2007-04-28

「わたしがあなたの救いだ」

今日は、夕方から夜、雨がぱらぱら降りましたが、
思ったよりいい天気になり、結構温度も上がりました。
23度くらいまで上がったでしょうか?

今夜はこのまま雨がぱらつくくらいで、
明日はまた晴れ、
暖かくなるようです。

助かります。

やっと連敗脱出。
よかったですねえ。
ケイ君も本当は今日は先発をはずされていたのに、
先発投手のアクシデントで勝ち投手になったし。

今日は夕方、ユースの集まりがあって、
その後、ちょっと用事があって、
夜の11時頃に帰って、郵便をチェックしたら、
見知らぬところから、写真が送られてきています。
「英語で『写真在中、折らないでね』という意味のことが封筒に書かれているので、
なんだ、このダイレクトメールは?」と思って、封を開けたら、
何とヒデキ君の写真ではありませんか。
それもサイン付き。
もちろん、カミさんが小学生時代に大好きで、
寝言で名前を叫んだという「ヒデキ」ではありません。
Yankeesのヒデキ君。
差出人がNY Yankeesだったら、納得なのですが、
なぜか、CAの写真スタジオ。

でも、もしかしたら、マツイ記念日の出来事の直後にお送りした手紙が、
今頃になって、本人か、周りの人の目にとまったのかな。
しっかりバットのそばに飾っておきました。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の35篇を読みました。

「私のたましいに言ってください。
 『わたしがあなたの救いだ』と。」3節。

主がわたしの救い。
主がそのように言ってくださるとしたら、
何とうれしいことだろうか。

「わたしがあなたの救いなのだ」と主の方が声をかけてくださる。

わたしは何をあてにしているだろうか?
人々の理解だろうか?
サポートだろうか?
主を、主御自身をあてにして、
主御自身の救いを期待していきたいと思う。

主に頼っていきたいと思う。

主よ、
わたしの救いはあなたです。
あなたがわたしを支えてくださいますように。
本気であなたを救いとして見上げていくことができますように。
明日の礼拝もあなたが豊かに祝福してくださいますように。
あなたのすばらしさがほめたたえられますように。

2007-04-27

霊の砕かれた者

今年1月にすごいのやっているので、
今回はそれに比べれば全然大したことないんですが、
なんだかおなかの調子が悪い+微熱。

でも、24時間たって、回復の兆しが見えてきました。
明日は全開でしょう。
夕方は中高生の集まりで、
「神様はいるか!?」という話をする予定。

今日は明け方、すごい雷で目が覚めて、
午前中もずっと雨でしたが、
夕方にはやみました。

明日はどんよりみたいですが、
気温はぐっと上がるみたいです。

今日こそはダイスケくんが、
ボコボコにされるはずだったのですが、
4点止まり。
今のYankeesは4点じゃ勝てません。
逆にボコボコにされて11点も取られました。

7連敗?

次のチャンスこそ、
ちゃんと火だるまにして欲しいものです。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の34篇を読みました。

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
 霊の砕かれた者を救われる。
正しい者の悩みは多い。
 しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」
18-19節です。

この詩全体を読んでいて、他の詩を読んでいる時にも時々感じるのですが、
わたしは「自分は正しい」と大手を振って言える人の気持ちがあまりわからない人間なので、
(その割に、カミさんとやり合う時には、そういう態度に出るけど・・・)
あんまり、「自分が正しいから守ってください」という言葉が出てくると、
閉口してしまうのです。

でも、何度も何度も読み返してみて、
そして、表題の出来事、つまり、王様に追われて、
気がおかしくなったかのようにしなければならないようなところに追い込まれた、
ダビデの状況を想像してみて、
「わたしを助けてください、敵を黙らせてください」というのが
だんだん見えてきました。

でも、本当に大切なのはやはり、
自分自身が本当に主の前に砕かれているのか、
人との関係よりも、主との関係において、
本当に砕かれているか、それなんだろうなあ、と思いました。
霊が砕かれているか、
日本的な「謙遜」ではなくて、
本当に主の前に打ち砕かれ、
自分の弱さを見せつけられているか、
いつもいつも自省していたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたの前に歩ませてください。
あなたから語られて、
あなたから取り扱われて、
あなたの守りの中で歩ませてください。

あなたが守ってください。
あなたが救ってください。
たくさんの悩みの中で、
主が守ってください。


2007-04-26

主の目の注がれるところ

今朝、35センチまでのびたアスパラを初収穫。
太いのが2本に細いのが3本。
とても甘かったです。

で、それはよかったのですが、
お昼頃からちょっと体調が悪くなってきて、
キッズクラブまでは何とかやりましたが、
夜の予定はキャンセル。
暖かくなったかな、と思って、パッチをはかなかったのがまずかったのかも。
午後からちゃんと履いて、暖かくしています。
う~ん、本当にオヤジになってしまった。

ちょっとよくなってきたように感じますが、明日のために今夜は早く休みます。

今夜、これからまた雨。
明日も雨で、雷雨があるという予報です。

週末はまた20度を超える暖かい日が続くようです。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の33篇です。

「軍馬も勝利の頼みにはならない。
 その大きな力も救いにならない。
見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。
 その恵みを待ち望む者に。」
17-18節です。

自分はいったい何を頼りにしているだろうか?
軍馬だろうか?
それとも、主だろうか?

主に目を留めていただきたい。
主は力ある方だから。
主は豊かな方だから。

自分たちの力、
自分たちの豊かさ、
そんなものは、主の豊かさに比べたら、
取るに足りない。

だから、主から目を留めていただけるかどうかが問題。
主に目を留めていただけるように、
主を待ち望んで歩もう、そのように思わされました。

主よ、
あなたに目を留めます。
自分たちの力ではなく、
あなたの力を待ち望みます。

自分たちの懐ではなく、
主よ、あなたの豊かさをあてにします。

自分たちの霊的な素質ではなく、
あなたの霊的な豊かさを当てにします。

どうか、あなたの豊かさをもって満たしてください。

2007-04-25

主を信頼する

今日は朝早く出て、夜暗くなるまでNYでした。
アスパラガスはどうなったかわかりません。
明日の朝のお楽しみです。

ちゃんと芝生にはちょうどいい感じで、
しとしと雨が降ってきました。

明日も日中は曇りくらいですが、
夜はまた雨だそうです。

芝生の種にはちょうどいいですが、
水害にならないようにと願います。

今日はNYで3回地下鉄に乗りました。
ずいぶん慣れてきましたが、
日本の地下鉄のことを思い出すと、
NYの地下鉄は不親切です。

まず、日本みたいに、次の駅が書いてない。
最初は良く反対方向の電車に乗ったものです。
uptownとかdowntownとか、
Queens 方面とか Brooklyn方面とか、
今でこそわかりますが、お上りさんだった頃は、どっち方面に乗ったらいいか、
わからなかったですねえ。
時刻表が貼ってない・・・まあ、貼ってあっても、時間通りには来ないんでしょうけどね。
日本みたいに、「次の電車が前の駅を出ました」なんて表示は出ない。
「次はにほんばし~」みたいなアナウンスはないか、または短い。
日本みたいに2回も3回も繰り返さない。時々乗り越しそうになる。
それからAとかCとか、慣れれば何とかなるけど、、
どれが急行とか、わからない。(ちなみにAは急行、Cは各駅)
(未だに4,5,6の中のどれが急行か知らない)

きわめつけは、

「急行が途中で、予定変更で各駅停車になったりすることがある」

というのですよね。

前回のNYの日に、それに当たりました。
ぼーっと聞いているとわかりません。
みんなが降りてホームの反対側の電車に乗り換えたので、
つられて乗り換えましたが、とりあえず正解でした。

あと、ホームに売店がない。とかもあります。

いいのは、ストリートミュージシャンが何かやっている、というのですよね。
時々耳障りなのもありますが、
楽しい気分にさせてくれるのが多いです。

まあ、このあまり洗練されていない感じがいいんでしょうね。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の32篇を読みました。
罪の悔い改めの詩篇ですが、

心にとまったのはその最後のところ。
「主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。」10節の言葉です。

「悔い改め」が不徹底の時は、
やはり「主への信頼」もどこか足りない、
どこかおかしいというか、
どこかどーんと信頼できていないんですよね。

心に一物持っているから・・・。

2節に「その霊に欺きなき者は・・・」とありますが、
本当に安心して主の前に出られる平安、
それが大切だと思います。

そして、自分で自覚していない中にも
傲慢になってしまったり、
偽善的になってしまったりすることもあります。

主に探っていただいて、
示していただいて、
本当に裸で主の前に出られるような者でありたいと思います。

主よ、
あなたを信頼します。
何の保留もつけないで、
すべてをご存じなあなたに信頼します。
どうか、あなたの恵みでわたしを取り囲んでください。
どんな状況も、わたしの喜びに、わたしの平安に、
指一本ふれることができない、そのような心にしてください。

2007-04-24

私の時は主の御手の中に

今日は昨日よりぐっと過ごしやすい日でした。
暑すぎず、寒すぎずで・・・。

最高気温は24.4度。
明日の予想は15-18度くらい。
ちょっと涼しいくらいでしょう。

で、今日、チューリップの花が咲き始めました。
いろんな花が町中に咲いています。

アスパラガスも一番大きいのが30センチくらいまで育ってきたので、
いよいよ初収穫です。


明日からちょっと雨が降りやすいということで、
芝生の種をまきました。
大雨だと流れてしまうかもしれませんが、
ちょうどいいくらいの雨が1週間くらい降ってくれると、
水をまかなくていいので、助かるなあ、と思いますが、
さて、どうなることでしょうか?

今日の聖書。
今日は詩篇の31篇を読みました。

「私の時は、御手の中にあります。」15節の言葉です。

そうなんだよねえ。
自分の時は神様のみ手の中にある。
本当にその通りだと思いました。
自分でいろいろ決めて、
勝手に動こうとしても、
それで決まるわけではない、
自分の決意や、決心が決めるわけではない。

主の御手の中にあることなのだと思わされます。

でも、時を見る目の鋭さ、
主が与えてくださる時を見る敏感さを持っていたいと思います。

主よ、
私の時はあなたの御手の中にあります。
あなたの御思いのままに、
あなたが最高のことをしてくださいますように。

そしてあなたの時を見極める、敏感さを与えてください。

2007-04-23

朝明けの喜び

今日は暑かったですねえ。
かきごおり家庭先の最高気温、なんと31.4度。
もう真夏の暑さです。
でも、夜はすぐに25度以下に下がります。
もし今が夏だと、こんな日は「今夜は涼しくなったねえ」という感じですよね。
でも、4月にこの暑さは早い!

と思って去年の記録を読み返していたのですが、
25度くらいは結構あったみたいですね。
そして、チューリップやアスパラガスや、
15日過ぎにはいろんな春の話題があったんですね。

今年はちょっと遅いようです。

今年はチューリップはもう少しで開花。
アスパラガスももう2,3日で初収穫かな。
3年目なので、結構太いのがにょきにょき生えてきました。

明日は23度くらい止まり。
そして、あさってからはまた数日ぐずついて、
ちょっと肌寒いくらいでしょう。

さっき、「明日、このCredit Card払わなきゃなあ・・・」と思って、
いくつか請求書を見ていたら、なんと一つ期限が「今日」のがあるじゃないですか!

またやってしまった・・・。
夜の10時半じゃあ、当然翌日扱い。

この間のガス欠のことで、「もうぎりぎりまで粘るのはやめよう」と思っていたのですが、
ついつい、「まだ大丈夫」病が出てきてしまうんですね。

まあ、交渉社会のアメリカのことですから、
とにかく交渉。
来月の請求書にlate feeとか付いてたら、
とにかく交渉します。
大体、年に1回は問題なく、「いいですよ~」と気持ちよく免除してくれるので、
大丈夫だと思うのですが・・・。

でも、今まで一回だけ、何か引っ越しで住所不明になっていて、
転居先に請求書がぺらっと来たことがあったのですが、
それがなんと、「取り立て屋」直前だったみたいで、
いつものように、なんだかんだと交渉しようと思って話を始めたら、
電話の向こうで「これくらいの金額、面倒なことにならないようにしたかったら、何も言わないで払いなさいよ」なんて言うじゃないですか。さすがに焦りましたねえ。何も言わないで払いましたよ。そういうこともあるんですよね。

なめちゃいけません。払わなかった自分が悪いんだから。
ハイ。
期限も守ります。ハイ。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の30篇です。

「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」5節の言葉です。

「家をささげる歌」という表題で、どんなことが書いてあるんだろうかと思いました。
そんな気持ちで読んでも、家を建てたいろんな経緯は何も歌っていません。

でも、「夕暮れに涙」「おじ惑った」「嘆きを踊りに」などとの言葉があるので、
やはりいろいろな戦いがあったのだ、悩みがあったのだと思わされます。

会堂取得を祈っている私たちにとって他人事には思えないこの祈り、
いろんなところを通されますが、「朝明けには喜びの叫びがある」!
この約束に励まされます。

会堂は手段にすぎないことを忘れないで、
主を第一とすること、
畏れをもって礼拝すること、
教会が祈りの家となっていくこと、
熱く伝道していくこと、
求めていきたいと思います。

自分たちの会堂が与えられる時に、
そういう意味、つまり教会の中身の充実という意味でも、
「朝明けには喜びの叫びがある」という主の御業を見せていただきたいと思いました。

主よ、
朝明けの喜びの叫びを楽しみに待ち望みます。
どうか涙の谷をすぎる時にも、
朝明けの喜びの叫びを思わせてください。
霊の目を開いて見せてください。

2007-04-22

神による力

今日もまたまた暖かかったです。
27度まで上がりました。
今は夜の8時過ぎで17度。
ダイスケ君が、我らがYankeesに向かって投げています。
ボコボコにされることでしょう。

明日は30度も夢ではありません。

今日の朝は教会学校の先生たちで、
JOYJOYキャンプのテーマを考えました。
一年の中で一番楽しい会議です。

どんなテーマになるか、まだわかりません。
そう、まだ結論は先送りです。
楽しみにお待ちください。

その中で、話題に上ったのが、
「アリジゴク」。
意外と皆さん知らないんですね。
のんちも、「えー、自然にロウト型の地形ができると思っていた」そうです。

1-2センチのすり鉢の下に虫が待っていて、
落ちてくるアリを食べるんです。
ウスバカゲロウの幼虫です。
シチーボーイの私は図鑑でしか読んだことがなくて、
小学生の時に、いなかに遊びに行った時に、
捕まえたくて捕まえたくて、
「そんなのたくさんいるよ」と言われて取ってきて、
東京まで持って帰りました。
はい上がろうとするアリに下から砂をかけて、
はい上がれないようにするんですよね。
コワイですねえ。
なんだか、調べてみると、幼虫の間は肛門がなくて、糞をしないとか。
のんちに話したら「食べたもの全部消化するんだ・・・」なんて看護師っぽいこと言っています。
まあ、たぶん食べるんじゃなくて、体液を吸っているだけなので、糞は出ないんでしょうね。
いろいろ勉強になります。

英語ではantlionなんでしょうか。
こちらにもいるんでしょうね。

あ、別にこれがJOYJOYキャンプのテーマではありませんよ。
ご心配なく。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の29章を読みました。

「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」11節。

主は「ご自分の民」に力を与えられる。
主の許に留まることの大切さを思わされる。

そう、イスラエルの人々も、「自分たちは神の民だ」と思っていた。
でも、神から離れていた。
だから、形だけではなくて、
名目だけではなくて、
神の民になること。
その大切さを思わされる。

「光とされたのだから、光の子らしく歩きなさい」ということの大切さを思わされる。

主よ、
あなたの力を与えてください。
あなたの力に満たしてください。
そのためにあなたの民として歩むことができますように。
あなたの民として歩むことを教えてください。