2007-08-25

大丈夫。

今日は本当に暑い日でした。
我が家の温度計の最高気温が33.4度C。


で、今は夜の10時半ですが、
この時間でも、まだ28度以上あります。


レーダーを見ると雨雲が西から近づいているので、
11時頃には雨になりそうです。


でも、蒸し暑さはその雨でも解消されず、
明日もう一日暑い日が続きそうです。
また一雨あって、明日の夜にはやっと涼しくなりそうです。


今日は下の娘が寝るときに、
久しぶりに本を一緒に読みました。

ひらがなが読めるようになってきたので、

1ページ交代で読むことにしたのですが、

最初に彼女曰く「上手に読めないから・・・」だって。


そんなのこちらは百も承知。
少しずつ読めればそれでいい、と言う感じなんですが、
それなりに恥ずかしいとか、プライドとか、あるんでしょうね。


でも、そんな娘の姿を見ながら、
自分が神様に対して同じようなこと言っていないだろうかと思いました。


「そんなに上手にできないから・・・」

神様はそんなことを百も承知で、
私たちに使命を与えておられるのに、
逃げていることがないだろうかと思いました。


上手にできなくてもいい、
ただ、主の僕として、主の導かれること、
主の与えられることをさせて頂きたいと思いました。


昨日の夜の信徒勉強会の中で、私の心に響いた言葉、
民数記11:21-23です。


モーセは言った、「わたしと共におる民は徒歩の男子だけでも六十万です。ところがあなたは、『わたしは彼らに肉を与えて一か月のあいだ食べさせよう』と言われます。 羊と牛の群れを彼らのためにほふって、彼らを飽きさせるというのですか。海のすべての魚を彼らのために集めて、彼らを飽きさせるというのですか」。 主はモーセに言われた、「主の手は短かろうか。あなたは、いま、わたしの言葉の成るかどうかを見るであろう」。


「主の手は短かろうか。」

語られました。


主の全能を信じて、祈って進んでいこうと思います。


今日の聖書。
今日は箴言の4章でした。


「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。  
いのちの泉はこれからわく。」
23節の言葉です。


「力の限り、見張って」という言葉が心にとまりました。
どれほど、「心を守る」と言うことが大切なのか、
サタンの攻撃に対して、
またいろいろな、心を弱らせようとする力に対して、
「心を守ること」がどんなに大切か、思わされました。

弱いです。
そして、弱いところに、つけ込んできます。
そして、落ち込ませようとします。

だから、気をつけていたいと思いました。

いつもいつも自分の心の状態に、
目をとめていきたいと思います。
そこを気をつけて、
サタンにつけ込まれたりしないように、
そんなことを思わされました。

主よ、
私の心を守ってください。
あなたに真実であることができますように。
弱ってしまうときに、
サタンの思うつぼにはまってしまうことがないように。
あなたの御力を、強さを知るときとしてくださいますように。

2007-08-24

旅立ち

今日は一転蒸し暑くなりました。
最高気温が30度くらいというのはまあ、いいとして、
湿度が高い。

夜になっても今、10時半ですが、
25度。でも、湿度が高いので、もっと暑く感じます。

明日は35度くらいまで上がり、湿度も高いので、
体をこわさないように要注意です。

明日、教会の子が一人大学に出発します。
今日の朝、「お祈りしてください」と一人で来られて、共に祈りました。

帰っていく後ろ姿を見送りながら、
最初に会った頃のことを思い出していました。
ここまで守ってくださった主に感謝しながら、
これから神様はどんなにすばらしいことをしてくださるか、
楽しみです。

自分の信仰の歩みを振り返ってみても、
大学に入ってから、経験したこと、学んだことがどれほど多く、
そして、一つ一つがどれほど大きかったかということを思い出します。
だから、神様はこれからたくさんのことを教えてくださるでしょう。

親元を離れて、頼るものも、本当に何よりも神様。
○○さんのところのお嬢さんではなく、
一人の人間として、みんなに見てもらう。
どれほど大切なことかと思います。
信仰的にも自立して、思いっきり大きくなるのでは、
と大きく期待しています。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の3章。

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。  
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
6節の言葉です。

どこでも、
どこにいても、
しゅをその歩みの中で認めていく、
そのときに道がまっすぐになっていく。

自分がまっすぐかどうか気にするよりも、
主を見ているか、
主を第一にしているか、
それが大切なのだと思わされました。

「主を認める」とはどういうこと?
「主がいつも見ておられるので、主が何を望んでおられるか、考えながら歩む」?
「どのような中でも、主の御手があることを信頼して歩む」?
「主の存在を計算に入れて決断をしていく」?

そういうことすべてなんだろうなあと思います。

そのように歩ませて頂きたいと思います。

今日の集会前に一つの大きな祈りの課題が寄せられて、
どう祈るべきなのか、どのように願うべきなのか、
いろいろ思わされています。

「どんなときにも御霊によって祈りなさい」エペソ6:18

昨日の祈祷会で与えられた御言葉です。
聖霊様が、私にどのように祈るべきか、教えてくださるように、
求めつつ、御霊に導かれて祈っていきたいと思います。

主よ、
どうか、私の目が、
いつもあなたを見つめていけますように。
あなたを見上げていけますように、
あなたを認めていけますように。

祈るときにも、
どのように祈ったらいいか、わからない中にも、
祈ることを、教えてください。
聖霊様、導いてください。

2007-08-23

届かないところに届かせる

夜、予定があるので、
今日は早めに更新・・・。

今日は夕方から外が明るくなってきましたね。
おかげで気温も25度くらいまで上がってきました。
明日はもっと晴れて、もっと気温が上がるでしょう。
30度くらい。

そして、土、日と夏が帰ってきそうです。
32、3度。

でも、その後、暑い日とましな日が交互にやってきて、
来週後半からは秋になるようですね。

我が家のインターネット接続は
Verizon Fios。
光ファイバーです。
去年の終わり頃にケーブルから、テレビも含めて、
ちょっとだけ安いこちらに乗り換えました。

そのときに無線ルータもついてきて、
それを使っているのですが、
ちょっと電波が弱い。

で、私の勉強部屋では、時々遅くなったり、つながらなくなったりします。
それが結構イライラします。
無線ルータとコンピューターの間にたくさんの壁があり、
台所まである、ので、仕方がありません。

何とかならないかなあと、ケーブルでつなげることも考えていました。
でも、配線をあちらこちら引き回して、つなげるのは、
美しくやるのが素人にはすごく難しい。

しょうがないから、アンテナを強力なのに換えようかと思っていました。
50ドルくらい投資しなければいけません。

そんなんで、いろいろ探していたときに見つけたのが、
このコメント。

Turning a Linksys WRT54G Router into a Wireless Client Access Point

まあ、何を言っているか、さっぱりわからん、という方も多いかと思いますが、
インターネットにつながっている無線ルータから電波を飛ばして、
もう一つの無線ルータを「受信機」にして、
そこからコンピューターにつなげるという方法です。

ふつうはコンピューターに内蔵されている受信機で無線を受け取るのですが、
それだとどうしても電波が弱い。
その内蔵受信機を停止して、2つのルータ同士の間で交信させて、
コンピューターはケーブルで机の上に置かれたルータにつなぐのです。

うちにも一つこの人と同じ機種の無線ルータが余っていたので、
実際にやってみました。
そしたら、すごい\(^_^)/
ものすごい安定して、ものすごい早いです。
さすがに台所で電子レンジを使われると、止まっちゃいますが・・・。

届かないところに届く。
うれしいですね。
それも、それまで棚で眠っていた機械の再利用。

人とのこともそうですね。
届かないように思えるところに、
何とかして届いていく。
それも、眠っている賜物が生かされて、
今まで届かなかったところに届いていく。
そのような働きが広がっていくようにと祈ります。

今日の聖書。
今日は箴言の第2章。

「正直な人は地に住みつき、  
潔白な人は地に生き残る。」
21節の言葉です。

正直な者でありたいと思いました。
いろんな誘惑、いろんなわがままな思いの中で、
本当に主の前に真実に歩む者でありたいと思います。

そのために、主を見つめて歩みたい、
主の戒めに対して、
主の警告に対して、
素直でありたいと思いました。

なかなか自分では気がつかないのでしょう。
わからないのでしょう。

だから、人の忠告に対して、耳を傾ける、
心の柔らかさも持っていたいと思いました。

主よ、
私を守ってください。
私の心を守ってください。
真実な歩みをさせてください。

どうか、柔らかい心と、
しっかりとあなたに目を向けて歩む頑固さと、
強さを与えてください。

誘惑から守ってください。
誘惑の中でも、あなたを見失うことがありませんように。

2007-08-22

うちにあるもの

今日も肌寒い一日でした。
時々霧雨も降ったでしょうか。

でも、昨日よりもずいぶん暖かく、
今は夜12時で17度くらいあります。

明日の午後から晴れ間が出てくるようです。

そして、あさっては30度を超えるとか!
この気温の変動には体がついて行かないですよね。

お気をつけください。

今日はNYの日だったので、昼に、
NYCooでもたれている写真展に行って来ました。

よかったですよお。

友人のToru Mimuraさんの作品も
とっても味があって、
プラス一つ一つの作品につけられた名前がまたよかったですね。
「頑固な亭主」とか「尊大な父」とか・・・。
うんうん、とうなずきながら見てしまいました。

今回は4人の方の作品が展示されているのですが、
それぞれ個性があって、
写真は何か外にあるものを写しながら、
その人の中にあるものを、表現するんだなあ、と思いました。

私は子供の時に「自分は絵が下手だ」と思いこんでしまったので、
ずっと「苦手意識」がありました。今でもあります。
でも、NYCooのKeicoさんといろいろお話をしていると、
「私にも何かできるかもしれない・・・」という気になってくるんですよね。
それでいいんですよね。
「うまい」「へた」じゃなくて、その人の中にあるなにかが表れる。
その中身を豊かにしていくこと、
そして、その表現の方法を磨いていくこと、
それですよね。
何かやってみようかな・・・という気になったひとときでした。

その前、朝には、半休をいただいて、
先日のいただき物のお礼にCourtに行ってきました。
自分の用事でCourtに行くなんて初めて。
この手のいただき物だってParking以外では15年でまだ2枚目かな。

経験豊かな皆さんにいろいろお伺いして、
「それくらいなら行かなくてもいいんじゃない」
「行った方がいい、そしてまずprosecutorのところに行って、guiltyって言うからポイント下げて、とお願いする」
「行くならnot guiltyでしょ」
と、いろんなアドバイスを受けましたが、
結局、よくわからないままに、「とにかくまずprosecutorのところに行こう」だけ決めていきました。

で、すぐにそのprosecutorのところに行く行列に並んで、
いただき物を見せたら、「guiltyを認めたら、4ポイントのところ、2ポイントにするよ」と言われて、
もう一声、と思ったのですが、ぐっと飲み込んで、そのままサイン。
裁判官のところで、「guilty」と言って、罰金と追徴金、裁判費用、合計260ドルを言い渡されて終わり。
元々105ドルでしたから、ちょっと痛い出費ですが、
保険やら、これからまた失敗をするかもしれないことを考えたら、まあ、いいかな、と。

でも、今回のことでは懲りて、気をつけていますよお。
制限速度、厳しく守っております。ハイ。

こんなこと、ここに書くのもはばかられたのですが、
アメリカでの生活の中でのトラブルで「どうしよう」と思われている皆さんの参考にもなるかなと思い報告。

さて、今日から始まる箴言の通読。
31章ありますから、ちょうど1ヶ月かかります。

箴言は、知恵の言葉、格言集、と言うべき書物ですが、
単なる知恵ではなくて、
「主を恐れることは知識のはじめである」と1:7にあるように、
神様を恐れる中で育つ知恵、知識、格言の書物です。

今日は1章でした。

「あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、  
わたしの叱責を受け入れなかった。」
25節の言葉です。

これは愚かな人に対する言葉ですが、
主の忠告や叱責を受け入れなかったことが責められています。

私たちはいかに神からの警告や忠告を
受け入れることが難しいでしょうか?
いろいろ言い訳をしたり、
「人間だからしょうがない」と開き直ったり・・・。

でも、主からの警告を甘く見ないこと、
どれほど大切なことかと思います。
逆に主からの警告がどれくらいありがたいことなのか、
気がつくことのできる者でありたいと思います。

主よ、

あなたからの警告に対して、
素直に悔い改めることのできる者としてください。

あなたの警告に敏感である者でいることができますように。

あなたからの警告の一つ一つに感謝しつつ。


2007-08-21

詩篇読了。

今日は本当に肌寒い一日でした。
そして冷たい雨がしとしと降る日でした。
昼間の気温も15度くらいまで。

今は夜の12時ですが、やはり14度。

明日は今日よりは天気がよくなるようですが、
それでも、10度台の肌寒い一日となりそうです。

さて、今日で5ヶ月かかった詩篇の通読も終わりました。
こんなにゆっくり読んだのは初めてだと思います。
たくさんの「嘆きの歌」の中で、
「困難」「敵の迫害」「嫌がらせ」の中で、
自分のなすべきことをしっかりと見つつ、
神の助けを求めていった信仰者の姿が、
今回の通読ではとても心にとまりました。

明日からは続けて詩篇の次の、「箴言」を一日一章ずつ読んでいきます。

是非、おつきあいください。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の150篇でした。
「その大能のみわざのゆえに、  
神をほめたたえよ。」
2節の言葉です。

神様の「大能」ということを思わされました。
神様が大きな力を持っておられる。
神様には何にもできないことはない。

本気でそれを信じて、
本当に、実際にそれを経験して、
自分は賛美を捧げているだろうか、
問われました。

もっともっと神様の大能を信頼して、
神様の力をあてにして、
そして、その力を経験させて頂きたいと祈らされました。

特に、出会う一人一人に、
福音の奇跡が起こるように、
救いのみ業がなされるように、
神様の愛が伝わるように、
祈ります。

主よ、
あなたの大いなること、
あなたの御力の強さ、
もっともっと教えてください。
私の人生に表してください。
経験させてください。
そして、それを大胆に証する者とならせてください。

「神の子になりたい」

さて、今日6歳になった娘。

先日の日曜日に教会学校で
「神様の子供になる」という話がいたく心にとまったようで、
日曜日、寝る時に、もう眠くてもうろうとしながらも、
「神様の子供になりたい」と言っていたそうな。

で、のんちが聞いたら、
JOYJOYキャンプの時の話も心に残っていたようで、
先週か、その前か、一人で「神様ごめんなさい」とお祈りしたそうです。
何をごめんなさいかというと
「お姉ちゃんに意地悪をしたり、ウソをついたこと・・・」だったそうです。

月曜日の朝、5歳の最後の日に、
一緒にお祈りをして、
第2コリントの5章17節を読んで、
「もう大丈夫だよ、神様の子供なんだよ」とお話をしました。

教会学校の先生たちや、JOYJOYキャンプのスタッフの皆さんのご奉仕に心から感謝!

でも、これからが本番。
一歩一歩の彼女の歩みが神様に支えられて、
神様の愛に感動して歩む人生となりますように祈ります。

教会学校の先生方、これからもヨロシク!

息子ですが、
ま、相変わらず何も連絡はありません。
たぶん、何にも通じない村でワークをしているのでしょうから、
連絡がないのは元気でやっているということでしょう。
明日が折り返し点です。

さて、昨日の聖書。
昨日は詩篇の149篇を読みました。

「 主は、ご自分の民を愛し、  
救いをもって貧しい者を飾られる。」
4節の言葉です。

「貧しい」かどうかは別として、
自分が何で飾られているか、それが心にとまりました。

笑われるかもしれませんが、
私も「イケメン」であったらなあ、
と思わないわけではありません。やっぱり。

もう少し足が長かったり、
鼻が高かったらなあ、と思わないことはありません。
っていうか、思います。

でも、「救いで飾られている」かどうか、
それが大切だと思わされました。
そのことをもっともっと求めていきたいと思いました。

神様に救われている喜び、
それが私のセールスポイントになるような、
そのようなものでありたいと思います。
人が私を見るときに、
神様の救いのすばらしさを感じるような、
そんな者になりたいと思いました。

神様、

私の飾りがあなたの救いでありますように。
何よりも、私を見て、
神様のすばらしさを感じてくださる方々が与えられますように。
私自身、何よりも、それを求める者でありますように。

6歳!

最近、親ばかサイトになりつつある、という指摘もありますが、
そんな指摘にめげずに書きます。

今日は一番下の子の誕生日でした。
朝、教会での祈りから帰ったら、
「6歳だよ!」と抱きついてきました。

ここまで守ってくださった神様に感謝。

「これがほしい!」と言われて、
のんちが、カメラもどきのおもちゃを買ってあげたつもりが、
実はよく見たら、「フィルムカメラ」でした。
デジカメだったら、写真を写して、スクリーンで見て満足なんでしょうが、
フィルムカメラだったら、現像してあげなきゃいけないじゃないですか、
そして、失敗したから消してやり直し・・・とかもできないし・・・。

でも、今までデジカメしか知らなかった彼女ですから、
「これはおもちゃなんだよ」と言ってごまかせるかと思ったのですが・・・。

なんと、彼女、あとで説明書を自分で読んで、
「ねえ、ここにフィルムを入れなきゃいけないんだって・・・」って持ってきました。
おい、マジかい。
負けたね。ママ。

さて、今日、詩篇を読み終わったので、
何とか、今日追いつこうと思いますが、
おととい、日曜日の聖書。
詩篇の148篇でした。

「みことばを行うあらしよ。」
8節の言葉です。

ほかのものは、ただ「火よ。雹よ。雪よ。煙よ。」と書いてあるのに、
なぜか、「あらし」だけは、「御言葉を行う」という言葉が着いているんですよね。
そこでいろんなことを思わされました。

主が御言葉を成就しようとするときに、
嵐を用いられるのではないだろうかと。

私たちは人生に「嵐」がやってきたら、
それは「サタンの攻撃」「惑わし」と思うこともあります。

でも、それは「御言葉を実現するため」に主が私たちの人生に送られたものかもしれません。

だから、私は思わされました。
これからの歩みの中で、
嵐がやってきたときには、
それは主が私たちのために、
御言葉を成就するために送られているのではないだろうかと。

主が今、私の人生に何をなさろうとしているのかを、
見極める目を与えてほしいと。

主よ、
どうか、嵐の中で、
あなたの声を聞くことができますように。
嵐の中で、あなたが何をなさろうとしてるのか、
見極める目を与えてくださいますように。
どうか、嵐の中で、この御言葉を思い出させてくださいますように。

2007-08-20

JOYJOY後遺症

今日は雨は大したことはありませんでしたが、
涼しい一日でした。
涼しいと言うよりも、肌寒い・・・。
今、夜の9時半ですが、
17.3度。

明日も雨で肌寒い日となりそうです。

最高気温も20度止まりでしょう。

MITSUWAのJCBカード(無料)を持っていると、
2,5,8,11月の月曜日から木曜日(いつでもにすればいいのに・・・ちょっとセコイ)は、
10パーセントOFFなので、セールのものとか、Han Ah Reumにないものとか、買いに出ました。
滅多に見ない「鮭のアラ」とかも出ていて、ご機嫌で買い物をしていました。

そしたら、去年のJOYJOYキャンプに参加した、3人兄弟の家族に遭遇。
今年はちょうど他の用事が重なって、参加できなかったんですよね。
そしたら、その中の一人が「JOYJOYキャンプがぼくたちをPassした!」とのたまわれました。
楽しみにしていたんですね。
うん、その子、去年も「宝物を探しに行くんだ!」って大張り切りの子でしたから・・・。
いやあ、申し訳ない。

今年はいつもと時期がずれて、
「え~、もっと遅いと思って帰国の予定を立てちゃった」という声をたくさん伺いました。

返す返すも申し訳ない。

JOYJOYと言えば、今年はJOYJOYキャンプが終わった後、
すぐに中高生のキャンプがあって、
ミシガンに行っていたので、
私自身はすぐに気持ちの切り替えができて、
PJSD(Post-JOYJOYCamp Syndrome Disorder)
が出ないかなあ、と思っていたのですが、
ミシガンからの飛行機がNewarkの空港に着いたとたんに、
フラッシュバックが来ました。

携帯の着信音をこちらにしているので、
空港について、携帯のスイッチを入れたとたんに、
迎えに来ていた家族からの電話が入って、
その着信音で発症してしまいました。
今年の場合は、不思議なことに、
ここ3年間くらいのテーマソングがランダムに頭をめぐるという、症例も報告されています。

また、劇症化するケースは非常にまれであるものの、
慢性化するケースが増えていて、より問題が深刻化しているようです。
どちらのケースも、現在の仕事を退職して、フルタイムのJOYJOYスタッフ(今のところボランティアのポジションのみ)になる以外に根本的な解決法はありません。覚悟のほどを・・・。

さて、土曜日の聖書。
土曜日は詩篇の147篇を読みました。

「主は氷をパンくずのように投げつける。  
だれがその寒さに耐ええようか。
主が、みことばを送って、これらを溶かし、  
ご自分の風を吹かせると、水は流れる。」
17-18節です。

硬い氷が溶かされるのも、
御言葉による。
春が来るのも、夏が来るのも、神の口から出る言葉による。

私の心もそうだ。
私の心が溶かされたり、
頑固に思っていたことを、
「もっと大きく構えよう」と思えるのも、
悔い改めに導かれるのも、
御言葉によることを感じました。

もっともっと御言葉によって歩みたい。
御言葉を日々与えらて歩みたい、
そのように思いました。

今度の礼拝の時の聖書箇所でもありますが、
「なくてならぬただ一つのもの」
それは御言葉に聞くことであり、
御言葉に聞きつつ歩むことである、
そのことを本当に深く思わされました。

主よ、
日々の歩みの中で、
御言葉を語ってください。
御言葉によって歩ませてください。
あなたの御言葉こそが、
私の力であり、
私の活力の源です。
あなたを待ち望みます。

2007-08-19

収穫

今日は涼しく、雨も降る一日でした。
本当に秋が来たかのような感じです。
明日もまたすずしい雨となりそうです。
そして、また夏が来るならば、「木曜日」という予報が出ています。

今日は久しぶりの野菜ネタ。

モロヘイヤは先日までの暑さで、結構元気です。
そして、今年3回目の収穫。
さっとゆでて、刻んで醤油と鰹節でいただきます。
粘りがあって、ご飯が進みます。
納豆の苦手な人でも、こっちのネバネバは、大丈夫みたいです。




そして、今年は発芽が遅かった上に、
謎の動物に食い荒らされたナスが、やっと初収穫。


つやつやです。
季節はもう秋。
教会もいろいろな意味で、収穫の多い秋となりますように、祈っています。
さて、金曜日の聖書。
金曜日は詩篇の146篇でした。
「主はかがんでいる者を起こされる。」
8節の言葉です。
ハレルヤ!という賛美から始まる詩です。
何が「ハレルヤ」、どうして「ハレルヤ」、どのような神様が「ハレルヤ」かというと、
弱い者、かがんでいる者、しえたげられている者、
そのような者に目をとめて、
立ち上がる力を与えてくださる神に「ハレルヤ」と賛美を捧げているのです。
主はどんな方か、
弱い者、うちしおれている者、
苦しんでいる者に、目をとめてくださる方。
だから、安心して、信頼して歩んでいこう。
主は守り、支えてくださる、立ち上がる力を与えてくださる。
そこに信頼して、揺るがされない歩みをしていこうと思う。
主よ、
あなたが弱い者たちに目をとめられる方であることに、
感謝します。
ムキにならなくていい。
力を抜いて、主のなさる救いを信頼して歩みます。
どうか、あなたの御業を拝させてください。