今日、嵐来ましたねえ。
ちょうど9月再開して、初めてのJOYJOYキッズの最中、
どーっと雨が降ってきましたが、
それくらいだったでしょうか。
うちの方は停電もあったようですが、
教会は大丈夫だったので、無事キッズクラブができました。
そして、その後、もっと東のほうで大変なことになったようです。
今もQueensやLong Islandは交通がまひ状態みたいです。
Tornadoも発生したようです。
今日もたくさんの感謝があるのですが、
今夜は1週間で唯一の何も予定のない夜なので、
明日から週末に備えて、ありえないくらい早く休みます。
でも、一言だけ。
今日の朝の家庭集会は、
小さな集会でしたが、
赤ちゃんを抱えている方々や、
赤ちゃんが与えられて、今つわりで苦しんでおられる方々が来られました。
そんな方々とお話しながら、
「お母さんは命がけだよなあ」と思い、
自分の母の存在に心から感謝しました。
今、ここに生かされていることに感謝。
2010-09-16
2010-09-14
「片付け魔になります!」宣言。
何度したことだろうか?この宣言。
でも、片付いているのはせいぜい3日だよね。
というか、「思いついたように」片付けるヤツは、
つまり片付けのできないヤツなんだ。
この10日間ほどの間に、4組9人の方々にお泊りいただいたのだが、
そのお泊りいただく部屋は、私の勉強スペースを通らないと行けない。
JOYJOYキャンプが終わってから(・・・もう1ヶ月!)、
なかなかかたづけることができない。
だから、お客さまに「バレバレ」なんですよね。
「片付けられない男・かきごおり」の評判は全地にあまねく響きわたっている、です。
そんなところに、こんな記事が・・・。
片付けられない人は・・・。
・他人の話をあまり聞かない
・自分の損得を考えて行動する
・時間にルーズ
・決断ができない
・持ち物の管理ができない
なんていろいろ出てくるけど、
いやあ、当たっているからねえ。
「思い切りがよい」と、きれいになるでしょうかね。
何事も「あとで・・・」と思うからいけない・・・のかな。
でも、「今日できることは明日にしない」という生き方よりも、
「明日でいいことは、無理に今日しない」という、力を抜いた生き方の方が、
個人的には好きなんですが・・・。
今日はこの記事を読んで、「よし、片付けるぞ」と思ったのですが、
「ま、明日からかな・・・」と、落ち着くべきところに落ち着いています。
今朝、起きたら、あたりは霧で包まれていました。
教会に行くのに、ちょっとスピードを出したら、コワイくらい。
でも、なんと教会についたら、スカッと晴れています。
途中、ホンの数百メートルでがらっと視界が変わるところもありました。
オモシロイですねえ。天気は本当に不思議。
昨日の「日々のみことば」から。
第1列王記5:1−18。
「ヒラムはダビデといつも友情を保っていたからである」1節。
ソロモンが神殿を建てるために、大きな助けとなったヒラムは、
ダビデの存在ゆえに、ソロモンに助けを申し出た。
ダビデが準備して、ソロモンは神殿を建てることができたのだ。
次の世代への投資。
それによって、今の私たちは生かされている。
先輩たちが投資をしたら、今の自分が生かされていて、
自分は恩恵にあずかっている。
自分も次の世代のために、どんな投資ができるだろうか。
ダビデが自分が生きている間に、その投資の実である神殿を見ることができなかったように、
私たちは自分の投資の結果を見ることができないかもしれない。
でも、たとえ、自分でその結果を見ることができなかったとしても、
勇気と信仰を持って、投資をしていこうと思う。
意味のある投資をしていきたいと思う。
主よ、
私も意味のある投資をしたい。
人生自体をあなたのために、次の世代のために、投資をしたい。
自分がその実を見ることができなくても、
誰もそのために自分が投資したことに気がつかなくても、
あなたが導かれるような投資をしたい。
人生全体をあなたのために投資させてください。
でも、片付いているのはせいぜい3日だよね。
というか、「思いついたように」片付けるヤツは、
つまり片付けのできないヤツなんだ。
この10日間ほどの間に、4組9人の方々にお泊りいただいたのだが、
そのお泊りいただく部屋は、私の勉強スペースを通らないと行けない。
JOYJOYキャンプが終わってから(・・・もう1ヶ月!)、
なかなかかたづけることができない。
だから、お客さまに「バレバレ」なんですよね。
「片付けられない男・かきごおり」の評判は全地にあまねく響きわたっている、です。
そんなところに、こんな記事が・・・。
片付けられない人は・・・。
・他人の話をあまり聞かない
・自分の損得を考えて行動する
・時間にルーズ
・決断ができない
・持ち物の管理ができない
なんていろいろ出てくるけど、
いやあ、当たっているからねえ。
「思い切りがよい」と、きれいになるでしょうかね。
何事も「あとで・・・」と思うからいけない・・・のかな。
でも、「今日できることは明日にしない」という生き方よりも、
「明日でいいことは、無理に今日しない」という、力を抜いた生き方の方が、
個人的には好きなんですが・・・。
今日はこの記事を読んで、「よし、片付けるぞ」と思ったのですが、
「ま、明日からかな・・・」と、落ち着くべきところに落ち着いています。
今朝、起きたら、あたりは霧で包まれていました。
教会に行くのに、ちょっとスピードを出したら、コワイくらい。
でも、なんと教会についたら、スカッと晴れています。
途中、ホンの数百メートルでがらっと視界が変わるところもありました。
オモシロイですねえ。天気は本当に不思議。
昨日の「日々のみことば」から。
第1列王記5:1−18。
「ヒラムはダビデといつも友情を保っていたからである」1節。
ソロモンが神殿を建てるために、大きな助けとなったヒラムは、
ダビデの存在ゆえに、ソロモンに助けを申し出た。
ダビデが準備して、ソロモンは神殿を建てることができたのだ。
次の世代への投資。
それによって、今の私たちは生かされている。
先輩たちが投資をしたら、今の自分が生かされていて、
自分は恩恵にあずかっている。
自分も次の世代のために、どんな投資ができるだろうか。
ダビデが自分が生きている間に、その投資の実である神殿を見ることができなかったように、
私たちは自分の投資の結果を見ることができないかもしれない。
でも、たとえ、自分でその結果を見ることができなかったとしても、
勇気と信仰を持って、投資をしていこうと思う。
意味のある投資をしていきたいと思う。
主よ、
私も意味のある投資をしたい。
人生自体をあなたのために、次の世代のために、投資をしたい。
自分がその実を見ることができなくても、
誰もそのために自分が投資したことに気がつかなくても、
あなたが導かれるような投資をしたい。
人生全体をあなたのために投資させてください。
2010-09-13
友と同労者と先輩と。
もうすっかり秋ですね。
「もう夏は終わってしまったんですか?」なんて
寂しそうに言う方もおられますが、
今年の夏は十分暑かったです。
日本ほどじゃないですが、
かなり暑かったです。
で、もう秋です。
30度を超える日は来年の5月くらいまではもうないのでは・・・と思います。
明日は、晴れ。
明日の夜はぐっと冷えますから、
お風邪などお召しになりませんように。
先週末は、シカゴから、
はちこさんとぼぼるさんと2人のお子さんたちがおいでになりました。
前回、2年前はあちらは4人の子供たち、こっちも3人の子供たち+KO-NY高校に行っていた男の子で8人の子供たちで、8人の子供たちと4人の大人でそれぞれ盛り上がったのですが、今回は、互いに2人ずつ。時の流れを感じないではいられませんでした。
でも、大人は、面と向かってゆっくりお話をするのは2回目、とは思えないほど、語り合いい、祈り合い、幸いな時を過ごすことができました。本当に良き友が与えられたと感謝。
そんな一時を過ごしていると、同労者親友のK先生から電話。
「鹿にぶつかってしまった!」
え〜!?
ですよね。
ご存じの方も多いかと思いますが、(かな?)
ぼぼるさんはこの2年余りで2回も鹿との衝突を経験されていて、
今回も祈りながらの運転です。
1回目。
2回目。
うーん、こうやって改めて写真を拝見してみると、2回目は、ほんと、すごかったんですね。
話は戻って、K先生の鹿との衝突。
立派な角をした大きな鹿で、
角がヘッドライトに突き刺さって、
体が助手席側のドアにぶつかってきたそうです。
そして、助手席のドアは開かなくなって・・・と、
本当に動揺されているようでした。
一言祈って電話を切ったのですが、
その経験で、先生は目がさめるような気持ちになったそうです。
暗い中、気がつかないで走っていて、
突然どかっとぶつかって気がつく、
私たちの心の状態もそういう時があるのではないかと。
この経験はwake up callだったそうです。
そして、神の前に引き出されて守った礼拝は、
先生ご自身にとっても、
礼拝に出られた方々にとっても、
本当に素晴らしい礼拝になったそうです。
そんな話を、今日の牧師会のあと、分かち合ってくださって、
共に祈る時を持たせていただきました。
私自身も神様の前に引き出されるような気持ちでした。
こんな素晴らしい同労者を与えられていることに本当に感謝。
ちなみに、今日、牧師会にその車に乗ってこられたので、ご紹介。
うーん、はちこさんとぼぼるさんの車の写真を見たあとだと、
「え、これだけ?」って感じもしますが、
ものすごい衝撃だったそうです。
今頃、ちょうど、はちこ&ぼぼるご一家はシカゴまでの道をひた走っている最中でしょう。
無事に戻られることを祈りつつ。
そして、夜はNYでのVIP-NYの集会。
こちらでメッセージをされたのは元気なL先生。
この先生のパワーにはいつも励まされ、圧倒されています。
牧師としては私の方が長いのかもしれませんが、
人生の先輩で、またいろいろな経験をしてこられた先輩です。
「解放されることの大切さ」をお話してくださいました。
一つまた祈りの課題を示されています。
主が多くの方々を私の周りに置き、
私を恵もうとされていることに、喜びが与えられます。
長くなりました。
最近の「日々のみことば」から。
先週の金曜日は第1列王記3:16−28を読みました。
ソロモン王の知恵を紹介するエピソードです。
一人の子供を、「自分の子だ」と主張してやまない二人の女性に対して、
ソロモンは言います。「その子を切って二つに分けなさい」と。
その時のそのうちの一人の女性の様子を表す言葉です。
「すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。『わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください』」26節。
この聖書のポイントはソロモンの知恵ですから、
そのポイントとは外れるのですが、
この愛の母親の姿に、
私は本当にこのような愛で人々を愛しているだろうかと、
そのことを探られたのです。
教会を愛し、教会の人々を愛し、
その他、出会う一人ひとりをこの母親の胸が焦げるような愛で、
愛しているだろうか?
何か本人の祝福にならないことがあっても、「まあ、しょうがない」と思ったりしていないだろうか?
本当にその人が永遠の命をいただくために胸を焦がしているだろうか?
がっかりしたり、傷ついたりするのが怖くて、嫌で、
最初から諦めたり、対面するところから逃げていることはないだろうか?
愛することを教えていただきたい。
愛することを経験させてもらいたい。
主よ、
愛することを教えてください。
あなたが与えてくださった、周りの方々を、
愛することを教えてください。
逃げないで、愛することができますように。
「もう夏は終わってしまったんですか?」なんて
寂しそうに言う方もおられますが、
今年の夏は十分暑かったです。
日本ほどじゃないですが、
かなり暑かったです。
で、もう秋です。
30度を超える日は来年の5月くらいまではもうないのでは・・・と思います。
明日は、晴れ。
明日の夜はぐっと冷えますから、
お風邪などお召しになりませんように。
先週末は、シカゴから、
はちこさんとぼぼるさんと2人のお子さんたちがおいでになりました。
前回、2年前はあちらは4人の子供たち、こっちも3人の子供たち+KO-NY高校に行っていた男の子で8人の子供たちで、8人の子供たちと4人の大人でそれぞれ盛り上がったのですが、今回は、互いに2人ずつ。時の流れを感じないではいられませんでした。
でも、大人は、面と向かってゆっくりお話をするのは2回目、とは思えないほど、語り合いい、祈り合い、幸いな時を過ごすことができました。本当に良き友が与えられたと感謝。
そんな一時を過ごしていると、同労者親友のK先生から電話。
「鹿にぶつかってしまった!」
え〜!?
ですよね。
ご存じの方も多いかと思いますが、(かな?)
ぼぼるさんはこの2年余りで2回も鹿との衝突を経験されていて、
今回も祈りながらの運転です。
1回目。
2回目。
うーん、こうやって改めて写真を拝見してみると、2回目は、ほんと、すごかったんですね。
話は戻って、K先生の鹿との衝突。
立派な角をした大きな鹿で、
角がヘッドライトに突き刺さって、
体が助手席側のドアにぶつかってきたそうです。
そして、助手席のドアは開かなくなって・・・と、
本当に動揺されているようでした。
一言祈って電話を切ったのですが、
その経験で、先生は目がさめるような気持ちになったそうです。
暗い中、気がつかないで走っていて、
突然どかっとぶつかって気がつく、
私たちの心の状態もそういう時があるのではないかと。
この経験はwake up callだったそうです。
そして、神の前に引き出されて守った礼拝は、
先生ご自身にとっても、
礼拝に出られた方々にとっても、
本当に素晴らしい礼拝になったそうです。
そんな話を、今日の牧師会のあと、分かち合ってくださって、
共に祈る時を持たせていただきました。
私自身も神様の前に引き出されるような気持ちでした。
こんな素晴らしい同労者を与えられていることに本当に感謝。
ちなみに、今日、牧師会にその車に乗ってこられたので、ご紹介。
うーん、はちこさんとぼぼるさんの車の写真を見たあとだと、
「え、これだけ?」って感じもしますが、
ものすごい衝撃だったそうです。
今頃、ちょうど、はちこ&ぼぼるご一家はシカゴまでの道をひた走っている最中でしょう。
無事に戻られることを祈りつつ。
そして、夜はNYでのVIP-NYの集会。
こちらでメッセージをされたのは元気なL先生。
この先生のパワーにはいつも励まされ、圧倒されています。
牧師としては私の方が長いのかもしれませんが、
人生の先輩で、またいろいろな経験をしてこられた先輩です。
「解放されることの大切さ」をお話してくださいました。
一つまた祈りの課題を示されています。
主が多くの方々を私の周りに置き、
私を恵もうとされていることに、喜びが与えられます。
長くなりました。
最近の「日々のみことば」から。
先週の金曜日は第1列王記3:16−28を読みました。
ソロモン王の知恵を紹介するエピソードです。
一人の子供を、「自分の子だ」と主張してやまない二人の女性に対して、
ソロモンは言います。「その子を切って二つに分けなさい」と。
その時のそのうちの一人の女性の様子を表す言葉です。
「すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。『わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください』」26節。
この聖書のポイントはソロモンの知恵ですから、
そのポイントとは外れるのですが、
この愛の母親の姿に、
私は本当にこのような愛で人々を愛しているだろうかと、
そのことを探られたのです。
教会を愛し、教会の人々を愛し、
その他、出会う一人ひとりをこの母親の胸が焦げるような愛で、
愛しているだろうか?
何か本人の祝福にならないことがあっても、「まあ、しょうがない」と思ったりしていないだろうか?
本当にその人が永遠の命をいただくために胸を焦がしているだろうか?
がっかりしたり、傷ついたりするのが怖くて、嫌で、
最初から諦めたり、対面するところから逃げていることはないだろうか?
愛することを教えていただきたい。
愛することを経験させてもらいたい。
主よ、
愛することを教えてください。
あなたが与えてくださった、周りの方々を、
愛することを教えてください。
逃げないで、愛することができますように。
2010-09-12
仲間が与えられていること。
今朝は、雲が広がって、朝焼けの綺麗な朝でした。
でも、朝焼けの綺麗な朝は雨の日につながっていることが多いです。
今日も雨が降ってきました。
それほどひどい雨ではなかったのですが、
運動会が中止になって子供たちもいたみたいです。
今日の礼拝で読んだのは使徒行伝の18章。
コリントでのパウロの伝道の様子です。
彼に与えられたアクラとプリスキラ。
彼らの姿を見ながら、
自分にも多くの同労者が与えられてきたことを、
心から感謝しました。
人を頼りにしてはいけない、
主だけを頼りにしていこう、
そのように思いますが、
主が与えてくださっている仲間のゆえに、
心から、主に感謝します。
私たち夫婦にも与えられているアクラとプリスキラのみなさんのゆえに感謝します。
さて、先週の後半の「日々のみことば」から。
第1列王記3章。
神様がソロモンに知恵を与えられた箇所です。
それはソロモンがそれを求めたからです。
それがこのことがです。
「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」9節。
「聞き分ける心」という言葉が心に留まりました。
ただの知恵ではなくて、「聞き分ける心」。
まず聞くことから始まるんですよね。
そして、それを正しく判断する。
それは私も主に頂きたいと思います。
主に与えていただきたいと思います。
主よ、
ソロモンに知恵を与えられたあなたが、
今日も、私にも必要な知恵を与えてくださることに感謝します。
どうか、私にも人の話を聞いて、
それを正しく判断する力を与えてください。
でも、朝焼けの綺麗な朝は雨の日につながっていることが多いです。
今日も雨が降ってきました。
それほどひどい雨ではなかったのですが、
運動会が中止になって子供たちもいたみたいです。
今日の礼拝で読んだのは使徒行伝の18章。
コリントでのパウロの伝道の様子です。
彼に与えられたアクラとプリスキラ。
彼らの姿を見ながら、
自分にも多くの同労者が与えられてきたことを、
心から感謝しました。
人を頼りにしてはいけない、
主だけを頼りにしていこう、
そのように思いますが、
主が与えてくださっている仲間のゆえに、
心から、主に感謝します。
私たち夫婦にも与えられているアクラとプリスキラのみなさんのゆえに感謝します。
さて、先週の後半の「日々のみことば」から。
第1列王記3章。
神様がソロモンに知恵を与えられた箇所です。
それはソロモンがそれを求めたからです。
それがこのことがです。
「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。」9節。
「聞き分ける心」という言葉が心に留まりました。
ただの知恵ではなくて、「聞き分ける心」。
まず聞くことから始まるんですよね。
そして、それを正しく判断する。
それは私も主に頂きたいと思います。
主に与えていただきたいと思います。
主よ、
ソロモンに知恵を与えられたあなたが、
今日も、私にも必要な知恵を与えてくださることに感謝します。
どうか、私にも人の話を聞いて、
それを正しく判断する力を与えてください。
Subscribe to:
Posts (Atom)