2008-05-19

Watoto

今日の夕食後、
お茶が飲みたいかなあ・・・ということで、
電子レンジでお湯を沸かそうと思って、
コップに水をくんでスイッチを入れたら、
電子レンジの下の方からものすごい煙がもくもく。
電気の線が焼けるようなゴムが焼けるようなにおいで、
すごい臭かったです。

ま、これはもう壊れた、ということで、
ホントは原因を知りたくて分解しようとしたんですが、
特別な工具が必要なようで、断念。

でも、とにかく何事もなくて良かったです。
私の4×年の人生の中で、
家の中であそこまで煙がでたことは初めてでした。

もしも家の中で一人で、
スイッチを入れてそのままその前を離れたら、
火事になっていたかもです。

電子レンジのない生活は考えられないので、
すぐに買いに走りました。
こちらではだいたい100ドル以下ですから。

そういえば、アトランタで何もない時に、
最初に必要になったのがこれでしたね。

私が子供の頃はなかったんですよね。
いやあ、想像出来ません。

そんな「文明の奴隷になっているかな?」という生き方に
チャレンジを与えられるような話ですが、
今、日本にWatoto Children's Choirが来ていますね。

ウガンダのAIDSやゲリラによって親を失った子たちのための
働きの中で生まれたコワイアです。

このビデオ、とっても子供たちの表情がいいです。
その背後にはどれほど過酷な人生があるか、
そんなこと、全く感じさせないものです。

去年の夏、ハジがウガンダに行って、
この団体に触れて、ものすごい大きなインパクトを受けて
帰ってきました。

東京は未だこれからですね。

アメリカには来ないのかなあ、と思ってこちらを見たら、
結構あちらこちらを回るんですね。

今年の11月ごろこちらにも来るみたいです。

Brooklyn Tabernacleとかも予定に入っています。
近所では11月22日(土)のCeder Groveなんかはねらい目でしょうか?
是非、みんなで行きましょう!

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日はサムエル第一5章でした。

「ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。」3節。

イスラエルに裁きを下された主は、
だからと言って決してペリシテの味方ではありませんでした。
ペリシテもまた神の裁きの下に置かれたのです。

神さまはわたしたちの味方とか敵とかというよりも、
すべてを越えておられる。
そこにわたしたちがひれ伏すのだ。

この文章を読んで痛快に思っている自分がいる。
ああ、このペリシテの神は愚かだ、神さまにはなにものもかなわない。

そう思って、痛快に感じている時に、
私は自分を神と同じところに置いている。

でも、本当は、このイスラエルの民やペリシテの民と同じように、
神の前にはひれ伏すべき者であるのだ。

主よ、
私もあなたの裁きの下にあることを思い出させてくださって、
ありがとうございます。
どうか、あなたの下にひれ伏し、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
忘れることがありませんように。

どうやって・・・。

今日は寒い一日でした。
朝起きたら6度。
そして風が強くて、
昼間も15度止まり。

もう5月も半ばまで来ているんですけどね。

今度の日曜日は補習校の運動会。
なんで、日曜日に運動会やるかなあ?
土曜も月曜もあるだろうに。
って自分の都合ですよね。

でも、10年前は土曜日だったんですよ。
長男が2年生の頃まで。
でも、どういった事情か知りませんが、
日曜日に変ってしまったんですね。

でも、雨が降ってくれたら、
月曜日に順延なので、
そうしたら、1日でれるから、いいかな、
ととても身勝手に考えています。

でも、予報はかなり自信を持って「晴れ」みたいです。

昨日、お友達のことを話した後しばらくしてから、
サキが、ふと、「ねえ、天国ってどうやっていくの?」
と聞いてきました。

「イエスさまが迎えに来てくださるんだよ」
「見えるの?」
「そうだね、普通の人には見えないんだけど、天国に連れて行ってもらう人には見えると思うよ」

ひざの上に乗ってきた娘に話しながら、
子供たちがこのことをどのように受け取るのか、
それも、神さまが特別な時を与えてくださっているのかなあと思いました。

こわいことではなくて、
神さまのところにいくんだから、
大丈夫なんだよ、と伝わるといいのですが、
サキよりももっと仲の良かった子たちもいるので、
祈らされます。

おととい、土曜日の聖書。
土曜日はサムエル記第一の4章12-22節。

「栄光がイスラエルから去った」21節。

この聖書の箇所つらいですよね。
エリも、その嫁も神の箱が奪われたことに
大きな痛みを感じたままこの世を去りました。

でも、実際のところ、
それよりもずっと前から、イスラエルの人々の方が、
神さまを捨てていました。

エリの嫁はエリの息子である彼女の夫が、
他の女性、神殿で奉仕している女性と関係を持ったことに、
どんなに傷ついていたことでしょうか。


エリは自分のむすこたちが愚かなことをしていることに、
どれほど心を痛めていたのでしょうか。
もちろん彼は心を痛めるだけではなくて、
何とかして、彼らを悔い改めに導かなければいけなかったのですが・・・。

神の箱が奪われた、というのは、
結果でしかなく、
その前から、イスラエルは神に背いていました。

外側のことではなくて、
内側の問題として、
神さまに従っていく、
イエスさまの後に従っていく者でありますように。

神さま、
今日も痛みの中におられるお一人一人に、
あなたの慰めと守りを与えてください。

外側のことではなくて、
心の底から、
あなたに従う者でありますように。

2008-05-18

いのり。

先日から与えられている、

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」

その言葉が与えられたのは、このためだったのだろうか。

内側から、そのような者に変えてくださいと祈らされたのは、
このためだったのだろうか。

今日、教会から帰ったら、
日本から、教会を挙げて祈っていた、
5歳の女の子が主の許に召された知らせが入っていました。

6歳のサキが泣きました。
わたしたちも泣きました。

どうして、今、主がそのお嬢さんを召されたのか、わかりません。

でも、今日、私は礼拝で、
天国がどんなに素晴らしいところなのか、
お話ししたところでした。

今、主の御許で安らいでおられることを、
思わされています。

ご一家に、何物にも換えられない主の慰めがありますようにと、祈ります。

2008-05-17

利用しない。

土曜日の朝です。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」
ローマ12章15節。

木曜日の祈り会の中で、ローマ人への手紙の12章を読んでいた時に、
「主イエスの十字架の恵みをいただいたわたしたちが、どのように生きるか」
を書いているこの聖書の部分で、

私自身はこの言葉が語られたところでした。

そして、その後の祈りの時に、
「友人に神さまのことを伝えたい、何とか話したい、と思っていたが、
最近は自分自身が、内側から、イエスの香りがあふれてくる者になりたい
と思わされているから祈って欲しい」という方がおられて、

その両方が一つのメッセージのように自分に語りかけられています。
また、今読んでいる一冊の本がからも同じように語られています。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣くことが、
内側からあふれてくるような者にしてください」と
祈らされます。

昨日の聖書。

昨日はサムエル第一4章1-11節。

「シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」3節。

契約の箱があれさえすれば、
それで勝利が得られると思っていたイスラエルの人たち。
彼らは主から遠く離れてしまっていた。

自分たちが神から離れてしまっていることは
棚に上げて、契約の箱さえ持ってくれば勝利出来ると思っていた。

主を利用するのではなく、
主に従っていく、
主に聞いていく、
その姿勢を忘れないようにしたいと思いました。

いざというときにあわててではなくて、
日々の歩みの中で、主に聞いていく者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの愛を、私のうちに満たしてください。
いつもいつもあなたと共に歩む者としてください。
今日も、痛みや悲しみの中にある人々と共に歩んでください。
御言葉による慰めと励ましを与えてください。

あなたと共に歩むことを教えてくださいますように。

2008-05-16

ちょっと週末・・・

この週末、ちょっと更新ができないかもしれません、
優先順位の問題で・・・。

でも一緒に聖書を読んでおられる方々もおられるでしょうから、
できる限り時間を見つけて、「日々の祈り」だけでも、更新するようにします。

とりあえず、今日の聖書はまた次の機会に・・・。

2008-05-15

主の言葉を聞く

今日は朝のうち雨がぱらついたりしましたが、
予報よりいい天気で、暖かくなりました。

明日は雨で、肌寒い日になりそうです。

今朝、起きたら6時45分。
とうとう早朝祈祷会を休んでしまいました。
もしも「ああ、今日行こうかなあ」と思って、
来られた方、おられたら、ごめんなさい。

携帯にめざましをセットして、
どこかに置いてしまったようで、
枕元にはありませんでした。
めざましなしに起きれる日も多いのですが、
今日は寝過ごしてしまいました。

そんな今朝早く、
教会の方のご主人が天に召されて行かれました。
アメリカ人のご主人で、結婚50周年を目前にしての、
突然の召天でした。
英語の方なので、わたしたちの教会は、
駐車場までの方でしたが、
まじめな、奥様を大切にする、口数の少ない紳士でした。

何度か、Heart Attackを繰り返しておられたので、
ある程度覚悟はされていたのですが、
昨日は普通に生活をして、
普通に「おやすみ」を言って、
休んで、朝、召されたそうです。

奥様は、平安の中にご主人が召されたことに、
本当に神さまからの慰めをいただいておられましたが、
それでも、連れ合いから引き離されるのは、
どれほどの痛み、悲しみかと思います。

ご本人もお体が弱い中で、どんなに心細いことだろうか、
これからどんな悲しみが襲ってくるかと思います。

今夜、神さまの守りがございますように。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一3章でした。

「お話しください。しもべは聞いております」(10節)

神さまから突然声をかけられたサムエル。
それもまだ「わらべ」といわれる年齢のサムエル。
12歳より下だったのではと言われます。

でも、その最初のメッセージは、
恩師エリの家への裁きの預言でした。
その裁きの預言を与える中で、
エリに伝えるのはあまりにつらい内容でした。

でも、それこそ、サムエルに与えられた試験だったのではと思います。

「僕は聞きます、主よお語り下さい」と言う時でも、
わたしたちは聞きたくないことには耳をふさいでしまうものです。

それを聞いて、そして、それをまた語る、
語りづらいことでも、主からの言葉としてはっきりと語る、
それが預言者の働きでした。

わたしたちもそのような意味で、御言葉を聞くことがどれほど大切かと思います。
耳に心地よいこと、ホッとすることだけを求めて、
それで「恵まれた」というのではないんだと思います。

主から語って頂く者であることができますように。
そのためには、何よりも主を第一とすることができますように。

主よ、
あなたの慰めを、あの、ご主人をあなたの元にお送りした姉妹のうちに与えてください。
主が支えてくださいますように。
主よ、
どうか御言葉を与えてください。
御言葉をそのまま受け取り、
そのまま語る者とならせてください。

2008-05-14

やっぱり外歩くとねえ。

今日は朝晩は冷えましたが、昼間は暖かかったですね。
明日はどんよりで、ちょっと雨も降るかもしれません。

今日はNYだったので、できるだけ外に出ないようにと思っていても、
どうしても外を歩かないわけにはいきません。

2-3日やめていた薬も飲んでいったのですが、
何度かくしゃみが止まらなくなりました。

どうしても外を歩かないわけにはならない仕事の方、
外で仕事をなさる方は、この時期、どれほど大変かと思います。

さて、今日は早速聖書。
今日はサムエル記第一2:22-36

「またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて・・・」29節。

これは神さまから祭司エリへの言葉です。
子供に対して強く言えないエリに対して、
「あなたは私よりも息子たちを重んじている」
と言われたのでした。

自分は何を一番重んじているだろうかと、
問われているような気がしました。

神さまに従うこと、
本気で神さまを第一とすること、
そこに今私は招かれていると思います。
妥協をしないで、神さまに従っていく者でありたいと思います。
人を恐れないで、神さまの導きに従っていく者でありたいと思います。

主よ、
あなたを第一とします。
あなたを重んじます。
あなたの喜ばれることをさせてください。
そして、罪を罪として指摘し、
救いの素晴らしさを語ることができますように。

明日のキッズクラブも主よ、あなたが豊かに祝福してくださいますように。

守り。

さて、月に2回のNYの日なので、
朝からマンハッタンに出ています。
マンハッタンオフィスはミッドタウンにある図書館。
電源も、インターネット接続も無料なので助かります。

難を言えば、話ができないことでしょうか?
面談場所には使えないし、
電話に出るのにも階段に出なければなりません。

あと、飲食および、居眠り禁止でしょうかね。
お弁当を持ってきて、広げたり、
あと、どうしても眠くてしょうがない時でも、
座ったままうとうともここでは許されません。
警備員が回ってきて、「ここは寝るところではありません」と
堅いことを言われます。ごもっともですが・・・。

昨日、ある集会で話をしながら感じたのですが、
わたしたちは結構過去の「よかった」経験を忘れてしまっている、
そして、痛みの経験を覚えている、
そして、その痛みの経験の記憶がわたしたちの行動にかなりの影響を与えてしまっている、
のではないかと・・・。

私の場合は「いろいろ考えて、言いにくいことだけれども、どうしても言った方がいいだろう」と思ってお話ししたことが裏目に出てしまった経験、それを鮮明に覚えていて、本当にお話しして良かったなあ、という経験を忘れてしまっている、ということでした。

もう20年くらい前のことですが、
ある人に「どう思いますか、正直に言ってください」と聞かれて、
そうか、と思い、いつも感じていることを、ストレートに話しました。
もちろん、「愛を持って真実を語る」という気持ちで。
でも、彼は私の言葉を受け入れられなくて、
切れて、自分の正当性を一生懸命に弁護して、
それ以来自分には寄りつかなくなった経験があります。

そういうことはいつまでも心に残ります。
そして、「正しいと思うこともあまり言わない方がいいのかな」と守りの気持ちにさせます。
言った自分が傲慢だったのかもしれない、と罪意識を感じたりします。
(もちろん、実際そういうこともたくさんあると思いますが・・・)

でも、昨日、お話ししながら、自分が勇気を持ってお話をしたら、
それを本当に真剣に受け止めてくれて、
事態が好転した経験はなかったかなあ、と思いだしていました。

そうしたら、思い出したんですね。
すっかり記憶の山の中に埋もれていて、
普段は意識していなかったこと。

高校のオケで、
経験は長いんだけれども、
どうしても楽譜通りに吹けない後輩がいました。
その理由ははっきりしていました。
「練習しない」の一言に尽きました。
そして、できなくても何とも思っていないかのような
彼の態度に怒りを覚えていました。

金管リーダーをしていた私は、ある時、勇気を出して、
個人的に一緒に練習をしようと彼を誘い、
彼に直接、ストレートに彼の問題を指摘して、
もっと練習をすべきこと、
そして、そのために自分も一緒に時間を過ごしたいことを伝えました。
きついことも言ったと思います。

彼は変わりました。
自分がどんなに甘えていたか、
甘く考えていたか、気がついたのでした。
そして、彼は真剣に練習しました。
ある程度の経験があるので、
ちゃんと練習をすれば、楽譜通りに吹くことができたのです。

それが金管全体、いやオケ全体の雰囲気を変えたことは言うまでもありません。

そういう経験を忘れてしまっているんですね。

人間って(自分って?)そういう傾向があるんだと思います。

聖書の言葉を思い出しました。
「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」詩篇103:2

神さまが与えてくださった良い経験、忘れないでいつもいつも思い出して、
神さまを信頼して、歩んでいきたいと思いました。

さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一2章11-21節。

「少年サムエルは、主のみもとで成長した。」21節。

「日々のみことば」誌で、
幼子サムエルを取り巻く状況は恐ろしいものだったことが述べられています。

確かに、サムエルにとって直接のロールモデルになるべき
エリの子供たちは、恐ろしい罪を犯していました。
そして、祭司エリは霊的なことのわからない指導者でした。

そして正しいことを自分の子供たちにも強く言えない、
子供たちの性的な罪を聞いても、
彼らがそれを指摘された時に悔い改めなくても、
彼らを免職出来ない指導者でした。

でも、そんな中でも、サムエルは守られました。
そして、神に用いられる人になったのです。

環境がわたしたちに与える影響は本当に大きいものです。

でも、環境よりも大きな方がおられます。

「神さまよりも大きな、力強いものはこの世に一つたりとも存在しない」

もう一度思わされました。

「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」(列王記第一6:16)

神さま、
あなたがどんな環境の中でも、
わたしたちを守ってくださる方であることを感謝します。
どうか、今日も教会の一人一人の歩みを守ってください。
特に子供たちをその取り巻く環境の中で、
守ってください。

また朝にでも・・・

先ほど帰ってきて、もう休むので、
また明日の午前中あたりにNYで更新します。

火曜日はいい天気でした!
風が強かったですが・・・。
明日は外を歩くので、ちょっと花粉症が心配。
ではでは~。

2008-05-12

固定電話はもう不要?

今日の雨は予報で言っていたほどではなくて、
朝7時頃ざあざあ降った後は、ほんのちょっとでしたね。
もっと南の方は大変だったようですが・・・。

風は強かったです。

明日はきれいに晴れますが風の強い日になりそうです。
花粉は風が強い分飛ぶと思いますし、
北の方から運ばれてくると思いますが、
もう峠は越えているでしょう。

今日、何の気なしにテレビをつけたら、
magicJackという製品のPRをやっていました。

40ドルくらいの機械をコンピューターのUSBに差し込むと、
それが電話のジャックになっちゃうというやつ。
コンピューターがブロードバンドのインターネットにつながってさえいれば、
なんと年間19.95ドルでアメリカ国内電話かけ放題。

そんなうまい話には絶対裏がある・・・と思ったのですが、
特に裏があるようでもなく、カスタマーサービスがひどいみたいですが、
それ以外は問題もないようですね。

今、うちはVonageの月14.99ドルで500分まで無料、というプログラムに入っていますが、
magicJackはそれの10分の1でかけ放題。

電話を受け取りたい時間帯はコンピューターを入れっぱなしにしないといけないのが
ちょっと難点ですし、私の場合、すでに教会でPRしているうちの番号がそのままトランスファー出来ないようなので、今、これに乗り換えることはできませんが、将来、検討すべきサービスですね。
また、これに刺激を受けて、Vonageも値下げをしてほしいものです。

でも、考えてみれば、今、5人家族で携帯電話4台。
6歳の娘以外はみんな自分の携帯があるんですよね。
家の中でも問題なくつながりますから、
もう固定電話の存在価値がなくなりつつあります。
今の若者たちはその方向になりつつあるそうですが、
何も若者だけではなくて、家族持ちでも、携帯があれば、
固定電話いらないのかも・・・。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第1の2章1-10節。

「 主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。」2節。

神さま以外に同じような方はおられない。
神さまよりも強いものは何もない。
神さまにどうにもできない問題は何もない。

そのことをもう一度思わされ、祈らされました。
本当にそのことを信じているのか、、
本気でそれを信じて生きているのか、
問われていると思いました。

今朝、「神さまに起されたみたい」と1人の方が共に祈るために来られました。
神さまのなさること、それは素晴らしいと思います。
これからも本当に安心して、信頼して歩んでいこうと思いました。

主よ、
あなたのような方はおられません。
あなたが私の岩です。
私が頼る方です。
どうか、あなたの最善がなされている御手を
見ていくことができますように・
わたし自身そのことに気がつきますように。