2012-03-24

愛って?

ああ、何を青いことを・・・って感じですが、
日曜日の準備があるので、今日は一言だけ。

夫婦の話をする時には
「愛は気持ち、感情だけではなくて、決断、意志が大切」と言います。
結婚式で「誓い」をするのは、感情があてにならないからです。
感情としての「愛」は永遠などでは決してないからです。



これは保証します。

(胸張って言うことでもないですが・・・)



だから、「誓い」が必要だし、「決意」が必要だし、「愛する」という具体的な行動が必要なんだと思います。(自分に言い聞かせている・・・)

そして、その決意はやがて、「互いの気持ち」となって返ってきます。

でも、その愛を神様との関係に当てはめると(もうちょっとじっくりと男女の話を読みたい、方々もおられるかもしれませんが、今日は明日の礼拝の準備もあるので短く)、なぜか、急に「決断」よりも、「感情」「実感」が重んじられているのではないかと思います。


「もっと心から信じられるように」「喜んで奉仕したい」「喜んでしない献金なんて」みたいな言われ方をします。私も喜んで主に従っていきたいです。


でも、やはり、そこにも「決断」「意志」の要素が必要なんじゃないかと思ったのです。
「神様のためにこうしたいなあ」という気持ちの高まりを待っていないで、決断をもって神様に従っていく、愛していく。それも大切なんじゃないかと。

ですから、明日、日曜日、一つの決断をもって、意志を持って、「神様を第一としたい」と思います。

ってなことで、おやすみなさい。


2012-03-23

任されたもの。

今日も暖かかったです。26度くらいまで行きました。
でも、この暖かさも今日まで。
明日からはぐっと涼しくなります。
バックドア・コールド・フロントと言いますが、
無理矢理訳すと「裏口寒冷前線」がボストン方面から降りてきます。


明日は多分15度どまり。
火曜日くらいまでずっと涼しめだそうです。
もしかしたら、そのまましばらく。


さて、今朝の聖書。
今朝はルカによる福音書20:9-18。


「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。」9節。

これはイエスのたとえ話の最初の一節。
この「ある人」は、神様をさしていて、
農夫たちは私たち。(ここでは直接は当時の宗教指導者のことを指していたわけだけど)

このたとえ話の中での問題の始まりは、この農夫たちが、任せられた農園で自分勝手を始めたこと。収穫を受け取りにいった僕も、問題の解決のために派遣された人たちもひどい目にあってきた。そして、最後には息子さえ。

私たちは神様からいろんなものを任されている。
財産、お金、時間、才能・・・。

でも、それはあくまでも任されているもの。

それを忘れないこと。
わたしのものはすべて神様のもの。
だから、必要なものはすべて与えられるし、
それは主のために用いるのだ。

そのためには、もっともっと神様の思いを知ること。
神様の思いが、自然とわたしの思いになっていくこと。
そんな歩みをさせていただきたい。

かみさま、
あなたに任されたものを、あなたの喜ばれるような使い方をすることができますように。
どうかあなたの思いをもっともっとわたしに教えてください。

2012-03-22

私の家は祈りの家。

今日は本当に暑いくらいでした。
30度までは行きませんでしたが、27度くらい。


この暖かさで、アスパラは例年よりも1ヶ月近く早く芽を出しています。





このままだと3月中の初収穫となりそうですが、
さてどうなることか。
すべてはあさってからの冷え込みがどれくらいなのか、
そして、その後は暖かくなるのか、にかかっています。

今朝気がついたこと。
自分は妻を本当に信頼している。いや、いろいろ得手不得手の分野があることは知っている。だから、任せられないこともある。それゆえに「信頼している人にそんな言い方する?」と思われるようなきついことも言ったりする。でも、人間として、女性として、本当に信頼している。でも、そのとき、ちょっと、自分がこの人を信頼しようとする「勇気」が偉いかのように思っていないだろうか?ってことに気がついた。

でも、それはそんなんじゃなくて、神様が信頼できる人を与えてくださったことに感謝すべきなんじゃないかと。

そんなことを思っていたら、夫婦関係だけじゃなくて、自分は多くの信頼できる人たちに囲まれて生きてきたんだなあと思わされた。そして、自分を信頼してくれる愛と勇気のある人たちに支えられてきたんだと。

自分の未熟さを恥じるとともに、神様の恵みに感謝した。

さて、今朝の聖書。
今日はマタイによる福音書19:45-20:8

「わたしの家は祈りの家でなければならない」19章46節。

イエスは神殿で商売をしている人たちを追い出して、
私の父は「私の家は祈りの家だ」と言っておられる、と言われた。

今、主は教会を見て、そのように言われるだろうか?
私の生活を見てそのように言われるだろうか?

でも、そうやって自分の姿に落ち込むことよりも、神様が今も、祈りを待っておられること、私たちの祈りを楽しみに待っておられることに目を向けよう。

神様、
あなたが、私のことを、私があなたに祈ることを、楽しみに待っておられることを感謝します。あなたと共に歩む喜びの中に歩ませてください。

2012-03-21

主がお入り用なのです。

さっき、ちょっとNYCに行って来たのですが、
かなーり霧が出ていましたね。
ウチの近辺は、全然大丈夫ですから、
やはり海からの霧なんでしょうか。
ラジオではあちらこちらで霧が深くなってきていることを言っていました。


そんなことで、明日はまた暖かく暑くなりそうです。


予想最高気温26度。
ウチの温度計、30度まで行くかも。


そんな陽気に誘われて、ウチのほったらかし畑も、
ちょこちょこいろんなものが生えてきています。





今年の初収穫はニラ。
本当に柔らかい新芽。
早速、今日のメニューはギョウザに。

ゲストを含めて女子4人で、楽しく包んでいました。

これだけ春が早いと、今年は何を作ろうか、とちょっとやる気になってきます。

まあ、すぐに花粉でダウンすると思うけど・・・。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書19:28-44。

「なぜ、このろばの子をほどくのか」「主がお入用なのです」33-34節。

周りの人々から見たら、まだ誰も載せることはできないようなロバの子。
そのロバの子を連れてきなさい、とイエスは言われた。

周りの人が「なぜ」と聞いたら、「主がお入り用なのです」と答えなさい、と弟子達に命じたという。

そして、そのロバの子が用いられた。

これは、私たちにも当てはまることだと思った。
私たちは勝手に自分の判断で、「まだ早い」「あの人には無理」と思うことがある。
でも、神様が用いようとするならば、用いられるのだ。
神様が必要とされるならば、そこで用いられるのが一番すばらしい。

そして、得てして、神様のしようとしていることを、
周りの人間がとどめてしまっているのだ。

だからもっともっと、神様を信頼して、
多くの人々に、神様のために奉仕をしていただきたいと思う。
もっともっと積極的に奉仕をしていただきたいと思わされた。
自分がそれを留めてはいけないのだと思わされた。

主よ、
あなたが用いようとしている方の働きを、
私が止めることがありませんように。
あなたを信頼して、多くの人々があなたに用いられるのを見ていくことができますように。

2012-03-20

神の喜び。

ここ数日、もやっています。
1月までは朝6時前に教会に行っていたので、
こういう朝は運転もコワかったのですが、
最近は自宅で祈るようにしているので、
気がついたら、もう晴れていることも多いです。


でも、今朝は結構長い間もやっていましたね。


今から25年くらい前ですが、7月の初めから8月の終わりまで、
2ヶ月間、北海道の士別で過ごしました。


聖書学院の1年生の夏の実習でした。


7月に行った時には、まだストーブがいるくらいの寒さ。
でも、8月の1週目、1週間だけ暑くなりました。
ホントに一週間だけ。


その時に皆さんが言っていたことがとても印象に残っています。
「こういう、朝にもやっている日は、暑くなるんだよね」と。
東京では、もやっていようがいまいが、夏は毎日暑くなりますから、そんな感覚なかったです。ですから「そんなもんかなあ」と思って聞いていました。でも、ホントに暑くなるんですよね。


NJはそれに近いものがあります。
朝もやっている・・・それは空気はある程度の湿度を持っているけど、天気がよいので、放射冷却で気温が下がった、でも、湿度が高いので、それほど下がらないでもやっとする。そして、昼間、天気がいいのでぐっと気温が上がって蒸し暑くなる・・・というメカニズムかな、と思います。


今日も、そんな一日でした。


明日、また25度くらいまで上がって、暖かい日となりそうです。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書19章11−27節。


「あなたは計算の細かい、きびしい方ですから・・・」21節。

イエスのたとえ話。

10人の僕に1ミナずつ預けて、旅に出た主人、帰って来て、僕達がどのようにそれを活用したか、清算をした。

ある人は10ミナのもうけをあげ、ある人は5ミナのもうけを上げる中で、一人の人がやって来た。「私はあなたがきびしい方だと知っていたので、コワくて、お預かりした一ミナ、地面に埋めておきました。これがあなたの一ミナです、ご確認下さい」と。

この人の決定的な問題は、主人のことをこのような人だと思っていたことだ。本当は僕達と一緒に喜びたい、わたしたちに対して気前のよい方なのに、「計算の細かい、きびしい方」だと思い込んでいたことだ。

でも、自分は人のことを笑えない者だと思わされた。
神様はきびしいんじゃないか、けちなんじゃないか、簡単に必要な者を与えないんじゃないか、そんな風にいつの間にか思っている。我慢しなければいけないこと、そんなに簡単には物事が進まないこと、そんなことを神様は与えられるのだと思っている。

いや、頭ではわかっているのだと思う。神様は豊かな方で、わたしたちの必要をいつも豊かに満たしてくださると。でも、現実、自分はちまちまと計算をして生活している。

だから、今日は「違うんだよ」とストレートに言われたように思った。

「もっと私を信頼しなよ」と。

いろんな奉仕もそうだと思う。守りの姿勢、失敗をしないように、よりも、神様はチャレンジを喜んでくださる。問題が起こらないようにと一生懸命ガードを固めるのは、ちょうど、宝物を土の中に埋めるようなものだ。失敗してもいいから、大胆に歩む、主を信頼して、そのように歩ませていただきたい。

主よ、
あなたの大きさを信頼させてください。
あなたの豊かさ、あなたの気前のよさを信頼します。
大胆に歩む者でありますように。


明日も失敗を恐れないで大胆に歩む一日でありますように。


あなたに頂く「時間」という一ミナを、「一日」という一ミナを土の中に埋めてしまうことがありませんように。



2012-03-19

日々の祈り。


ちょっと、お休みが続いていましたが、
考えるところがあって、また無理はしたくないのですが、
毎日アップしていこうと思います。
特に「日々のみことば」から。

一人でも、忙しい日々の中で、励まされたり、
聖書の言葉によって、はっとさせられたり、
ずれていた焦点が、神様にあわせることができたり、
そんなことがあることを祈って、
私自身が聖書から思わされたことを、
日々、更新していこうと思います。

あ、お天気とか、日々の様々なことも。

で、早速お天気ネタですが、NJは、ホントに今年は暖かい冬でした。
アメリカでは、春分の日が春がスタートする日。
今夜までは冬で、明日からは公式に春なんですが、今日も20度を超えて、レンギョウを始め、いろんな花が咲き始めています。写真のクロッカス、ほったらかしなので、今年はまた去年よりぐっと花が減りましたが、(ちなみにこれが4年前。)咲いたのは、もう2週間くらい前、3月の初め頃だと思います。今はすっかり花は終わってしまいました。

そして、明日からも毎日20度以上、そして、木曜日は30度近くまで行きそうです。あり得ませんねえ。まだ3月なのに。でも、来週は・・・現実に戻るかも、です。(笑)

さて、今日の聖書。
今日はルカ19:1-10でした。

「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」10節。

イエスさまが、みんなに嫌われていたザアカイのところに「泊まることにしているから」と客になって、彼を導いたところ。

本当にこのイエスの情熱はすごいなあと思わされた。
私に対してもこの情熱を持っておられるんだなあと。
ただ、救われるだけではなくて、私が整えられるために。
キリストのかたちが私のうちに形作られるために、イエスは今も情熱を持っていてくださる。教会が教会として建て上げられるために、イエスは今も情熱を持っておられる。

私も同じ情熱を与えていただきたいと思わされました。


・・・というか、最近ずっと思わされています。
自分の愛のなさを見せつけられ、
イエスの持っておられた情熱を、私にも与えてください、と祈らされます。

主よ、
私に対して持っておられるあなたの熱い思いに感謝します。
どうか、私にも、そのあなたの情熱を与えてください。
熱い思いを持って、出て行くことができますように。