2011-12-24

アドベント聖書日課12/24


みなさん、おはようございます。

昨日のユースのクリスマス会は、スタッフを入れて20人を超える集まりとなり、
楽しいひとときとなりました。
神様の愛のプレゼントの話をしたのですが、
導入の「みんなの初恋はいつだ?」の話では、
みんな照れくさくも輝いた瞳で、レスポンスをしてくれました。

神様はわたしたちに今日も熱い思いを寄せておられるんですね。

今日はそんなことを覚えながら、ヨハネによる福音書3章16節を思いめぐらせましょう。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」


もう一カ所、今度はヨハネの第一の手紙の3章16節です。
「主はわたしたちのために命を捨ててくださった。それによってわたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のために命を捨てるべきである。」

神様の愛のプレゼント。それがイエス・キリストです。
でも、イエスはただ、わたしたちに正しい道を教えるために来られただけではありませんでした。
それだったら、イエスは来なくてもよかったのです。預言者たちが次々と送られて来ていました。そして、正しい道を教えていました。
問題は、その正しい道を知っても、そのように生きられない、わたしたちの「罪深さ」「罪への傾向性」でした。
イエスは、わたしたちのために新しい道を開くために来られました。わたしたちの罪を背負って、十字架にかかり、神様と共に歩むことができるようになる道を開かれたのです。それはただ信じ、受け入れるだけで、与えられる神からのプレゼントだったのです。
プレゼントですから、昨日の羊飼いが走ってベツレヘムに行ったように、わたしたちもそれを「受け取る」ということが必要です。それが信仰です。
今日も、あなたの前にこの神様からのプレゼントが差し出されています。日本式で「そんな、こんなの頂けないです〜」とやるのではなくて、アメリカ式にしましょう。「え、いいんですか?わあ、うれしいです。ありがとうございます!」と受け取ろうではありませんか?

今日は午後5時からキャンドルライトサービスです。
暗闇を照らすまことの光であるイエスさまを多くの人が知る、ひとときとなりますように。

2011-12-23

アドベント聖書日課12/23


おはようございます。

クリスマスまであと2日。
この朝のメールをお送りするのがちょっと楽しみになってきました。
主は、今朝、私に対して、教会に対してどんなメッセージを持っておられるのだろう?
それを思いながら、いつもメールをうっています。

今日はルカによる福音書2章15-20節を読みましょう。


「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか。」15節。

「大きな喜び」のニュースを聞いた羊飼いたちが、その「大きな喜び」を経験するために必要だったことは、行動することでした。
聖書の中で、ヤコブの手紙をのぞいて他のすべての場所で、「信じる」ことと「行動する」ことはセットです。切り離すことはできません。信じることは気持ちの問題ではありません。信じたら、そのように歩むのです。聞いたら、従うのです。ヤコブは信じることと行動することを切り離しましたが、結局のところ、ヤコブの言いたかったのは、「行いのない信仰なんて意味がない」ということでした。聖書全体を通して、信じることは従うことであり、信じることは行動を伴うものでした。かたちだけ行うことの無意味さは言うまでもないことであり、愛のない行いはむなしいものだとパウロは言います。偽善はイエスが一番攻撃された罪でした。でも、それらのことは「信じるならば行いがなくてもいい」ということを正当化する理由にはなりません。信じているなら、踏み出すことです。
わたしたちは失敗を恐れる文化の中で育ってきました。失敗するならばやらない方がいい・・・それが信仰の歩みの中にもあるのだと思います。羊飼いたちは、救い主に会えない、ということなど恐れないで、ベツレヘムに行きました。今日、あなたの信仰が問われることがあると思います。信じて踏み出す時に与えられる喜びを一つでも経験できますように。

2011-12-22

アドベント聖書日課12/22

今日はルカによる福音書2:8-14を読みましょう。

「すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える」10節。

正直なところ、今年は例年にもまして、神様はどんな思いでこのクリスマスをご覧になっているのだろうと思わされています。先日のFujisankeiの朝のニュースの若い女の子がクリスマスプレゼントに期待するもののリストで、50万円の腕時計とか、50万円のバッグとか、もちろん話題作りの側面もあるかもしれませんが、それは何だ?と思います(よい製品がそれなりの金額をするのはわかっていますが)。日本が大きな痛みを負ったこの年、クリスマスこそ、そこに目を留める時であるだろうに、このような話題を放送するテレビ局やわざわざアメリカにまでそれを持って来て面白おかしく放送するアメリカ側の企画の姿勢にも疑問を感じます。その放送の後から、ちょっとイライラしていて、気をつけないといけないな、と思っていますが・・・。そして、同じ日にラジオで流れていた話だと、クリスマスプレゼントで「あ、うれしい」と思うのは何十パーセントだとか、返品/交換が何十パーセントだとか・・・そんな話ばかりが耳に飛び込んで来ます。

この聖書の言葉はそんな世界とは無縁の羊飼いたちに与えられた言葉です。それは「すべての人」に向けられたメッセージでしたが、それを受け取ることができたのは羊飼いたちだったのです。日々の食べることに一生懸命で、その夜も、野原で羊たちとともに過ごしていた羊飼いたちだったのです。彼らに与えられる喜びでした。すべての人への喜びのメッセージだったのですが、神様は彼らを憐れんで特別に彼らに伝えたのではなかったでしょう。そうではなくて、彼らこそ、この喜びを受け取れる人たちだったのだということだと思います。
この救い主は「かいばおけのしるし」をもつ救い主です。わたしたちはどんなブランドを身につけるでしょうか?言ってみれば、イエスは「飼い葉桶」ブランドを身につけてお生まれになりました。そして、それはイエスの生涯を通してのブランドでした。イエスの目標はそこから抜け出すことではなくて、徹底的にそこに生きることでした。身を低くして生きることでした。仕えることでした。わたしたちはどうでしょうか。この喜びを受け取れるところにいるでしょうか。

私自身、自分を見失わないように、とこの数日思わされています。明日の中高生、あさってのキャンドルライトサービス、日曜日のタカホとメイウッドと2つの教会の礼拝、とクリスマスの集会が続きます。私のためにも祈って下さい。

今日はアップするのが遅くなりました。朝の祈りの時に間に合わなかった方々もおられると思います。すみません。
お一人一人の今日の一日の歩みのためにお祈りしております。

2011-12-21

アドベント聖書日課12/21

さて、今朝はルカによる福音書2章1-7節を読みましょう。

 「初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」7節。

ここは日曜日の礼拝の中でも読まれたところです。
昨年のキャンドルライトサービスでは「想定外の出来事の中に神様のメッセージが隠されている」ということをお話ししました。ヨセフとマリヤの人生にとって、処女懐胎も、このタイミングでの出産も、想定外だったでしょう。そして、このタイミングで人口調査があり、またそれも、自分の祖先の町で登録するなんてことになることも、本当に生活が乱されることだったと思います。しかし、そこに、その現実の中に、イエスはお生まれになり、神の愛の究極が顕わされたのです。

そして、わたしたちはそれから2ヶ月余たった、3月11日から、何度も何度も「想定外」という言葉を聞かされることになったのです。それはわたしたちの想定を超える「想定外」でした。やはり、わたしたちは心のどこかで、「想定外のことがあっても、この程度のことだろう」と思っている範囲があるんだと思います。しかし、神様はしばしば、わたしたちをその「想定の範囲の『想定外』」から本当の「想定外」に引き出されます。それは本当に悲しいことだったり、戸惑うことだったり、怒りを覚えることかもしれません。神を信じることさえ困難になることかもしれません。しかし、そこにこそ、神のメッセージが隠されているのです。人間の準備の範囲を超えたことの中に、自分の限界を知り、神と出会うチャンスが与えられるのです。

今日も、もしかしたら、想定外の出来事に巻き込まれる方々もおられるかもしれません。
もしも、そんなことが起こったら、思い出してください。神様はあなたに特別なメッセージを持っておられるのです。

祈りつつ。

2011-12-20

アドベント聖書日課12/20

おはようございます。
今日はマタイによる福音書1章18-25節を読みます。

今日は聖書が手元にない方のために聖書検索のリンクを貼っておきます。
http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi

ここの下のほうの「書名章節検索」に「マタイによる福音書」と「1」章を入れると、1章が20節ずつ出てきます。ご利用ください。

さて、今日の聖書箇所から。

「ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。」(24節)

昨日書いたとおり、聖書はマリヤの苦悩については沈黙しています。そして、マリヤは賛美にあふれています。しかし、もう一人の当事者、婚約者のヨセフの方は苦しんだようです。婚約者が自分の身に覚えがない妊娠をしているのですから、当然でしょう。ヨセフはひそかに別れようと考えていました。私自身も同じ男性として、このヨセフの苦悩はどんなだっただろうかと思わされます。

そんなヨセフには夢を通して神は語られました。
「心配するな」「聖霊による子供だ」「救い主になるのだ」と。語られたときに、ヨセフはすぐに従いました。実は19節を読むと、ヨセフはもうすでに別れることを「決心していた」とあります。人間的な決心です。自分で勝手に決めた決心です。私たちは決心したことはあまり変えたくありません。もう決めたのですから。でも、神様のほうにはほかのお考えがありました。それが語られたときに、ヨセフはすぐに従いました。

私たちにとっても、今、必要なのは「主に語っていただくこと」なのではないでしょうか?主は今も時には夢で語られることもあるでしょう。でも、今はヨセフの時代と違って「聖書」が与えられています。ですから、主は今、何よりも聖書を通して私たちに語られます。日々、み言葉である聖書を読み、祈りましょう。そして、与えられたことを分かち合っていきましょう。そして、それだけではなく、そこに具体的に従っていきましょう。

今日の一日の皆さんの歩みが主の導きに単純に従うものとなりますように。

2011-12-19

アドベント聖書日課12/19

おはようございます。
今日はルカによる福音書1:39-56を読みましょう。

「主のお語りなさったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう。」45節

特別な方法で身ごもるという困難を与えられたマリヤには、特別な励ましが与えられました。それはエリサベツという親類の女性でした。彼女は高齢だったにもかかわらず、後にバプテスマのヨハネになる子供を与えられていたのでした。まさに、神の力を知っている人がそばに与えられたのです。私たちにとって励ましとなり、支えとなるのは「神の力を知る人」です。
実際、聖書はマリヤの苦悩については何も語っていません。マリヤはエリサベツとの交わりの中で喜びに満たされて、賛美をささげています。その中で、マリヤは、神が自分のような存在に目を留めてくださったこと、そして、救いのみ業をなそうとしておられることを賛美しているのです。彼女の目は、自分の出会うであろう困難にではなく、神様のみ業に向けられていったのです。
今日も、お一人ひとりの歩みが支えられますように、お祈りしています。困難に出会われている方々もおられるでしょう。お一人ひとりの目が、その中であなたに目を留めておられる主に向けられますように。

2011-12-18

JOYJOYクリスマス

今夜は冷えています。
まだ夜の10時なんですが、-6度。
でも、今夜が寒さの底で、この後はだんだん緩んでくるみたいです。


去年のJOYJOYクリスマスは「あれ〜?」と思うほど、
いつものメンバー以外は少なかったんだけど、
今年はたくさんの皆さんが来てくださいました。
中高生を入れると40人くらい。


楽しいひとときだったようです。
うちの娘の評価はかなり高かったです。
初めての子にも楽しかったかな。


今日の週報に書いたコラムから。

「いよいよJOYJOYクリスマスの日です。
まだ、この教会の牧師になったばかりのころの話ですが、その5年くらい前に買ったディズニーワールドの4日券が2日分ほど残っていて、問い合わせたら、まだ使えるということでしたので、家族4人(そのころはまだ下の娘は生まれていませんでした)で、車で行ってきました。


 感動しました。


そこのスタッフが本当に人を喜ばせるプロだったからです。ほかのテーマパークも行ったことはありますが、そことは全く別の、「ゲストに楽しんでもらおう」という思いがあふれていました。 先週、「社会人として大切なことはすべてディズニーで学んだ」という本を読んで、その舞台裏で起こっていることをちょっとだけ垣間見ました。そこにあるのは、何よりもスタッフを育てる人たちの真剣さでした。若いスタッフ、特に著者は元ヤンキーの、「口の利き方を知らない」タイプの若い子、そんな若者たちに、どうすればゲストの方に喜んでいただけるかを、体当たりで伝えていくんですね。そして、自分の側からしかモノが見えなかった子達に、ゲストだったら、どんなことが喜びで、どんなことが思い出に残るか、を伝えていくのです。


十数年前ディズニーから帰ってきた私が「うちの教会もこのように新しい皆さんを歓迎しよう」とアピールをした時の思いがよみがえってきます。もちろん、教会にはもっとすごいものがあります。神様の恵みであり、福音です。でも、だからといって、私たちの新しい方々への歓迎がディズニー以下でいいわけではありません。いや、最高の福音を知っているからこそ、私たちは最高の態度で新しいみなさんを歓迎したいと思います。今日のJOYJOYクリスマスも初めておいでになるご家族、子供たちにとってとびっきりの思い出となりますように。」


・・・まだまだ途上ですが、もっともっといいプログラムを・・・と思わされています。

さて、今週の「アドベント聖書日課」ですが、
今週はここに毎日直接貼付けるようにします。

12月18日(日)ルカ1:26-38
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」38節  
マリヤに天使ガブリエルが「あなたは男の子を産みますよ。その子は神様の子、救い主です」とお告げをするところです。処女としてみごもるということがどういうことなのか、想像を超えています。そしてマリヤが経験した苦悩や葛藤もどれほどだったかと思います。しかし、マリヤは「神には何でもできないことはない」という御使いの言葉に、「お言葉どおりこの身になりますように」と自分の身を差し出すのです。  
わたしたちも同じ思いでクリスマスを迎えようではありませんか。ただ、受け身で待つのではなく、ただ、「いいことないかな」と待つのではなく、自分自身で踏み出して、「主よ、このクリスマス、私をあなたの御用のために用いてください」と祈って待ちましょう。

明日からは東部時間の朝6時前後にアップします。