2010-10-14

早く電子書籍がでればなあ。

今日は朝は天気が良かったけど、
夕方から雨。
でも、恐れていたよりもずっとましなようです。


今は夜11時ですが、
もう峠は越えているようです。


明日は風の強い一日になりそうです。


今年の春頃に話題になっていた「もしドラ」、そろそろ、NYのBOOKOFFにも山積みになっているか、と思って、昨日のNYに行ったので、見てみたのですが、全く見当たりません。KINOKUNIYAで新刊を買うと28ドル。元々日本で1680円の本ですね。
今円高が進んでますます割高感がある日本からの新刊。
誰が買うんだろうか?と思いますが、売れているんでしょうね。商売が成り立っているんですから。


でも、その本が、iPhoneアプリになっていて、アメリカのiTunes Storeで6.99ドルで買えるんですね。日本のアマゾンの古本コーナーでも最低が1280円だったりすることを考えると、回し読みができない(できないですよね、きっと・・・)ことを別にすれば、ほんとに破格です。


18年も住んでいますが、こちらで、ネットや新聞の書評で「これが読みたい」と思っても、日本の本を読もうと思うと大変なことです。ぶらっと立ち寄ったBOOKOFFで、題名を見て「あ、これ読もうかな」というのがせいぜいです。


早くどんどん普及してほしい電子書籍。


もちろん、業界の方々にはいろいろな乗り越えるべき問題があるでしょうが、海外で生活している者にとっては切実です・・・。


「日々のみことば」も「百万人の福音」も「Ministry」も「牧ナビ」(あ、これはタダで送っていただいているんだ・・・)も電子書籍になってほしい!


さて、最近の「日々のみことば」から。
昨日のところですが、


「彼は父の道に歩んだ」列王記第一15:26

このところの「日々のみことば」の解説には「神を恐れぬ信仰は、神の立てた王の権威をも軽んじるという気風を生んだのでした」とあります。「神を恐れぬ信仰」というのは、もちろん、王自身の信仰の姿勢を示しています。

自分が大切にすべき方を大切にしないと、自分も大切にされない。そんな単純化してはいけないのかもしれませんが、本当にそう思います。

神に忠実に歩む、
真摯に神に向かっていく、
その姿勢こそが、
人々の顔色をうかがうことよりも大切な事だと思います。

主よ、まっすぐにあなたのことを見つめて歩むことができますように。
あなたのみ思いを求めて歩むことができますように。

2010-10-13

解放。

いつ頃からだったでしょうか。
とっていた英字ローカル新聞を読まなくなって、
どんどんたまっていきました。


これは無駄だからと、1年くらい前かな、
キャンセルしていたのですが、
つい、2ヶ月ほど前に電話で、「土日だけ年間10ドルでどう?」と言われて、
「じゃあ・・・」と再開。
日本じゃ考えられないこのサービス。
土曜日のニュースには広告やらクーポンやら入ってくるから、
まあ、元がとれるだろうと、とっているわけです。


でも、やっぱり読まない。


でも一昨日の月曜日に「たまには折り込み広告のチェック・・・」と新聞を開いてみました。


一面に出ていたのが、近所の町のLibraryでもたれている、
日本軍の元慰安婦だった人たちの今を絵に描いている人の展覧会が紹介でした。
目が釘付けになりました。


この問題は一筋縄では行かないことは知っています。
歴史資料についていろいろな問題があることも知っています。
学者によって、実際起こったことはなんだったかのか、言うことが違うことも知っています。
でも、あまりにも何も知らなさすぎる自分を恥じました。
強制であろうと、借金の形であろうと、仕事が欲しかったということであろうと、
とそこに連れていかれて、
男たちの相手をしなければならなかった人々がいたということに、
悲しさをおぼえます。


それが自分の娘達だったら、体を張って守りたい。
そんなところに行かせはしないだろう。
でも、男として、自分がその文化、その時代の状況にいたら、どうしていただろうか・・・。
自分は決してそんなところには通わない、などと言えるだろうか。
ましてや、彼女たちの解放のために何かをしただろうか?


昨夜から、チリの鉱山で閉じ込められていた33人の解放に、世界中の人々と共に注目しながら、必死で祈り、心で応援をしながら、もっともっと長い間、人生の暗闇の中に閉じ込められている多くの人々に、いったい自分は何をしてきたか、考えさせられています。


あまり重いテーマや議論を呼びそうなテーマは苦手なのですが、そんなことももう言っていてはいけないかと思いつつ。

2010-10-12

さっき、チリの鉱山に閉じ込められていた33人のうちの最初の一人が救出された。
事故が起こってから、68日目。

最初の2週間、どんな思いで待っていたか、
そして、地上と通じたあとの2ヶ月近くはどんな思いだったか。
地上とつながることの大切さと、
地下のリーダーの大切さ。
いろんなことを思わされる出来事。

でも、今朝はちょっと眠れなくて、
明日も朝からNYCなので、
ただただ、感謝と祈りの中で、早く休むことにします。

今から2人目の救助隊員が降りていきます。
2日間にわたるだろうと言われているこの
救助作業がすべて守られるように、祈りつつ。

2010-10-11

Nor'easter?

昨日の朝は、ぐっと冷え込んで、
最低気温は3.7度。
場所によっては初霜になったんでしょうね。


でも昼間はそこそこ暖かくなりました。
そして、今朝はこんな感じ。



最近は祈りの時間が終わる頃、6:45amくらいが本当にきれいです。
また朝焼けに見とれてしまいました。


今夜は雷雨でしたが、もう峠は越したみたいです。
注目は今週の金曜日。
秋から冬にかけてのアメリカ北東部名物、Nor'esterが来るかもしれません。
そんな季節なんですね。


昨日は一人の姉妹(教会では習慣として、クリスチャン男性のことを「兄弟」、クリスチャン女性のことを「姉妹」と呼びます)が結婚式を挙げられました。
新郎の実家近く、二人が出会った大学のそばで、
日曜日の結婚式だったので、私自身は参列できなかったのですが、
姉妹が中学生の頃から、同じ教会で歩みを共にさせていただいた、
歩みをずっと思い出していました。
ほんと、祈られて祈られて来た姉妹。
神様の守りと導きの中で育ってこられました。


夏のJOYJOYキャンプでは、いつもいい味を出していました。
お二人は新郎の実家近くで新しい生活を始められるので、
私たちは姉妹を送り出します。
こういう形で一人の方を送り出すのは、
私の覚えている範囲で初めてだと思います。
送り出すのはちょっと惜しいですが、
新しい家庭が祝福されることを祈ってやみません。


さて、昨日の聖書。
昨日は列王記第一14:21−31でした。


「レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来て、主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。それで、レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。」25−27節。

あのソロモンの金の盾。
何のために作ったんだろうという金の盾。
盾の本来の目的のためには最悪であろう、重くて柔らかい金属で作った盾。

その金の盾が、早くもその息子の代には、エジプトの王に奪われた。

本当は、それはレハベアム王にとっては、
何が大切かを見極めるチャンスだったはず。
本当に大切にすべきものを大切にすべきチャンスだったはず。

でも、彼は「代わりのもの」を作った。
青銅の盾を作った。

自分もそう。
自分が大切にしているものが、
取り去られたときに、
どう反応するか。

代わりのものを求めるのか、
目が覚めて、本当に大切なものを求めるのか。

主よ、
私たちがあなたご自身を求めることができますように。
あなた以外のもので心を満たそうと思うことがありませんように。
どうか、聖霊様が私の心を満たしてくださいますように。