2009-02-20

日曜日は雪?



いやあ、ここに来て、日曜日の雪が、
どうなるかわからなくなってきました。
気温が高めだと思うので、
積もらないかもしれませんが、
結構「降りしきる」という時間帯があるかもしれません。


皆さんがちゃんと教会に来られるようにと、
行き帰りも守られますようにと祈らされます。


今日は早速聖書。
ずいぶんBehindになってしまいました。

今日は月曜日に読んだ分の更新。
時間が経つと感じたこと、思わされたこと、
忘れてしまうこともあります。

でも月曜日の伝道の書の7章1-14節では、
いろいろ考えさせられたことがあるので、
よく覚えています。


「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。」2節。

自分は楽しいことの方が好きです。
そして、伝道もいつも「楽しくなければ・・・」と思います。
でも、月曜日の聖書の箇所の中では、
その自分の足りない部分を見せつけられたように思います。

痛みの中にある人、
悲しみの中にある人に、
寄り添っている中で見えてくるもの、
それがもっともっと大切なのではないだろうかと。

それが人としてとても大切なのではないだろうかと。

祈らされました。
悲しみの中にある人に近づいていくことができますようにと。
痛みの中にある人の傍らにたたずむことができますようにと。

主よ、
私の心を守り、
あなたの愛を満たしてください。
あなたが私を愛した愛、
あなたが人々を、軽んじられた人々を愛された愛を、
私にも与えてください。

日進月歩。


今朝は5度くらいあって、暖かかったですが、
夜になってぐっと冷えてきました。
今は夜中の12時頃ですが、-4.4度。

明日の朝はかなり寒くなりそうです。
そして、明日一日氷点下の寒い日でしょう。

週末の雪の予報ですが、
まあうっすらと雪化粧、というところのようです。
一部にはBig Surpriseを期待する向きもありますが、
週末ですから、私的にはまあ、勘弁して欲しいです・・・。

さて、今日はPCの話題ですが、
最近、あちらこちらで評判になっている
「Dropbox」 を使い始めました。

オンラインで2GBもファイルを置いておけるスペースがもらえます。
そして、そこに自動でアクセスして、ファイルを更新したら、
自動でアップデートしてくれる、という優れもののサービスです。

たとえば、家のコンピューターで週報の原稿を打って、
それをDropboxに入れておくと、教会のコンピューターを開く時に、
そのファイルが自動的に教会のコンピューターにあらわれるのです。
そして、教会のコンピューターで中身を書き換えて、
また家に帰ると、家のコンピューターでも書き換えた内容が最新版になって出てくるのです。

説明下手なんですが、これはとっても便利。
昔はフロッピーディスク(といっても私は3.5インチからしか知りませんが・・・)で、
800KBのディスクを持ち運んで、データの交換をしていました。
その後1.4MBのフロッピーが出て、
100MBのZipDiskとかも出て、
CDに焼いたり、DVDに焼いたりしましたが、
最近は普通で2GBとか、大きいのでは64GBまであるUSBメモリーとかに、
入れてデータを持ち歩く、ということもあるでしょう。

でも、これがあると、もうそういう「持ち歩くもの」はいらなくなる。

それもコンピューター1の中にあるファイルと
コンピューター2の中にあるファイルと、
ネット上のファイルと、どれが一番最新版だ?
なんてことは考えなくてもいい。

ちょっと編集前のデータが見たくても、
簡単に引っ張ってこられる。

特にこの10年くらいはものすごいスピードで変わっていますね。

恩恵を受けるのはありがたいことですが、
何か踊らされているのではと不安になったりします。
これがなくても、ちゃんと生きていけるはずなのに、
いつのまにか、「これがなかったら、自分はどうなるんだろう」という風に思ったりします。

大切なことを見失ってしまうことがないようにと、
心から祈らされます。

さて、日曜日の聖書。
伝道者の書6章でした。

「彼が千年の倍も生きても、──しあわせな目に会わなければ──両者とも同じ所に行くのではないか。
」6節。

そうですよねえ。
本当にそう思います。
だから、自分がもしもキリストに出会ってなかったら、
どんな厭世的な歩みをしていただろうかなあと思います。

または、そういうことにはとりあえず目をつむって、
日々に楽しいことを求めて生きていっただろうかと。

神によって、
この世に生かされていることの意味を知って、
この世で与えられた使命を果たして、
主の許に帰っていく、
その幸いを思わされます。

生かされていることの喜びを感じます。

決して無駄じゃない、無益じゃない、
自分の歩み。
失敗ばかり、周りの人に迷惑をかけてばかりですが、
生かされていることが間違いではない、
ということを知っていることはどれほどの力だろうかと思います。

主よ、
感謝します。
あなたがいてくださること、
あなたが私を生かしてくださっていること。
私が生きることがあなたの御思いの中にあることを、
覚えて感謝します。

どうか、あなたの使命に生きることができますように。
明日も、一つ一つの出会いを祝福してくださいますように。

あした、スペシャルゲストが来られます。
楽しみ、楽しみ。

2009-02-18

いのちがけ。

今朝は寒かったです。
といっても-5度くらいですが・・・。


夜、また氷点下に下がってきています。
夜の12時頃で-3度。


明日は午後雪が降るようですが、
夜には雨に変わって、積もることはないようです。


週末にもう一度雪の可能性があります。
そして、次の週末にも・・・。


でも、いずれにせよ、春の雪。
1月の寒さが厳しかったので、
これからは寒くなっても、
「まあ、こんなもんか・・・」です。


昨日、夕方には、航空・宇宙博物館に。
そこでハジは「ライト兄弟」の物理の計算にいたく驚いていたようですが、
私は、子供の頃、わくわくしながら見ていた「アポロ」を一生懸命見ていました。


すごろくみたいな「アポロゲーム」で遊んだ記憶があります。


でも、今見ると、いかにも「ソ連」との覇権争いですよね。
月に「星条旗」立てちゃうんだから。
「ここ、俺たちの領土だよ」みたいな。


でも、飛行士たちは命がけだった。
いま考えると原始的な機材と、技術で宇宙に飛び立っていった。


その時培った技術に、今、どれほどお世話になっているのかは、
よくわかりませんが、
天気予報なんかは特に恩恵を受けているんでしょうね。

先人たちのいのちをかけた働き。
どれだけ恩恵を受けているのでしょうか?


信仰者たちもそうだった時代もありました。
信仰を守ることは命がけだった時代。


忘れないでいたいと思います。


さて、今日2回目。土曜日の聖書。
土曜日は伝道者の書5章8-20節。


「母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない。これも痛ましいことだ。」15-16節。


この間、教会でヨブ記を読んだから、
この落差に驚く。
「裸で来て、裸で帰っていく、主が与え、主が取られる、主の御名はほむべきかな」というヨブの言葉とどれほど違うことでしょうか?

神さまの御手を信じていくことの力、
その主を信頼して歩むことの力を、感じさせられました。

一生懸命働いて、
それにこだわって、それを握りしめていたら、
それを持っていけないことがわかった時に、
どんなに痛ましい思いがするのか、

最初から、預けられているもの、
まかされたもの、
いつかはお返しするものとして、
持っていることの大切さを思わされます。

主がまかせてくださったものだから、
大切にして、大切にして、
感謝してお返しする、
そのような思いを持っていきたいと思います。

主よ、
あなたが、私に任せてくださっている、
多くものに感謝します。
あなたが、私に任せてくださっている、
多くの人々の存在に感謝します。
大切にすることを教えてください。

2009-02-17

知っていました?


17日の朝です。
末娘のたっての希望で実現したショットガン式のワシントン訪問。
でも、今回、私自身いろんなことを考えさせられました。


思っていたよりも、ただの「記念館」というよりも、
リンカーンの巨像の前に花が手向けられているなど、宗教色の強い「記念堂」だったことは意外でしたが、「アメリカの宗教はキリスト教ではなくて”Civil Religion”だ」と言われるのがわかるような気がしました。
でも、厳粛な思いにされる場でした。


何よりも、彼の演説や一つ一つの言葉にあふれ出てくる、
人々に対する献身の姿勢に心を打たれました。
大統領の働きに使命を感じて、人々にとって、国にとって何が大切なのかを
いつもいつも見据えていた姿を見させられて、
自分自身の使命と献身についても考えさせられました。


でも、それと共に、
アメリカがどうして南北戦争を遂行したのか、
特に北側がどうして戦争をしたのか、
考えさせられました。


「奴隷解放」
「国の統一」


この二つの大きな理由があるのだと思いますが
(あ、勉強していないので、ここから間違っているかもしれません、でも、リンカーン記念堂に書かれていることはそういう大義名分を思わせるものでした)
どちらも、戦争をしてまで守るべきなものなのでしょうか?
もちろん、一人の人間の尊厳を奪ってしまう奴隷制が容認されるべきではありません。


でも、


正義のための戦争、
一致のための戦争、


どちらも「自己矛盾」ではないだろうか、そんな気持ちになります。

命をかけてでも守る、というものがあるのはわかります。
でも、その一方で、敵の命を奪ってでも守るものがある、
というのは考え込んでしまいます。
強盗が入った時はそうかもしれません。
誰かの命が危機に瀕している時はそうなのでしょう。
でも、そのほかの時はどうなんだろうか・・・。
でも、この国は、国の独立を勝ち取った時から、
それを肯定してきたんですよね。
この国で生きることについて、いろいろ考えさせられました。


で、知ってました?


このリンカーン記念堂、
ペニー(1セント玉)の裏面(どっちが表か知りませんが・・・)に、
刻印されています。


こんな感じ。




で、よーく見ると、
真ん中にリンカーンがいます。


ほら。


知ってました?
ちなみに我が家は5人とも知りませんでした。


さて、ずっと遡って、金曜日の聖書。
ちょっとたまってしまいました。
あとで、まとめて更新しますが、
とりあえず1日分。

金曜日は伝道者の書5章1-7節。
「神の前では、軽々しく、心あせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。」2節。

これは本当に大切なことだと思いました。
主を畏れて、主の前にひざまずいて、
主の答えを待ち望むことの大切さを思いました。

自分はどうだろうか?
自分は本当に主の前にひざまずいているだろうか。
主に聞くことに熱心だろうか?

人に対しても、神に対しても、
軽々しく言葉を発していることが多くないだろうか?

聞くことに心と時間を使う、
特に神さまに聞いていく、神さまに従っていく、
そのことに心を時間を使って行こうと思わされました。

主よ、
あなたの声を聞かせてください。
あなたが主であり、私はあなたに従う者であることを、
忘れないように、守り、導いてください。

2009-02-16

Presidents Dayだからね。

月曜日の未明。
Columbia, MDで書いています。
 
日曜日、全部終わった後、7時半頃出発。
2時間くらい、NJ州内をハジが運転して、
そのあと、州外に出る直前に交代したんですが、
 
宿まであと10分のところで、ポリスに止められました。
 
はい、お約束のあれで・・・。
 
でも、丁寧に、Politeに「Yes, Sir」で対応していたら、
警告だけで見逃してくださいました。
 
ずっと65マイル道路だったところから、
55マイル道路に変わったところだったので、
注意しなさい、ということだったんでしょう。
 
でも、時々警告必要ですね。
 
気をつけます。
 
で、今回はPresident Dayということで、
うちのオバマニアのたっての希望で、
オバマくんを励ましに行ってきます。
 
今日の夜までにはまたNJに戻り、
大人は平常の生活、子供たちは1週間のお休みです。
 
今日、早く目が覚めてしまって手持ち無沙汰だったら、
更新しますが、そうじゃなければ、深夜か火曜日に。