2007-12-29

神の力

今日は暖かくなりました。
昨日の夜の雨も上がって、
晴れたせいか、暖かでした。

ほぼ一日教会オフィスでしたが・・・。

今は夜の11時半ですが、
1.7度。
今夜は氷点下でしょう。

そして、明日の夜は雪。
雨も混じるようですが、
まあ、雪のようです。

どれくらい降るか・・・。
まあ、10センチ以下だと思います。
でも、一瞬「降りしきる」ポイントがあると思います。
そして、大晦日の朝には上がります。

でも、またその夜から、元旦にかけては雪や雨。
こっちは大したことないみたいです。

そして、そのあと、2日から5日くらいは、
久しぶりの冷え込みになるようです。
朝晩は-10度近くまで下がって、
昼間も氷点下。

でも、でもですよ。
そのあとは、暖かくなるようです。
しばらく暖かいです。
「暖冬」の預言が実現する予感です(ちょっとあいまい)。

で、今日は教会に一つのDVDが届いていました。
アメリカの爆撃機で日本を空爆して、その後捕虜になり、
その収容所の中で、聖書によって、生まれ変わって、
日本に宣教師としてやってきた
デシェーザー氏のドキュメンタリーです。
英語なのが、残念ですが、
家族とか、戦友たちが出てきていろいろ証言をします。
私も何度か文章で読んでいましたが、
これはまた映像になるといいですね。

From Vegeance To Forgiveness
インターネット上で見れるみたいです。

日本語版はないのでしょうか。

でも、日本軍の捕虜として、ひどい目にあって、
戦友たちが何人も処刑されたり、
待遇の悪さに獄死したりという経験のある
彼が、日本を愛して、日本のために一生をささげたことは、
本当に信じられない思いです。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、わからないでいるのです」という十字架の上でのイエスの言葉が彼の心をとらえたのですが、それと共に、最後に奥さんが言っておられたのは、「赦す、ということでも最初の一歩を踏み出せば、あとは神様がやってくださる」んですね。神様の力はすごいなあと思います。

さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙4章でした。

「神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」
6節。

聖霊様の働きに目が留まります。
聖霊様が、私たちの心に神様のもとで、安心して休める、
信頼して安らぐことのできる平安を与えてくださる。

私たちは一生懸命、一生懸命、
神様に喜ばれようとしたり、
神様のために・・・とがんばったりするけど、
聖霊様は、私たちが安心して、主のもとで過ごすことができるように、
助けてくださる。

聖霊様をもっともっと求めたい気持ちになりました。
聖霊様に満たして頂きたいと思います。

今日見たそのデシェーザー宣教師の話の中にも、
彼に導かれた日本の方々が、
彼の中に何かがあふれていた、と話していました。

私の中に、聖霊様による平安があふれますように。

聖霊様、

どうか、私のうちにあふれ、
主の前に平安のうちに歩むことができるようにしてください。
安心して、主の御許で過ごすことができますように。

主よ、
感謝します。
あなたを父と呼べることのできる者としてくださったことを。

2007-12-28

ちゃんと寝ないと・・・

さて、今日はどんよりじゃなかったですね。
昼過ぎまで結構スカッと晴れていました。

朝は1度くらい。
そして昼間は8度くらいまで上がりました。

そして、夜は雨。

12時過ぎまで降り出さない、という話だったので、
休みなのにどこにも連れて行けない娘たちを、
今日の夜、先日、車の中で寝ていて見れなかった時のリベンジで、
ロックフェラーセンターのクリスマスツリーを見に、
連れ出しました。

ちょっと離れたところの路上に
車を停めて、歩いたのですが、
近くに行ったらまるで年の瀬のアメ横。
はぐれちゃいけないと、
6歳の娘の手をしっかり握って歩いていたら、
自分が子供時代を思い出しました。

マンハッタンのミッドタウンととアメ横。
全然違うのですが・・・。
グッチとか、カルチエとか、アメ横にはないし・・・。
おいてあったら、ちょっと怪しいし・・・。

でも、自分の印象の中ではなんだか重なっちゃいますねえ。

で、着いたら、いきなり雨。
ちょっとだけ見て、写真とって、
ちょっとだけ、Saksの外側見て、
(外側だけ。中はちょっとね・・・)
30分くらいで帰ってきてしまいました。

で、今度の大晦日Stormというか、
Sunday Night Stormというか、
やっぱり来るみたいです。

でも、まだ東にそれる可能性も残っていて、
確率は60パーセントくらいのようです。

来ても、雪は6-9時間で終わる、
3インチくらいの、「ちょいStorm」みたいです。

詳しくはまた明日・・・

さて、昨夜は9時台に更新して、10時頃にはもう寝てしまいましたが、
今朝もしっかり6時台まで休んでいて、
「いやあ、よく寝た」という感じでした。

先日などは、3時間睡眠とか続けていたら、
人と聖書研究をしている最中に
睡魔に襲われて、
宿題を出しておいて、自分は、
「ちょっと休んでいいかな」と5分間だけ、
座ったままうとうととさせて頂きました。
そして、スカッと目が覚めて、
聖書研究を続けました。
人生初めてです。
人と聖書研究をしている最中に休ませて頂いたなんて。

つくづく、「寝不足はいかん」と思った次第です。

で、「寝る」つながりで、

最近聞いたH氏の話。

ちょっとのどを痛めたH氏。
咳き込んで、家族を起しちゃいけないと、
一人居間で寝たそうです。
ところが、ホットカーペットをつけていた。
本当に気持ちよく寝たそうな。
気持ちはわかります。
ホットカーペットは幸せな気分にしてくれます。
こたつなんかもそうですよね。

で、起きたら、背中がひりひり痛む。
なんだろうと思ったけど、
ホットカーペットのせいだなんて思ってもいなかったH氏。

なんと、こともあろうに、次の夜、
やはりホットカーペットの上でねたそうな。
今度は、ひりひり痛む背中をかばい、お腹を下にして・・・。

翌朝・・・そうです。
お腹もひりひりしていたそうです。

1週間両面ひりひり状態だったそうです。

でも、怖いんですよ、低温やけど。

お気をつけ下さい。

まあ、お元気そうですけどね。H氏。

長くなりました。
聖書に行きます。

今日はガラテヤ人への手紙の3章を読みました。

「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」
2節。

何度も何度も読み返しているうちに、
この言葉が響いてきました。

今、また聖霊様を与えられるためには、
たくさん条件があるような気がしている。

熱心さ、罪から離れること、祈ること、求め続けること・・・
どれも大切なことだと思うし、
またパウロが言うところの「律法を守る」ということとは全然レベルの違うことかもしれない。

でも、いつの間にか、自分のがんばりが大切であるかのような、
信仰になってしまいやすいことを感じる。

めぐみによる救い、
一方的な憐れみによる救いを忘れていないだろうか。

主のめぐみに心を留めて、
信じる者に、求める者に、
聖霊を下さる神様に祈り求めていきたいと思いました。

本当に聖霊様に満たして頂きたいです。
もっともっと喜びに満たし、
力に満ちあふれて歩みたいです。

主よ、
あなたを信頼します。
信頼して求めます。
どうか、私を聖霊様で満たしてください。
そして、そのことを私に、
そして、周りの人々に、
わかるように表してください。

めぐみに感動して、
歩む者にしてください。

2007-12-27

愚かになる

今日はまたどんよりな一日でした。
朝は2度くらい、昼間は5度くらい。

明日の朝は氷点下の予想が出ていますが、
今は夜の9時過ぎで4度あります。

明日の昼間は曇りのようですが、
夜にはまとまった雨になりそうです。

ところで、今、天気予報の世界では、
大晦日がどうなるかが、話題になり始めています。
Stormが東海岸に雪を降らせるかどうかです。

私は余り期待していないのですが、
可能性はあります。

さあ、どうなることでしょうか?
詳しくはまた明日に。

日本も年末年始は寒気みたいですね。

来年1月末から2月半ばまで日本を訪問します。
まだ詳しくは何も決まっていませんが、
東京圏と関西圏を中心に回ると思います。
また、詳しく決まり次第、予定をUPします。

余り寒くない2月となりますように。

今日、時間を作って、
(つまり、また後回しになってしまった仕事はあるのですが・・・)
右のリンクにあるCGNTVで、三浦綾子さんの特集を見ました。

その最後の方で、綾子さんが神を求め始める大きな転機となった
出来事を紹介しながら、「道ありき」から引用していた言葉が
心に深く留まりました。

「結局は、人間は死んでいく虚しい存在なのに、またしても何かを信じようとするのは、愚かだと思った。しかし、わたしはあえて愚かになってもいいと思った。」

彼女を導いた前川正さんの姿に綾子さんが「信じる」ことを取り戻すことができた出来事でした。

「愚かになってもいい」

そのように人に思わせるものがこの人の中にあった。それはまたその人のうちにある「愚かさ」だった。理屈は通らないんだけれども、信じてみようと思わせるものがあった。
そして、それはもっとさかのぼると、イエスの中にある、神の中にある「愚かさ」なのではないだろうか。

今、自分はもしかしたら、この愚かさを見失っているのかもしれない。
その神の愚かさに支えられて、造り替えられたのに、自分自身は愚かにならないようにがんばっているのかもしれない。損をしないように、バカを見ないように、愚かにならないようにがんばっているのかもしれない。

愚かになっていい。

いや、

愚かになりなさい。

そんな声を聞いたような気がしました。

さて、今日の聖書。

今日はガラテヤ人への手紙2章を読みました。

「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」20節

自分の信仰が、いつもいつも十字架のめぐみに根ざしているようにと願いました。

時には、「~らしい」ということを求めている自分を感じるからです。
「牧師らしく」とか「クリスチャンらしく」とか。
そのように生きているだろうかと考えている自分がいます。

それが私自身の歩みの土台にすり替わっていないだろうかと。
それが自分の生活の原動力になっていないだろうかと。

ただただ、十字架のめぐみが自分を生かしている、
自分の生活を導いている、
そのような歩みをしたいと思います。

その中で、「どうせ赦されるから・・・」と神様の愛をなめる者ではなく、
主の喜ばれる歩みを求めていく者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの愛を、
あなたの十字架のめぐみを、
もっともっと味わわせてください。
そして、そのめぐみに心満たされて、
喜びにあふれて歩む者でありますように。

2007-12-26

NYのクリスマス

今日は朝出る時は-3度でした。
でも、それほど寒く感じませんでした。
風がなかったからでしょうか。

昼間は逆に肌寒く感じました。

そして、夕方からは雨やみぞれ。
今、昨日の記事を読むと
「ちょっと雨が降るかもしれません」なんて書いていましたが、
かなりザーザー降っています。
今も夜の11時で、1.6度で雨が降っています。
明日も曇り一時雨か雪です。
今日は今年最後のNYの日。
一日いろんな方々とお話をする時が与えられましたが、
NJだったら、我が家でも、教会のオフィスでも、と思いますが、
NYの場合は、「どこでお会いしましょうか」と迷うことがあります。
マクドナルドだったり、
スタバだったり、
ING Directカフェ(穴場)だったりするのですが、
夕方、ある方と待ち合わせに使ったのが、
Grand Central駅の隣の
Grand Hyattというホテルのロビー。


広々としたロビーで、ソファーがいくつも置いてあるし、
宿泊客じゃないからと文句を言われることもないので、
数年前から、たびたび待ち合わせなどに使わせて頂いています。
(毎週1回1時間で計7回、受洗準備クラスをやったことも・・・)

携帯カメラの映像なので、余りはっきりしないのですが、
冬の国のイメージで飾り付けがなされていました。

そして観光客でごった返していました。

試しに明日の宿泊はいくらか調べてみました。
今からでも予約を入れることができます。
一部屋479ドルです。

来年のクリスマスイブだったら200ドル台で予約できます。

でも、そんなお客様たちが払ってくださった宿泊費の一部で、
ちょっと申し訳ないような気持ちもしますが、
私の様な者も、ロビーのきれいな装飾を楽しむことができます。

昨日の夜は写真は撮れませんでしたが、
11時50分ぐらいにロックフェラーセンターのクリスマスツリーの前を
車で通ってきました。
女の子2人はもう寝ていましたが、
のんちとハジと私で「すげー」とか歓声を上げていました。
NYのクリスマスをちょっとだけ味わいました。

さて、今日から大晦日まではガラテヤ人への手紙を読みます。
ちょうど6日間で一日1章で読めるから・・・というのが、
選んだ理由です。

今日はガラテヤ人への手紙の1章を読みました。

「私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです」1節。

パウロが使徒として歩んでいたのは、
人によってではなくて、
イエス・キリストと父なる神によって任命された、
ということによりました。

ここを読みながら、私自身のここでの働きのことも振り返っていました。
人によってではなく、人間から出たことでもなく、
主によって「頼むよ」と言われたような思いです。

おそらく、それがなかったら、本当にできなくなってしまうと思います。

人から頼まれたから、皆さんにそう言われたから・・・
ということだけでやっていたら、行き詰まってしまうと思います。

主がそのように任命されたから・・・。

自分自身の召命を再確認させられました。

主の召しに対して、従順であり続けたいと思いました。

主よ、
いつもあなたの声を聞いていくことができますように。
いつもあなたの導きに従っていくことができますように。
私を守り、導いてください。

2007-12-25

ほっぺたが落ちるのはこわい

今日は朝ちょっと冷え込みましたね。
確認するのはうっかり忘れていましたが、
朝、教会で祈るために外に出たら、空気がひんやりして、
残っていた雪もしまっていました。

でも、昼間は7度くらいまで行ったようです。

今は-1.5度。
明日の朝はこのまま-3度くらいまで下がるでしょう。

そして、明日は東の海上を低気圧が通ります。
ちょっと雨が降るかもしれません。

今日は朝教会でお祈りしたあと、
うちに帰ってまた一休みと思ったら、
昼前まで寝てしまいました。
そして、昼食を家族で食べていた時に、
「おいしいね」ということをどう表したらいいかと思って、
今風で言えば「これヤバイ」と言うことなんでしょうが、
昔はなんて言っていたかなあ思い出していたんですね。

そしたら、「おいしくてほっぺたが落ちる」という言葉を思い出したんですよ。

それはまだ私が大阪にいる頃ですから、
3歳か、4歳くらいの時だったのですが、
父がおやつに何か粉を溶いて・・・
考えるとホットケーキかクレープみたいなもんだと思うのですが、
何か作ってくれたんですよね。

でも、その時、父がつくりながら言った、
「これはおいしくてほっぺたが落ちるぞ」といった言葉で、
ものすごく怖くなってしまって、
「それなら、ボクは食べない」と言って、
兄や弟が食べているのをホラー映画でも見ているような気持ちで、
自分のほっぺたを押さえながら、柱の陰から見ていた記憶があります。

いや、本当に怖かったんです。

それから、しばらく甘いものとかほしくなかったですね。
マジでほっぺたが落ちる場面を想像していました。

でも、それを考えると、
いまの「これ、ヤバイ」というのは、
ちょっと表現としては余り内容がないですね。
自分も言葉が貧しいなあと思わされることが多いですが、
豊かな表現を身につけたいなあと思います。
子供に誤解されるのはまずいですが、
「誤解された時にコワイくらいの気持ちがする」言葉は貴重なんだと思います。

日本語を磨きたいなあ、と思わされた一時でした。

今日の聖書。

今日はアドベントの聖書日課の最終日。
マタイによる福音書2:1-15を読みました。

「そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」
11節の言葉です。

この「拝んだ」という言葉が心に留まりました。

自分は本当に主を拝むような歩みをしているだろうかと。
イエスを礼拝しているだろうかと。
この博士たちは、十字架も知らなかった、
イエスのメッセージも知らなかった、
ただ、赤ん坊の、何もできない、とても弱い赤ん坊のイエスを
礼拝した。

自分は知っているのに、
自分はわかっているのに、
本当に礼拝しているだろうかと。

主を拝む、
本当に文字通り跪いて拝む歩みをしたいと思いました。

主よ、
今年のクリスマスをありがとうございます。
あなたの前に出て、
あなたと共に歩むことができたこと、
教えられた一つ一つのことに感謝します。
どうか、あなたを本当の意味で拝む者とならせてください。

このクリスマスの喜びを日々の歩みの喜びとしてください。

明日から大晦日までの6日間は
ガラテヤ人への手紙を一日1章ずつ読みます。

2007-12-24

メリークリスマス!

ここNJでは、今ちょうど夜の12時。
クリスマスの日を迎えました。

イブのキャンドルライトサービスには、
子供たちを入れると100人を超える方々が集われました。

特にJOYJOYキッズクラブや、
JOYJOYキャンプに来られているご家族が
たくさん来られました。

幸いな一時でした。

JCCNJのクリスマスのプログラムは
これですべて終わりました。
明日はそれぞれの家庭などで、
ゆっくりクリスマスを過ごすことになります。

今朝、優先順位を考えた時に、
どうしてもやはり他のことを後回しにしてでも
時間を作って、行きたいところがありました。
近所の老人ホームに入所しておられる
日本人のご婦人です。
90歳くらいで、ホームにも日本の方はおられません。

ですから、私の訪問を本当に全身で喜んでくださいました。
ほとんど寝たきりのような状態で、
車いすに乗せてもらって、動く程度です。

でも、ベッドに寝たまま、
何回もハグしてくださいました。
ずっと、いとおしそうに手を握ってくださいました。
「うれしいよお」と何回も言ってくださいました。

こちらの方が、元気をもらいました。

もっといつも来れなくてゴメンね、と心の中で繰り返していました。

近所なのに、時間も作らなければいけないのに、
ついつい、締め切りのあることに追われて、
大切なことが後回しになる。

大切なことは、本当に大切にしていこうと思わされました。

今日の聖書。
今日はルカの2章1-20節でした。

「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」15節。

聞いただけじゃダメ。
行かないと。
考えているだけがじゃダメ。
踏み出さないと。

ああ、主のなさる御業を見せて頂きたい。
主がなさる奇跡をもっともっと見せて頂きたい。
そのために信じて踏み出す者でありたいと思う。

主を信頼して、
そこに生きていこうと思わされました。
信頼したならば、そこにかけていこうと思わされました。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたを信じます。

私の踏み出す一歩を守り、
そこに起こる嵐の中で、
あなただけを見つめて歩めますように。
あなたを信頼して歩めますように。

さて、明日はいよいよクリスマスの朝。

いのち

今夜は午後6時半から
キャンドルライトサービスです。
どうぞ、皆さんおいで下さい。

120 East Pleasant Ave.
Maywood, NJ 07607

201-712-9833

今朝は1.2度。
ずいぶん下がって、場所によっては
やはりblack iceでした。

今日は久しぶりに晴れて、
ちょっと風は強いようですが、気温は割合高くて、
日差しの分だけ、暖かく感じると思います。

昨日のクリスマス礼拝は、
新しい方々よりも、
久しぶりの方や、クリスチャンの方で
教会を探しておられる方が来られました。
70名あまり。

電話でお話ししていると、今晩来られる方々のほうが、
多いようですね。
やはり「イブを教会で・・・」なんでしょう。
会堂を使わせて頂いている英語の教会も、
この時は本当にたくさんの方々が来られるようです。

で、昨日は英語の方が多かったです。
中国系の方々で初めての方々が2人。
毎週来られるアフガニスタンの方や、
休みごとに来られる大学生や、
日本人の奥さんを持つ男性と、
そのお姉さん夫婦。

通訳の英語を電波で飛ばす機械が足りなくて、
通訳の奉仕の方の周りにたくさんの方々が集まる、
といううれしい悲鳴でした。

さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネ3章16-21節でした。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
16節。

「永遠の命」のことを、思いめぐらしていました。
永遠の命は天国のことだけではありません。
この地上の天国もあるんです。
神様と共に歩む生涯。
4章に出てくる「いのちの水をいただいて、心の中に泉を持つ歩み」。

自分はどうだろうかと。

いろいろな戦いや、悩み、悲しみ、痛みもあるけれども、
その中で、主と共に歩んで、平安をいただいて、勇気をいただいて、
歩んでいくことができる。

それが永遠の命。

本当にその命に満たして頂きたいと思いました。
そのようないのちをいただく方々が起されるクリスマスとなるようにと、
お祈りしました。

神様、
昨日の礼拝にも感謝します。
集われたお一人一人に、
今日もみことばを通して語ってください。

今晩のキャンドルライトサービスを祝福してください。
会堂を聖霊で満たし、集う方々の心に触れてくださいますように。


また後ほど・・・

今夜は明日のイブのために一仕事していたら、
こんな時間になってしまったので、
また明日の朝更新します。

夜は暖かくて13度くらいありましたが、
今1時半で5度まで急激に下がってきています。

明日の朝は路面の凍結に注意かも。

では、お休みなさい。