2007-06-02

主を慕い求める人

今日は暑い日でした。
ホントに暑かったし、今もめちゃくちゃ蒸し暑いです。

昼間は35度くらいまで上がって、
夜も25度あります。
明日からは気温は昼間で25度くらい。
夜は15度くらいまで下がるようになるみたいです。

肌寒く感じるかも知れません。
明日も雷雨があるかも。
そして、明日の夜から明後日の朝は
Tropical Storm Barry崩れの低気圧のおかげで、
結構まとまった雨になるようです。

今日の朝の祈り会。
ちょっといつもより小さな集まりになってしまいましたが、
その中で、私自身、いろいろなことを教えられました。
こころのどこかで、「神さまに従えば、万事順調」と思っています。
でも、今日読んだ出エジプト記の4章の後半では、
「神に従っても、エジプトの王は聞いてくれない」と書いてあります。

そう、だから、何かがうまくいかなかったり、
問題が起こったりしても、
それで「神さまに従っていなかったのかなあ」と思う必要もないんですよね。
(もちろん、「本当に神さまに従ってきたかなあ」という反省はあるでしょうが・・・)
それと共に、神さまに従う時に、すべてが順風満帆で行くわけではないことを、
覚悟していなければいけないと思いました。

そして、夕方には今度は、中高生の祈り会。
彼らの祈っている姿の中に、
本当に真実に祈っている姿に、
励まされました。
ただ、盛り上がることだけではなく、
心から祈る、ことの大切さを感じます。

今日の聖書。
今日は詩篇の70篇。

「あなたを慕い求める人」
4節の言葉が心に留まりました。

私は主を慕っているだろうか?
他のものを慕っていないだろうか?

主を慕うというのはどういうことなのだろうか?

主を慕って祈ろうと思いました。
いろいろな出来事の中で、
思いがけないことも起こってくる中で、
主を本当に慕うこと、
その大切さを思わされました。
他の誰かではなく、
他の何かではなく、
主を慕って歩もうと思いました。

主よ、
あなたをしたいます。
あなたをしたい求めます。
他の何ものでもなく、
ただ、あなたをしたい求めます。

2007-06-01

私はあなたに祈ります

今日は暑かったです。
35度くらいまで行きました。
真夏のようです。
そして夜になってもかなり蒸し暑いです。
場所によっては雷雨もあったようですが、
うちのあたりは、パラパラでした。

明日も今日と同じような天気のようです。
暑くて、湿度もそこそこあって、そして雷雨もありかな、みたいです。
その後はしばらく暑さは一服。
ちょうど2週間後の野外礼拝の頃に次の暑さが来るみたいです。

今日は幼稚園の娘の学校の「コンサート」。
上の子たちのは結構行きましたが、この子のコンサートは初めてかも・・・。

ちょっとはにかみながら、一生懸命歌っていました。

心に留まったのは、1年生の子たちの歌。
指揮者の先生が、楽しそうに指揮をしていて、
子供たちも本当に明るく楽しく歌っていました。
そして、他の学年に比べても、声もそろっていたと思いました。

教会でもこんなのができればなあ、と思います。
以前、「子供聖歌隊」なるものがありましたが、
それとはちょっと毛色の違う、
音楽はあんまりわからなくても、とにかく楽しく歌える、
そんな子供たちの賛美のグループをやりたいなあ、と思いました。

ちょっと一人でわくわくしてきています。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の69篇を読みました。
この詩も周りの人々の無理解の中で、
敵の攻撃の中で、孤独になっている詩人の詩です。

「しかし主よ。この私は、あなたに祈ります。」12節の言葉です。

この詩人にとって、唯一開かれていたのが、
神との関係です。
人との関係ではなく、神との関係が彼の解決の出発点でした。

そのチャンネルをしっかりと持っていたいと思います。
どんな中でも、主に目を上げて、主から解決をもらって、
歩んでいく者でありたいと思います。

主よ、
私も、あなたに祈ります。
あなたが、開かれているチャンネルです。
解決の糸口です。
どうか、あなたから解決と癒しをいただいて、
進んでいくことができますように。

明日の祈り会を祝福してくださり、
心からの祈りを捧げることのできる集まりとなりますように。

2007-05-31

主が重荷を負われる

5月の最後の日、今日も暑い一日でした。
34度までいきました。
でも夜はすごしやすいです。
今、夜の10時半ですが、
20度を切るくらいです。

今夜も場所によっては雷雨になるようですが、
明日のほうがもう一歩雷雨が降りやすいようです。

今日の夜は、娘の学校の土壌汚染問題で、
来週から臨時の場所に移る話があるというので行ってきました。
テレビカメラもたくさん来ていました。
大きな問題になっているんですね。

でも、最初の1時間は、
この問題をちゃんと取り扱わないできた責任者の糾弾でした。
会場にあふれるくらいの人が来ていて、
今回の集まりの目的は
来週からの学校再開の件について説明を聞く、という話だったのですが、
なんだか、父兄とかではない、野次馬や、「一言言いたい」という人たちもたくさん集まって、
かなり混乱していました。

そして、責任者の人が、この汚染物質が、どこにでもあるもので、別に危なくない、みたいな調子で説明していたので、もう、「冗談じゃない、あなたは信頼できない、辞めろ」の大合唱でした。まあ、見つかってから半年も汚染された土の山を放っておいたんですから、まあ、責められるべきでしょう。でも、糾弾者の中にはかなりヒステリックな人たちもいて、閉口しました。

本題にはいるまで1時間。
本題に入ったら、スムーズに進んで、
近所の大学の教室をいくつか借りて月曜日から授業再開だそうです。
ほっとしました。

でも、本当に危機管理は迅速に・・・ですね。

「人の振り見て、わが振り直せ」
小学校の時に先生から聞いて覚えた言葉ですが、
心に留めたいと思います。
危機管理は迅速に、
「様子を見よう」と言うのはよっぽど気をつけて・・・。

では、今日の聖書。
今日は詩篇の68篇でした。

「ほむべきかな。日々、私たちのために、
 重荷をになわれる主。」
19節の言葉です。

私たちの重荷を負ってくださる主。
それも「日々」負ってくださると。

主が負ってくださるんだから、
安心して歩んでいけばいい。
心配なこと、心乱れること、
いろいろあるけれども、
主が私の重荷を「日々」負ってくださる。
ありがたいことだと思いました。

今日も、3日前の、
「もしも私の心にいだく不義があるなら、
 主は聞き入れてくださらない。」
の御言葉を覚えて、まず、主の前に、自分の心を点検してください、
問題があったら、聖霊様が教えてください、
と祈りつつ、祈ります。

主よ、
どうか、今日の一つ一つの問題、痛み、悩みを、
あなたが負ってください。
あなたが負ってくださるから感謝します。
祈りに答えて、御業を表してください。
どうか、あなたのすばらしさ、祈りの力を知ることができますように。
まず、私をきよめ、私の心を整えてください。

マツイ記念日特集

ちょっとした時間を見つけては、
写真を集めて、ちまちま書いてきました。
そしたら、なんだか、とても長くなってしまいました。

今から4年前、2003年5月26日。
メモリアルデーの月曜日。
教会のとある方から、野球のチケットをいただきました。
もちろん、NY Yankees。

カミさんは高校野球の時代からのマツイファンでしたから、
もう、それは楽しみ楽しみ。
私はそのころはまだアトランタ時代のブレーブスの応援の楽しさを引きずっていましたから、どちらかというとブレーブスファン。Yankeesの上品な応援にちょっと物足りないものを感じていました。その前、日本では、今はなき、近鉄を泥臭く応援していましたから、なおさらです。Yankeesの試合もこれが2回目。(1回目はもちろん、イチローが来た時のマリナーズ戦です)

すごくいい席です。
それを4枚。
5人家族ですが、まあ、チビがまだ2歳でしたから、
4人分で5人入れるだろうということで、
家族で行ってきました。

雨がしとしと降る日。
中止かなあ、え?2時間遅れ!?
ということで、出発を遅らせ、駐車場で昼ご飯を食べて、
スタジアムに。

どんなにいい席だったかというと、
こんな写真が撮れるくらいいい席。


一番右で首だけ見えるのがマツイ君ですよね。

ちなみに、こちらはこんな服装。


そう、雨が降って、寒いんです。
息子は地味めですが、
女性陣はピンクに赤に黄色。かなり派手です。
でも、この結構派手な色がテレビに映ると目立つんですよね。

試合はこの天気のように「どよ~ん」とした内容でした。
Red Sox戦だったのですが、
Wakefieldのナックルボールがまた「どよ~ん」「どよ~ん」と決まるんですね。
我らがマツイ君も全然打てない。
先発は、今や、間もなく復帰戦のClemens。
その時は300勝がかかった試合でした。
でも、Clemensは打たれるし、
寒いし、Yankeesはぱっとしないし、9回の表が終わった段階で8-4。
お客さんもかなり帰ってしまっていました。

でも、9回の裏に、我らがマツイ君に打順が回ってくるのに、
ここで帰るわけにはいきません。

先頭バッターが倒れて、1アウトランナーなし。
ここで、マツイ君登場です。
でも、なんだか打てそうにない。
2-3(アメリカ流では3-2)からの6球目。

マツイ君の振ったバットが空を切って、
あ~三振。と思ったその瞬間、
手が滑ってバットがマツイ君の手を離れてすっ飛びました。
そのバットがヘリコプターのようにパタパタと回り、
どこかでワンバウンドして、私と息子の手の中にストンと入ってきたのです。

その瞬間のテレビ映像。


マツイ君の頭のあたりの黄色いカッパを着て赤い服の母親に抱かれているのが下の娘。
上の娘はピンクを着て、その隣で気分が悪くなって寝ています。
傘の上に背後霊のように顔が写っているのが、息子。
その左でフードを頭にかぶっているのが私です。

何とか、その時のビデオをアップしたいのですが、
どうでしょうか?


あ、でも著作権とかでクレームが付いたりするんでしょうか?こういうのは・・・。

後で見てみると、ああ、どうして、あの時、
もっと「やったーっ」とポーズを決めなかったのか、残念です。
次回は(ってあるのかい?)、ばっちり決めたいと思います。

すぐにセキュリティーの人が来て、
私も、当然返すもんだと思ったので返したのですが、
とたんにブーイングの嵐。

「おまえ、どうして返すんだ?」
「今、追いかけてきてもらってこい」
まわりの声に励まされて、
追いかけていって、「これ、もらえないんですか?」
と聞いたら、「試合が終わったら来い」と。

試合、すぐに終わりましたよ、すでに9回裏2アウトだったんですから・・・。

そして、言われたところに行ったら、
「はい」と渡してくれました。
ちょっと拍子抜け。
裏の方に連れて行かれて、
一緒に写真とか撮らせてもらえるかなあ、な~んてずうずうしいこと思っていましたから・・・。

テレビのアナウンサーは「ファンがバットをおみやげにもらいましたねえ」と言っていましたね。やっぱりこちらでは、ふつうにもらえるもんなんでしょうか?日本ではファールボールも返してましたからね。あれ、今でも返すんでしたっけ?

熱狂的マツイファンの家内は「サインもらおうよ」と外で待つことを主張したのですが、
サインペンもなく、雨も降っていて、娘も調子が悪く、
まあ、とにかく大喜びでそのまま帰ることにしました。

湿っていた試合の内容なんてもうどうでもよくなって、大興奮。

そして、車に戻って、携帯電話をチェックしたら、またまたびっくり。
5つもメッセージが入っているではないですか。
みんな、休日で家でゆっくりテレビを見てた教会の人たち。
まあ、5つのうちの3つは同一人物でしたがね。
ちなみに自宅にも2つメッセージが残っていました。

その後、その3つのメッセージの主のお宅におじゃまして、
みんなで記念撮影。
無難なところで、息子と私の写真。
グリップエンドには、NY55と、上にAなのか、4なのか、そして、下にMの文字。


いろいろ調べてみると、その年のちょうど5月にメープル材に変えたみたいですから、MapleのMでしょうか?上のAか4か、は何なんでしょうね。
そして、その後、あるつてを通して、サインをいただきました。


家宝です・・・。

日本で副牧師をしていた学院教会には、
彫刻家の方がおられました。
その方の作品で、「見つけたり!」というのがありました。
新約聖書のルカによる福音書15章に出てくる、
探していた羊を見つけた羊飼いの喜びの様子を表した彫像です。
バットが飛んできて、私たちは大興奮でしたが、
神さまは私たちを見つけて、大興奮してくださる。
神さまは本当に喜んでくださるんだろうなあ、と思いました。

その後、次にYankee Studiumに野球を見に行った時に改めて思いました。
「よくもまあ、これだけ大きなスタジアムで、これだけたくさんの人がいる中で、自分のところに飛んできたなあ」と。

私たちが神さまに拾ってもらったことも、そういうことなのかと。

感謝。

2007-05-30

何のために

今朝起きてみたら、
庭になんだか大きなこんもりとした茂みができています。


何だろうと外に出てみると、
大きな枝が落ちています。

直径30センチくらい。


どこから落ちたのかなあ、と、上を見上げると、
5メートルくらいの高さから落ちたみたいです。
裏の家の巨木に大きな穴があいています。


こんな枝、もしも誰かがいるところに落ちてきたら、もうひとたまりもありません。

なんと、のんちによると夜中の2時か3時頃に、
メリメリ、がらがら、ザワザワと大きな音がして飛び起きたそうです。
家中の本棚を見て回って、
庭のデッキが壊れたのかと思ってチェックして、
でも、どこでもないし、「空耳かなあ、でもあんな空耳・・・」と自分の精神状態を心配して、
しばらく眠れなかったそうです。
でも、そんな空耳だってしょうがない、と気持ちを切り替えて、寝たそうです。

私?な~んにも気がつきませんでした。
「メリメリ、がらがら、ザワザワ」にも、
のんちが家中を歩き回っているのにも・・・。

裏の人が「Tree Serviceを手配しているから・・・」というメモを
ポストに残していってくださいました。
前から気になっていたんですね。この木。ちょこちょこ中ぐらいの枝が落ちて、
大きな枝が落ちたり、木が倒れたりしなければいいけどなあ、と思っていました。

でも、何よりも誰もけが人がいなくてよかったです。

昨日の聖書の言葉、
心に留まっています。
今日も一日、そのことを何度も思い出して、
「主よ、私の心を探ってください、私のうちにある罪を示してください。」と祈りました。

そして、そのように歩んでいると、
個人的にお話しする一人一人に、
はっきりと「罪の問題」を語ることができます。
主の助けをひしひしと感じる一日でした。

今日も午後から結構暑くなりましたが、
明日はまたワンランク暑くなるようです。
下の娘は遠足です。倒れるほど熱くなりませんように。
上の娘は学校の環境の問題で臨時休校が続いています。
問題が解決しますように。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の67篇。

それは、あなたの道が地の上に、
 あなたの御救いが
 すべての国々の間に知られるためです。」
2節の言葉です。

きょう、ふと、私は何のために福音を語っているんだろうか、
私は何のために伝道しているのだろうか、と思わされた。

人に語りながら、勉強をするために机に向かいながら、
「自分は何のために伝道しているのだろうか」と。

牧師としての成功とか、見栄とか?
教会を大きくするため?

もちろん、誘惑や落とし穴はあるだろう、
気をつけなければいけないと思う。

でも、それは今、目的にはなっていないだろうなと思う。
では?
一人の人が作り替えられて、
永遠の命を持つようになるため?
その喜びなんだろうと思う。

そして、人が神をたたえるようになっていく、それを見せて頂けるのは、
賛美を心からささげる一人の人を見るのは、
本当に大きな幸いだと思う。

主よ、
人が救われるのは、
何とすばらしいことでしょうか?
人が喜びにあふれて、主をほめたたえる者と作り替えられるのを見るのは、
何とうれしいことでしょうか?
今年も、もっともっと多くの方々に、あなたのことを伝えさせてください。
今年も、キリストにあって、新しいスタートをして、
感謝にあふれて歩み始める方が起こされますように。
そして、そこで安心しないで、
お導きを続けることができるように。
主よ、用いてください。
あなたの目で人を見ていくことができますように。


2007-05-29

祈りが聞かれるために

今日は昨日までよりもずっと過ごしやすい、
からっとした天気でした。
でも、それなりに気温は上がったようです。
30度近くまで行ったのでは・・・。

夜は過ごしやすいです。

そして、明日は今日よりもワンランクまた蒸し暑い感じが帰ってくるようです。

なんだか、例年よりもかなり早く夏が来たみたいです。

今日の聖書。
今日は詩篇の66篇を読みました。

「もしも私の心にいだく不義があるなら、
 主は聞き入れてくださらない。」
18節の言葉です。

何年か前に著名な先生が来られた時に、
この箇所について、
「『罪があったら祈りが聞かれない』と、伝統的にここから言われていたけれども、
それはまちがいだ」みたいなことを言われて、どうしてかなあ、と思ったのを思い出します。

そして、今日もう一度ここにぶつかって、
やはり、この聖書の箇所はこの通りに読むべきだ、と示されています。

確かに、神経質すぎる人が、
「こんな罪深い私の祈りは聞かれるはずがない」と思ってしまうのは、問題だと思います。
でも、「こんなに私は罪深い」と思っている人の祈りは聞かれるのです。
イエスがそのことをはっきり言っています。

でも、問題は、「私は結構いい線行っている」という時です。

私の場合は、やはり、そんなときに、この御言葉にであうと、
「そうだ、一つ一つ心をきよめて頂いて、悔い改めて、主の前に出よう」と思います。
やはり悔い改めに、自分の心の点検に心が向くのです。
この御言葉がなければ、気がつかないことに、気がつかされるのです。

今日も、ここを読んでいて、悔い改めるべきことを悔い改めたい、という思いになりました。
そして、「義人の祈りは大いに力がある」ということを経験させて頂きたいと思いました。

主よ、
人の言葉ではなく、あなたの御言葉の力を感じました。
人の言葉は、あなたの御言葉を骨抜きにします。
人の言葉は、あなたの御言葉の受け入れがたい部分を
迂回して、受け入れやすいものに変えようとします。

私の心を探り、
悔い改めるべきことを教えてください。
そして、私の祈りが「聞かれる祈り」になりますように。

2007-05-28

神の前の静けさ

今日も暑かったです。32度くらいまで上がりました。
メモリアルデーの休日。

「何がしたい?」という問いかけに、
「古本屋でマンガを買いたい」という娘の提案で、
ミツワとその隣の古本屋さんに行きました。

ミツワで、まあ休日ということもあり、にぎやかでしたが、
3組の知り合いに会いました。
これだけ日本人の人がいて、
知り合いが3組だけというのも、ちょっとネットワークを広げなければ・・・と思いました。

あと、入ってすぐのところに、「キュウリの苗」。
何と$4.99で売っているではないですか。
それも小さな苗。
うーん、ちょっと商売を始めようかなあ、と思うくらいです。
残念ながら、今年は、3-4本しか苗が作れなかったので、
自分の分しかないのですが・・・。

車の中でいろいろあって・・・
そう、いろいろあって、
帰ってから、
ちょっと休んで、その後、庭掃除をしました。
だいぶ進んだかな。

部屋の掃除もしなくては・・・。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の65篇を読みました。

「 神よ。あなたの御前には静けさがあり、
 シオンには賛美があります。」
1節です。

神さまの前に「静けさ」がある。
この「静けさ」が自分にどれほど必要なことか。
ばたばた走り回ったり、
いろんなことに振り回されたりしている中で、
主の前の静けさの中に身を置くことがどれほど大切なことか。

たぶん、何か興奮しなくていいんだと思います。
大騒ぎをしなくていいんだと思います。
静けさの中に身を置いていくこと。
それが大切なんだろうと思います。

生活の中にちょっとだけ、場所を作って、
時間の中に、ちょっとだけ特別なスペースを作って、
その時を、ただただ、主の前に座る、ということだけのために使う。
他のことに捕らわれるのではなくて、
主と私だけのために・・・。

主よ、
あなたをしたい求めます。
あなたと私だけの関係、その時を、
大切にさせてください。
そこに生きる喜びを味わわせてください。

そして、そこでいただいた豊かさを持って、
人々の中に出て行くことができますように。


2007-05-27

人の心の深さ

いやあ、今日も暑くなりました。
午前中はそれほどでもなかったと思いますが、
午後からは暑くて、
夜になってもいつまでも蒸し暑いです。

夜の11時過ぎで23度もあります。

今日は教会から帰ってきたのが、
6時前。
すごい早い。

そして、その後、明日は子供たちも学校が休みなので、
家族でゆっくり過ごしました。
5歳から4×歳まで、一緒にトランプをやったり、
真剣勝負の親子卓球対決をやったり(1勝2敗で敗れました)、
久しぶりに家族をしてしまいました。

JOYJOYキャンプ参加申し込み、受付中。
本日現在の申し込みは42名。
あと6日です。

今月の「百万人の福音」、そう、5月号。昨日届きました。
今回のはまたいいですねえ。
特集の最初に出てくるご婦人の手記ですが、
印象深く読みました。
というのは、まだJCCNJの牧師になりたてのころ、
10年くらい前、
この方の記事を新聞で読んで、
スクラップしていたことを思い出したからです。

そこに「アメリカで教会の人たちと出会い・・・」とあったので、
「この方はクリスチャンになられたのだろうか・・・」と、ずっと思っていました。
今回、その方がクリスチャンになられたこと、
大きな経験をされたことを読んで、本当にうれしかったです。

「ゆるす」「ゆるしなさい」なんてこと、簡単に言ってはいけない、
そう思いました。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の64篇でした。

「人の内側のものと心とは、深いものです。」
6節。

この言葉の「人間の心の深さ」は
決して積極的な意味ではなくて、
negativeな意味です。

どちらかというと、
自分はそれほど人は悪いものではないと思って生きてきたのだと思います。
でも、それはまた甘いのかも知れません。

最近、「放蕩息子」のたとえ話で、
また新しいことを感じました。

私は今まで、お父さんに喜んで迎えられた弟息子は、
翌日から、一生懸命働くものだと信じていました。

でも、ある新聞記事で、
本当に放蕩息子をして、でも、親に受け入れられた
一人の少年が、聖書の「放蕩息子」のたとえを読んで、
弟息子のことを「こいつ、また親を裏切るな・・・」と思ったというのを読んで、
ちょっとショックでした。

でも、もしかしたら、このお父さんは、
そんなこと百も承知で、
そのリスクをちゃんとわかっていて、
この息子を迎えたのではないか、
そんなことを感じたのです。

だから、私もそのようなものでありたいと思いました。
ただの「お人好し」ではなくて、
人の弱さ、罪深さを甘く見るのではなくて、
必要以上に人の善意を期待するのではなくて、
リスクをちゃんとわかっていて、
でも、やっぱり、人を受け入れる、そんな者になれないだろうか、
そう思いました。

主よ、
わたしはまだまだ、人間の弱さ、罪深さが
わかっていないのかも知れません。
どうか、それを知る者としてください。
わかった上で、受け入れる勇気をください。
どうか、あなたの恵みをもっと教えてください。
あなたがどんなリスクを覚悟で、わたしを救ってくださったか、
心の深いところで知ることができますように。