2010-06-04

わがままと感謝。

今日も暑かったです。
結構きついですねえ。
夜になっても、「熱帯夜」ではないのですが、
12時頃までは25度以上という「半熱帯夜」状態が結構こたえます。


明日も暑くて、雷雨があるかもしれません。


今日から、テモテ第2の手紙。
今日は1章1−8節。


「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」5節。

いつもここを読むと、7節の言葉が心にとまります。
今日もたしかにその言葉についても思いめぐらしました。

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」7節。

神様の霊に満たされて歩む喜びをもっと感じたいです。

そして、最初に書いた聖書の言葉。
47年前のこの日にこの地に命を頂きました。
そのこととこの聖書の箇所が重なってきました。
主が私をあの家族の中に送ってくださったこと、
そこで育ててくださったこと、
信仰の基盤を作ってくださったこと、
神様に出会う土台を作らせてくださったこと、
心から感謝しながら、
まだまだ分からない事もありますが、
すべてのことには主のお考えがあるのだと信じて、
また感謝しました。

そして、夕方からは本当に家族にわがままを言って過ごしました。
受け止めてくれている家族に感謝。

日本の家族、こちらの家族、そして、教会の神の家族、
ここで出会った多くの人々、その愛の中に生かされていることに感謝します。
人生をほんの一部でも、共有できる喜びを感謝します。

主よ、
あなたが与えてくださった人生に感謝します。
あなたのお考え、あなたの導き、
意味があると信じて感謝します。
もうすでにわかったこと、
まだ、これからわかること、
いろいろあると思います。
どうか、これからもあなたのみ思いをもっともっと私に分かち合って下さい。


もっともっと多くの方々と、
人生の一部を共有する喜びを与えて下さい。

2010-06-03

神様のプレゼント。

今日は雷雨なかったですね。
そして、ほんとに暑かったです。
今も、10時半を過ぎていますが、26度以上あります。


と書いていたら、今、雨が降り出しました。
でもレーダーを見たら、ほんのちょっとみたいです。


明日も暑くて、雷雨の可能性があります。


今日は、7年前に日本に帰国された方から、
朝早くメールが入ってきて、
今、仕事でNYに来ているけれども、
今日の午前中の祈り会に行っていいか?という問い合わせ。


もちろん大歓迎!


バスで迷いながらも、集会に来られました。
何度か日本でお会いしている私も4年ぶりくらい。
他の皆さんはもう丸々7年ぶりですよね。


貴重なNYでの一日を、私達と共に祈るために、使って下さったその思いに感謝。
そして、その方を送ってくださった神様に感謝。
本当にいろんなことを思い出して語り合いました。
本当に嬉しいプレゼントでした。


さて、今日の聖書。
いよいよエレミヤ書の最後。
エレミヤ52章24−34節。

エレミヤ書を読みながら、また先週の信徒勉強会で学んだエゼキエル書を思い出しながら、
神様は何度も何度も人々に悔い改めを求められてきて、悔い改めて歩み始めることを期待しておられたことを、思わされました。

裁きの預言。滅亡の預言。
それはもう決定論ではなくて、
悔い改めへの招きなのだ。

主は、どこまでも、私たちが悔い改めて、
主の元に帰って生きることを願っておられる。

裁きも悔い改めへの招き。

そのことの大切さを思わされ、
人を恐れないで、裁きのメッセージも語っていく責任も思わされます。

主よ、
あなたの裁きのメッセージも、決して、決定論ではなくて、
人を脅かすものではなくて、
それは悔い改めへの招きであり、
命への招きであることを思わされました。


私自身どれだけ、裁きのメッセージを語ってきたでしょうか?
恐れないで、聖書全体のメッセージを大胆に語るものでありますように。

2010-06-02

神のかたちに造られたもの。

今日は「爽やかな晴れ」じゃなかったですね。
メチャクチャ暑かったです。
もう、今年はこのまま夏ですね、きっと。


明日から週末にかけては、毎日のように雷雨の予報が出ています。
蒸し暑い日が続きそうです。


今日、AT&TからGood Newsが入ってきました。
それは、来週の月曜日から、携帯のスマートフォン(iPhoneとか、Blackberryとか・・・)のデータプランが、「無制限で30ドル」の一本から、「200Mで15ドル」とか、「2Gで25ドル」とか、になるという話。今回、tetheringというワイヤレスモデムとして使って、どこでもノートブックがインターネットにつながる、というオプションも20ドル追加で始まるみたいですから、現実的にはiPhoneだけで15ドルのプランか、iPhone+tetheringで25+20で45ドルのプランか、という選択なんでしょうが、自分はたぶん15ドルで大丈夫なんだと思います。


だいたい、今まででも200Mはまず使いません。
下のグラフは昨年10月から今年の5月までのデータ通信の使用量です。
100Mも使わない時もありますし、
多い時でも、200M行った月はありません。
気をつけていれば、200Mに行くことはないでしょう。


どうしても外出先でノートブックを使いたければ、マクドナルドを見つければいいだけです。
インターネットがoptimumの自分はoptimum-wifiがあちらこちらで使えるので、それも利用できます。




つまり、1か月あたり15ドルお安くなる、ということですよね。
それはほんとにありがたい話です。


今日の朝は2つのところで、聖書の入り口のお話。
神様が私たちのことを造ってくださった、というメッセージ。
人間を神のかたちに造り、私という人間を母の胎の中で造ってくださった。


神のかたちに造られたから、
私たちの心の空洞は神様しか埋めることができない。


お話をしながら、本当に感謝が湧いてくるのを感じました。
私達が自分で自分のかたちに似たものを造るときに、どんな気持ちがするか、
そのことを思いながら、神様がどんな思いで私を造ってくださったのか、
思わされて、感謝しました。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ書52章12−23節。


「バビロンの王に仕えていた侍従長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を全部取りこわした。」12−14節。

「ひびみこ」の解説には、
これが偶然ではなくて、エレミヤの預言の成就であることが書かれていました。
普通の原因と結果ではなくて、
見えないところでの原因と結果がある。
神の世界の原因と結果。

大学院の勉強で行き詰ってしまったことを思い出しました。
社会現象としてのリバイバルの原因を社会的な背景の中に探るアカデミズムと、
神様が祈りに答えてリバイバルを起こしてくださったのだ、と信じる、
自分の信仰との軋轢に限界を感じて進めなくなってしまいました。

もちろん、社会的な背景の中にも、
それを用いてでも、主は御業をなさるでしょう。

でも、それを遥かに超えて、
神が信じて祈る人々の祈りに答えて、
御業をなしてくださったのだと、
私は信じています。

そして、今も、主はそのことをすることができると。

このエルサレムの滅亡も、
いろいろな社会的な、軍事的、政治的な背景もあるでしょう。
でも、聖書は、「人々が神に従わなかったから」と言っているのです。

神様の支配するこの世界の中で、
本当のところ、何が起こっているのか
見分ける目を与えていただきたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの見方で、この世を見ることができますように。
あなたの見ておられる見方で、自分の身の回りに起こってくることも、
見ることができますように。

2010-06-01

へえ、やめちゃうんだ。

また総理大臣やめちゃうんですね。
短いですよねえ、4人連続。


個人的には、批判されても、失望されても、
信念を持って前進して行って欲しかったですがね。
ストレス的に限界だったのでしょうか。


特に社民党の連立離脱の一件では、
両者とも、信念を通して、わかりやすくて、気持ちが良かったですから、
いよいよ、これからわかりやすくなる、と思っていました。


とてもこのタイミングでの辞任でまたわからなくなりそうです。


最近、エレミヤとかエゼキエルとか、
預言者の歩みを見てきている中で、
人々の声が必ずしも正しいとは限らないこと、
そして、それを恐れないで進むことの大切さを見てきているからでしょうか。


そして、自分がなかなかそれができないので、
憧れるからでしょうか、
信念を持って、わかりやすい歩みをしてくれる指導者が
必要だ、そんなことを感じています。


今日は蒸し暑かったです。
そして、夕方には何度か雷雨。
でも、我が家周辺では全く大したことがありませんでした。


明日は爽やかな晴れ。
野外礼拝の日曜日は、・・・まだ分かりませんが、
雷雨もあるかも・・・という天気みたいです。


わがままな祈りですが、
「晴れますように!」と祈ります。


さて、今日の聖書。
6月になりました。今日はエレミヤ52:1−11。


「エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。」3節。

これは一つの世界観。
実際に起こっていることを、
どのように解釈するのか、
その背後には必ず歴史観がある。

エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは・・・
バビロンの王の征服計画のゆえ。
ダビデ王朝の弱体化のため。
エジプトとメソポタミアの国のパワーバランス。

いろんな見方ができるだろう。

しかし、聖書は、その中から、
「彼らが神に従わなかったからだ」という。

私たちの人生に起こっていることについても、
いろんな説明の仕方ができると思います。

「経済状況ゆえ」「妬み」「怒り」「競争原理」「誰かのわがまま」・・・

でも、実際に起こっていることは、
神様のみ手の中にある、それが私たちの世界観です。

だから、安心です。
だから、心配しません。

すべての答えはキリストにある。
そして、主は必ず勝利を与えてくださる。

それを信頼して歩んで行こうと思います。

主よ、
あなたがこの世を見ておられる見方を私にもシェアして下さい。
正しく物事を見ていくことができますように。
あなたが答えを持っておられることを、信頼して待ち望みます。
すべてがあなたの支配のもとにあることを喜びとします。

2010-05-31

肥満脱出・・・かな?

今日は雷雨が北と南にそれてくれて、
ここは完全にセーフ。
今年初のBBQだったので、
どうなるかと思いましたが、守られました。
特に夕方、南を通って行った雷雲はものすごく強いものだったので、
それてくれて助かりました。


でも、今夜、これから雷雨が来て、
明日はかなり高い確率で雷雨。


そして、今度の日曜日、
教会の野外礼拝で、礼拝後、公園でBBQ。


詳しくはこちら


みなさん大歓迎ですので、
NY・NJ地区の方々ぜひおいで下さい。


天気が守られますように!


さて、1月の日本訪問以来、自己最高更新中だった、
肥満度ですが、この1週間くらいで、ぐっと持ち直してきました。
そして、この週末、やっと、BMI値(体重kg/身長mの2乗)で「肥満」とされる25を切るようになってきました。
今夜はまたお腹いっぱい食べたので、また明日の朝が心配ですが、
BMI=20を目指して、ちょっと本気を出そうと思っています。


神様が「任せてくださった」体です。
自分のものではありません。
粗末にしないように気をつけようと思います。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ51章54−64節。


「この書物を読み終わったら、それに石を結びつけて、ユーフラテス川の中に投げ入れ、『このようにバビロンは沈み、浮かび上がれない。・・・』と言いなさい。」64節。

ユーフラテス川といえば、メソポタミアの文明を支えた河。
彼らを生かしてきた河。
しかし、その河が、「バビロンは沈む」という預言を表すために使われる。

なんという皮肉だろうか?

すべては主の支配のもとにある。
他のものはすべて過ぎ去っていく、
他のものを頼りにしてはいけない。

ほかのものではなくて、主を頼りにして歩んで行こう。

今週も、主の支配を信頼して、
歩んでいかせていただきたい。

主よ、
あなたが私の主であります。
今週もあなたを主として歩むことを貫かせて下さい。
ほかのものをあなた以上に大切にすることがありませんように。
あなたを第一とすることがどういう事なのか、今週も教えてください。
あなたに任せられた、あずけられた、この肉体を、
大切にすることができますように。
あなたを賛美するために用いられますように。

2010-05-30

岡田ジャパンといい、サキといい・・・。

先週の日曜日は「結構元気」と思いながら、
9時にはダウンしてしまいましたが、
今日は礼拝後にもうひとつ集会があって、
最後はろれつが回らなくなって、
「結構疲れているかなあ・・・」
と思っていましたが、なんだか、10時を過ぎても元気です。


JOYJOYキャンプは締め切りました。
たくさんの申込を頂きましたが、
なんとか、皆さんをお迎えするようにしたいと思います。


今年は冷たい雨の日もありましたが、
基本的にはあたたかい春。
そして、いよいよ「夏」だなあ、と思わされる
今日この頃。


今日も暑かったですし、
明日も暑い一日となりそうです。
明日は雷雨もあるかもしれません。


今日の朝は、サッカーの日本―イングランド戦と
サキの運動会がバッティング。
いや、そのどちらよりも日曜日の礼拝の準備が一番で、
時間には追われていたのですが、
両方、10分ずつくらい観戦。


サッカーは手を動かしながら横目で見ていた10分の間に2つ連続で自殺点。


そして、サキの運動会は我が家から車で3分以内で着く、という、
至近距離の補習校なので、ちょっと手を休めて、徒競走だけを見に行きました。


というのも、1年生、2年生とも6−8人位走って1等賞だったので、
本人もかなり「かけっこ」には自信があるみたい。
のんちも野生児で、かけっこは誰にも負けない、みたいなところもあり、
娘にも期待していたかも。
私も娘の雄姿(日本語おかしい?)を見に行こうと、
何とか時間を作って、行ったのでした。
ところが、今年は最初から最後まで余り精彩がなく、
4人中、3位に終わってしまいました。


いつも、人間の価値は競争の順位なんかでは決まらない!
と言っておりますが、


単純に悔しい・・・。


本人もかなり悔しかったみたいです。


来年の運動会での復活のために、
星一徹を手本に親子二人三脚(三人四脚?)で頑張ろうと思います。


ちなみに、
のんちは夜まで、「親子競技」で前のチームを追い抜けなかったことを、
「ああすればよかった〜」と悔しがっておりました。


負けず嫌い一家のようです。ハイ。


さて、金、土、日、の聖書箇所から。
エレミヤ書51章20−53節。


「わたしはバビロンでベルを罰し・・・」44節。

解説を読むとベルはバビロンの主神だという。
多くの神々がいる文化の中で、
その頂点に立つ神の名前。

しかし、それも主の支配のもとにある。

人々が頼りにしているものを、
主は敢えて撃たれる。

もう一度、自分の身を振り返る。

自分が神様以上に大切にしているものはないだろうか?

主よ、
今日の一日も守って下さってありがとうございます。
どうか、いつもあなたを信頼し、
あなたにこそ、救いがあり、あなたにこそ力があることを、
経験させてくださいますように。