2011-05-27

自分を知る。

今日は暑かったです。
33度くらいまで上がりました。


そして、明後日の日曜日は晴ですね。
暑いですね。運動会は大変だ。
熱中症対策万全にしないと、おかしくなりますよ〜。


今日は教会のニュースレターのための原稿書き。
そのために、地震が起こった日からの記録をずっと読んでいました。
のんちももうすぐ帰ってくることだし、振り返りながら読んでいました。
ああ、そうだったなあ、そんなこともあったなあ、と。


その中のリンクも確認しながら。


そして、その中で、3月24日にご紹介した、カルフォルニアの三羽先生が最近こんな文章を書いておられることを知りました。


「援助と自己満足や偽善」

「援助者が自分の中に自己満足の気持ちがあることを知って、それを受け入れることの大切さ」について書いておられます。


確かにそうだなあと思いながら読みました。
つまり自分が自己満足のためにこれをやっているということを認められない=相手の為にやっている=相手が感謝してくれないことを受け入れられない・・・「あれ、これって究極の実際自己満足?」
そんなサイクルに陥ってしまう場合ってあるかなと。


まあ、自己満足に終わる時って、自分が自己満足に陥りやすい存在であることを認められない時なんでしょうね。自分がわかっていないと言うか。恩着せがましくなってしまう、なんてのもそうなんでしょうね。


反対にいい働きをしておられる方々ほど、「ああ、自己満足かもしれない」「それでもいいんじゃないかな」など、そんな声を上げておられますね。


クリスチャンは「自己満足」を否定する傾向があるから、そして、「人のため」という気持ちが強いから、いつの間にか、自分の中にそのようなものがあっても、それに気がつかないことがあるし、気がついても否定したり、抑圧したり、無視したりして、「自分の弱さ」として受け入れることができない場合もあると思う。


そんなことを覚悟しながら、今日も山元町のファンとして、
一つ情報を。


内村宣教師も、のんちも、そして、たくさんの大物の皆さんも出演された「りんごラジオ」を世界中どこででも、インターネット経由で聞くことができるようになりました。


りんごラジオブログ/さいまるラジオ開設

早速何回かアクセスして聞きながら過ごしています。
もうちょっと早くこれができていれば・・・と思いますが、
またこれからでも、いろんな情報を聞くことができればいいな、と思います。

2011-05-26

8年目の・・・。

はい、今日は8年目のマツイ記念日でした。


「え?何それ?」という方はこちらを

今日はまた感謝なことがありました。
それはまたこんど。公表できる段階になった時に。

今日も山元町情報を一つ。
ペンシルベニアから行っておられる英語の先生が、
募金を集めておられます。

アンドラス山元基金。

日本を愛し、山元町を愛しておられる先生だって、よくわかりますね。

お祈りに感謝。

のんちは、3週間半ぶりに東京に戻ってきました。
3月28日にアメリカを出る時には何も決まっていなかったのですが、
9週間の滞在の中で、6週間あまりの働き場が与えられて、
来週の火曜日に無事に帰ってきそうです。


一つ一つのことに皆さんのお祈りを覚え感謝します。
また、どこの馬の骨かもわからない「おばちゃん」を受け入れてくださった皆さんお一人一人に心から感謝します。


続けて山元町応援モードの私は、
「山元町」で検索を続け、
のんちの前に同じ救護所でボランティアをされていたカナダの方の報告に出会いました。


http://canadamom.babymilk.jp/Firstreportpage.htm


まだ、5月の写真は全く見ていない(かろうじて内村宣教師のページで見ただけ)の私は、ああ、「ここでのんちはボランティアをしていたんだなあ」と感無量になりながら、読ませていただきました。



2011-05-24

人生の重さ。

日曜日、ミズーリ州のJoplinを襲った竜巻は、市の中心部を直撃して、
一つの竜巻としては、史上最大の120人以上の犠牲者を出しています。
そして、今も連絡が取れない人々が1500人もいるそうです。
その中の多くの方々はただ「連絡が取れない」だけであると信じられているのですが、
更に多くの方々が犠牲になった可能性もあります。
今日、明日と、オクラホマ州を中心に竜巻の起こりやすい天気が続くようです。
これ以上大きな被害が出ませんように。


昨日、ここに書いて「祈ってください」とお願いした訪問ですが、
本当に幸いなひとときでした。
お祈りしてくださった皆さん、心から感謝します。


日本でアメリカの兵隊さんと結婚されて、60年前にアメリカに来られた84歳の女性。
でも、そんな年齢に見えない若いおばあちゃんでした。
1ヶ月くらい前にheart attackを経験されて、
心配したクリスチャンのお孫さんが日本語のわかる牧師をさがして、
連絡をしてくださいました。


お孫さんとお電話で話した時には、
とにかく「神様がイエスさまを通して救ってくださることを話してほしい」という感じだったので、わたしもそうなんだなあ、「神様と罪と十字架と・・・」と思っていたのですが、
でも、今日いろいろ考えて祈っている時に、「聞かせていただこう」と思わされたのです。


いつかも書いたのですが、
いつだったか、映画の「タイタニック」を見た時に、
しょうもない話をドラマにしていることに腹立たしさを感じて、
でも、それだけじゃなくて、背景でたくさんの人々が海に落ちていく、
その場面を見ながら、ここにはもっともっとたくさんの人生があって、
同じ重さの人生があって、そして、もっと分かち合うべきドラマがあるのに、
主人公以外の人々はただの「数」になってしまっていることに、
嫌悪感を覚えたのでした。


そして、日本で人々の話に耳を傾けてきたのんちの話を聞きながら、
わたしももっと「聞こう」と思ったのでした。
少なくとのおばあちゃんにはわたしが出会ったことがないような、
重い話があることは分かっていたから、
とにかく、その人生に敬意を表して、
軽々しく、「キリスト教教理」を語ることはしまい、
と思ったのです。


楽しかったです・・・。
ホントに意気投合!でした。


また、お会いする約束をして失礼しました。
続けてお祈りください。


神様、
あなたの与えてくださった出会いに感謝します。
あなたの導かれた人生の重みを思わされます。
それに敬意を持ち続けることができますように。


一つ一つの人生に敬意を表すことをもっともっと学ばせてください。

2011-05-23

感謝。

今日も涼しい一日でした。
でも、夜になって雷雨があって、
一発、「おおお」というのがありました。


明日は蒸し暑くなって、また雷雨がありそうです。


さて、のんちと3日ぶりくらいに話をしたのですが、
今は石巻の河北にいます。
ここは2005年の石巻市への合併前は
「河北町」だったんですね。
「雄勝」も「雄勝町」。
だから、地元の方々にとっては、
「石巻」と一緒にされるよりも、
「河北」「雄勝」とちゃんと言ってほしいんだろうなと思います。


昨日は河北の大川小学校や雄勝に行ってきた、と言っていましたが、
大川小学校では避難する途中に津波が襲ってきて多くの子どもたちが亡くなり、
雄勝病院は屋上まで津波に飲まれ、患者さんは全員亡くなられ、職員も数人しか助からなかったところです。


「震災うつ」のことを考えると、気をつけなければいけないのですが、「アメリカにいる方々にも伝えてほしい」その叫びをきくと、やはり目を背けてはいけないのだな、と思います。


先日の内村先生の言葉にもありましたが、
その叫びを受け取ったわたしたちがどのようにお応えするか、
問われているように思います。


これから仙台に戻って、ベースで一泊させてもらって、
「半額の新幹線」に乗って、水曜日には東京に戻ります。


来週の火曜日にはいよいよ帰米です。


その前に、今度の日曜日は、先日の「アナウンス」どおり、
4時から木場の教会で報告と祈りの時を持ちます。


本当に皆さんのお祈りに感謝します。
2ヶ月、本当に支えられました。


m(._.)m



あ、先日ボランティアをしていた山元町のこと、
糸井重里さんがフォローされるようですね。
「山元町と手をつなぐ」
なんだか、温かい思いを感じます。


糸井さんと言えば、最近になって、
「ほぼ日」で、吉本隆明さんが「親鸞」について語っている、
この部分、これをもっと大きなスケールでやったのがイエスじゃないか、と思わされています。「宗教(浄土教)のほうから、普通の人の生活のところへ、逆に近づいていけばいい。」神はわたしたちに、わたしたちの普通の生活に近づいてくださった。どこまでも、共に歩もうとされた、それがイエスの受肉。


・・・決して我田引水じゃないと思います。


ちょっと深く考えてみたいテーマです。


話を戻しましょう。山元町のこと、
あと、「クリスチャン新聞」でも紹介されていました。

山元町中学校・新人クリスチャン教員の思い

「アメリカから来た看護師で、牧師夫人と会った」とありますが、のんちはこの先生と、この前日、9日にお会いしていたんですね。


先生が、その地で豊かに用いられますように。こちらからも心から祈っています。

さて、今日の聖書。
今日は民数記27:12-23を読みました。


「ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」14節。

この出来事が起こったところを読んだ時も、同じようなことを書いていると思うんだけど、「神様の聖なることを示す」「神様を聖なる方として人々に表す」その使命を果たせているだろうか。主の力を指し示しているだろうか?主の愛を、主の大きさを、主の豊かさを、主がわたしたちを超えて果てしなく大きな方であることを示しているだろうか。

わたしの使命を思わされた。

本当にそのように歩ませていただきたい。

主が聖なる方なのだから、
主の聖なることをそのまま表すことができますように。

主よ、
あなたのきよさを覚えます。
そのあなたの大きさ、あなたの愛の深さ、
あなたの豊かさ、それを示すことができますように。


明日は、初めての方をご訪問します。
そこで、主の聖なる方であることを、
主の愛がどれほど豊かであるかを、
分かち合うことができますようにどうかお祈りください。

JOYJOYキャンプ締め切り近づく。

今年のJOYJOYキャンプは、

「JOY JOY ファクトリー」



さて、どんな内容になるか、楽しみです。

そして、申し込み締め切りは28日(土)です。
ここだけの話を内緒でお伝えすると、

今年は、申し込みのペースがすごくスローで、
もしかしたら・・・申し込み締め切りまでに定員に満たない・・・という、
もう10年以上なかったことが、起こるかもしれません。

皆さんのお申し込みを心からお待ちしております。

2011-05-22

仕える。

今日は曇り空で涼しい一日でした。
運動会だった皆さんに、夜お会いして、
「よかったですね、暑くならなくて・・・」と申し上げたら、
「いやあ、逆に寒かったんですよ〜」ということ。
それもまた大変だったでしょうね。


明後日の火曜日は30度を超える予報が出ています。
湿度も高そう。
今日の日曜日も体調を崩されている方々がちらほら。
みなさんのお体が守られますように。


先週の木曜日5月19日、のんちのことを紹介してくださった山元町のりんごラジオのブログの、次の日、5月20日(金)の話題は「トイレの神様」でした。短いエントリーだったので、そのまま引用させていただくと、



役場周辺にある2ヶ所の仮説トイレ。
いつもキレイなのは、掃除をしてくれている方たちのおかげです。
ありがとうございます。皆でキレイに使いましょう!

ホントに大切な働きですよね。


今日、わたしたちの教会のゲストで来てくださった
ポール鈴木宣教師。昨日の夜、我が家に泊まっていただいて、
いろいろ話をしていました。


あちらこちらのブログに散見される悲しい話ですが、
海外から来られるボランティアの方々の中には、
頼まれたことを、するのではなくて、
とにかく自分のしたいことをさせてくれ、というかたがたもおられるそうです。


ポール鈴木宣教師の話では、あるところで、
「トイレ掃除をしてください」と言われた海外からのボランティアの方、
「私はトイレ掃除をするためにわざわざ来たわけではない」とそれを断ったんだ、ということです。
私はそれを聞いて、本当に悲しい思いになりました。


でも、今朝、祈っている時に、
私自身がそこに置かれたら、
多くの犠牲を払って、多くの人々に祈ってもらって、
たぶん誰かと心がふれあうような経験を願いながら、
遠い日本にやってきて、いきなり「トイレ掃除をしてください」と言われたら、
自分がその立場だったら、どう感じるだろうか。本当に心からその働きを感謝して受け取れるだろうか、そんなことを問われました。
他人のことをとやかく言うことなんかできない、自分勝手な自分の姿を見せつけられるような、気がしました。


最近は「トイレの神様」の歌を利用して、
子どもたちにトイレの掃除をさせている父親ですが、
今日は時間が限られて「丁寧に」とはいかなかったのですが、
せめて自分の家のトイレは感謝しながら、掃除させていただこうと、
そして、もしも、公共のトイレを掃除する場面ができたら、
(子どもの頃、日本にいた頃は結構ありましたけどね、アメリカに来ると、教会のトイレ掃除も、業者の方に頼むケースが多いです)
心から仕える者にないたいと思わされました。


今日のポースポール鈴木宣教師のメッセージはすばらしかったです。
まだ教会のHPにはアップされていません(許可が出るかどうかもわかりませんが)が、「私のナイキの上下は何だろうか?それがどんなに高価な、自分にとって大切なものでも、見つめるべき目標、目指すべきゴールへの邪魔になるならば、かなぐり捨てることの大切だ」と思わされました。

かみさま、
仕えることを教えてください。
仕える者とならせてください。
自分のやりたい方法でなかったとしても、
自分の思った通りの働きでなかったとしても、
仕えること、従うことを教えてください。