2007-10-20

会堂のための祈り

今日はぐっと涼しくなりました。
半袖で動いていたのですが、
肌寒い場面もありました。

今、夜の10時半ですが、
13.4度まで下がっています。
明日の朝は10度を切りますね。

でも、もう10月も後半、
どんどん紅葉が進む頃なんですが、
今年はまだまだですね。

今日は久しぶりの会堂候補地ツアー。
ここに来て、今までになかったような好条件の物件が出てきて、
楽しみです。
神様がどんなことをしてくださるのか、
祈りつつ、導きを求めていきたいと思います。

皆さん、どうか祈ってください。

でも、会堂はどこまでも入れ物。
神様が人の集まりである教会をきよめて、
聖霊で満たしてくださるように祈らされます。

今日も夜の祈祷会で賛美しながら思わされたのですが、
私たちは、聖霊に満たされるためには、
砕かれる必要がある。
砕かれること自体聖霊様の働きだと思うのですが、
砕かれることを拒否する気持ちが自分の心の中にありました。

それが溶かされた時に、
そして、プライドや傲慢な気持ちが砕かれた時に、
ものすごい平安が心を満たしました。
元々、これが砕かれたらどうなるんだろうと、
守る気持ちが強かったと思います。
でも、それが砕かれた時に、
こんなにも楽なのか、と思わされました。
こんなにも自由なのか、と思わされました。

「わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。」
ヨハネ14:27

人にわかってもらったりして与えられる平安とは全然違う、
神様から来る平安ってすごい!と思います。

さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの8章。

「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」
4節が語られました。

散らされながら、
自分の運命を嘆くわけでもなく、
神に恨み言を言うわけでもなく、
御言葉を語り歩いた人々。

先日のセミナーで講師の先生が言われていたこと、
私もずっとそう思っていました。
神様は世界に出て行け、と言われたのに、
クリスチャンたちはエルサレムにとどまっていた。
それで、神様は迫害を許された、と。

だから、神様はすべてを無駄にはなさらない。

私も納得できないことがあっても、
神様のなさることはいつも無駄がない、
と安心して歩んでいこうと思いました。

いったい、この先、何が待っているんでしょうか・・・。

主よ、
どんなことがあっても、
どこに行っても、
あなたを証することをさせてください。
いつも聖書の御言葉を語らせてください。

2007-10-19

無事帰宅。

今日も暑かったです。
でも、夕方から雨で、
さっきまでは蒸し暑かったのですが、
少しずつ涼しくなってきたようです。

夜の11時には22度あった気温が、
12時には19度になりました。

明日には天気も回復するようです。
気温はそこそこ上がるようですが、
蒸し暑さはないでしょう。

さて、どなたかの言葉で、
バケーションの質は、その最後の方に、
仕事に戻りたい、と思うかどうかでわかる、というのがありました。
初めて読んだ時に、そうかあ、と思いました。

今回はバケーションではなかったのですが、
まさにそんな感じです。
早く教会に帰りたい、
教会の皆さんに会いたい、
そして、いろいろ話したい、
と思いました。

実際帰ってみると、言葉にするのが難しい部分がたくさんあるのですが・・・。

でも、本当にそんな気持ちにさせられる、とてもいいセミナーでした。

感謝。

さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの7章。
ステパノの殉教のところです。

「そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。」

60節の言葉です。

ステパノの最後の言葉ですが、
「大声で叫んだ」というところが心にとまりました。

小さな声で祈るのでもよかったはずです。
でも、彼は大きな声で、叫んだ。

本当に心からほとばしり出る祈りだったんだと思います。

いざというときに、
自分の思っていることが出る。

いつも自分の中にあるものが出る。

ステパノがこんな思いでいたことに心が震われました。

自分はこのような気持ちでいられるだろうかと。
主に心を守って頂きたいと思いました。
最後まで人々を愛し続ける者となりたいと思います。

主よ、
このステパノの大胆な言葉と、
最後の言葉の中に表された愛、
本当にすごいと思いました。

私もこのようなことが言える者になりたいと思います。
どうか、私の心にふれてください。
あなたの御業をなしてください。

あなたの平安、あなたの喜びに感謝します。

2007-10-18

使命に立つ

セミナー4日目。
今日は講義はお休みで、
フィールドトリップ。
聖書のミュージカルとイスラエルが荒野の旅に使った幕屋の模型を見学に行きました。

ミュージカルは感動しました。
アートとしては私はわかりませんが、
たぶんかなりハイレベルなんでしょう。

でも、それ以上に内容の持つメッセージ性に打たれました。
「天地創造」の劇だったのですが、
アダムとイブが出会う場面、「あなたは私の骨の骨、肉の肉」というアダムの言葉には、自分自身の夫婦の関係を問われました。
また人が罪を犯した時の神の厳しさには本当に自分の考えの甘さを感じさせられましたし、その後もアダムとイブを愛し続けられた神の愛にも心打たれました。
また、アダムとイブが罪を犯した後、本当に悔い改めて、主を信頼して歩んだ姿、子供たちに神様のことを話していった姿、新鮮に感じました。考えてみたらそうだろうと思います。アダムとイブが神様の話をしていなかったら、この話はどこにも残っていなかったでしょうから・・・。
とっても有意義な一日でした。


さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの6章です。


「私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
4節の言葉です。

はい、その通り私も生きようと思いました。
単純にそう思い、
また単純に祈る時を持ちました。

時々思うことがあります。
ここに書いていることで満足してはいけないと。
本当にそのように生きようと。

主よ、
私はもっぱら祈りと御言葉の奉仕に励みます。
どうか、そこに集中できるように、守ってください。

2007-10-17

ちゃんと外に出て・・・

セミナー3日目。
ちょっとおなかいっぱい。
食べるものもリッチでおなかいっぱいだし、
セミナーも本当に豊かで消化に時間がかかりそうです。

毎日書いているかもしれませんが、
今までこのような機会がなかったことが残念。
もしも、もっと早くこういう機会を見つけていたならば、
今までの牧師としての働きも、ぜんぜん違うものになっていたのではないかと思う。
あ、ここまで書いてから、
去年、佐藤彰先生が来られた時に、1泊だけ、研修会をしてくださったことを思い出しました。それも、すばらしかったです。
でも、今回は本当にリッチです。

今日、ちょっと大きなことがありました。

インドネシアで宣教師をされていた先生が、朝の集会でお話をしてくださったのですが、その中で、暴動に巻き込まれた時ことを話してくださいました。家の窓ガラスが割られ、鉄パイプが投げ込まれたり、石が落ちてきたりという中で、真っ暗な中、子供たちを抱きしめながら、小さくなって、ぶるぶる震えておられたそうです。

その話を聞きながら、突然、小学生だったか、中学生だったか、30年くらい前の出来事が頭の中によみがえってきました。下町の都営住宅に住んでいた私たちの近所にアル中のおじさんがいました。そして、時々、酔っぱらっては「アーメン、ソーメン、いるのはわかっているぞ、でてこい」とうちのドアを思いっきりたたいて、騒ぐのです。ある夜、家族で食事をしている時にやってきて、騒ぎ始めました。あわてて家中の電気を消して、みんなでがたがた震えていました。最後はどなたかが通報して、警官がやってきたのですが、そのときの不安が心の中にいっぱいになって、セミナーの途中だったのですが、危なく声を上げてしまうところでした。

講師の先生が経験された身の危険とは全然レベルが違うじゃないか、それから、自分は親が一緒にいたじゃないか、今まで出会った方々の中には、その親こそが問題で苦しんできた方もいるんだぞ、と思いながら、どうしても、ふるえが止まらない自分がいました。

そして、それがもしかしたら、私が、人生のいろんな困難に出会った時の反応なのかもしれない、と思いました。ただただ、その酔っぱらいのおじさんが去っていくのを黙って待つ、警察が来てくれるのを待つ、そんな感じで、ただただ、我慢をしている、それが今までの生き方だったのかもしれないと。

祈りました。

どうか、扉をあけて、あの酔っぱらいのおじさんに話をする勇気を与えてください、と。

そして、決意しました。
これからは、あの酔っぱらいのおじさんにちゃんと話をしようと。

さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの5章。

「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。」
11節です。

これが私たちの教会にはあるだろうか。
神様に対する恐れ。
神様にごまかしをすることに対する厳しさ。
旧約聖書の話ではない。
罪の赦しが大胆に語られていた教会の中で、
神様を欺くような行為に対する神様ご自身の厳しい裁き、
また神様に対する恐れ。

ただ、誠実でありたいと思いました。
ただ、真実でありたいと思いました。

主を恐れて歩みたいと思いました。

主よ、
あなたを恐れます。
私の生活の一瞬一瞬があなたの御前に生きるような、
そんな日々となりますように。
あなたを恐れて歩むものであり続けることができますように。
あなたが共にいてくださることを示してください。

2007-10-16

おなかいっぱい

ここフィラデルフィアはいい天気です。
NJも余り変わらないと思います。
冷え込むわけでもなく、
暑くなるわけでもなく、
体にとってはとても楽です。

今日は3回のセミナーと、2回の分科会で、かなりエネルギーを使いました。
そして、かなりたくさんのことを学んで、消化不良を起こしそうです。
食べる方もたくさん食べて、こっちも消化不良を起こしてしまうくらい。

でも、その中で与えられた今日のキーワード
「夫婦関係を豊かに」
「愛と忍耐」
(この二つはとりあえず直接的には関係がありません。念のため。)
「自分は傲慢ではないだろうか」

でも、とにかく感謝、感謝です。

今日は火曜礼拝に今まで最高の方々が来られたそうで、
それはまた感謝です。

さて今日の聖書。
今日は使徒の働きの4章でした。

「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」
19節の言葉です。

神に聞くか、人に聞くか?
面倒を恐れるか、正しいことをするか?
もちろん、それが正反対にならない場面もたくさんあると思う。
それは本当に楽だと思う。
でも、そういう時ばかりではない。
そういう時ばかりだったらいいのに、と思う。
でも、そうであってほしいと思う自分がいる。
それはやっぱり人を恐れているんだろうと思う。

神に聞く。
徹底的に神に聞くものでありたいと思う。
いつもいつも神に聞くものでありたいと思う。
御言葉によって教えられて歩むものでありたいと思う。

主よ、
あなたに聞きます。
御言葉に聞きます。
あなたの御言葉に聞きます。
どうかお語りください。
どうか答えを与えてください。
そして、あなたが答えをくださった時に、そこに大胆に進んでいく勇気を与えてください。
それが私の願いと反対である時に、そこに進んでいく従順さを与えてください。
そして、それが人々の声と違う時に、そこにまっすぐ進んでいく、確信を与えてください。
人々にそれを分かち合い、わかってもらえるような愛と忍耐をください。

2007-10-15

こんな時を待っていた!

今日からフィラデルフィアの牧師のためのセミナー。
10年間、こういう場が絶対に必要だと思ってきた。
日帰りの英語のセミナーは何回か受けたけれども、
英語だとエネルギーをかなり使うので、
日本語+泊まりがけ、はありがたい。

今日、さっそく一つの聖書の言葉から、いろんなことを考えさせられた。
ここに書くのはもう少し消化して、まとまってからの方がいいかな。

でも、本当に大切だと思う。
このように聞くこと。学ぶこと。


さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの3章。

「悔い改めて、神に立ち返りなさい。」
19節の言葉です。

この章の最初の方で、生まれつき歩けなかった人が、
「金銀は私にはない、しかし、私にあるものをあげよう」というペテロの言葉によって、癒されて、歩けるようになったことが書かれています。
ペテロの力ではなくて、イエスの名の力によって立ち上がることができたのです。

でも、ペテロの説教はそこで止まりませんでした。

よかったよかったではありませんでした。
「悔い改めなさい」と続きました。

悔い改めがどれほど大切かと思います。
イエスによって何ができたとか、どんな不思議なことが起こったとか、どんな心境の変化が起こったかよりも、何よりも、悔い改めが大切なんですね。

主よ、私の心探ってください。
もしも悔い改めるべきことがあるならば、
そのことを教えてください。
悔い改めるべきことを示してください。
聖霊様、
私の心を探ってください。
罪があるならば、それを示してくださいますように。

日々オヤジ化進行中

朝になりました。
昨日一日晴れていたのですが、
さわやかな一日でした。
昼間はそれなりに暖かくなりました。
でもやはり朝晩は冷えます。

昨日の朝は5度。今日の朝は7度です。

このあと、だんだん暖かくなるみたいです。

先週髪を切ったのですが、
切ると、かくれていた白髪が出てきます。
いつ頃からこんなになったんでしょうねえ。
時々染めるので、気がつかないでいるんですが、
こめかみのあたりはもう半分以上が白いでしょうか。

初めて染めたのは40ちょっと前かな。
それまでは「自然なのがいい」と意地をはっていましたが、
黒々とした髪を見て、
「ホントの自分に戻った」と思いました。

で、最近は膝の痛みが取れません。
マツイ君もそうだから、まあ、いいか、と思いますが、
階段を上るのがキツイです。

グルコサミンを飲んではいますが、
やっぱりどっかでお医者さんに行かなきゃいけないんでしょうね。

中身は子供のままなんですが、
日々オヤジ化進行中です。

「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。」箴言16:31

そう言われるような、中身を持つオヤジになれますように。

さて、昨日の聖書。
昨日は使徒の働き2章でした。
弟子たちに聖霊が下り、教会がスタートした記事です。

「青年は幻を見、老人は夢を見る。」
17節の言葉が心にとまりました。

ん、中年はどうなんだ?という声も聞こえてきましたが、
これをわたしたちのうちにもなしてください、と祈らされました。
聖霊様が見せてくださる夢。

雰囲気ではなく、勢いでもなく、
話し合いの結果でもなく、
聖霊様によって見せて頂く夢。

やはり1章に言われているように、
聖霊様を待ち望む祈り、それをしていこうと思います。

すでに聖霊様は私たちのうちに働いておられます。
ですから、心を開いて祈ること、
求めて祈ること、
心の中の「応接間」だけではなくて、
「開かずの間」まで開けて、聖霊様をお迎えすること、
祈っていこうと思います。

聖霊様、
私の心を支配してください。
私のうちにあふれてください。
そして、夢を、幻を見せてください。
燃える心であなたを証させてください。
私のうちに満ちあふれてください。

もしもセミナー中、ネットに繋がらないようでしたら、
次は金曜日・・・。

明日から学び

また日付が変わってしまいました。
また、明日の朝にでも更新します。

そのあと、金曜日まで更新できるかどうか・・・。

というのは、月曜日の夕方から、
フィラデルフィアでの日本語牧師セミナーがあります。

ある本の中で、牧師のような立場の人は、
自分の成長、自分の訓練のために、
全労力の50パーセントを割きなさい、とありました。

大切なことだと思います。

ではでは。