2008-11-14

最高のものを主に。

今夜はこれから教会で祈り会なので、
早めに更新して、帰ってきたら速攻で寝れるようにしておきます。


今日は曇りがちで時々霧雨。
英語では霧雨はdrizzleですね。
この言葉は音がそれっぽい感じだと思います。
でも、日本語の「霧雨」の方がちょっと上品かな。
京都のお寺の庭園が目に浮かんできます。


明日はもうちょっとちゃんとした雨。
日曜日からまた寒くなるでしょう。


来週はずっと寒いようですね。
いよいよ、冬間近、という感じです。


さて、今日の聖書。
今日からはしばらくマラキ書。
今日はマラキ書の1:1-14


「群れのうちに雄の獣がいて、これをささげると誓いながら、損傷のあるのを主にささげるずるい者は、
のろわれる。」14節。

「ずるい」って面白い訳ですね。
姑息な、って感じでしょうか?
口語訳も、新共同訳も「偽り者」となっています。

どうでもいいもの、いらなくなったものを
神さまのもとに持ってくる、
それがホントのささげものだろうかというのです。

残ったから、余裕ができたから・・・というのもこれと同じでしょう。

手放すのに痛みを感じるようなもの、
最高のものを主のもとに持っていこう。

私たちの人生の中で一番大切なものは何かと考えました。
今朝は「時間」じゃないかな、と思いました。

だったら、最高の時間を、
この時間だけは取っておきたい、
という時間をこそ、主のもとに持っていこう。
時間が余ったから、主のもとに持っていくのではなくて、
まず、最初に最高の時間を主のもとに持っていって、
残った時間を他のことに、
主が私たちの使命として与えてくださったり、
プレゼントとして与えてくださっていることに、
用いさせて頂こう。

主よ、
私が「この時間だけはこのために使いたい」と思う時間をこそ、
主よ、あなたのもとに持っていかせてください。
教えてください。気付かせてください。
もしも、私があなた以外のものにもっと心を奪われているなら。

復活・・・かな?

昨日早く休んで良かったです。
風邪と言っても、たいしたことないんですけど、
すぐ大騒ぎをしてしまう性格なんで・・・。


のんちの場合は、「なんか、ちょっと調子悪いねえ・・・」という時は、38-9度台です。
でも、たとえば、私は37度をちょっとでも超えたら、
「わー、熱だ~!もうだめだ~」と騒いで、薬を飲んで寝てしまうわけです。
昨夜の場合はその37度もない。


だから、普通の生活をちょっと「無理しない」程度でやっています。


とにかく、日曜日に万全の体調で臨めるようにお祈りください。


さて、昨日の聖書。
昨日の聖書箇所はハガイ書の最後、2章10-23節。


「『もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか。』祭司たちは答えて『否』と言った。」12節。

「日々のみことば」の解説には、
「きよさは伝染しないが、汚れは伝染する」と書かれていました。

あまり意識していなかった対照です。
汚れ、というか、罪や信仰的な妥協はほんとうに簡単に伝染します。
でも、きよさもまた広がっていくモノだと思っていました。

でも、ここではっきりと、聖なるものが汚れたものに触れても、
汚れたものは聖とはならない。聖なるものが汚れたものになる。

だから、やはり聖の源である神さまのきよさに触れることなんでしょうね。
誰かのきよさをもらうのではなくて、人に期待するのではなくて、
神さまのきよさに自分で直接触れる。
自分と神との関係が大切なんだと思いました。

マタイによる福音書の25章に出てくる、
10人のおとめの話を思い出しました。
花婿が来た時に、5人のおとめたちは、油の準備ができていなくて、
準備のできていた5人に「分けてください」とお願いするのですが、
「あなたがたの分までは足りません」と断られてしまう。
「なんで?」と思います。
協力、助け合いの大切さを知っている私たちは、
どうして?そんなこといわないで分けてあげればいいのに?
と思います。
実生活ではそうかもしれませんが、
神さまの前では、他人のきよさをもらって、
自分がきよくなることはできません。
誰かの功徳を分けてもらうことはできないのです。

一人一人がちゃんと神さまとつながらないと、いけないのです。

神さま、
きよさは人から分けてもらえるのではない、
一人一人が神さまとの関係に生きることの大切さを思います。
どうか、きよさを与えてください。
そして、周りの一人一人も神さまにきよさを求めるようになりますように。

2008-11-13

風邪引くかも。

なんか、風邪引きそうです。
で、今日は早く休みます。
また明日、更新します。

2008-11-12

NYの一日。

今日は朝は冷えましたし、
昼間も、結構肌寒かったです。
でも、天気は持ちました。
そしてこれから雨が降ってくるということで、
夜の冷え込みはゆるんでいます。


明日は一日雨。


土曜日も雨。


金曜日は雨は降らないかもしれませんが、
天気はスッキリしないようです。


今日は朝からNYに行きましたが、
「イラク戦争終結!」の新聞を配っていて、
「えー、どういう意味?」と思いましたが、
もらいませんでした。
そのあと、インターネットでニュースを見ても、
別に何も話題になっていないし、
「どういう意味で『終結!』って報じたんだろう?まさか、日本のスポーツ新聞の芸能欄のように『終結』ってデカイ字で書いて、小さく『オバマは目指す』とか『きっと間近』とか『18ヶ月後かもしれない』とか書いてあるんじゃないだろうなあ・・・」と思いながら、
そのあとは、そんなことは忘れていました。


そしたら、夜になって、帰ってきたら、朝日新聞のサイトとかに
ニュースになっているじゃないですか。
「NYタイムスの偽新聞」。
どうやら、左派系団体のいたずらだったようです。
でも、asahi.comによると、6ヶ月かけて準備したそうで、
ご苦労なことです。


ああ、記念にもらっておくんだった!


NYに行くと、
だいたいミッドタウンの図書館にいます。
面会とかが入っていない時は、
そこでたまっている仕事を片づけます。

まあ、言ってみれば、JCCNJーNYオフィスなんですが、
困ったことがいくつかあります。


電話を取ったら、階段に出なければならない。
・・・図書館ですからねえ。


使えるコンセントが限られていて、取り合いになる。
・・・つまり一度場所を取ったら、もうなかなか席を外せない。
・・・ランチに出ると、帰ってきたらもう席はない。
・・・トイレに行きたくなっても、ぎりぎりまで我慢する。


飲食は禁止。
・・・これも図書館ですからね。お弁当もってきて、机で食べるってことができない。


居眠り禁止。
・・・最近、午後1回眠くなるんですよねえ。居眠りすると警備員の人に起こされる。でも、本を読んだり、英語の本を翻訳をしていたりすると、必ず水泳選手が襲ってくるんですよねえ。


で、ここ最近、何回か、面倒なので2時過ぎまで昼を取らないで、
2時をすぎた頃に近くのマクドナルドに行っていました。
近くの日本のファーストフード2時になっても混んでるし・・・。


でも、今日の行く時の地下鉄の中で、
「普通の大人の必要カロリーは一日あたり、2000キロカロリー」という広告を見て、
その後、朝のマクドナルドでの祈り会の時に、最近義務化された、メニューのカロリー表示を見て、
もう、NYのランチにハンバーガーはダメだ。と思いました。セットメニューは1500キロカロリーくらいですよ。びっくり。最近、せっかく夏に減った体重が元に戻ってきているし、ここは気をつけようと、ランチは新しいところを開拓しようと決意しました。


これも、もしもホントにJCCNJ-NYオフィスがあったら、
家からおにぎりか何かもってくれば解決なんですがねえ。
どなたか、「うちのオフィスの机一つ、週一回くらいなら貸してあげるよ」と言ってくださるクリスチャン実業家の方とかおられたらいいのですが。
電話も携帯があるので、必要ないですし、コンピューターも持参で、ネット環境も携帯で見れる範囲で十分なんですが・・・祈ってみようかな。


まあ、とりあえず、今日はそんなことを考えながら、
新しいところを開拓に行きました。
そしたら、グランドセントラル駅のすぐそばの食べるところ、
中に「モンゴリアンバベーキュー」がありました。


教会の近所のショッピングモールにもあって、
結構好きで、以前は時々行っていました。
生の野菜や肉や麺を好きな組み合わせで取って、
係の人に持っていくと、その場で炒めてくれるんですよね。
本格的な相撲には小さいけど、尻相撲には大きいような丸い鉄板で焼いてくれます。
その場で、ってのがいいです。


今日も、うれしくて、早速いろいろ取って、
たぶん取りすぎて、カロリーもマクドナルドに負けなかったかもしれませんですが、
おいしくいただきました。


反省としては、うれしくて何でも取ってしまうので、
シーフードと肉といろいろごっちゃになってしまっていました。
次回はもっと落ち着いて、シーフードならシーフードに集中して、
コーディネートしてみようと思います。


あ、NJの店は、重さ関係なくどんぶりに一杯分で何ドルでしたが、
さすがマンハッタン、重さで値段が決まります。
今日も8ドルくらいかかりました。
次回は6ドルくらいを目標に、量より質で勝負してみようと思います。
ちょっと2週間後にすでにわくわくしてきています。


さて、今日の聖書。
今日はハガイ書の2章1-9節でした。


「この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。」9節。

ソロモンが建てた前の神殿の壮麗さに比べて、
今の神殿は見た目はそれほど立派なのではありませんでした。

でも、主はその神殿にご自身の栄光を満たそうと約束してくださったのです。

外面的な華やかさや立派さではなくて、
神さまが喜んでくださるかどうか。

神さまが栄光を表してくださるかどうか。

教会もそうなんだろうと思いました。
建物の立派さや、集まっている人の多さではなく、
雰囲気が盛り上がっているかどうかでさえなく、

主ご自身が栄光を表されるかどうか。

これからもっともっとすばらしいことをしてくださる、
と約束と励ましをいただきました。

主よ、
今日の励ましに心から感謝します。
約束通り、あなたの栄光を、これからの教会の歩みの中に、
表してくださいますように。

御言葉に生きる。

今日(というか、11日ですが)も晴れたので、
昼間はそこそこ暖かく感じましたが、
日が暮れるとぐんと冷えてきます。


今、夜の12時半頃ですが、3.2度まで下がってきています。
また今夜も0度ぎりぎりのところまで下がりそうです。


もうすでに雲が広がってきていますが、
明日の夜から雨になって、土曜日まで続くようですね。
そして、週明けからはぐんと寒くなりそうです。


さて、ここでも何回か白状していますが、
説教者はみんなそうだと思いますが、
日曜日メッセージを語ると、
それから1週間、特にその内容について、
実生活の中で問われるようなことが起こってきます。


日曜日の礼拝の中で、
「神さまの支配は、病や、生き死に、仕事、自然界、私たちの人生の嵐などなど、あらゆるところに広がっている、私たちはそれを認めることが大切だ」と語りました。
毎回、一つ一つの言葉が真剣です。


でも、今日の火曜礼拝で同じ言葉を語りましたが、
その中で、ほんとうにこの言葉を受け入れるのは、大変なことだと思わされました。
順調な時はいい。平和な時はいい。
でも、嵐の中で、病の中で、生き死にが問われるような場で、
主の支配をほんとうに信頼していけるだろうか、
私は自分が問われているように感じました。
語ることに畏れ、いや、恐れを感じている自分がいました。


主が示してくださったことだから語る。
でも、人々は、それを受け入れることができない、
それを受け止めることができないかもしれない、
だったら、それは語らない方がいいのだろうか?


決してそんなことはない。


主が触れてくださることを心から祈らされます。


今日(11日)からハガイ書が始まりました。
でもたった3日で終わります。
じっくり味わいたいです。


今日は1章でした。


「あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。」9節。

「日々のみことば」の解説の中に、
「彼らは自分たちの生活が豊かになり、安定し、生活に余裕ができたらという自己中心的な考えでいました。このような考えは、いかにも的を得たように思えますが、彼らは大きな考え違いをしていたのです。」とありますが(ちなみに、「的を得る」という表現は誤りだそうで、「当を得る」か「的を射る」かどちらかである、私の使っているATOK15(古っ)という日本語変換ソフトは文句を言ってきます)、
まさに、私の心を見透かされているかのように感じました。
そりゃあ、経済的にいつも自分の生活を優先している生き方はしていないつもりですが、
「生活が安定し、余裕ができたら、もっと神さまのためにできるのに」と思うこともあります。

自分の生活が先になって、ゆとりができたら、神さまのために・・・と。

それは違うって。

ゆとりができたら神さまのために、ってのは違うってことですよね。
ほんとうにそう思いました。
そのようにいきたいと思いました。

すべてが主のために生きる。

主のために生きることを楽しむ。
いや、主と共に生きることを楽しむ、かな。

主の家のために走り回ります。

主よ、
あなたの語りかけを感謝します。
あなたを第一として、具体的に、第一として歩むことができますように。
その祝福を大胆に語る者であらせてください。
その祝福を証する者とならせてください。

2008-11-10

御声を聞く。

今日3回目の更新。
追いつきました。


で、今日は昼間も10度くらい。
夜になってまた冷え込んできて、
今、夜の12時で3.6度。
明日の朝は久しぶりの氷点下かも。


天気は水曜日くらいまではいいようですが、
その後はまた雨。


それもまたちょっとぐずつくみたいですね。
昨日の日曜日に久しぶりにすかっと晴れて、
ほんとうにまぶしく感じましたが、
また、週の後半どんよりや雨の日が多くなりそうです。


さて、今日は午後、冷蔵庫の中を見て、
おからが2週間くらいずっと入ったままになっているのに気がついて
(もちろん、パック入り)
おからチキンナゲット を作りました。
数ヶ月前に何回か作って、好評+安上がりのメニュー。
時間がなくなって、揚げるのはのんちにまかせましたが、
おいしかったです。


で、6時頃に出て、NYで井上先生ご夫妻のお話をもう一度お伺いしました。
今回はたっぷり時間があって、
ゆっくり伺うことができて良かったです。


その中で、ご夫妻がお二人とも、
「主がこういう風に語ってくださったんです」
と何度も言われていたことが
心に留まりました。


主が心に語ってくださる声に聞くこと。
先日もここに書きましたが、聖霊様の語りかけに、
従っていくこと、その大切さを思いました。


そう、わたしの場合「これはどうかなあ」って考え過ぎなのかも。
「自分の思いこみだったら・・・」と思って何もしないでいることがどれくらいあることか。
もっともっと単純に、心に響いてくる声に聞いて、従っていこうと思いました。


そして、それと共に、多くの初めてお会いする方々がおられたのが喜びでした。
直前まで「NY行こうかなあ、どうしようかなあ」と思っていたのですが、
神さまの導きを感じて、行ってよかったです。


最後は英語の教会に行かれているご近所の方にも初めてお会いして、
一緒の車で帰ってくることもできました。


ああ、この方々とお会いするために今日は導かれたんだなあと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙の最後。4章10-23節。


「私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」19節。

昨日の夜、役員会で予算案を話し合っていた後なので、
ほんとうにこの言葉が主からの語りかけであると感じました。

主の豊かさを疑ってはいけない。
すべての必要を満たしてくださる、という約束を信じよう。

個人的な必要も、
教会の必要も、
主が満たしてくださる。
主が与えてくださる。
わたしは主の導きに従って、
ビジョンを語り、
行動していくこと、
それが使命だと思いました。

この地域の子供たちのためにできること、
次の世代をになう若者たちのためにできること、
また、親の世代、またシニアの世代の心の叫びに耳を傾けていくこと。
真剣に祈り、具体的に行動に移し、
神の御業を見ていこう。
必要なものがあったら、それは神さまが与えてくださるから。
主よ、
あなたが与えてくださった平安と確信の故に感謝します。
あなたはあなたの豊かさをもって、私たちの必要を満たしてくださる方であることを心から感謝します。
それを信頼して一歩踏み出していきます。
主よ、よろしくお願いします。



JOYJOYシンガーズ2回目。

土曜日はJOYJOYシンガーズの2回目の練習。
小学生以下の数は前の週と同じ5人。
でも中高生が5人になったので、
すごくにぎやかになって、華やかになって、
前の週に練習した子もちゃんと歌えるし、
先週よりも3倍くらい、良くなりました。


この調子で毎回3倍良くなっていけば、
来週は最初の9倍、その次は27倍、その次は81倍、その次は243倍、
その次は・・・すごいたくさん・・・と良くなって、
来年のクリスマスの頃には、
ウィーン少年合唱団もびっくり!になるでしょう。
もうカーネギーホールも夢ではありません。
ミラノのスカラ座でミュージカルをやることになるかもしれません。
(スカラ座はオペラかな?)


こんな楽しいことをやっていいのだろうか?っていうくらい楽しいです。
やばいですねえ。
あ、でも何ヶ月かやっていると、
きっと、野球選手の「2年目のスランプ」みたいになって、
壁にぶち当たって、
「俺たちって才能ないよねえ」「ここまでは順調に来たけれども、どうして?」
「これ以上上達しないのだろうか!?」とか悩むんでしょうねえ。
そして、その壁を乗り越えた先に、飛躍がある!って感じ?

ああ、考えているとわくわくしまくり。


でも、気をつけて「あの牧師は子供たちのことばっかり考えている」って言われないようにしないと。ホント、大人のために使っている時間の方が何倍も多いんですが、こうやってはしゃぎすぎると誤解されちゃいますよねえ。そうそう、来年の教会の歩み、全体にわくわくしてきた今日この頃です。


さて、日曜日の聖書。
日曜日は、ピリピ4:1-9でした。


「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」6-7節。

人のすべての考えにまさる神の平安、という言葉が心に留まりました。
私たちが神さまから与えられる平安は、人間の想像が及ばないもの、
ほかのところで経験しようと思っても経験できないようなもの。

その平安が私たちに与えられている。
私たちに与えられる。

どんどん実行しなければ、ですね。

昨日も役員会で来年度の予算案がまとまりましたが、
やっぱり収入的にはタイトな中で、
これはやらせて頂きたい、ということを出していくと、
どうしても支出は大きくなっていきます。

「思い煩わないで、祈りなさい!」
足下の一歩目から、始めようと思わされました。

主よ、
これは実行しないとダメですよね。
思い煩う暇があったら祈る。
思い煩いが襲ってきたら、神の前に自分の願いを見てもらう。
そのときに与えられる平安、それを経験したいです。
この世のものではない平安、もっともっと経験したいです。


神の支配の下に。

昨日、寝る前には、「風邪引くかなあ~」って感じで、
今日予約していたのですが、もうあきらめようと思っていました。
1年4ヶ月ぶりの献血。

日本みたいに街頭でやってたら、「ふら~」っと入ることもあるでしょうが、
こちらでは、そういうのがないので、なかなかそんな気にならないです。
だから、電話がかかってくると、出かけていきます。

まあ、そんなことで先週電話をもらって、
電話では、「ほんとうに足りないんです」と言われて、
何とかしようと思います。
「じゃあ、来週の月曜日」って約束をしていました。


で、今朝起きたら、なんと、元気!
昨日の役員会でも出てきた、
「なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。」ヤコブ4:17の言葉も心にあったので、ちょっと休みたい気持ちもありましたが、これくらい元気だったら大丈夫だろう、と行ってきました。


そしたら、いつも思うのですが、
すごいおじいちゃんとか、結構来ているんですよね。
昼間だし、若い人はあまりいない。


75歳まで献血できるそうですが、
もっと行ってるんじゃないの?(失礼)という方もおられるんですよねえ。
そんなおじいちゃんたちの姿を見るたびに、
来て良かったな、と思います。


体重も110LB(50キロくらい?)以上
ということで、何とか(うそ)クリア。


ヘモグロビン量が15.6。
前回  よりも上がっています。
ほどほどに濃くて、いいです。
これが低いと朝起きるのつらいんでしょうねえ。


血圧も上が118で下が78とホントに健康体。
これが低くても朝起きるのがつらいんでしょうねえ。


前回も書きましたが、
健康が与えられていること、
献血ができる身であることに、感謝します。
やがて、いつかわかりませんが、最高であと30年したら、
できなくなるわけで、できる時にできることをさせて頂くのはうれしいです。


でも、今日思ったのですが、
怪我をしたら、どくどく血が出たらコワイですよねえ。
それが献血なら400CCくらいなんてことない、
10分くらい寝てる(眠ってるじゃないよ)うちに血が採られて、
終わった後、手を挙げて、強く押さえて止血すればいい。
それはどうしてなんでしょうかねえ。
やっぱりコントロールの元に置かれているからでしょうか?


昨日の礼拝で「私たちの健康も、生き死にも、仕事も、嵐もすべて神の支配の元にある」とお話ししましたが、ほんとうは神さまのコントロールの元にあるから安心していいのに、全然心配しなくていいのに、それが見えなくなって、焦ってしまうこと、たくさんあるなあと思います。


今のわたしを取り巻く状況も、
神さまが御手の中に置いていてくださる。
だから、主を信頼していこうと思いました。


さて、土曜日の聖書。
土曜日はピリピ人への手紙3章15-21節。


「兄弟たち。私を見ならう者になってください。」15節。


今使っている弟子訓練のテキストにも出てくるのですが、
自分は「わたしを見習ってください」と言えるだろうか?
考えさせられました。

多くの場面で、
「わたしを見ないで主を見てくださいね」と言っています。
それは自分の弱さを知っているから、
自分は自分の愚かさや、罪深さや、弱さを知っているから。

でも、その弱い中で、
主を見上げて歩む、その姿を、「見習ってください」と言うことができないのか。

それができないなあ、と思っているのは、
もしかしたら、また「わたしはもっと立派になったら、もっとクリスチャンとして理想的な歩みができるようになったら、牧師として、円熟したら、わたしを見習ってください、と言えるようになる」と傲慢にも思っているのだろうか?

ただ、甘えて、逃げ道を造っていただけなのだろうか?

わたしはどこまで行っても、罪人。
情けないヤツ。だらしなさに自分で嫌になることもある。
でも、そんな中で主を見上げて、主に目を上げながら歩んでいる姿は、
他の情けないヤツに、見習って欲しいことなのではないだろうか?

主よ、
わたしをこのままで受け入れてくださっていることに感謝します。
あなたの恵みの中で歩むことをもっともっと経験させてください。
あなたの恵み深さをもっともっと経験させてください。
そして、その喜びに満たされて、
イエスを受け入れた人たちに、「わたしに見習いなさい」と言うことができますように。

2008-11-09

2連敗。

昨日、今日とちょっと隙間がなくて、
オマケに今朝は久しぶりに寝坊して朝起きたら6時すぎてて、
今夜も遅くなったので、2連敗です。
いろいろ聖書から教えられることはあるんですけどね。
それから、JOYJOYシンガーズも楽しいし、
いろいろエキサイティングなことはあるのですが、

書く時はそれなりにゆっくり書きたい。

たぶん明日中には復活でするでしょう。

ではでは。