中して、
人とのふれあいに集中して歩みたいと思います。

で、今日の聖書。
6月ももう明日まで。
今日はテトスへの手紙、ピレモンへの手紙を読みました。
今日、心に留ったのは、テトスへの手紙の2章14節。
「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」
その中の、「よい行いに熱心な民」という言葉が特に語られました。
「福音」つまり、赦されること、愛されていること、そこに集中することを使命と感じています。
そんな私に主は、「イエスがあなたのために十字架にかかったのは、その愛に感謝して、あなたがよい行いに導かれるためなのだ」と語られたのです。
「よい行いに熱心」・・・おまけではなくて、
余力があったらではなくて、
「熱心」によい行いをする者とならせて頂きたいと思いました。
でも、「よい行い」をしていると思っている時は、結構傲慢になっている時。
だから、感謝に溢れて、ただただ、イエスが私のために命を捨てて下さったことを、感謝して受け取る中で、自然に熱い思いで主が喜ばれることをしていくことのできるものでありたい。
そう思いました。

主よ、
私に熱い思いを与えて下さい。
もっともっとあなたに愛されている感謝に溢れて、
喜びに溢れて熱い思いで、人に仕えていくことができますように。
あなたの喜ばれることを選んでいくことができますように。
人々の救いのために私を用いて下さい。

日々救われる方々が与えられますように。
明日の出会いも、集会も祝福して下さい。

2006-06-28

言葉にも行動にも信仰にも純潔にも

さきほどNYから無事に帰ってきました。
今日も一つ一つの出来事に感謝。

でも蒸し暑いですねえ。
昨日の夜はすごい雨で、
今日は雨も上がって蒸し暑くて、
本当に日本の梅雨のようです。

今朝もキュウリ一本。
なんだか、やっぱり日照不足でしょうか、
水はたっぷり降るんですが、
今ひとつ収穫がふえません。

今日も一人の方が、
お話をしている間に、
イエスさまを心に受け入れるお祈りをされました。
感謝。
このところ、毎週のようにそのような方が起こされて、
不思議ですよね。
なぜか、そういう波がやってくるような時があります。
特別なことがあるわけではないのですが・・・。
神様の時なのか、私の知らないところでの、皆さんの特別な祈りなのか・・・。
でも、本当に感謝です。

今日の聖書。
今日はテモテへの手紙の第1と第2全部を読みました。
その中で心に留ったのが、
「言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。」という言葉です。
この前に「あなたは年が若いがゆえに軽んじられてはいけません」とあって、
数年前まではその前半の方が心に留っていたのですが、
今は「あ、これは自分には当てはまらない」と思うようになってしまいました。
でも、その分、後半が心に留ります。
一つ一つのことについて、祈らされました。
最終的には神様を指し示していくだけです。
人の優しさとか、気遣いで満足しているわけにはいきません。
でも、自分が言葉において、人々の模範となっているだろうか?
行動においてどうだろうか、
愛において、
信仰においてどうだろうか。
純潔においてどうだろうか、
一つ一つのこと祈らないではいられませんでした。
助けて下さい、きよめて下さいと。

神様、
わたしの言葉をきよめて下さい。
あなたが私の口にその時々にふさわしい言葉を与えて下さい。
そして、行動をお守り下さい。
愛に土台した行動を取らせてください。
愛を与えて下さい。
人々を愛し、人々に心から仕える愛を与えて下さい。
信仰を増して下さい。
信仰に堅く立たせて下さい。
純潔を守って下さい。
実際の行為としての純潔だけではなく、心の中の純潔も守って下さい。

明日もあなたの守りの中で人々との出会いをお守り下さい。

2006-06-27

きよい生活

今日はゆっくり起きて、
楽しく過ごして、
夕方に帰ってきました。
泊まったところが、冬はスキー場というところで、
ホテルの裏がすぐゲレンデです。

そこで、夏はリフトに乗って登って、
そりのコースのようなところを夏用のそりに乗って滑っております。
なかなかスピードが出るんだけど、安定感があって、
楽しかったです。
場所はタングルウッド音楽祭をやるところや、
ノーマン・ロックウェルの美術館のちょっと北に行ったところです。
今回みたいなプロモーションがあったら、また行きたいなあ、というところです。

心配していたよりも天気はよくて、
暑いくらいでした。

ただ、西の方、ペンシルベニアとかはものすごい大雨のようですね。

今晩これから雨が降って、明日は時々雨、の予報です。
でも、こういう時の予報は難しいです。
外れるかもしれません。

明日は月一のNYDayです。

今日の聖書。
大体、こういうお出かけ先では、
私が一人で早く目が覚めます。
ですから、ゆっくり聖書を読む時間があったりします。
今朝も例外ではありませんでした。

今日はテサロニケの信徒への手紙第1と第2両方を読みました。
心に留った言葉は、第1の手紙の4章7節です。
「神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。」
という言葉です。
きよい生活。
そのために私たちは招かれた。
ここでは、はっきりと性的なことが書かれている。
人々はそんなこと気にしないかもしれない、
でも、あなたがたはその点できよい生活をするように招かれたのだ、
と語られています。
言葉の重さを感じました。
生涯守ってください、と祈らされました。
誘惑もあることを知っています。
失敗をした仲間や先輩がいることも知っています。

自分もそのような誘惑が本格的にやってきたら、
大変な闘いだと思います。
今までそのような本格的な誘惑がなかったから守られてきたのかもしれません。
だから、守ってください、としか祈りようがない、そんな思いです。
そして、教会の一人一人も守ってください、そのように祈らされます。

主よ、
きよい生活を送らせて下さい。
私の心をきよめ、私の生活の一つ一つの側面をお守り下さい。
目を守り、足を守ってください。
そして、誘惑が襲ってきた時に、
あなたが御使いを送って、私を守って下さい。
これからも私を守って下さい。
教会の一人一人を守って下さい。


赦すということ

これは昨日、26日の分。

牧師会も今合同修養会があるので、
どうしても「打ち合わせ」的要素が強くなってしまいます。

でも、本来、もっと祈り合い的な要素があればいいなあ、と思わされています。

昨日はある先生がご自分の話をしてくださって、
もちろん具体的なことは何もなかったのですが、
ご自分の霊的な、内面的な葛藤の話、
その中で神様が語ってくださったことを分ち合ってくださって、
とても心に触れる内容でした。

牧師は自分で自分を追い込むこともあり、
周りの期待に応えてしまうこともあり、
どうしても、いつもいつも霊的なスーパーマンでいなければならないと思ってしまいがちです。

でも、やっぱり弱く小さな、神様の助けなしには生きていけない存在です。
それなのに、「神様の助け」さえも見失ってしまって、
ただ、表面的に仕事をこなしていく、というところに、
陥ってしまうことさえあるのです。

そして、お互いに「こんなことで悩んでいるのは自分だけだよな」と思っている。
だから、誰か一人が、心を開いたら、お互い心が触れ合うような関係に一気になっていくように思います。
弱さを認めること・・・これは勇気がいることですが、
心がつながるための第一のステップですよね。

昨日の集まりに感謝。

そして昨日の聖書。
昨日はコロサイの信徒への手紙1-4章全体を読みました。
心に留ったのは、3章13節の言葉。
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。」
「責めるべきこと」なんだから、「責めるべき」なんだと思います。
そうですよね。でも、ここではそれを「赦しなさい」という。
日本語おかしいというか、矛盾というか、
「責めるべきこと」は責めるべきことです。
でも、それを赦しなさい、と聖書は言うのです。

三浦綾子さんの秘書をされていた方から伺った話。
「あなたが取り返しのつかないことをしてしまった時は、赦すから、私の秘書として働いてくださらない?」と言われたそうです。
取り返しのつくことは「赦す」ということではない。ただ、取り返せばいいだけだ。「赦す」ことができるのは、相手が取り返しのつかないことをしてしまった時なのだというのです。

なるほどー。と思いました。
「取り返しのつかないことをしてしまった」という時に、赦すっていうことは大変なことですよね。
でも、三浦さんの言われるように、私たちは、「赦す」ということをしているつもりで、「赦したんだから・・・」と恩着せがましく言ったりしますが、本当はそんなのは「赦す」というほどのことでもないからなんでしょうね。
本当にいくら何でもこれだけは赦せない、ということをこそ、「赦す」と言うことに価値があるのだ、と思いました。

神様、
赦すことを教えてください。
赦す、ということをあまりにも簡単に語っているように思いました。
赦すことがどんなに大変なことなのか、
赦す、ということがどんなに真剣なものなのか、
主よ、教えてください。

2006-06-26

とりあえず足跡

今日は車で動いたので、
コンピューター持参。
宿泊先のロビーは無線LANがOKなので、
ちょっとだけ・・・。

牧師会はとてもよかったです。
詳しくはあしたにでも・・・。

それから、
ちょっと遅くなって5時頃出発。
それで8時頃にキャンプ場に息子をドロップして、
9時頃にマサチューセッツ州のホテルに投宿。

どうかなあ、と思ったのですが、よかったです。
One Bedroom、キッチン付きのスイートで75ドルの特別料金。
Travel Zooという週に一回、「お得情報メール」を送ってくるサービスで、
初めてそれに応答して、予約を入れました。
キッチン付きがいいのは「レストランに行かなくていい」こと。
こちらで、宿泊先で、行き当たりばったりでレストランに行くと、あんまり満足出来なくて、家族で60ドルから100ドル行ってしまいます。
だから、自分で食材持っていって、キッチン付きでちょっと料理すれば、それが浮くんですよね。

カミさんは料理しなくていい・・・とはいかないのはちょっと申し訳ないのですが、
彼女も、こっちのレストランにはあんまり満足出来ないので・・・。

とりあえず、足跡だけ。

2006-06-25

神に打ち明けなさい

今日も蒸し暑くて、
時々土砂降りが降る一日でした。
右手のpoison ivyの水ぶくれはひどくなる一方。
いやあ、暑さで長袖を嫌がったつけが、こんなに大きくなるなんて・・・です。

今日は一日包帯をしていたので、
この蒸し暑さが身にしみました。

明日は雨は今日ほどではないようですが、
蒸し暑さは継続でしょう。

この天気の出口・・・あんまりはっきりと見えてきませーん。

とりあえず、木曜日くらいからちょっとよくなるかな。

今日の収穫はキュウリ1本、インゲン4本。
なんか、「ぼちぼち」ですね。いっぺんに何十本も穫れないんでしょうか?
天気がよくなったらぐんぐん、なんでしょうか?

明日の午前中は地区の日本語の牧師の集まり。
午後から息子をキャンプ場に連れて行って、
遠いので、そのままどこかにお泊まり。
火曜日は一日休暇です。

ですから、明日の更新はもしかしたら、ないかも・・・です。

日曜日。
心からの礼拝を捧げました。
神様の前に「キリストの弟子として下さい」という祈りを捧げました。
今日も多くの方々と共に礼拝出来たことが大感謝。
夕方はJOYJOYキャンプのミーティング、その後、読書会。
今日も長ーい一日でした。
でも、快い疲れ。

さてさて、今日の聖書。
今日はピリピの信徒への手紙1-4章、全体を読みました。
「喜びの手紙」と言われる、牢獄の中から書かれた手紙。
パウロはピリピで伝道をしていた時も、
投獄されて一晩過ごしている中で、
「賛美を歌っていた」と書かれています。
困難の中、苦しみの中での賛美。
すごいなあ、と思います。
そして、自分はそのような状況の中で、賛美ができるだろうか、と思わされました。
心に留った言葉は
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」です。
これは4章の6節の昔から好きだった御言葉です。
でも、初めて新共同訳で読んで、この「打ち明けなさい」という言葉がとても心に響きました。
「いろいろ思い煩っていないで・・・神様に打ち明けなさい」と言われたように思いました。
そして、これに続く言葉は、
「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
平安、平和。
思い煩いに苦しんでいる時に、神様に祈ったら与えられる平安。
それはすごいうれしいもの。
今心の中にあることを主に打ち明けなさい、と言われているように感じた。

主よ、
あなたに祈ります。
どうかあなたがお約束通りに平安を与えて下さい。
平安の中に生かしてください。
私の心の中を全部あなたに見て頂いて、
あなたにゆだねます。
どうか、お約束通りに、平安を満たしてください。

妻を愛しなさい

また12時を過ぎてしまいました。
ですから、「今日」というのは25日日曜日ではなくて、24日のことです・・・。

今日はやっと雨が降りました。
でも降りすぎ+肌寒いけど蒸し暑い(どっちだ?)
みたいな一日でした。
最高も24度くらい。今は21度くらいまで下がったかな。
停滞前線が東海岸をボストンからずっと高速道路の95号線に沿って走っていて、
その上を低気圧が次から次から進んでくるんですね。
そして、フロリダ沖の湿った空気がガンガン流れ込むという、
日本の梅雨そっくりの天気のパターンです。
ずっと雨です。
明日も時々土砂降り。

poison ivyその後。
水ぶくれがひどくなって、破れてじゅくじゅくしているパターンです。
気がついて、気をつけて処理をしてこうだから、
気がつかないで、ばんばん切っていたら、どうなっていたことでしょうか?
あーこわい。

あ、それから、ありゅさんのリクエストのスカンクの話ですが、
じゃあ、
ちょうど一周年の私のスカンク記念日、7月5日にポストすることにします。
あのスカンクのにおいってのも独特ですよね。
あれから1年経った私には郷愁を誘うものになりました。
「ああ、そんなこともあったよなあ・・・」と。
あれは夏の暑い日・・・この続きは7月5日です。お楽しみに。

他のものでは何に似ている、と言うことのできないにおいですね。
ゴムが電気で焼けるような、でも、有機的な、強烈なにおいです。
何年か住んでおられても、かいだことがない、という幸運な方もおられます。
今度出没したら、またお知らせしますね。

今日はもう遅いので、
聖書のこと書いて寝ます。
今日はエフェソの信徒への手紙を読みました。1-6章全体。
その中でやはり心に留るのが、
「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」
という5章25節の言葉。
これはもう、そのまま降参。
どうしたらいいんだろうなあ、と。
自分を与える愛し方。
自分は楽をしながら、
何でもやってもらいながら、
「愛してるよ」ってたってねえ。
何でも自分の考えを通しながら、
時々、質問されたことに「何だよ、面倒だな」という態度で答えておきながら、
「愛しているよ」ってほざいたってねえ。
だから、反省。
イエスさまの愛をもっと知りたい。
そして、愛することを教えて欲しい、経験させて欲しい。
もっともっと経験させて欲しいと思いました。

神様、
単純に祈ります。
妻を愛することを教えて下さい。
何が本当の愛なのか、
どうすることが「キリストが教会を愛し自分を与えるほど愛した」ことと同じ愛なんでしょうか?
主よ、教えて下さい。