2008-10-11

脱皮。

雪です。
と言っても、NJではなく、モンタナ州ですが。
デンバーでもみぞれの予報が出ています。

そう、ロッキー山脈のふもとは、
今年初めての雪に見舞われています。


10月の前半の雪ってすごいですよね。
さて、10月末のこちらの寒波はどうなることでしょうか?
この月曜日から火曜日は27度くらいまで上がるようですが、
25日くらいには昼間でも10度くらいの冷え込みになる予想が出ています。


今年はほんとうに寒い冬になりそうです。


今日の夜、
のんちやこどもたちが、
ヤドカリを見て、「ダメだ、死んじゃったのかな」と言っています。
見てみると、こんなのがあります。






どれどれと手に持ってみると、
なんだか軽い。
ひっくりかえしてみると、




そう、脱皮したあとの殻だったのです。
なんか、この殻、脱いだヤドカリのカルシウム源だそうですが、
なんだか、脱いだ方じゃない、もう一方のおおきなヤドカリの方が、
それを食べようとしていました。


弱肉強食ですね。
ヤドカリの世界も。


ヤバイです。ここでまた水泳選手です。
今日もおとなしく負けて沈没します。


今日の聖書はまた明日の朝。

Retreatは何のため?

昨日の夕方から、今日の夜まで、
ちょっと更新のチャンスを逸してました。


なんか、大切なことも忘れていないかな、とちょっと不安なんですが、
一息ついたので、やっと更新。


なんだか、いろいろ書きたいこともあったのですが、
どんどん忘れていきます。
忘れないように書くのが「ブ『ログ』」の
元々の意味なんでしょうがね。


昨日、ある集まりで、
Retreatの意味を考える時がありました。
その中で、ある方が、
イエスが弟子達を連れて寂しいところに退かれたのは、
「弟子達が傲慢にならないため」じゃないか、と言われました。


確かに、弟子達はその前にイエスによって派遣されて、
神の国の福音を語って回っていました。
そして、めざましい成果をえて、大喜びで帰ってきたのです。
そんな中で傲慢になる危険性があったのかもしれません。


そのときに、イエスが弟子達をリトリートに連れて行かれた。


私はずっと、「疲れているから休みなさい」
「燃え尽きないように、自分が満たされることを求めなさい」
というのがリトリートの目的だと思ってきました。


でも、「傲慢にならないように。」
それって大切かも。


「いくら奉仕をしても疲れませんよ」という人、
「奉仕の中で力をもらえますから」と言う人、
そういう人には、「疲れているから」というリトリートは必要ないかもしれません。
でも、それは傲慢になってしまっているのかもしれませんね。


私も、主の前に静まる時、
主にただ、聞くために座り込む時、
必要だと思いました。
傲慢にならないために。

さて、昨日、金曜日の聖書。
金曜日はサムエル第二の20章1-13節。


「そのため、すべてのイスラエル人は、ダビデから離れて、ビクリの子シェバに従って行った。」2節。

シェバの言葉でダビデから去っていったイスラエルの人々。
結局彼らにとって、ダビデを王とするという19章の最後の言葉は何だったのだろうかと思います。
自分の思い通りになれば王とする。
自分達の立場が尊重されれば従う。

それってほんとうに誰かを王としたり、
誰かに従っている者の姿だろうかと思います。

従うっていうことが、
いつの間にか、自分の願いを実現することと交換条件のようになっていたのだと思います。

では、私はどうだろうかと思いました。
私は神さまにほんとうに従っているだろうか、
神さまに従って歩んでいるだろうかと、
ほんとうに神さまを王様として受け入れているだろうかと、
思いました。

自分の事が重んじられなくても、
自分の立場が認められなくても、
主を王として、主に従って歩むものでありたいと思いました。

主よ、
あなたを私の王とします。
私はあなたに従います。
自分の考えをあなたに押しつけません。
あなたの御思いを教えてください。
それに従うことを教えてください。

2008-10-09

寒い冬の前兆。

今日は朝から15度あって、
昼間は25度までいきました。
半袖で十分。


ちょっとからだが冷えることが多くなってきたので、
こういう日がちょっとあるとずいぶん助かります。


「小春日和」というのにはちょっと早いかな。
「小春日和」という言葉を使いたいのは11月。
秋が深まっていく中で、本当にぽかぽかした日が来ると、
そういう風に呼びます。
「晩秋」の言葉です。


英語でも「Indian Summer」という言葉がありますが、
これも初霜の後にやってくる70度F=21度Cを超える日のようです。
だから、こっちももうちょっと後の感じかな。


来週前半までは、暖かい日が多いと思います。
明日も今日ほどではないですが、
23-4度までいくのではないでしょうか。


でも、これに慣れない方がいいと思います。
今月末には今年の「寒気」の第1号が来る予報が早くも出ています。
1993年、アトランタで過ごした唯一のハローウィーンは小雪が舞いましたが、
10月の末にはそういうこともあり得るんですよね。
気候の変動にはくれぐれもご注意を。


今日はJOYJOYキッズクラブの日。
先月は30人以上のにぎやかな集まりだったので、
今週もそうかな?と思ったのですが、
今回は学校が休みの日だったせいか、
小さな集まりになりました。


でも、小さな集まりゆえに子供達ひとりひとりに触れることができて、
また一生懸命お話も聞いてくれました。


一歩一歩ですね。
そして息の長い働きの大切さを思わされます。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二19章24-43節。


「彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、ひげもそらず、着物も洗っていなかった。」24節。

ああ、なんて痛いんだろう。
ダビデはメフィボセテについて「彼は自分が王になれると思って喜んでいる」という、しもべツィバの言葉を信用していた。
でも、本当は違った。
彼は心痛めて、ダビデの帰りを待っていたのだった。

でも、ダビデもにわかには彼の言葉を信じられない。

もう思いこんでしまった人に、
「それは本当は違うよ」と言っても、
なかなか伝わらない。

でも、その中で真実に、誠実に、
自分の思いをはっきりと伝えたメフィボセテはすごいと思った。
投げ出さなかった彼はすごいと思った。
財産も何もいらない、ただ、ダビデに信じて欲しかった。

彼と同じ誠実さを与えて欲しいと思いました。

主よ、
いつも真実に誠実に生きる者とならせてください。
あなたを信頼することができますように。
あなたの御言葉を信頼することができますように。

寒い冬になるかも。

日付変わってしまいましたが、
8日のつもりで書きます。


今日の朝も予想通り。
4.3度まで下がりました。
でも昼間は暖かかったです。


今日は朝からNYだったのですが、
朝はコートが欲しい寒さでしたが、
昼間はちょうど良かったです。
夜もあまり冷えずに、12時をすぎても15度以上あります。


明日から週末にかけて、暖かいみたいですね。
特に明日とあさっては25度くらいまで上がるみたいです。
助かります。


そして、今日、Accuweather.comの冬の予報が出ました。
こちら。 
久々に寒い冬になるようです。
雪も多いようです。
今年は覚悟していた方がいいみたいですね。
ちょっとたのしみ。
ちょっとしんどいかも。


ちまたは金融危機で大騒ぎですが、
今日の夕方NYのミッドタウンでは、
オペラの歌声が・・・。
Bryant Parkで、野外コンサートなんですね。
メトロポリタンオペラの歌手の皆さんがやっていたようです。
残念ながら立ち止まっている暇がなかったので・・・歌声を聞きながら素通り。
でも、こういうのがNYのよさですよね。
ビジネス街のど真ん中に公園があって、
そこで世界一流の芸術家達が演奏する。
なんだか平和な感じです。


で、その後久しぶりにTimes Squareを横切ると、
最近ネオンがまた増えました。
m&mのサインとか、 めっちゃ派手です。
そしてすごい人です。
金融危機で騒がれているのが、何かの間違いじゃないかと思うくらい、
たくさんの旅行者であふれています。


まあ、ここが閑散となるくらいの不景気になったら、それはまた大変なことでしょうが・・・。ちょっと考えちゃいましたよね。ここが閑散として荒れて、いるのはホームレスの人たちだけ。そんな日がもしかしたら来るかもしれないって。でも、そんな中でも希望を持って歩んでいくことができるだろうかと。いつもいつも、私たちの必要なものの供給元である主を見上げて歩んでいこうと思います。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二19:11-23でした。


「私が、きょう、イスラエルの王であることを、私が知らないとでもいうのか。」22節。

ヨアブにはなかなか言えないダビデですが、
アビシャイにははっきりと言えるんですね。

とっても気分が良かったです。

王様の責任でもありますよね。
部下が何と言っても、大切なことを大切にする。

神さまから与えられた使命、立場、
それをちゃんと見極めた発言にはとても心がすっとする感じでした。

神さまの与えてくださった使命にちゃんと立っていく者でありたいと思いました。

神さま、
今日の箇所のダビデの言葉には、
本当に気持ちが良かったです。


ダビデが王としての使命をここでわきまえていたように、
わたしもわたしの使命をわきまえて、
あなたの導きに従って、行動する者でありますように。



2008-10-07

主にお会いする。

今日の朝はやはり冷え込んで、3.7度。
まあ、天気予報が当たったみたいですね。
私の予想ははずれ。意外と下がりませんでした。


昼間はまたそこそこ暖かくなりましたが、
夜になって、冷えてきました。
今12時で7.4度。
明日の朝はまた4度くらいでしょう。


昼間はまたそこそこ暖かい一日になりそうです。


さて、今朝、また祈りました。
今夜Brooklyn Tabernacleの祈り会に行きましょうか?
そこであなたに会えますか?と。


最近、「直感的に神様の答えだと思ったことをとりあえずそのように受け止めてみる」ということをやってみているのですが、今朝は「いや、今夜はお前のところで私はあなたに会うよ」と言われたように思いました。


ですから、今日はそれを楽しみにして一日を過ごしましたが、
夜、あるご一家と交わりをさせていただいている中で、
ああ、このことだったのかなあ、と思いました。
主がそこにいてくださったことを感じました。


おまけがあるんですが、
そのためにちょっと料理をしていたのですが、
その前に最近包丁が切れない・・・と思って研いだんですね。
そしたら、よく切れること、切れること、まあ我ながら感心したのですが、
調子に乗って「よく切れる、よく切れる」と自慢げにやっていたら、


はい、ご期待のとおり、爪ごと指をそいでしまいました。


左の人差し指の爪の先っぽ、右側2-3mm位なんですが、
さすがに生々しい写真をアップすると顰蹙を買いそうなので、
クロッキー教室の生徒である私は絵を書いてみました。
これがまた痛いんですね。
深爪の痛さと指先を切った痛さがダブルで来ている感じ。


ちょっとコンピューターのキーボードも痛い。
トイレの手洗いも痛い。シャワーも痛い。
あと、ギターなんか、多分すごい痛いと思う。


調子に乗るもんじゃありません。ハイ。


今日の聖書。
今日はサムエル記第二19:1-10でした。


「それで、王は立って、門のところにすわった。」8節。

どうしても私はヨアブの言葉に味方できません。
どんな手柄を上げたとしても、
どうしても、王の命令をないがしろにしたこの人を、
認めるのはおかしいと思います。
ダビデもそのような思いだったのではないかと思います。
でも、ヨアブがダビデに何も言わなかったように、
ダビデも何も言わなかった。
そして、ヨアブの進言に従いました。

それでよかったのだろうか?

そんな思いが頭の中を巡りました。

ダビデは何を恐れていたのだろうか?
ヨアブを敵に回すと自分の身が危ういと思ったのでしょうか?
自分の過去の弱みを知っているので恐れたのでしょうか?

ヨアブに対してはっきりとした態度の取れないダビデの弱さの中に、
自分の弱さを見るような思いがしました。

主よ、
弱い私を哀れんでください。
あなたの御心に、導きにまっすぐに従う者でありますように。
人を恐れないで、あなたを恐れる者でありますように。

2008-10-06

求めることの大切さ。

夜になって冷えてきましたね。
夜の11時で7.6度。
明日の朝はだいたいどこの天気予報も4度を予想していますが、
もうちょっと下がるのでは?と思っています。


明日も晴れて、昼間はそこそこ暖かくなるようです。


今朝、いつものように教会に行ってお祈りしたのですが、
鍵を開けて入ろうと思った時に、
一つの思いが与えられました。
「共に祈る人々を与えてください」ということです。


教会のオフィスで祈り始めたのは3月半ばだったでしょうか?
ちょうど半年が過ぎました。
ひとりでいいと思ってきました。
この半年で4人の方々が1回ずつ祈るために来られましたが、
ほとんどはひとりで祈る時でした。


でも、今朝、その思いが与えられた時に、
一つの聖書の言葉が続いて響いてきました。
「あなたがたは、求めないから得られないのだ。」(ヤコブ4章2節)


それで、今朝から祈り始めることにしました。
共に祈る方々が与えられますように。


それと共に、「求めないから得られない」ことがどれだけあるか、も同時に思わされました。
大胆に求めて、他のところではなく、主に大胆に求めていきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第二18:19-33でした。



「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」33節。

このダビデの悲痛な叫びに、
なんだかわかりませんが、涙があふれてきました。
理屈ではダビデの反応は問題があったかもしれません。
でも、理屈を超えたダビデの愛を感じました。

そして、祈りたいと思いました。
子供達、家族、そして教会のひとりひとりのことを覚えました。

ダビデも本当に自分の方が死んで、アブサロムが生きることを望んでいたなら、
ここで戦いにはならなかったでしょう。
理屈ではやはり自分の使命を知っていて、
アブサロムに王位を譲ることは神さまが喜ばれないことだとわかっていたでしょう。
本気でそんなことは考えていなかったと思います。

でも、彼を思うが故に、このような言葉が出てきました。
その愛は理屈とはまた別にあふれてきたのでした。

愛することを教えて欲しいと思います。
愛とは何なんだろうかと。
このダビデの愛を持ちたいと思う思いと、
愛は単に嘆くことではなくて、ある時は対決し、ある時は諫め、
ある時には励まし、支え、生かしていくものだろうという思いが湧いてきました。

神さまの愛の豊かさを教えて頂きたいと思います。

神さま、
ダビデのアブシャロムに対する愛に今日は心が震えました。
このような愛を持ちながら歩んでいきたいと思います。


でも、本当の愛の模範はやはりイエスなんですね。
ある時は厳しく、はっきりとした態度で、
でも最後は十字架で私たちに命を与えてくださいました。


そのイエスの豊かな愛、
確かな愛をもっともっと教えてください。

SOS。

これ2年生のMathなんですが、
意味がわかりません。何をしたらいいんだろう?
前後は「どっちが大きい?」という問題が並んでいます。

わかる人います?

必要なものがちょうど安売りだといいけど。

今日はもっと「晴れても肌寒い」となるかと思いましたが、
外れましたね。結構暖かいです。17度くらいあります。
そして、気持ち的に、日差しが「あったかい」という感じです。
特に外に出た昼前後は車の中などは、半袖でもいいかな、という感じでした。


でも、その分、時々雲で日が陰るとぞくっとしますね。
夕方からぐんと冷えてくると思います。


月曜日は原則お休み頂いていますが、
ここのところ、その原則ちゃんと守れています。


その中で、今日は近所のStaples(大きな文房具屋)
でプロモーションがあったので、行ってきました。
だいたい、こういうのは土曜日だったりするので、
自分には無縁のものなのですが、


今回は、
「お、月曜日? なんだか、オレのためにやってくれるみたいだねえ」と、
教会に1枚、我が家に1枚郵送されてきた、
本日限り15ドル以上の買い物で15ドル引きのクーポンを手に、
颯爽と出かけました。
だいたい、「15ドル引き」とか大きく書いてあっても、
「75ドル以上の買い物の場合」と小さく書いてある場合が多いんですよね。
今回は、15ドル以上の買い物で15ドル引きですから、
15ドルぎりぎりの買い物をするのがポイントです。


それに加えて、今回は、
「いろいろなものがタダでもらえるよ」と書いていたので、
ちょっと期待していったのですが、


ま、こんなもんか~、でしたね。
メモとか、水とか・・・ねえ。
でも、タダでいただいたのですから文句を言ってはいけません。
Stapler(日本で言うホッチキス)はOne Touchのやつで、
指一本でできるって宣伝しています。
でも、別に普通のはうちの中にいくつも転がっているしねえ。
いえ、文句は言いません。タダでいただいたんですから・・・。

そしていよいよ本番の買い物。


1枚目の15ドルは、ちょうど教会の紙がなくなったので、
一箱5000枚で40ドルくらいのを25ドルで購入。
クーポンはひとり一枚と書かれているので、とりあえずそれで一回チェックアウト。


さて、もう1枚の15ドルを手にもう一回。今度はうちの買い物。
でも、「15ドルぎりぎりで買い物するぞ~」と思っても、
なんか、安売りのものじゃないともったいないような気がするし、
いらないもの買ってもしょうがないし・・・となんだか悩みましたが、
結局ボールペン24本セットとセロテープ6個セットで、合わせて18ドルくらい。
15ドル引きだったので、3ドルでそれだけ買えたことになります。
ま、前回のボールペン4本で50セントと比較しても、まあまあいい買い物だったかな、と満足。


あとは、あっちこっちでボールペンを置いていかないことですよね。
だいたい最後まで使い切る、と言うことがない・・・。


でも、思いました。
本当にどうしても必要なものがある時には、
なかなか安売りやプロモーションをしてなくて、
定価で買ってしまう。
そして、安売りやプロモーションをしている時には、
いつか使うと思うから・・・と
別に買わなくてもいいものまで買ってしまう。
むずかしいものです・・・。


さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル第二18:9-18でした。

「たとい、私の手に銀千枚をいただいても、王のお子さまに手は下せません。」12節。


大将ヨアブに対しても恐れないで、自分の考えを言ったこの兵卒。
何に従うかということを考えさせられました。

「日々のみことば」はダビデの態度に対して批判的ですが、
それ以上に、ヨアブの態度はどうなんだろうかと思います。
王の命令に対して、その場で
「王様、現場としては、それは難しいです」とも何とも言わないで、
ただ、現場で「やってしまえ、それが当然だ、王の言うことなど聞いてられるか」
というのは違うのだろうと思うのです。

ダビデの命令は、「やるかやられるか」という戦場で現実的だったのかはわかりません。
昨日の夜も、日本のテレビでイラク戦争に行った女性兵士達の帰ってきてからのトラウマについての番組を見ました。
ひとりの兵士は、手を振っていた12歳くらいの子供が急に機関銃を出して自分を撃ってきた時に、それに応戦して、相手を殺害してしまった、子供を殺してしまった痛みを、自分が出産して母親となった時に、負いきれなくなってしまったといいます。
そんな戦争の限界状況の中で、「わたしの息子のいのちを守ってくれ」と、反逆の中心人物であるアブサロムの命を守れ、というのは後にアブサロムヨアブが進言するように無茶な話だったのかもしれません。

わたしは何に従うか?

御言葉に従う・・・はっきり書いてあることについては従うことはできる(それが難しいかどうかは別として)。
神さまの御心に従う・・・ここら辺になると複雑なものが絡み合うと思います。判断が難しいです。自分の思い、神が心に与えてくださる印象、そして、霊的な感性、自分の心の痛み、いろんなものが絡み合って、「何が神の御心か」という判断に影響を与えると思います。

難しくても、とにかく神に聞きながら、祈りながら、求めながら、歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか、あなたに従うことを教えてください。
人の声ではなく、あなたの導きを求め、そこに従っていくことができますように。
難しいから、逃げるのではなくて、あなたの御心を求めて歩ませてください。

2008-10-05

人の考えを超えたこと。

今日はなんだか、午前中は雨でしたが、
昼頃には止んで、夕方にはもうすかっと晴れていましたね。
この後もあまり雨の心配はなくて、
明日の朝はちょっと降るかも、ですが、
なんだか、大きく変わったようです。


で、今は11度あって、今夜は冷え込みもあまり強くないようですが、
明日の昼間はあまり暖かくならず、
明日の夜にぐっと冷えそうです。
ちょっと早い初霜もあるかもしれません。


今日の礼拝はおいでになるはずだった方で来られなくて、
残念だったなあ、という方々もおられたのですが、
来られたお一人ひとりの存在に励まされました。


礼拝は神さまにささげるものなので、
ひとりで守っていようと、
50人だろうと70人だろうと、
どこかの教会のように5000人であろうと。
同じように真実でありたいと思うのですが、
同じ思いで集われる方々がおられたり、
悩みながらでも共に主に叫ぶ方が与えられるのは、
うれしいものです。
新しい方々、久しぶりの方々、与えられるのもうれしいものです。


本当に励まされました。


今日は夫婦のことについて聖書を読みました。
本当にこの一週間、わたし自身、
どのように歩むかが問われているように思いました。
サタンもいろいろ攻撃してくるでしょうから、
神さまの守りが必要だと思います。
お祈りで支えてください。


今夜も日曜日の夜にはよく来る水泳の選手が早くから来ていますので、
聖書はまた明日にでも。

雨じゃん。

昨日の朝は冷えましたね。
4度まで下がりました。
昼間も17度くらいまで。
でも、もっと気温が低く感じました。


今朝は11度ありました。
冷え込みはぐっとゆるみましたね。


今、気になって、
Ann Arborの気温を調べたら-1度。
先週のJ兄の結婚式は本当に天気に恵まれたんですね。


そして、今日、起きたら、雨。
びっくりしました。


天気予報では20パーセントとか、
月曜日に雨かも・・・と言う程度だったので、
全く考えていませんでした。
レーダーを見ると、NY周辺30マイルくらいだけが雨。
地理的には確かに20パーセントの地域で降っているということで、
当っていると言えば当っているんでしょうね。


でも、天気予報は「自分にとって」悪い方に外れると
めちゃくちゃ印象強いですよね。
だからっていつもいつも悪い方に出していると、
「オオカミ少年」みたいに、信用されなくなるし、
これをお仕事にされている方々のご苦労を思わされます。
外れるとめちゃくちゃ言われますよねえ。
わたしに言わせると、外れることがあって当たり前、
あたったら、「おお、すごいじゃん」というものなのですが、
だんだん、「あたってあたりまえ」になってきているんでしょうかね。


さて、日曜日の朝ですので、
あまり余計なことは書かないで、早速聖書。
昨日はサムエル第二17:24-18:8でした。


「イスラエルの民はそこでダビデの家来たちに打ち負かされ、その日、その場所で多くの打たれた者が出、二万人が倒れた。」18:7。

アブサロムのやり方に、かなり感心していたので、
その限界を見せつけられたような気がしました。

人々の心をつかむのに巧みだったアブサロム。
人々の話を聞いて、「おまえの言うとおりだ」と受け止めて、
そして「わたしだったら、あのダビデ王のようなことはしないんだけど・・・」と
王への不信の思いを植え付けて、いつの間にか人々の心は、
ダビデからアブサロムに動いていきました。

でも、それは戦いのために備えられた人を育てることではありませんでした。

人々は戦いの中で、命を落としていきました。

戦いのために備えられた人を育てる。
大切な働きだと思いました。

主よ、
今日の礼拝を祝福してください。
あなたのいのちがそこにあふれますように。
いや、そこにあふれているあなたのいのちに、
私たちの目が開かれますように。


戦いのための備えをすることができますように。
備えられた人を育てることを教えてください。