2007-05-26

満ち足りる心

今日も暑い日でした。
でも、昨日のように34度までは行かなかったようです。
30度くらい。

明日も暑くなるようです。
でも一時雨もあるかも知れないようです。
補習校の運動会もある日なので、
まあ、晴れて欲しいですが、
あまり暑いのも大変だろうということで、
ほどほどであって欲しいものです。

Google Calenderを使ってみています。
なんだか、いろんな情報がGoogleに集まっていくのはどうなんだろうかと思いますが、
まあ、大丈夫でしょう。

左側のサイドバーの「予定表」からジャンプできます。
教会の集会の予定はPublic扱い。
他の個人的にいろんな方にお会いするのは、
Private扱いです。ただ「Busy」と出ます。

さてさて、
今日の聖書。
今日は詩篇の63篇を読みました。

「私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、
 私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。」
5節の言葉です。

満ち足りる心、
それをこの詩人は脂肪と髄とに満ち足りる、という言葉を使っています。
栄養たっぷり、エネルギーの源になるようなもので満たしてくださるというのです。

このところ、私の心はそのような栄養で満たされているだろうかと、
振り返りました。
そして、とにかく、そのような満たしに与りたいと思いました。
私の魂の奥深いところまで、
誰か人との関係で満たされていくことではなくて、
主ご自身との関係の中で、
満たされていきたいと思いました。

満たして頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、私を満たしてください。
私の魂をあなたの恵みと命で満たしてください。
そして、あなたの与えてくださる喜びであふれさせてください。
満たされた喜びがあふれて、周りの人々にも力となっていきますように。


2007-05-25

心を注ぎ出す

今日はまた暑かったですねえ。
34度まで行きました。
でも湿度は日本のことを考えるとめちゃくちゃ低い20パーセント台。
Wild Fireとかも起きているくらいです。

明日もまた暑い一日のようです。

ここで、今年のJOYJOYキャンプ受付状況。
今日までに申込書をいただいたのが39名。
定員まであと11名です。
あと、一週間ですが、やっぱりちょっと超えるでしょうか・・・。

明日は4周年のマツイ記念日です。
ちょっと時間のある時に、当時の写真とかビデオとか掘り出してみます。
日本の親父は写真を掲載しているスポーツ新聞を見つけ、
新聞社にかけあって、その写真を焼き増ししてもらったそうな・・・。

ではでは、今日の聖書。
今日は詩篇の62篇でした。

「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。」
8節の言葉です。

心を注ぎ出す。
どんな感じなのでしょうか?
心にあることを、すべて主の前に出していく。
自分の存在のすべて。
自分で認めたくないところ、
自分でもう乗り越えたと思っているけど、
実際は未だ苦しんでいるところ・・・。
他の人にはなかなか言えないこと、
それをすべて注ぎだして、
主にわかって頂く、
そして、主が自分の心にふれてくださることを、
待ち望んでいくことなのだろう。

苦しいことも、
自分が情けなく思ってしまうところ、
自分が自分で赦せなく思っていることも・・・。

主よ、
心を注ぎ出す祈り、
時間もかかるでしょう。
表面的な祈りではなく、
言葉だけの祈りではなく、
心からの祈りを捧げる、
そのような時が、必要だと思います。
どうか、祈らせてください。
祈ります。
主よ、
あなたに心のすべてを注ぎだして、祈る喜び、平安、
味わわせてください。

2007-05-24

衰え果てる時

お祈りありがとうございます。
娘もすっかり元気になりました。

今日のキッズクラブの帰りの車の中での父と娘の会話。

「ねえ、パパとママと、○○と、
○○と、○○と(家族の名前を全部言う)、
みんな一緒に死んだ方がいいね・・・」

「え?」

「だって、一人ずつはさびしいじゃん・・・」

「さびしいけどさ、でも、神様は助けてくれるんだよ」

「スーパーマンみたいに?」

「・・・・そうじゃなくって・・・、一人でも、神様のところに行くから大丈夫だよ」

「でもさ、神様は死なないの?」

「神様は死なないよ。」

「ずるいなあ神様。」

「・・・・いやあ、神様死んじゃったら天国はさびしくなっちゃうでしょ・・・」

いろいろ考えているんですね。
最近、時々口にするんですよね。「死」ということ。

4月のカミさんの誕生日には
「ママ、4×歳になったんだ。やだな、もうすぐ死んじゃうの・・・」
・・・オイオイ・・・ちょっと違うんですが・・・。

私も5歳くらいの時、
よく怖い夢を見ました。

だからいろいろ感じる頃なんだろうと思います。
でも、時期的なことだけですませないで、
神さまと共に歩む平安を知って欲しいと思います。

26歳の時、
2回目の交通事故に遭いました。

夜、教会の集会が終わった後、
坂道のてっぺんから後ろ向きで降りてきた車を誘導していました。
でも、愚かなことに、その車の真後ろで「オーライ」とか言っていたのです。

そして、運転しておられた方が、クラッチを切って、
そのまま、ブレーキが踏めないで、「スー」っと加速して降りてきたのです。
「ストップ、ストップ、ブレーキ!」と叫びながら、
車の後ろをたたいたのですが、
運転しておられた方もパニックを起こされて、
そのまま、車は塀に激突。
塀と車の間にはさまれそうだった私ですが、
間一髪、身をひらりとかわして、逃げたつもり。
でも、どこかで頭を打ったらしく、頭には血がべったりでした。

すぐ病院に連れて行かれました。
意識もはっきりしていましたし、
そんなに激しく打った訳ではないことはわかっていましたから、
そんなに心配していませんでした。
実際、レントゲンの結果も、「大丈夫」でした。

でも、帰りに一枚の紙を渡されました。
そこには「頭を打った時には、そのときは大丈夫でも、
あとになって、脳に障害が出たり、命にかかわることもありますので、
以下のような症状が出たら、すぐに病院に連絡して、救急においでください。
・・・・
手足のしびれ、頭の痛み、吐き気、・・・」

人間、弱いもので、それを読んだら、
急に手足がしびれてきたような気がして、
頭が痛くなってきたような気がして、
吐き気がするような気がして・・・。

その時、思いました。
もしも、本当に自分にこのような症状が出てきて、
もしものことがあったら、
その時、死の川波を渡っていくのは、
自分一人なのだ。
どんなに誰かが「大丈夫だよ」と言ってくれても、
「私がここにいるよ」と、手を握ってくれても、
この世を去っていくのは、私一人なのだ、
そう思ったら、怖くて、さびしくて、悲しくて仕方がありませんでした。

「今夜は一人で寝ないように」と言われた私は、
ある方にお世話になりました。
入眠剤までもらって、夜、ベッドに入って、天井の模様をながめていました。
しばらく、悶々としながら、時間を過ごした後、
一つの聖書の言葉が私の心に響いてきました。

「たとい、死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたが私と共におられるからです」
詩篇の23篇の言葉です。

大丈夫だ、もし何かがあっても、
私は一人ではない、私と共に死の向こう側にも共に行ってくださる方がおられる。

そう思った時に、心に大きな平安が与えられました。
そして、
入眠剤なしでも、いつの間にか、眠りについていました。

今日は32度くらいまで行きました。
明日も暑い日になりそうです。
というか、今日よりももう一段暑くなるようです。
夏、到来となるでしょうか?

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の61篇を読みました。

「私の心が衰え果てるとき・・・」
2節の言葉です。

いつでも、「勝利です」と言いたい。
いつでも輝いていたい。
いつでもはつらつとしていたい。
そう思います。

でも、この詩篇を読んで、
この言葉に出会った時に、
「そういうこともあるよね」と思いました。
「心が衰え果てる時・・・」
でも、そんなときに、叫び声を上げることのできる方がおられるのは、
本当に慰めですし、励ましです。

自分の弱さや、「衰え果てる」ことを否定する必要もない、
でも、そんな中でも、私の希望であり、
私の力の源である方がおられる。

その主に今日も目を上げて、
今日も目を向けて歩みたいと思いました。

主よ、
今日の祈り会に感謝します。
共に祈る喜びを与えてくださったことに感謝します。
どうか、ペンテコステの日曜日に、
豊かな聖霊様の満たしを与えてください。
あなたが私の希望です。
どうかあなたの御業をなしてください。

人の力と神の力

日付は変わってしまいましたが、
2回目の更新。

下の娘も、なんとか、食べられるようになったみたいです。
帰ったら、夕食食べていました。
なんか新鮮でした。食べている風景。
まあ、ほっと一息です。って、何にもしていませんが・・・私は。

水曜日はまた気持ちのいい日でした。
木曜日はもうちょっと暑くなるようですね。
30度くらいまで行くみたいです。
先週の金曜日は10度くらいでしたよね。

なんだか、夏だったり冬だったりです。

水曜日の聖書。
水曜日は詩篇の60篇を読みました。

「どうか、敵から私たちを助けてください。
 まことに、人の救いはむなしいものです。」
11節の言葉です。

戦いの中で、神の助けを祈る歌です。
何が私たちの力かが問われているように思いました。

自分は人の助けをどれだけ求めているだろうか。
神の助けをどれだけ求めているだろうか?

日曜日の説教の準備をしながら、
また「祈りの人」になりたいと思いました。
かけ声だけではなく、
祈る人になりたいと思いました。
主は私たちを祈りに招いていてくださる。
祈る人になりたいと思いました。

主よ、
祈ることを教えてください。
祈りに招いてくださってありがとうございます。
人の力ではなく、あなたの力をあてにする者とならせてください。

2007-05-23

神の超越

今日はNYDayです。
こんな時間に時間ができたので、
一回目の更新。
夜、帰ってから元気があれば、やっと「一日一篇」が追いつきます。

今日も野菜の苗を紹介しましょう。
こちらインゲンです。


インゲンには「つるあり」と「つるなし」があります。
これは「つるあり」です。
「つるあり」はものすごい勢いでつるが伸びます。
放っておいたら何メートルまで伸びるんでしょうか?
わからないくらいです。
そして、次々と花が咲いて実がなります。
「つるなし」は30センチくらいで、どんどん花が咲いて実がなります。

長持ちは「つるあり」、
短期決戦は「つるなし」です。

今年も両方苗が育ちました。

「ニンゲン」はどうか?
「短期決戦」「長く次々と・・・」それぞれの持ち味ですね。

私は「つるあり」の方に魅力を感じますが、
いずれにせよ、「実を結ぶ」者となりたいと思います。

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制・・・」

さて、昨日、火曜日の聖書。
詩篇の59篇でした。

「しかし主よ。あなたは、彼らを笑い、
 すべての国々を、あざけられます。」
8節の言葉です。

困難の中で、敵の攻撃の中で、
詩人は、主の支配を信じます。

主がすべてを超えておられることを見るのです。

本当に主の支配を信じている人は何と幸いなことでしょうか?

自分でじたばたする必要がないのです。
大騒ぎをする必要がないのです。

そのような主への絶対的な信頼を持っていたいと思いました。
主を信頼して、安心して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの守りを信頼します。
あなたがすべてを支配の元においておられることを信頼します。
どうか、私の信頼が
嵐の中でも守られますように。

2007-05-22

さばく神が地におられる

下の娘の調子の悪いのが5日目に突入。
でも、夕方からちょっとよくなってきた感じでもあります。

今日もまぶしいくらいのいい天気。
明日もまた今日と同じようないい天気のようです。

今年は野菜ネタが少ないのですが、
いくつかはやはり苗を育てています。

たとえば、これはキュウリ。


日本とアメリカで全然違う野菜の一つです。
去年はそれまで毎年やられていたグランドホッグとの戦いに勝利し、
100本以上収穫しましたが、
今年はどうでしょうか?
苗作りも去年よりもずっと遅れています。
去年は今頃もう定植していますが、
今年はまだ本葉がやっと顔を出したところです。

昨日、月曜日の聖書。
昨日は詩篇の58篇でした。

その最後の言葉。
「まことに、さばく神が、地におられる。」
11節の言葉が心にとまりました。

神様は正しい裁きをしてくださる。
その神様は天で私たちを見下ろしているのではなくて、
この地におられると。

この主に信頼していこうと思いました。
主が正しいことをしてくださるから、
主が正しい裁きをしてくださるから、
そこに委ねていこうと・・・。

だから、真実に、誠実に自分の働きを全うすればいい。
そのように思います。

主よ、
あなたがおられることを、
あなたはいつも正しい方であることを、
信頼します。
すべてをあなたの御手に委ねます。
あなたがすばらしいことをしてくださいますように。

2007-05-21

主の元に身を避ける

今日は朝はちょっとひんやりでしたが、
また昼間は暖かくなりました。
今週は日に日に5月らしい暖かさになるようです。

アスパラガスも、もう食べたくなるようなのが出てこないので、
しばらく収穫を止めて、のばすようにします。
秋口にはまた出てくるかと思います。

良く聞かれるのですが、
あの食べるアスパラガスと、
フラワーアレンジや観葉植物につかうアスパラガスは、
「同じ」です。

先っぽが開いて、ふわふわ~という感じになります。

今日もテレビ観戦ですが、
まあ、安心してみていられる感じです。
我らがマツイ君は今日はダメですが・・・。

あと、娘の腹下しは4日目に突入。
朝のうちは、今日はもう元気になったかなあ、と思ったら、
また午後からダウン。
まあ、焦らないことでしょう。
でもやっぱり痛々しいものです。

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は詩篇の57篇でした。

「神よ。私をあわれんでください。
 私をあわれんでください。
 私のたましいはあなたに身を避けていますから。
 まことに、滅びが過ぎ去るまで、
 私は御翼の陰に身を避けます。」
1節の言葉です。

この詩の標題が「滅ぼすな」の調べに合わせて、ということで、
あのダビデが未だ王になる前に、
自分のいのちをねらっていた当時の王のサウルを、
討つチャンスがあったのに、
「彼は神に選ばれた王だから・・・」と自ら手を下そうとしなかった事件を
思いながら歌われた詩だと言うことでしょう。

だとすると、
この「神に身を避ける」と言うことの意味の深さを思わされます。
自分が手を下すチャンスがありながら、
「私は主に委ねます」と主を信頼しているのです。

主を信じる、ということの壮絶さを思わされます。

主よ、
私もあなたを信じます。
あなたを信頼します。
あなたがなしてくださることを信頼します。
あなたの義をあらわしてください。

2007-05-20

みことばをほめたたえる

今日は午後から暖かくなりました。
そして、夜、久しぶりのテレビ観戦ですが、
久しぶりにスカッとした試合運びです。
未だ終わっていませんが、このまま勝ってくれることでしょう。

もっともっとこういう横綱相撲を取って欲しいもんです。
もちろん、相撲ではなくて、野球の話題ですが・・・。

あと、先週の週末は私が調子悪かったですが、
今週は一番下の子が同じような感じです。
でも、自分ではないぶんだけ、痛々しいです。

早く元気になって欲しいです。

今日の礼拝はまた幸いな礼拝でした。
教会が教会としてしっかり立っていくことができるようにと、
再出発できるようにと願います。

さてさて、昨日土曜日の聖書です。
昨日は詩篇の56篇を読みました。

「神にあって、私はみことばをほめたたえます。
 主にあって、私はみことばをほめたたえます。」
10節の言葉です。

御言葉をほめたたえる。
それはやはり御言葉の力を知るから。
御言葉がどれだけ力あるものかを知るから。

御言葉がその通りになることを知るから。
御言葉が私たちを探り、
私たちをきよめ、戒め、正しい道に導くことを知っているから。

主よ、
あなたの御言葉をほめたたえます。
御言葉の力の故に感謝します。
これからも、あなたの御言葉に従って歩んでいくことができますように。
あなたの御言葉を聞きながら歩んでいくことができますように。
教会を教会として整え、守り、成長させてください。