2011-09-03

主の栄光だけを。

台風はやはり四国に上陸となりました。
でも、先日のこちらのハリケーンと同じで、
中心から遠いところでも、大雨が降っています。


「中心がどこに行くか」というのは本当に大切な情報なんですが、
「遠く離れているから大丈夫」じゃないんです。
台風の東側では南風が吹くので、
温かい湿った空気が入って、
大雨になり易いです。


お気をつけ下さい。


今日メキシコでTropical Stormになった「Lee」くんも、
北側、東側で大雨が降っています。
で、先日は「干ばつに見舞われている地域に恵みの雨か」とも思ったのですが、
雨の範囲は西に広がらず、一番干ばつのひどいテキサスには降らなさそうです。


それだけではなく、その湿った空気の一部が、
もう雨はしばらくいらないこの北東部にまで流れて来そうです。
そして、東海上からは、「Katia」ちゃんも、接近/上陸する可能性も出て来ました。
それはホントに悲惨なことになりますので、避けてほしいものです。


さて、ちょっと息抜き。


ウチの女の子たちはホントに動物好き。
先日のハリケーン一過の月曜日も、
停電の中、ウチにいてもしょうがないし、
親子そろって休日なのは、学校の始まる前日で急がしい9/5を除けば、しばらくないかな、ということで、遊びに行こうという話になりました。


私は子供の時に「潮干狩り」に連れて行ってもらってから、
「〜狩り」が結構お気に入りで、行きたいのですが、
イチゴとかモモとかリンゴとかナシとかはアレルギーがあるのでダメ。
ぶどう狩りはこちらにはあまりないので、
「そうだ、シーズン最後のブルーベリー狩りだ」と提案したのですが、


シーン。


ということで、場を盛り上げようと、
年間パスを買った「Bronx Zoo」に行こう!と言ったら、
二人とも「行く行く」だって。


実際行ってみたら、月曜まではハリケーンの影響で休園だったんですけどね。
おまけに、ブルーベリー農園までの道も通行止めだったんですけどね。
結局電気のつかないウチでゆっくりしているのが正解だったみたいです。


ま、そんな子供たち、


アトランタではやっぱりパンダです。


ここは上野みたいな人だかりはできません。
(自分が子供のとき、カンカンとランランを初めて見たとき、ホントに遠くの方で黙々と笹を食べているのをちらっと見ただけでした。すごい人の波で、立ち止まることも許されませんでした)
新学期が始まった8月半ば、ホントにお客さんもいないです。
ぽつぽつ人がやってくる程度で、ほとんど「独り占め」状態です。


2年前に行ったのですが、
それで気に入って、今年も「行く行く」とういので、
行って来ました。


その時のビデオ。
上手にサトウキビの皮をむいて、食べていたのですが、






はい、パンダのLun Lun(メス)と目が合いました。
そしたら、舌をペロリ。
それがおかしくて、笑っていたら、目の前に歩いて来て、
踏ん張るじゃないですか。怒ってたのかな。


パンダのウンコ風景、初めて見ました。ハイ。


ま、それだけなんですがね。


で、気を取り直して、
最近の「日々のみことば」から。


一昨日までの数日間、使徒行伝の7章、ステパノの説教と殉教のところを読みました。


「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っているイエスとを見て・・・」55節。


ステパノの説教でその場で悔い改める人はいませんでした。
それどころか、人々の反発を買いました。
はらわたが煮えくり返っていたといいます。

そして、ステパノが神の栄光を見て、神の右に立っておられるイエスを見て、
そのことを口に出したら、人々は怒りに満ちて、彼に石を投げつけたのです。

ステパノの態度、言葉は、人に配慮するものではありませんでした。
人を理解して、導いて行くものではありませんでした。

ただただ、主の語らせることを語り、
主を見上げていました。

それが彼を死に追いやりました。

彼は悔い改めた人を見ることはできませんでした。
人の人生が変えられて行くのを見ることはできませんでした。

でも、よかったのです。
彼はただ、主の栄光を見ていたのです。

そして、その姿を見ていたサウロが、必死になって迫害に乗り出したのは、
まるで自分が今まで大切にして来たものが、
このステパノが持っている信仰によって、崩されてしまうのではないかという不安を打ち消すためであったかのようです。

そして、彼は最後はイエスに出会い、悔い改め、福音を伝える者となり、たくさんの人々が彼の働きを通して救われました。

ステパノはそれを自分の目で見ることはできませんでした。

私たちが神様に従う時に、
必ずしも、自分が生きている間にその結果を見ることができないかもしれない、
そのことを覚悟していることの大切さを思わされました。

目先の結果に一喜一憂し易い私たちです。
本当に主の導きに従い、ただ主を見上げて歩ませていただきたいです。

主よ、
あなたの導きを見せてください。
人の反応や、目先の結果で物事を判断してしまうことがありませんように。
ただ、あなたの導かれること、あなたの命じられることをさせてください。

2011-08-31

祈りとみことばの奉仕

今日もいい天気でした。
本当に助かります。
あの大雨の後、天気が悪いと本当につらいですが、
いい天気が続いてくれるのが救いです。


洪水が起こっているところはそれでも、
金曜日とか、土曜日にならないと・・・という報道がなされています。
最低、来週の前半くらいまでは、この天気が続いてくれるといいのですが。


そして、今、人々の目は、
大西洋に新しくできたハリケーン「Katia」(カティアかな、アメリカ人も迷うみたいです)移っています。
でも、ホントに心配なのは、メキシコ湾です。
ここに「Lee」がこの週末に発生します。
そして、メキシコ湾をウロウロします。


ここにには油田がたくさんあって、精製所もたくさんあって、
ハリケーンがここに来ると、ガソリンが高騰します。
カトリーナの時には、本当にびっくりするくらいガソリンが高くなりました。
1ガロン2ドル代前半から3ドル台にジャンプしたんじゃなかったかと思います。
今は3ドル半くらいですから、ジャンプすると5ドルくらいに行っちゃうんでしょうか。


そして、そのLeeからの湿った空気が北上して、
こちらに大雨を降らせる恐れがあります。


なんとかそれて欲しいものです。
テキサスの方は干ばつで大変なので、
なんとか、そちらの方にたくさん雨を降らして欲しいものです。


さて、最近の聖書から、
8月28日日曜日は使徒行伝6:1-15を読みました。


「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」4節。

「祈りと御言葉の奉仕」に集中することの大切さを思わされるこの聖書箇所ですが、
今まで、ちゃんと読んでいなかったのですが、
「祈りとみことばの奉仕」の「みことば」って何だろうなあ、
御言葉を読んだり学んだりすることだと思われているけど、
語ることなのかなあ、とか、いろいろ考えさせられて、
原語では「ロゴス」かなあ、と思わされて、ギリシャ語を読んでみた。

そしたら、やっぱり「ロゴス」。
「神のことば」なんだろうな、と思いました。

でも、それ以上の発見。

「祈りと御言葉」の奉仕、だとばっかり思っていたのですが、
そうではなくて、
祈り、と「御言葉の奉仕」なんですね。

「祈り」が一つの働きで、それに対応するように、
「御言葉の奉仕」がある。

この御言葉に仕え、この御言葉を味わい、そして、生き、伝えて行く。
その使命をいただいたことの重さを感じさせられました。

神様、
私が、本当に御言葉に仕える働きをする事ができますように。
御言葉に聞き、味わい、そこに生きることができますように。
それをことばにして伝える時に、
あなたのみことばが一人一人の心に届くように、
私が本当にあなたの御言葉に仕える者でありますように。

2011-08-30

準備ができるということ。

昨日、今日と、すごくいい天気が続いています。
湿度も低く、雨がたくさん降ったあと、
家の中の乾燥にも、地面の乾燥にもありがたい天気です。
もうしばらくこのいい天気が続きそうです。

でも、まだまだあふれている川があるとのこと、
ウチの近所の川は日曜日の昼間が一番水位が高く、
夕方には1mくらい引いていましたが、
それらの川が集まるもっと大きな川は、水位が上がるのに時間がかかって、
今、最高水位を記録しているようです。

被害に遭われた方々に慰めと支えがありますように。

電気もインターネットも回復して、
やっと落ち着いて更新できます。

ずっと、このハリケーンを経験している中で、
「ハリケーンが来るぞ」と準備をする事ができる幸いを感じていました。
水を汲んで、懐中電灯や携帯ラジオをわかるところに集めて、
携帯にいっぱい充電して、バスタブに水を溜めて、
もちろん、停電になるとそれなりのストレスはあるのですが、
何が起こっているかもわかりますし、
ある程度の対応もできます。

水があふれそうな川の近くには近づかないように、と思います。

木の下には車は停めないようにと思います。
暑い日には日陰のできる木の下が人気ですが、
こんな天気の時は木の下に停めないのが鉄則です。

そうやって準備ができます。
テレビがつかなくても、大体の状況はわかります。

それがどれほどありがたかったことか、
嵐の中で、のんちと何度も「準備ができるって恵まれているよね」と、語り合っていました。
あの震災の中で、皆さんはどんなに不安で、怖かっただろうかと思います。

情報も錯綜する中で、何を信じたらいいのか、と思われただろうと思います。

情報が与えれている中で、
準備をしっかりすること、
その大切さを思わされます。

さて、「日々のみことば」も分かち合いたいのですが、
ちょっと限界になったみたいなので、また今度。
おやすみなさい。

2011-08-29

停電中。

昨日は、インターネット接続が落ちていたのですが、
その後、夕方6時半頃復旧して、喜んだのもつかの間。
7時頃に停電して、そのまま24時間が過ぎました。

教会にくればすべて動いているのでいいのですが、
とりあえず、今夜はそろそろ帰って、休もうと思っています。

・・・と書いて、帰る前(10時半頃)に、一応確認、と思って誰もいない自宅に電話をしたら、呼び出し音が鳴っている!これは電気が戻った証拠。
ということで、また帰ってから書きます・・・。

・・・と言いながら、帰ってみたら、電気も戻っていて、感謝して喜んだのですが、30分もしないうちに、今度はケーブルが落ちてしまい、「TV+ネット+電話」の三点セットがダメになってしまいました。疲れ果てて、すぐに寝ました。

30日の朝ですが、無事にすべてが復旧しています。
でも、まだまだ復旧に時間がかかるところもあるようです。

復旧のために尽力されている方々に感謝。
まだまだ復旧に時間がかかりそうで、途方にくれておられる方々のために祈ります。

2011-08-28

信仰によって。

ハリケーンは衰弱しながら通過して行きました。
でも、我が家の気圧計でも950mbくらいを記録していたので、
中心気圧だけを見ると、それほど弱くなっていなかったのでは、と思います。
でも、風はそれほど強くありませんでした。


雨は夜ずっと強く降っていたようです。
近くの川はあふれていました。
我が家から教会までまっすぐいける道路は冠水。


我が家のケーブルテレビが落ちて、
同じ会社のサービスである電話とインターネットもダウン。
朝は携帯はつながっていたのですが、
9時半頃にはつながらなくなってしまいました。


なので、情報はラジオだけ。


でも、「おとなしくしていればこのまま過ぎ去るだろう」というところまで来ていたので、ブランチを食べて、10時半頃から、家族で礼拝。


新約聖書のヘブル人への手紙の11章1−16節を読みました。
信仰って何だろう、と思わされるところです。


「信じて従うこと」それに尽きるのかな。
そして「信頼すること」。
だから信仰は気持ちの問題じゃなくて、決断の問題であり、行動することだろうな、と思う。いろんな考えがあるだろうけれども、少なくとも、この聖書の箇所はそう言っている。


ノアのことをずっと思いながら一週間を過ごしていた。
どんなに「ばかげたこと」と言われただろうか?
でも、ノアは神に従って、箱船を造った。
そして、ノアは準備ができていたので、助かった。


今回のハリケーンのことで、「そこまで準備をしなければいけないのか?」とか「避難しなければいけないのか?」とか思った人々もいただろう。
でも、NYCの市長、NJ州の知事を初め、多くのリーダーたちが本当に決然とした態度で「甘く見るな」と言い続けた。


昨日も、テレビを見ていたら、「避難命令」が出ているのに、逃げようとしない人がインタビューに答えていた。「月曜日7時にはオフィスを開けるから」。ウォール街の金融関係者だ。ノアの時にもそんな感じだったと思う。


イエスも「準備をしていなさい」と世の終わりのことを話される時に、ノアの話をされた。「人々はそんなことは起こるはずがない」と思っていた。でも、その日が来た。


同じように、私たちが「神様に会う準備」をする事はどれほど大切なことだろうかと思う。それは、今日かもしれないし、明日かもしれないし、1週間後、1年後、10年後、20年後、50年後かもしれない。


だから、いつでも大丈夫なように準備をしていることだ。
それはノアにとっては箱船であったわけだが、
私たちとってはイエス・キリストの十字架。
私たちの罪の身代わりとして死んでくださったイエスこそ、私たちの救いだ。


そして、16節の「神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。」という言葉に心動かされました。


二人の娘たちを自分がどれほど誇りに思っているか(あ、息子もなんですが、ヤツは目の前にいなかったので)、でも、それを遥かに超えて、私たちを誇りに思ってくださっていると思うと、本当にうれしかったです。


今日の礼拝、みなさんと共に守ることができないのが本当に残念で、晴れ間が出て来た昼前には「大丈夫だったら、集まれる人だけでも・・・」と思わされるくらいで、「どなたかが来られても大丈夫なように」と、昼過ぎから教会に来ていますが、来る途中で、川の水があふれて通行止めになっていた道もあったし、倒れていた木もあったし、ちょうど礼拝の始まるくらいの時間から風が強くなって来て、今、2時半頃ですが、何度か「あ、停電するかも・・・」という「ブチ、ブチ」というのも起こっています。ですから、正しい判断だったんですね。


教会の皆さんのそれぞれの礼拝が祝福されますように。
そして、皆さんの一週間の歩みが守られますように。