2006-08-19

私たちの計画と主の計画

今晩はまた祈り会なので、
今のうちに更新。

昨日、「オイルショック」のおかげでパイロットの夢やぶれたUさんの話を聞いて、

調べてみました。自分はそのころ、何をしていたかを・・・。
小学校4年生。

去年か一昨年かに日本から引き揚げてきた(実家の引っ越しで追い出されてきた)
小学校の卒業アルバム
(出てきましたよ、意外とすぐに・・・カミさん曰く、「わたしんとこは、小学校はなかったよそんなの・・・」)

・・・の最後の「この6年間の日本と世界の動き」みたいなところに、
ありました。ありました。


こんな写真。





やっぱ、オイルショックと言ったらトイレットペーパー。
でも、たぶんそれって直接の記憶じゃなくて、
何年も後で、テレビで「そんなことあったよねえ・・・」って言ってたのが、入っているんだと思います。

それでも、確かに、小学生の頃、
母親の買い物につきあわされて、
一つ品物とちょっとお金と持たされて、
「あんたも一つ買ってちょうだい」とレジの列に並ばされた覚えがあります。
「本日限り・お一人様一点限り」ってヤツだったんでしょうね。
そんな時、4人兄弟は役に立ちますね。
一番下のはそのころ3歳くらいですから、まあしょうがないとしても、
3人小学生がいたら、4つは買えちゃいますからね。


調べてみると・・・って忙しいのに・・・
1バレル3ドルだったんですね、このころ。

それが11ドルになったと。

そりゃパニックになるわ。

今70ドルくらいですが、
これが200ドルになる計算ですからねえ。


歴史の勉強でした・・・。

今日の聖書。
今日はマルコの14章を読みました。
最初の2節に、当時の宗教的指導者がイエスを殺そうと計画しているのが書かれていますが、
その中で彼らはこう言うのです。「祭りの間はいけない」と。
でも、実際、イエスが十字架につけられるのは祭りの時でした。
それも大切な「安息日」の直前。

私たちの計画、私たちの考え。
でも、主には主の計画があり、
主の考えがあり、
主の思いがある。

そして、主の御心だけが堅く立つ。

本当にそのことを思います。
いろんなことを考えすぎるのだと思います。
もっと聞けばいいのに、
もっと求めればいいのに、

自分で考えて、
そして、それだけではなくて、
決めつけて、頑固にそれにこだわる・・・。

主の御心をもっともっと求めていきたいと思いました。
今日はこれから祈り会です。
陳情を並べるのではなく、
主と会話する、
主から聞く、
そのような祈りの時となるようにと願っています。

主よ、
どうかあなたの御心を教えて下さい。
あなたの御心を喜びとし、
あなたに従っていく者としてください。
これから参ります祈り会を祝福して、
あなたに聞く時となりますように。

示されることを

今朝も気持ちのいい朝でした。
でも、昼間はちょっと蒸し暑いです。

今年の8月は最初の2,3日を除いて、とても過ごしやすい8月になっています。

それから、ハリケーンの全然ない8月になっています。
去年はものすごい当たり年で、
今年も多いだろう、そして、北東部が危ない、と言われていました。
もちろん、ハリケーンシーズンはこれからですし、
何があるかわからないのですが、
去年は8月の終わりにカトリーナが来て(KですからABCDEFGHIJKで11個目!)
ガソリンが何時間かの間に70セントくらい上がったのがあったことを考えると、
今年はまだCまで。
ハリケーンとトロピカルストームを合わせて3個しか発生していません。

このままいってくれたら、ガソリンがもっと下がってくれていいと思うのですが・・・。

これから明日にかけて雨です。
今午後4時過ぎですが、
今雨雲が西からNJに入ってきました。

post JOYJOY syndromeですが、

昨日聞いた話では、ある隊員は、自然とJOYJOYTシャツに手が伸びて、
仕事に着ていきそうになったそうです。No. 5の症状が出ているケースは初めてでした。

他に・・・


・家の中で走り回っている子供がいると、
「ジャングルの中で走りってはいけない!」と叫んでしまう。

・食事の時に、「ごーはんだ、ごはんだ、さあ、たべよう」と歌わないで
ご飯を食べることに罪悪感を感じてしまう。


・・・などの症状が出ている隊員がいるようです。


お大事に。

昨日の聖書です。
昨日はマルコによる福音書13章を読みました。
そこには世の終わりに起ることが預言されています。

その中に、クリスチャンが迫害されることも出てきます。
その時の心構えについてイエスがいわれている言葉です。

11節です。

「彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」

「示されること」

自分で「うーん、うーん」と悩んで、考えて出てくる言葉ではなくて、
神様が示してくださること、聖霊様が示してくださること。

あのペンテコステの時のペテロの言葉なんかそうでしょうね。
使徒行伝の2章に出てきます。

私も日曜日のために、このような言葉を与えて頂きたいと思いました。
自分で悩んで、考えて、作り出した言葉ではなくて、
神様が示してくださる言葉。
そのような言葉を語る者とならせて頂きたいです。

主よ、
御言葉を与えて下さい。
聖霊によって示して下さい。
あなたの与えて下さる言葉を語る者としてくださいますように。
日曜日のために、私に言葉を示してください。
また前に立った時、
あなたが私に言葉を与えて下さい。
あなたを信頼します。

遅くなったので・・・

先ほどまで集会でしたので、
更新は明日ゆっくりと・・・。

おやすみなさい。

2006-08-17

すべてを捧げる

今日も快適です。
昼間はちょっと暑いかなあ、と思い温度計を見ると30度くらい。
でも、朝は20度を切ります。
明日も、あさってもいい天気みたいです。
土曜日の夜には雨が降る、と天気予報は言っています。

今日、お借りしている教会の牧師さんとお会いして、
ちょっとお話をするチャンスがありました。
いつもは、そのまま、「じゃ」と別れるのですが、
今日は、「一緒に祈ろう」と先生が言ってくださいました。
考えてみたら、こんな風にその牧師さんと祈るのも初めてだと思います。
先生も闘いを覚えて、心に痛みを感じておられることがあって、
それをお話ししてくださって、共に祈りました。

このようなことがもっともっと必要なんじゃないか、と、そう思いました。

自分が英語で祈ることには慣れていないので、
自分の方から「祈りましょうか」とはなかなか言えないし、
こっちの方が若いし、お借りしている立場なので、
なかなかそのような雰囲気には成らないのですが、
今日は先生の方から声をかけてくださったので、本当によかったと思います。

私も教会の方々にもっともっと、「じゃ、祈りましょうか」と声をかけなければいけませんね。
たまには、「え、どうして?」って顔をする方もおられるでしょうが、そんなことを気にしてはいけませんね。
祈りましょう。
そして、私に突然、「祈りましょう」と声をかけられても、
「何かあったの?」「え、どうして?」みたいな顔をしないで下さい。よろしく。

明日は祈り会です。

多くの方々が来られますように。

今日はマルコによる福音書12章。
まだ、結論は出ていないのですが、考えさせられたことを一つ。
最後の44節。
ここでは、多くの人が神殿に献金をしています。
その中で、一人の未亡人が小さなコインを一つだけ献金しています。
それを見て、イエスは、「彼女が他の誰よりもたくさん捧げた」と言います。
そして、44節では、「この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」と言われています。

この人はこの後、どうしたんだろうか、と思いました。

だって、生活費の最後の一枚のコイン。
そして、未亡人で、誰もあてにはできない。

神様への信頼ってこういうことなのかと思わされました。

良く、日本の尊敬する婦人伝道者が言っておられました。
「エリヤの神は今も生きておられる。エリヤのカラスは今もいる」と。
エリヤという預言者は、ある時はカラスが持ってくる食べ物を食べていた、と聖書には書かれています。

その信仰が自分にはあるだろうか?
いや他に頼るものばっかりたくさん作って、
神様を本気で頼っていないのではないだろうか?

人、お金、経験、才能・・・。

本当にハングリーになって、
どうにもならなくなって、
祈らないではいられない、という状況は、最近自分にあっただろうか?

そんなことを思わされています。

未亡人になって、
最後の一枚までささげたら、
そりゃ神様しか頼れないですよね。

神様、
あなたが豊かに与えて下さっていることに感謝します。
たくさんの人々。
そう、あんなに一生懸命に奉仕して下さる教会のメンバーに恵まれて、
なんて幸せなんだろうと思います。
お金。
そう、財布の中に、銀行にたくさんではなくても、とにかく「ある」ことに感謝します。
明日の食事、どうしようか、
ではないですから・・・。
健康が与えられて、また働けることを感謝します。
家族を感謝します。

でも、そんなたくさんのものが与えられているなかで、
本当にあなたの前に出て真剣に祈る時、
あなたに必死になって「私を祝福して下さい」と言う時があるでしょうか?

主よ、どうか私があなたに近くなるために
必要な導きを与えて下さい。
それが時には、喜ばしいものではないとしても・・・。

主よ、あなたを信頼することを教えて下さい。

2006-08-16

信じて祈る

このところ、めっきり涼しくなりました。
さすがに12度、13度ということは、何度もありませんが、
朝は20度を切るようになってきました。
朝晩は本当に爽やかです。

秋はもうそこまで来ています。

9月の予想は平年並み、ということで、
いい季節になりそうです。

でも、自分は11日から日本だった!

慌てて日本の予報をチェック。
「平年並みか高め」
結構暑く感じるんだろうなあ。

でも、去年まで3年間、梅雨時に行っていましたから、
今年はカラッとしているだけでも助かるでしょう。きっと。

何で天気予報が好きになったのか?
よくわかりません。

本当に好きになったら、きっと「ここが好き」とか言えないのでしょう。


自分が子供の頃は朝と夕方の6時55分からNHKで天気予報をやっていました。
今みたいなコンピューターグラフィックではなくて、
天気図の前におっさんが立って、
その天気図に磁石(多分そう。確認したことはないけど)の付いた「低気圧マーク」(まるい「低」の時の付いたやつ)や「高気圧マーク」「晴れマーク」「晴れ時々曇りマーク」などをペタッ、ペタッと張っていってました。
うちはカラーテレビが入るのがめっちゃおそかったので、
「低」が赤で、「高」が青であるのを知ったのはずいぶん後です。

そして、子供の頃、うちでは、朝6時半から「朝のお祈り」の時間でした。
そんな時、誰かが長いお祈りをして、6時55分を過ぎたりすると、
泣いたものです。

結婚して間もない頃、
カミさんの話をフンフンと聞きながら、
時間になったから、
「あ、ちょっと待って・・・」と言って、テレビをつけて、天気予報を見ていたら、
さすがに怒られました。ん、呆れられたんだったかな。

今はWeather Channelやインターネットがあるので、
時間を気にしなくなりました。


ちょっと寂しい気もします・・・。


で、聖書。いよいよ今日の分です。
今日はマルコによる福音書11章を読みました。

24節の言葉が心に語られました。

「祈って求めるものはすでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

春からのいろいろな働きがこのファミリーキャンプで一段落するなかで、
会堂のことをまた真剣に祈り、求める時に来ているように思います。
会堂のことを考えると、人間業では何も進まないと思います。
神様が導いてくださって、神様が道を開いてくださることによって、
初めて可能になると思います。

だから、祈って求めようと思います。
神様が与えて下さいますように、
一切の必要を満たして下さいますように。
思いっきり伝道出来るところを与えて下さいますように。
日本語を使う方々のコミュニティーセンターの様な用いられ方をする教会を与えて下さいますように。

主が大きなことをして下さいますように、
そして主を信じて、信頼して歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか私たちに会堂を与えて下さい。
一切の必要を満たして下さい。
どうか、私たちを一つにし、
大胆に伝道出来るように導いて下さい。
あなたが与えて下さることを信じます。

百倍返しの神

昨日のメールの嵐のことを考えると不気味なくらい静かな一日です。
一段落したのでしょうか?嵐の前の静けさでしょうか?
与えられた時に感謝して、進んでいきたいと思います。


JOYJOYキャンプの後遺症に悩む方が増えています。


JOYJOYキャンプに参加した子ども達や、スタッフに多発しています。
まれに子ども達の父兄にも出現することがあります。


スタッフの場合、以下のような症状が特徴です。

1. 仕事の途中、または食事の途中などに、ぼーっとJOYJOY Campのことを思い出してしまう。

2. 気が付くとJOYJOY Campのテーマソングを歌っている(クリックすると音楽が流れます、仕事中の方注意)。「さあ、勇気を出して、ぐるぐる探検隊!」あたりのフレーズが良く出てくる。(症状が重い場合は体が勝手に動くこともあります)


3.仕事をしながら、「何でこんなことをしているのだろうか」と思ってしまう。仕事に対する情熱が失せてしまっていることに気が付く。

4. 学校や仕事に「行きたくない、JOYJOYキャンプに行く」とごねる。家を出ても、運転をしていると自然に教会に向かってしまう。

5.朝起きたら、いつの間にかJOYJOYキャンプTシャツを着ている。

6.トイレットペーパーやキッチンペーパーを使い切っても、「JOYJOYで使うかも・・・」と思って、芯を捨てられない。

7.町を車で走っていて、大きな段ボール箱を見つけると、「迷路に使える!」と止まって車に積みそうになる。

8.互いのことを「カツオ」「しもりん」「隊長」としか呼べなくなっている。どうしても本名を思い出せない。

9.ついつい子ども達を驚かせることを考えている自分に気が付く。


わたしの場合は1,2,6,7,8,9が出てきています。
3と4は、仕事が教会の仕事なので、判別ができません。もしかしたら症状が出ているのかもしれません。
幸い、さすがに、まだ5だけは経験したことがありません。



時間と共に症状は緩和していきます。
でも、まれに、時間と共に症状が強くなる場合もあります。

そのような場合は、神様の導きと信じて、
仕事を辞めて、JOYJOYキャンプのフルタイムのスタッフになるか(今のところ、そのようなポジションはありませんが、そのうちできるかもですね)、
毎月のJOYJOYキッズクラブに来るか、

ですね。

スティーブ・ジョブスが
2005年のスタンフォード大学の卒業式で言った言葉です。

「『もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?』。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。」

聖書の言葉ではありませんが、
神様が与えて下さる使命感、そこに伴う喜び、そのようなことを考えてみると、正しい判断の仕方なのかなあ、と思います。もちろん、私たちにはそこに、「祈り」が入るわけですが・・・。

昨日、8月15日(火)の聖書です。
昨日はマルコによる福音書10章を読みました。

心に留ったところ、夫婦のことを言っている1?12節からも語られたのですが、
それはあまりにパーソナルなことなので、置いておいて、

30節の、「百倍を受ける」という言葉に心が留りました。

私たちが主のために手放したもの、
その100倍を主は与えて下さる、という約束です。
100倍ですか。
すごいです。
でも、もっとすごいんでしょう。
主が与えてくださるものですから。

そして、それはこの時代にも、
この地上の生涯でも与えられるものだといいます。

もっともっと主に期待していいんですね。
私たちは神様に対してもあんまり期待しないことが多いのではないかと思います。
「あなたの口を広く開けよ」と主は言われました。
大胆に、大きな神様に期待したいと思いました。

主よ、
あなたが与えてくださるものがどれほど大きなものかを教えてくださってありがとうございます。
わたしはあなたに大きく期待します。
どうかわたしの大きな口をあなたの恵みで、いっぱいに満たしてください。
あなたの御業を見せてください。
いつもいつも必要を満たしてください。

2006-08-15

水一杯でも

昨日は夜NYから帰ってきたらヘロヘロでした。
ちょうど家を出る直前に、ヒラメを頂いて、
その後どうしたのかなあ、と思って帰ってきたら、
ちゃんと料理になって待っていました。
うまかったです。

いつか自分で釣りたいなあ、と思っています。ヒラメ。
NJの南の方から船が出ているようです。
今までのなかでいちばん「食べられる」釣果は、小アジ数十匹。
今から20年くらい前、
夏の終わりに牧師の訓練学校の休みが数日あって、
伊豆の新島の牧師さんのところに遊びに行った時でした。

島の埠頭に小アジが集まってきていました。
季節的に最高だったみたいです。
おもしろいように釣れました。
その牧師さんの家の子ども達が小学生で、一緒になって、ガンガン釣りました。
食べきれないほどの小アジ。
でも、とてもおいしかった記憶があります。

つい最近の様なつもりなんですが、
今までの人生の真ん中くらいの出来事なんですね。

結婚してからというもの、ろくに釣れたことがありません。
ですから、全然あてにされないです。

サバも行きたいなあ、と思います。あれって、期間が短いんですよね。
知っている方、教えて下さい。

昨日、月曜日、8月14日はマルコによる福音書9章を読みました。
41節のイエスの言葉が心に残りました。
「あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません」

すごいありがたい言葉ですね。
私たちが出会う一人一人に神様の祝福があるということですね。

時々、「イエスを信じることなく、なくなっていったあの祖母は、どうなるのでしょうか?」と質問を受けることがあります。
もちろん、私たちは「イエスの十字架にのみ救いがある」と信じていますし、それを個人的に受け取ることが大切だと信じています。
でも、この言葉を見ると、神さまは、私たちのことを大切にしてくれた人たち、一人一人のことを決して忘れてはおられない、とわかります。
そして、希望を持つことができます。
もちろん、私たちの使命は、今生きている、周りにいる方々に福音を語ることです。
神の愛を語ることです。
そちらの方にもっともっと力を注ぐべきです。
でも、そのために、もう先に行った方々のことを主に御手にゆだねることができるのは、大きな感謝です。

主よ、
あなたがわたしのことを心にかけて下さって、
それだけではなくて、
わたしにとって大切な方々、一人一人のことをも
心にかけて下さっていること、
心から感謝します。
どうか、私たちが今、私たちの周りに与えられている方々に、
あなたの愛を大胆に語っていくことができるように、助けて下さい。

きょうはここまで、明日こそ、追いつきたいと思います。

福音を恥としない

今日こそ、追いつこうと思っていたのですが、
たまっていたファミリーキャンプの仕事をやっていたら、
あっという間に一日が過ぎてしまいました。
340人くらいの方々が集まる予定のこのキャンプ、
ワシントンからボストンまでの日本語教会の合同企画です。

電話しまくり。
受けたのとかけたの合わせて30本以上。
メールも受けたのと出したの合わせて、70本近く。

まあ、直前にならないとやらない人間ですから・・・私。

ここで、またメールが70本を超える・・・。

きゅうり・・・「もう終わり」宣言を何回したでしょうか?
でも、この3日で、13本穫れました。
一本あたり平均が46本まで来ました。
ここまで来たら、3株で150本も夢じゃない。

あと、今日はピーマン5個穫れました。
一人一個ずつ、焼いて食べました。
ピーマンは「洗わないで」「丸まま」焼くのが一番おいしい、と思います。

「洗っちゃダメ」・・・板前さんに聞いた話。

では、日曜日、8月13日の聖書。
マルコによる福音書8章を読みました。
最後の38節の言葉、
「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしの言葉を恥じるような者なら・・・」
という言葉が心に留りました。

イエスの時代も「姦淫と罪の時代」と呼ばれていたのですね。

私たちの時代もそうでしょう。
テレビを見ても、映画を見ても、
「なんだこりゃ」みたいな話があります。
途中までいい番組だと思ってみていても、
そんな場面が出てきたらがっかりです。

そのような時代のなかで、福音を恥としない、
クリスチャンの生き方を恥としない、
そのような堂々とした生き方を主は求めておられると感じました。

イエスが存在をかけて、
命を張って語ってくださり、与えて下さった福音、救い、
それを恥じるわけがない、と思います。

堂々と、福音を語り、
救われた者として、感謝しながら歩んでいきたいと思いました。

そして、特に若い人々に、そのように生きて欲しいと思いました。

主よ、
わたしも福音を恥としません。
自分の姿は恥ずかしくなることがあります。
それでも牧師か、とか、それでもクリスチャンか、という声が、
自分の外からも、自分の中からも聞こえてくるように感じます。
でも、福音は恥になり得ません。
誇りです。
自慢です。
神様が愛して下さったこと、
そのすばらしさ、大きさに感謝します。
どうか、もっともっとそのすばらしさに目が開かれていくように、
導いて下さい。

2006-08-14

パンくずでも・・・

今朝は涼しかったのですが、
昼間は暑くなってきました。
今夜から明日の朝にかけて雷雨かもしれません。

雨雲はただいま(夕方5時頃)オハイオからペンシルベニアに入ったところ。

先週の木曜日の夕方に降っただけですから、ちょっと降って欲しいところです。

何週間ぶりかの「休日」と思ったのですが、
朝からいろんなたまっていた連絡+今晩のNY-VIPの準備のために、
返上です。
でも、昨日までに比べれば、休日みたいなもんです。
6時頃にNYに出発です。

今年初挑戦のトウモロコシ・・・大失敗でした。
全然ダメ。
ちょっと悔しい。

土か日照か?または、飢えたばかりの頃にリスにほじくり返されたからか。

とにかく写真にもできないくらい惨めなヤツが5,6本。
実がならない株もありました。

できたヤツは味は良かったんですがねえ。
いくつかはJOYJOYキャンプのおかげで収穫が延び延びになっていて、
気が付いたら、もう固くなっていました。

来年はちょっとだけ気合いを入れようかと思います。

8月12日、土曜日に読んだのはマルコによる福音書7章。
24節からのところで、イエスが娘を癒やしてくれと言うツロ・フェニキアの女の人に、
「子ども達のパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
と言われた時に、
「でも、小犬でも、子ども達のパンくずを頂きます。」
と答えた言葉が心をとられました。

この女の人はイエスの力の「パンくず」でも、娘は癒やされると信じていた。

ホンのかけらでも、
ほんの少しでも、
食べこぼしのようなものでも、

娘を癒やす力がある、と信じていました。

自分はどうだろうかと思わされました。

自分は本気で神様の大きな力、イエスの大いなる力を信じているだろうかと思いました。

そして、パンくずほどでも、イエスの力が注がれたら、大きな御業がなされる、
それを感謝しました。

そして、私たちに与えられているのは、
イエスご自身、パンくずどころではなくて、
イエスの存在そのものであることを思い出した時に、
感謝が溢れてきました。

主よ、
感謝します。
パンくずほどのものでも、
あなたの力は人を癒やす力があります。
あなたはそれどころではなくて、
あなたの存在すべてを私に与えて下さる方であることを、
心から感謝します。
あなたが私の人生にもっともっと大きなことをして下さいますように。

2006-08-13

羊へのあわれみ

またまた涼しい夜です。
本当に過ごしやすくなりました。
これくらいの気温の日がもう少し続いてくれたら・・・と思います。

明日からもう少し暑くなるようです。

今日はとてもすばらしい日曜日になりました。
JOYJOYキャンプの子ども達も結構来てくれました。
そして、お父さん、お母さん達と一緒にずっと礼拝後まで残ってくれました。
とてもうれしかったです。
どうか、続けて教会に来られる方々が起こされますように。

今日は早く休もうと思ったのですが、
その前にもう一日分追いついておきたくて、
更新。

8月11日(金)にはマルコによる福音書6章を読みました。
その中で、34節の言葉が心に留りました。

「彼らが羊飼いのない羊のようであるのを深く憐れみ・・・」

イエスの憐れみが私にも向けられていることを感じました。

この日に娘が12歳になりました。
神様の守りに感謝。

そして、この日でJOYJOYキャンプが無事に終わりました。
そのことも神様に大感謝。

そして、私も牧師として、教会の方々を牧会することの大切さを思わされました。
主が助けて下さいますように。

神様、
感謝します。
あなたが私たちの羊飼いであって下さって、
私たちを憐れんでくださっていることを。
そして、私も羊飼いの使命をいただいていると思います。
どうかこの働きに忠実であらせてください。

主がどんなに大きなことをしてくださったか

今朝も気がついたら6時前。
まあ、今日は日曜日。
早く目が覚めるのは気持ちがいい。
そしてゆっくり礼拝に備えられる。

今日はJOYJOY Sunday!
たくさん子ども達やご両親が来られるかな?

今朝の最低気温は11.8度。

秋の朝でした。

今夜はずっと北の方では霜が降りるかも・・・だそうです。
去年の8月の末にはあっちの方でテント張って一泊キャンプしたよなあ。

昨日、カミさんが話してくれた話。
金曜日、買い物に行ったら、
若いお姉ちゃんが腕に入れ墨を入れていたと。

最近、多いんですよね、こっち。
それにやたら「漢字」を入れている人がいる。

そして、そのお姉ちゃんの腕に入っていたのが、


「牛」


だったそうで・・・。

日本ではあり得ませんよね。

私が思うに、このお姉ちゃん、次の三つの中の一つでしょう。

1.テキサス出身で 元カウボーイならぬCowgirlだった。代替案「牛少女」

2. シカゴ・ブルズかバッファロー・ビルズか、オリックス・バファローズあたりの熱狂的ファンで、
「漢字でどう書くの?」って友達にきいたら、友達は「牛」という漢字を教えてくれた。
これは、「熱烈応援猛牛」とすべきですね。

3. うし年生まれ。でも、もしそこまで調べるんだったら、もう一歩がんばって「丑」とすべきだったでしょう。

でも、僕らも英語で、きっと同じような滑稽なことをしているのでしょう。


先週の木曜日、8月10日は、マルコによる福音書5章を読みました。
イエスが悪霊につかれていた人を、悪霊から解放した時に、
正気に戻ったその人が、イエスのお供をしたい、と言い出しました。
その時のイエスの言葉が心に留りました。

「家族の元に帰って、主があなたにどんなに大きなことをして下さったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい」

神様が私の人生にどれほど大きなことをして下さったか、
それを思うと本当に感謝が溢れる。
あのまま、やたらプライドの高い、偽善者をしていたかと思うとぞっとする。
その私を主は捕らえて下さった。
そして、主に愛されていることを感謝することを教えられた。

「自分はいい線行っている」と思っていた。
でも、主はそんな私の醜さを教えて下さった。

そして、そんな私をも愛して下さっていることを教えて下さった。

主よ、
感謝します。
あなたがどんなに私を愛して下さっているかをもう一度教えて下さって、
心から感謝します。
あなたの愛を、あなたの救いをもっともっと大胆に、もっともっと多くの方々に、
伝えることができますように。どうかわたしを用いて下さい。出会いを与えて下さい。