2010-08-07

Buy One and Give One Free!

今日も夕方まで結構暑かったですね。
夜になってぐっと涼しくなってきました。
明日の朝は12-3度まで下がる予報です。


明日は晴れて「ゴージャス」な天気になりそうです。


JOYJOYキャンプ準備日和ってか?


今日はWillow Creek Global Leadership Summitの2日目。
いろいろな方々の講演があって消化整理ができない感じなんですが、
(正直なところ、講師の数を絞って、もうちょっとシステマティックな学びをさせて欲しい・・・)
その中で本当に楽しく、また印象に残っているのが、
Toms Shoesの創立者の話。


この会社は靴を売っているんだけど、
一つ買うと、一つ靴が買えない子供たちにドネーションする。


彼自身、以前、その会社の靴を買ってドネーションをするnon-profitの団体を持っていたそうだけど、すぐお金がなくなって、寄付を集めなければいけなくなった。それに疑問を感じて、始めたのがこのシステム。あっという間にnon-profitの時の何倍もドネーションできるようになった。


ある日、空港で、TOMSの靴を履いている女の子を見つけた。
彼は自分の作った靴を履いている人を見つけたのはその時が初めてだったそうだ。
彼はその子に声をかけた。「いい靴履いているね」
その子は答えた「TOMSのだよ!」
その子は彼の肩をつかんでこう言ったそうだ。
「すごいの、この会社。私が一つ靴を買うと、一つ、靴が買えない子にプレゼントされるのよ」
彼女は本当にエキサイトしていた。
そこで、彼はホントのことを言う。
「その会社を作ったのは僕だよ」と。
彼女は目をまん丸にして、彼を見つめてこう言ったそうだ。
「いつ髪の毛を切ったの?」
彼女はこのようなビデオをYoutubeとかで見ていたんだろうという。







彼は思ったそうだ。
「こんなにエキサイトしてうちの会社のことを宣伝してくれるって、なんてすごいことだろうか!」と。


満足した顧客が一番の宣伝になるということがよく言われる。その満足が「与える」ことによって得られるとすればそれは素敵なことだと思う。


この会社は、「一日靴を履かない日」というのを作っているそうだ。4月8日。来年はチャレンジしてみようかな。


大学で南北問題とか、途上国問題とか、ゼミで学んでいたので、単純にこういう事に「そうだ!」といえない自分がいるけれども、でも、話を聞いていて、なんだか難しいことを抜きにして、ちょっとやってみたい気持ちになっている。


さて、今日の聖書。
今日からレビ記ですよ。レビ記・・・。
難しいところですが、だからこそ、主の恵みの深みを知らせていただけるのでは・・・と楽しみにしてもいます。


今日は1章。


「さらに、その翼を引き裂きなさい。それを切り離してはならない。」17節。

ちょっと残酷なような、血生臭いような感じがします。

ここを読んでいて、ちょっと前に、以前NJの教会におられて、
今は日本で自然の中にログハウスを自分で建てて、
いろいろなことに挑戦しておられるご夫妻の書いておられることを思いました。

NYのお嬢さんがちょうど行っているんですよね。

そのご主人がニワトリを絞めて召し上がられた時の話。

「いのちを頂く」ことを実感したというご主人の言葉。
ほんとにそうですよね。
私たちの食卓に上る肉はみんないのちをいただいている。

でも、私たちはそれを屠殺する場面を私たちの目から見えないところに離して、
本当のことを視野に入れないようにしている。

「いのちをいただく」事の意味が軽くなってしまっている。

でも、同じことがこの捧げ物にも言えるのではないだろうかと。
今は私たちはイエスが十字架にかかってくださったがゆえに、
いのちを捧げる必要はない。
でも、本当はその生命が身代わりになっている、ということを忘れてはいけないんだと思う。

イエスが私たちのために命を与えてくださったことを、
視野に入れないように、
その残酷さを視野に入れないように、
そんなことをしてはいけないんだと思う。
その重みを忘れないでいたいと思う。

この「焼き尽くすいけにえ」は献身を象徴している。

私たちの献身も痛みが見えなくなっている。
痛みがなくてもいいかのようになってきている。
献身の象徴である献金も、まるで税金を収めるかのように自動的にささげ、
無理はしない程度に、痛みを感じない程度に捧げてしまっていないだろうか。

主よ、
私たちが、イエス様の痛みから目を話すことがありませんように。
視野の外において、気がつかなくなってしまうようなことがありませんように。
忘れてしまうことがありませんように。
無感動になってしまうことがありませんように。


2010-08-06

何にも代えがたいもの。

昨日は暑かったです。
今日の朝、まだ蒸し暑いです。
今、朝の8時前ですが、25度あります。
今日、温度は30度以上にあがりますが、だんだん湿度が下がって、
明日の朝にはゴージャスな天気になっているそうです。


昨日、Willow Creek Global Leadership Summitのサテライト会場が近くにあるので、
行ってきました。


たくさんたくさん、触れたいことがあるのですが、
一番印象に残ったのがフットボールの名コーチTony Dungy。
Tony Dungyと言えば、「自タイ」と一緒に写真に写ったことで日本のクリスチャンの間でも一躍有名になったお方ですよね。


本当に紳士ですよねえ。
彼がコーチをしていくところ、
チームの雰囲気や文化が変わっていく、という話、わかります。


2007年のスーパーボウルの前の晩、
チームのメンバーを集めて、こう言ったそうです。
「明日、僕たちが勝ったら、みんなはチヤホヤするだろう。そして、負けたら、それまでだ。でも、『全世界を手に入れても、自分の命を損したらなんの得になろうか』と聖書には書かれている・・・」と。何事にも代えがたいものを選手たちにも知って欲しかったそうです。


彼は、これからはコーチの仕事に戻るよりも、もっと若い世代(中高生や子供たち)のための働きのために興味があるそうです。


今日もこれから行ってきます。
どんなチャレンジを神様からいただけるか、楽しみ!


さて、昨日の聖書。
昨日はローマ人への手紙の最後のところ。16章17−27節でした。


「そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。」18節。

自分は何に仕えているだろうか?
自分の欲に仕えてはいないだろうか?

また、そのような人を見極めることができるだろうか?
この人は主に仕えているのではなくて、自分の欲に仕えている・・・と。

純朴な人々がだまされないように、
自分がどう思われようとも、砦となって働く者でありたいし、
自分もまたそのような事になってしまわないように、
自分の欲に仕えてしまうことがないように、
主に真実に仕えることをもっと経験させていただきたい。

主よ、
私は自分の欲に仕えていないでしょうか?
自分はあなたに仕えているでしょうか?
真実な歩みをする者とならせてください。
本当にあなたに使える者とならせてください。

2010-08-05

ホントの自分?

昨日、実に久しぶりにあることをした。

ずっと気にしていなかったのだけれど、最近、サキの先生やキャンプのスタッフに、「グランパが来たよ」と言われることが続いたので。

初めてやった時は、ホントの自分に戻ったような気がしたものだ。今回もそんな気がするだろうな、と思って楽しみにして、鏡を見たら、なんか自分じゃないみたい。いつの間にかごま塩あたまの自分を受け入れていたのかもしれないですね。

でも、まだ、グランパはごめんだから、もう少しあらがってみようかな。

さて、今日の聖書。
ローマ16章1-16節。

「あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。」6節。

12節にもあります。「労苦」という言葉。

とにかく、伝道も教会も楽しくなければいけないと思ってきているのですが、労苦もあるんですよね。というか、労苦も大切なホンモノの要素なんでしょうね。

労苦も厭わない、労苦の中でも大切なものを見逃さない、それがホンモノのなんでしょうね。

主よ、
私が労苦から逃げないように導いてください。
労苦の中でしか会えないあなたの恵みを教えてください。


2010-08-02

今朝のQuality Time。

月曜日の夕方ですが、
今日は雨が降る、と言っていましたが、
全然大丈夫でしたね。
(この表現、NHKの「みんなでニホンGO!」で、昔の文豪とかも使っていたと、「全然OK」となっていましたが、私的には[わっ、これも昔はなかった・・・]うれしかったですね。言葉は時代でどんどん変わりますからねえ。「これが正しい日本語です」みたいなことを平気でキッパリ言う人の方がちょっとコワイ。でも、私も言葉を使う仕事をしていますから、人を不快にさせないで意味が伝わる言葉を使うことは大切だな、と思います。これについては、NHKのサイトの「ご意見一覧」にいろんな方の意見が出ていて、おもしろい。個人的には「大丈夫?」「ううん、全然だいじょばない」に市民権が与えられる日を待ち望んでおります・・・。お? いやいやまだまだ・・・


で、長いカッコでしたが、本題に戻ると、明日からはちょっと蒸し暑くなるみたいです。


さて、今朝の神様とのQuality Timeですが、
教会の外で持ちました。


なんでって、この時期、6時頃の空がとっても綺麗ですから。
昨日の朝なんて最高でした。


今朝も綺麗だったので、ずっとやりたいと思っていた
iPhoneアプリのiTimelapseで45分間を35秒のビデオに。
このアプリ、最近updateされていなくて、iOS4ではうまく働かない部分もあるのですが、でも、全然ダメではありません。


その45分間、神様に祈りながら、雲の動きをずっと見ながら、
空の色が変わっていくのを見ながら、過ごしていました。





電線とか入ってしまって構図としてはもう一回チャレンジしたい感じなんですが、
あとで見てみて、その時には気がつかなかったことが2つありました。


一つは低い雲と高い雲が全く違う方向に流されていること。
地表の風と、低層の風、そして、高層の風の向きが違うことがあることは知っていましたが、
ここまで見事に違うとはあまり分かっていませんでした。
それぞれの高さにできる雲が違う種類の雲で、
そして、綺麗に違う方向に流れていくんですね。


もうひとつは、考えて見れば当たり前なんですが、
「飛行機雲も他の雲と一緒に流れていく」ということ。


ああ、雲を見ていると飽きないですよ〜。


今度、バードウォッチングならぬ、クラウドウォッチングのサークルを作ろうかなあ。
と思ったら・・・。


あった。


The Cloud Appreciation Society


2万人以上が参加しているそうで・・・。


さて、昨日〜今日の聖書。
ローマ15章でした。


「私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。」10節。

このパウロの強烈な使命感。
これから、自分はどのように歩んでいくのだろうかと
祈っている最中ですから、
このパウロのような思いを与えていただきたいと思いました。

そして、このパウロの使命は、
大きな教会を作ろうとか、
たくさんの人に福音を伝えよう、
というレベルではなくて、

「聖なるものとされた神に受け入れられる供え物」として、
一人ひとりを育てていくことでした。
導いていくことでした。

私もそのような働きをさせていただきたいです。

ただ人が集まるのではなくて、
「聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物」として、
一人ひとりが整えられていくような働きをさせていただきたいと思います。

主よ、
私を用いてください。
パウロのような強烈な使命感の中で、
一人ひとりをあなたへのささげものとして、
ささげていく働きをさせてください。

Quality Time

Gary Chapmanという人が、Five Love Languageという本の中で、人には愛の表し方、愛を感じるポイントがそれぞれあって、それは大きく5つに分けられると言っていますね。3年くらい前に日本語にも翻訳されました(NJの友人が訳されました。8月22日には、訳した方のご主人がJCCNJでメッセージをしてくださいます)。


その5つはこんなです。


肯定的なことば(words of affirmation)
一緒に時間を過ごすこと(quality time)
贈り物(receiving gifts)
助けてくれること(acts of service)
スキンシップ(physical touch)


自分のlove languageが、愛を表したい相手のlove languageとずれていたら、どんなに一生懸命やっても、まるで知らない外国語でコミュニケーションを取っているように、伝わらなくて、「こんなにやっているのに・・・」「こんなに愛しているのに・・・」というよく聞くセリフが出てくる事になるというんですね。


なるほど・・・と思います。


で、自分のlove languageは絶対quality time・・・。


何でもいいんですよね、一緒に時間を過ごすこと。
で、今朝気がついたんですよ。
昨日のJOYJOYキャンプのためのミーティングも気がついたら8時半になっていて、でも、自分的には、全然苦じゃないんですよね。それどころか、ミーティングが終わった後も、なんだか名残り惜しくて、いろいろ雑談していたい・・・。みなさん、月曜日からのお仕事もあるし、ご家族も待っておられるし・・・なんで、慌てて帰られたのですが、なんだか、自分的にはちょっと物足りない感もあったりしていました。


ハハハ、これは自分のlove languageにハマってしまっているんだなあと。
そして、自分の身の回りで起きる「どうしてもミーティングが長くなってしまう現象」は自分の議事の整理の仕方や、決断力の問題だけじゃなくて、このlove languageの問題もあるんだなあと分かってしまったんですね。


なーんだ、そうだったんだ!と。


でも、Chapmanの言いたいことは、自分のlove languageを知ること、それを伝えることも大切だけれども、それよりも大切なのは、相手のlove languageを知ること、だったはず。周りの皆さんの中では、違うところで愛を感じる方もおられるわけで、長ーいミーティングやその後の雑談なんかはストレス以外の何ものでもない、という方もおられるかもしれないわけで、その違いを知ろうとする姿勢がほんとうに大切なんですよね。


ま、そんなことで、今朝も、神様とのQuality Timeを楽しんできました。


でも、それはまた取っておいて、先週後半の聖書から・・・。
先週後半、更新できないでいた頃、ローマ13−14章を読んでいました。


「すべてのひざは、わたしの前にひざまずき・・・」14章11節。

昨日は礼拝で子供と大人と両方いっぺんのメッセージ。
エルサレム会議、と呼ばれる、最初の教会内での大切な教義についての話し合いのところ。
その時も感じたのですが、教会って、一緒に神様の前に跪く、という感覚ってとても大切だと思う。意見が違って、考え方が違う、生活習慣が違い、大切だと思うポイントも違う。そんな者たちが一緒に集まっているんだけれども、そこに一致をもたらすのは、「話し合い」ではなくて、その中で、主の前にひざまずく姿勢。誰かが偉くなってしまったり、自分の意見が通らなくなるといじける人のために周りが動かされたり、声の大きな人の言うことに振り回されたりするのではなく、主の前にひざまずく姿勢。それも一緒に頭を垂れる姿勢。

14章では生活習慣の違いや、意見の違いが教会の中の問題になっている中で、この言葉が語られているのです。

主の前にへりくだって歩む者となることができますように。

主よ、
あなたの前にひざまずき、あなたの前に頭を垂れて、
あなたに従って行く者でありますように。

2010-08-01

もうひとつのひととき。

空は青いとはかぎらない。
雲は白いとはかぎらない。
葉っぱは緑だとはかぎらない。

勘違いしていたみたい。

そう感じた朝だった。


- Posted using BlogPress from my iPhone