2010-07-15

いつもいつも・・・。

「私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」第2コリント15章58節


今日は久しぶりの我が家での集会。
いつも来られている方々でご都合の悪い方もおられて、
始まるまでは、「余り来られないかなあ」と思っていましたが、
開けてみたら、先月ゲストが来られたときに続く沢山の方々が来られました。


その中に初めてお会いする方もおられたのですが、
その方が言っておられたこと。


10年くらい前、他の州で学生をしていたとき、
日本語で聖書の話を聞く集まりに行っておられたそうです。


その町には常駐の日本語牧師はおられなくて、
他の町から月に1回、回ってこられていたそうです。
その先生の名前を伺ったら、私も知っている方。
今は日本におられると思いますが、私も15年以上前ですが、お会いしたこともあると思います。


その方が言っておられたのですが、
「先生は私のことは覚えておられないと思いますが、私はその集会で語られる言葉で、何度も救われる思いをしました」と。


「水の上にパンを投げなさい。多くの日の後に、あなたがたはそれを集めるから」という言葉も聖書の中にはあります。


その先生ももしかしたら、その方の言葉のとおりに、忘れてしまわれているかもしれません。でも、それは無駄にならなかった。


だから、いつもいつも、忠実に、誠実に、愚直に、聖書からのメッセージを語り続けたい、今日はそんなことを思わされました。


感謝。


今日はすっかり雨も上がって、
いい天気になりました。
昼間は「過ごしやすい」と思ったのですが、
夜になったら、湿度が高くなってきて、
ベタッとする感じがします。
10時半で気温は24.9度。


明日も蒸し暑い一日なりそうです。
気温も今日よりも上がって、35度くらいまで行きそうです。
夜にはちょっと雷雨があるかも。


今日は7月11日(日)の聖書。
ローマ6:1−14。


「このように、あなたがたも、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」11節。

この「思いなさい」っていうのがキモ。
実感に任せていてはいけないのだと思う。

「自分は罪に死んだなんて思えない」とか、
「自分の生活はイエスに対して生きているなんて言えない」とか、
「実感がない」とか、
私たちは考える。そして、口にする。

でも、聖書は、
「いや、あなたがどのように思おうとも、どんな実感があろうとも、あなたはイエスを救い主として受け入れて、バプテスマを受けたときに、罪に対して死んで、キリストにあって生きているのだ」と私たちに語っているのだ。

だから、もう罪に支配されるような生き方はやめなさい、というのだ。

実際のところ、自分の実感と、聖書の言葉とどっちが正しいのだろうかというと、聖書の言葉なんじゃないかと思う。ちょうど天動説に人々が支配されていた時代に、地動説が提示されたように、私たちが自分の実感に支配されているところに、聖書のメッセージが投げかけられている。

「思いなさい」と言われているのだから、そうすることにしよう。

主よ、
私は罪に対して死んで、キリストによってあなたに対して生きている者です。
そのことを、信じます。そのように自分の人生を見ます。そのように自分の存在を見ます。
そのことを、また実感を持って知ることができますように。

2010-07-14

大雨でしたね〜。

今日は「朝のうち」なんて言っていましたが、
大外れで、一日大雨でしたね。
NYは大したことはなかったですが、
NJの一部は大雨でした。

サキは町のプログラムで野球観戦(独立リーグ)の日だったのですが、
雨の中で待たされて、結局中止だったそうで、
びしょぬれで帰ってきたそうで。

帰りが遅くなったので、もう休みます。
ではでは・・・。

2010-07-13

どんぐりの話その3。

今日はまとまった雨がざあっと降りました。
土曜日もそうでしたが、何度も「降るぞ」という日に、
大して降らなかったので、久しぶりです。


昨日、餃子のためにニラを取ろうと裏庭に出たら、
雨不足でかなり枯れていました。


この雨でまた新しい芽が出てくるのを期待しています。


明日は朝のうちは雨が残り、
また蒸し暑い一日でしょう。


天気予報を見るとこの蒸し暑さは、来週一杯くらいまでは続きそうです。


どんぐりを抜いていると、いろいろなことを考えさせられます。
以前使った写真ですが、
途中まではこんな感じでどんぐりの栄養で、
ぐんぐん育っていきます。




でも、どこかの段階で、この小さなドングリの木の苗も、
このどんぐりからの栄養には頼らないで、
自分の根っこから養分を取って、
自分の葉っぱで光合成をして、
成長していくのです。


そして、やがては、自分でどんぐりを実らせるような木になっていくのです。


私たちもそうですね。
最初は育ててくれる人がいて、
その人に頼っている中で、ぐんぐん成長していく。
でも、どこかのタイミングで、神様から直接力をいただいて、
成長していくようになる。


そして、やがては、今度は自分が誰かを育てていくような存在になる。


どんぐりの大切さも、自分で根を張っていくことの大切さも、思わされます。


さて、7月10日(土)の聖書。
ローマ5:12−21でした。


「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」20節。

先日もある話の中で、
「クリスチャンになってからの方が罪が罪としてわかるようになった」ということ言っている方がおられました。それまではなんとも思っていなかったことが、心に示されるようになったんですね。

だから、「罪の増し加わるところ」というのは、
「ますます罪を犯すところ」というよりも、
「ますます罪を自覚させられるところ」なんでしょう。

でも、そこには、主の恵みがあふれる。

人間だからしょうがない、じゃなくて、
そこにも注がれる主の恵みが溢れて、私たちを喜びで満たす。

そして、次の章に続いていくように、
罪の奴隷から解放されて、主の恵みに応えて歩んでいく。

罪を感じなくなってしまうようなことがありませんように。
本当に見えないところの生活がきよめられ、整えられますように。
そして、自分の愚かさ、弱さにもあふれるあなたの愛に、感謝しつつ歩めますように。

神様、
あなたの恵みを感謝します。
あなたが今日も、共にいてくださいますから感謝します。
いつもあなたから力をいただいて歩んでいくことができますように。


2010-07-12

根っこは深く深く。

今日も暑かったですね。
うちの庭の最高気温は36.5度。
でも、今日はまだ湿度がそれほど高くなかったのか、
それほどきつく感じませんでした。


今は10時半で、25度。
これから雨が降ってくるようです。
明日も一日雨。


しばらく雨らしい雨が降っていないので、
ここらへんでちゃんと降っておいて欲しいところrです。


今日は庭のどんぐりぬきの続き。



こんな感じのが芝生の中ににょきにょき生えてきています。
全体を見るとこんな感じ。


とても目立ちます。
みっともない感じがします。
そこで、面倒がってこのまま芝刈りをしてしまうと、
その場は何とか見栄えはするのですが、
すぐにまたにょきにょき生えてきています。
そして、その分、根っこは下に張っていきます。

だから、一本一本座り込んで抜かないといけません。
春だったらまだマシなのでしょうが、
7月まで残ったものは、やはりそれなりに根を張っています。

特に今年のように雨がそれほど多くない年は、なおさらです。

雨がふらないと、水を探して、植物は根をどんどん下に伸ばしていきます。
そして、横に張っていきます。

その分、深く根をおろすことになるのです。

だから、植物もちょっと水が足りないくらいがいい。
飢えているくらいの方がいい。

人間も同じですね。
試練によって、私たちは深く深く主からの栄養をいただこうとするのです。

作業が終わって、こんな感じに、目立たなくなりました。
今度は芝刈りです。


その後は、夕食の準備。
餃子に挑戦したのですが、
皮を作る段階で水の量を間違えてしまって、
大変なことになってしまいました。


近いうちにリベンジを狙います。


さて、7月9日(金)の聖書から。
ローマ5:1−11でした。


「忍耐が練られた品性を生み出し・・・」4節。

この新改訳の「練られた品性」って、
使わない言葉ですが、とてもうまくはまっていますよね。
品性が練られて、整えられて、
でも、それは困難の中での忍耐によって
初めて起こること。

困難のないところでは起こらないのでしょう。

だから、いろんな試練は、必要なのでしょうね。
もちろん、そのような試練がない、というのは、
それはそれで、感謝すべきなのでしょうが。

練られた品性、持たされるように、
主は私にも試練を与えてくださるんだなあと思いました。

逃げないで、その中で、主に祈って答えを頂きたいです。

主よ、
試練が襲ってきたときに、
理解に苦しむことが起こったときに、
私は今、「練られた品性」を与えられようとしているのだと、
感謝をすることができますように。

2010-07-11

根っこがたいせつ。

今日も暑いです。
今、夜の9時半ですが、27度です。
昨日も、今日もあちらこちらで雨が降ったようですが、
家の周りのは降っていないようです。
明日も33度くらい。
先週に比べるとずっとましですが、
暑い日が続きそうです。


去年の秋にたくさん落ちたどんぐり。
春にはぼちぼち芽を出していました。
それがこの暑さでぐんぐん伸びています。


それで、引っこ抜くのですが、
ちゃんと根っこまで抜かないとまた伸びてきます。
あたりまえか・・・。


こんな感じで、どんぐりのてっぺんから芽を出すんですよね。





でも驚くのはめちゃくちゃ根が深いこと。
これで30センチくらいでしょうか?
こんなに深い根だから、
芝生に元気がなくなるような暑い日が続いても、
元気で伸び続けています。


人間もそうですよね。
根っこが大切。
聖書のみ言葉にしっかり根をおろして、
そこから養分をいっぱいいただいて、
成長させていただきたいです。


人の目に見えるところではなくて、
見えないところを大切にして、
歩ませていただきたいです。


さて、ちょっと前ですが、7月8日木曜日の聖書から。
ローマ4:13−25でした。


「彼は望み得ないときに望みを抱いて信じました。」18節。


望みを持つことができないような状況で、
そのような場面で、
そのようなところで、
アブラハムは望みを抱いて信じたのです。

望み得ないというのは、望むことができない、ということです。
望むことができないのに、望んだ、ということはどういう事なのかと思います。

望むことができないから、望むことができないのに、
望むことができないときに、望んだなんて・・・。

でも、そこにあるのは、やはり神、という要素なんだと思います。

神様を計算に入れなければ、望むことなんかできないことを、
神様の真実ゆえに、神様の約束ゆえに
望んで歩んでいくことができるのです。

自分もあまりにも常識的な人間になっているかもしれません。
常識的なところで生きているのかもしれません。

望み得ないことを、望む勇気を、
神ゆえにもつことができますように。

信頼することをもっと経験することができますように。

主よ、
あなたを信頼します。
あなた故に、望み得ないことを望むことのできる者となれますように。


明日は久しぶりの完全休日。
ゆっくり、JOYJOYキャンプのアイディアを練らせていただきます。