2011-03-05

Welcome Back!!!

・・・といっても、春休みの始まったハジが帰ってくるわけではありません。
でも、日本の春休みで帰ってきている大学生はいますし、
日本の大学に行って就職して、駐在で帰ってきている若者もいますね。
明日は、久しぶりの皆さんも多いかな?


でも、今日のWelcome Back!!!はこれ。


毎年恒例、クロッカスが芽を出しました。
11年前、引越してきた時から、毎年春一番に花を咲かせます。


そして、これも発芽。



こっちは3年目くらいに植えたチューリップ。
寒かった冬を耐えて、芽を出しましたねえ。
春ですねえ。


雪も、日陰や山になっていたところにちょっと残っているだけで、ほとんど融けました。
木々の芽も日に日に膨らんできています。


今日は20度近くまで上がりました。
明日は一日雨みたいです。
特に夜には本降りになります。


来週はちょっと気温は低めですが、
確実に春は進んでいます。


今日読み終わった、ヘンリー・クラウドの「神のシークレット」。
EC2010で、雪のため参加できなかった方にお土産で買って帰って、
でも、読んだ後に貸してもらって、読みました。


うーん、俺の目には狂いはなかった、と思ういい本でした。
今日読んだところにこんな意味のことが書かれていました。


「他愛のない雑談を楽しむ夫婦は、ほぼ確実に長続きする。神との関係もそうだ。特別な経験もするだろうが、それ以上に、日々の何でもない関わりがその土台である」


そうなんだ・・・。


なにか、おおきな、どかーんとくるような経験を僕らは求めていたりする。


でも、それよりももっと大切なのは、他愛のない話ができる関係。
「神様、ほら、またクロッカス、芽が出ました。ありがとう。神様。」
「なんだか、最近足が冷えるんですよねえ。あ、でも、今年は自分はほとんどパッチはいていない!これってすごいかも!」
「食べ過ぎたかなあ、おいしいからつい、食べ過ぎちゃうんですよね。以後気をつけます。よろしく!」


なんて、そんな何でもない話ができる関係、って大切なんでしょうね。
神様と、そんな雑談をたくさんたくさんする者でいたいです。


そして、教会のみなさんとも、そんな他愛のない話ができる関係、大切ですね。


「先生がいると、どうも優等生の答えをしてしまう・・・」みたいなのじゃなくて。(笑)


さて、今日の聖書。
今日は民数記の3:40-51。


「レビ人をイスラエルのうちのすべての初子の代わりに、またレビ人の家畜を彼らの家畜の代わりに取れ。レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは主である。」45節。

私たちのすべては神様のもの。
献金をどのようにささげるか、
いくらささげるか、時々、いろんな議論がなされるけれども、
元々、私たちの持っているものすべては神様のもの。

その出発点がずれている議論もたくさん見かける。

神様のものだから、神様の願われるように用いる。
そこで本当に本気でそれを信じているかが問われているように思う。

わたしの時間もお金も、能力も、健康も、人間関係も、
すべて神様のものであって、私たちは管理を任されている。

consumerではなくて、stewardなのだ。

神様、
あなたの与えてくださっている、あなたの任せてくださっている、
時間を、エネルギーを、お金を、あなたの喜ばれることに用いさせてください。
いえ、元々あなたのものです。あなたの願われていることを教えてくださり、そのように歩む行動力を与えてください。


そういえば、ハジが今日からシカゴ西部にあるAustinという町でボランティア。
かなり荒れた地域だったけど、少しずつ立ち直りつつあるみたい。
その町で、子供の集会をするのか、若者のための働きをするのか、
または、壁のペンキ塗りをするのか・・・。


ま、NJに帰ってきたら、ゴロゴロしているんだろうから、これは、いい経験なんだと思う。安全と、神様の祝福を祈る。

2011-03-03

役割を果たす。

今朝、何度まで下がったんでしょうかね。
気がついたら-6度Cでしたが、
-10度近くまで下がったんでしょうね。
昼間は、ちょっとだけ、プラスに上がったみたいです。


そして、夜になってまた冷えてきています。
今10時半ですが、-4度。
明日も-7〜8度までは下がりそうです。


今、KGK(キリスト者学生会)のリーダー訓練会がもたれているんですね。
その総主事をされている方と、初めて会ったのが、
彼のブログにもある1984年の学生訓練会。27年前かあ。
スモールグループも一緒だった。と思う。確か。彼も「その時の一週間は、その後の私に大きな意味をもたらした。聖書(教理)の学び、人格的な深まり、信仰の友との真剣な会話、ひとつひとつが私にとって大切な経験だった。」と書いているが、自分にとってもそうだった。全く新しい経験だった。それまで一つの教団の一つのタイプのキャンプしか知らなかったから、衝撃だった。それまでの自分の「キャンプ」は、楽しく、明るく、にぎやかで、それでいて、いつも明確な悔い改めを迫られるような場所だった。
でも、この訓練会は、静かにゆっくり流れる時間の中で、自分と向き合い、御言葉と静かに向き合い、信仰の仲間と語り合い、本当に深いところまで探られる時だった。
一人の牧師の息子がいて、本当にいつも教条的な、お説教の様な発言ばかりしていた。彼にその問題をはっきりと語ることができたのも、そして、彼がそれに応えてくれたのも、とても貴重な経験だった。
スタッフの主事のことも思い出す。
若者たちの心の中にあるものを引き出す不思議な魅力のある主事だった。
その後、一緒に奉仕をしたたくさんの仲間たちがあそこで時を共有した30人ほどから生まれた。今も、世界各地でそれぞれの働きを担っている。


ああ、神様が、私をあそこに導いてくださったんだなあと思う。




さて、今日の聖書。
今日は民数記3章1-13節


「彼らは油注がれて祭司の職に任じられた祭司であった。」3節。

新約の時代、この「祭司」は牧師のことではなくて、
すべてのクリスチャンのことをさしています。
いわゆる「万人祭司」。
これはうっかりするとリーダシップのことをさしているかのように誤解されることがあります。教会のすべての職制を否定する言葉として利用されることがあります。

でも、祭司は、リーダーではありません。
祭司はとりなす人です。
罪を犯した人々の側に立って神に対して取りなし、
神の赦しを告げる存在です。

ですから、私たちは互いのためにとりなしをして、
また互いの罪の悔い改めを聞き、
それに対して、イエスの十字架による赦しを宣言する責任があるのです。

・・・さて、ここまではこの聖書を読むための前提の話。

ところが、私は今朝、ここを読んだときに、
必ずしも、そういう教理的なことよりも、
自分の「JCCNJの牧師」という神の与えられた役割を、
果たすことの大切さを思わされたのです。

世界の何十億人と言う人々の中で私一人が与えられたこの使命。
そのことを果たす責任を思わされました。
「この教会を頼んだよ」と。

また、のんちの夫という役割も。
世界の何十億人という人々の中で私一人が与えられたこの使命。
「この人を頼んだよ」と。

与えられた使命をしっかり果たさせていただきたいです。

主よ、
あなたの与えられた使命、役割を感謝します。
どうか、あなたの与えられた働きに忠実な者とならせてください。

2011-03-02

明日は寒いぞ。

ちょっと今日は久しぶりの沈没、というかんじ。
今夜は冷えるみたいです。
今は10時半ですが、-3.6度。
明日の朝は-10度近くまで行くかな。

昼間も寒くて、真冬日かと思いますが、
明日一日で終わり。
その後、また温度は上がって行きそうです。

いろいろ「買え買え」攻撃は来ますが、
ま、必要に応じて、としておきましょう。

一人が蒔き、他の人が刈り取る。そして共に喜ぶ。

3月になりましたね。
日付は変わってしまいましたが、
本当に春になってきたな、という感じです。


今は夜の1時。外は-2度Cまで下がってきました。
明け方にはもうちょっと冷えそうですね。-4度くらい。
今日は昼間は暖かいですが、夜はぐっと冷えそうです。


日本である方が洗礼を受けられたとニュースが入ってきました。
昨年、1月に旅行中にNJの教会に来られて、
その後、日本でもお会いした方。


11月にもう一度NJに来られたときには、喜んで教会に通っておられることをお話をしてくださったのですが、先日の日曜日に日本の教会で洗礼を受けられたそうです。


神様のなさること、不思議な導きがあったことを思いますが、その導きの中に自分も入れてもらったことは、本当にうれしいことです。


そう、去年、その方が来られた日本での祈り会のことを思い出しいました。
去年の1月の終わりから2月の初めまでの日本訪問のことをもう一度自分のブログを読んで思い出していました。本当に神様は使命を与えて送り出してくださったんだなあと思わされます。


月曜日の森繁さんのコンサートの中で語られて、本当に厳粛な思いになったのですが、「私たちの存在には目的がある。そして、それは私たちを造られたお方が持っておられる」。そこに生かされる喜びを感じています。そして、そこにこだわって行くことの大切さを思わされます。


若き小沢征爾さんがあるコンクールで、指揮をしたら、オケのメンバーがあるところで間違えた。もう一度、とやり直してみるが、やっぱり間違える。「楽譜通り弾いてください」「ちゃんとやっています」。え?と思って楽譜を見ると本当だ。そのとき、彼は言った。「この楽譜は間違っている!」そこで、オケのメンバーと審査員からの拍手。そう、彼はテストされていたんですね。ここぞと言うところで、動かされないものを持っているか。そんな逸話をどこかの本で読みました。


そこまで確かだと言えるものを持たせていただきたい。もちろん、客観的に確認されなければいけない面もある。狂信的にならないために、独りよがりにならないために。でも、そのときにどんな声を聞くか?ある同労者が言っておられた。「その人は、あなたのためにどれほど祈っている人ですか?」と。


話が広がってしまったけれど、イエスが言われた通りだ。
「蒔く者も刈る者も共に喜ぶ。」


さて、昨日、3月1日の聖書。
昨日から民数記。
民数記の1章。


「すべて軍務につくことのできる者を・・・」3節。

私たちの信仰の歩みが「戦い」にたとえられているところが多い。
そういうところを毛嫌いする方々も時々ある。
だから、知恵も必要だと思う。
私も絶対平和主義者ではないが、
やはりできるならば、非暴力を貫きたい。
だから、こう言う表現には抵抗がないわけではない。
でも、やはり信仰の歩みは、「戦い」であろうと思う。

その戦いの準備はできているだろうか?
戦いの覚悟はできているだろうか?

主のもとで安らぎ、主のもとで守られ、
でも、それとともに、確かに闘いがある。

「負けるんです」「ダメなんです」

そうだ。

だから、私たちには神様が必要なんだ。
神様に全面降伏しなければならないのだ。

自分の力、自分のがんばりではなく、
聖霊様の力によって、
神様の力によって歩んでいく、
それこそが、「戦いの準備」だ。

主よ、
どうか、あなたの力によって武装し、
聖霊様によって力を頂いて、戦わせてください。
そして、勝利を与えてください。
あなたに従います。

2011-02-28

みこころをもとめる。

今日は朝から昼頃まで雨でしたが、
夕方にはすっかり上がって、
夜になって冷えてきました。


今は夜の11時半ですが、4.5度Cです。
明日の朝は氷点下に下がるでしょう。


でも天気がよくて、春の日差しになりそうです。


今夜はNYで森繁昇さんというクリスチャンのシンガーソングライターの方のコンサートがあって、行ってきました。とっても良かったです。


語りがたっぷりあって、その中にメッセージが込められていたのですが、特に心に留まった言葉は、


「あるものの存在目的はそれを作った人にしかわからない。」


だから、私たちの生きている、生かされている目的は、自分でわかるのではなくて、神さまにわからせていただくしかない。神様に教えてもらうしかない。


ホントにそうだよなあ、と納得させられる言葉がたくさんありました。


楽しい語りに、バラエティーにとんだ音楽。


自分は特にトロンボーンが気に入りました。
くちトロンボーン。
なんか、正式な名称もあるんでしょうか。
唇だけでトロンボーンっぽい音を出すんです。


弟子入りしたいです。


次に東海岸に来られるときには、ぜひ、JCCNJでも。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネ第一の手紙の最後のところ、
5章13-21節です。


「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら・・・」14節。

この言葉が、今日は「私の思いを求めなさい」という呼びかけに聞こえました。
神のみこころを求めたい、と思いました。
そして、昼ごろ、車の修理に出して、代車に乗って、HackensackのCostcoにぶらっと行ったときに、明らかに「私を求めるのか、他のものによって満たしてもらおうと思うのか?」と問われるような思いが心に与えられて、主が悲しまれるものから手を切りたい、という決断をしていました。

神様のみ思いを、聖霊様のみ思いを教えていただいて、従っていきたいと思います。

神様、
今日も私の心をお守りくださってありがとうございます。
どうか、あなたのみ思いを慕って、
聖霊様の細い声に従って歩む者とならせてください。

2011-02-27

ところ変われば・・・。

今日は、昨日の夜の雪の心配も思いっきり外れて、
昼間は明るい日差しの中、とても暖かい一日となりました。


そして、明日は一日雨のようです。


その後も、ずっと穏やかみたいですね。
今年の2月は最初はホントにどうなるかと思いましたが、
後半、本当に春の気配がしてきて、
雪融けが進んで、本当に春が待ち遠しい感じです。
今週中にもジョギング再開できそう。


ちょっと前から、「祈りのノート」どうにかならないかと色々考えていました。
しばらく前からルーズリーフをバインダーに入れて使っていたのですが、
コチラのリーフは本当に薄くて、すぐにボロボロになってくる。


それで、「安いのを買うからダメなんだ」と、
Staplesで探してみる。


でも、ダメなんですね、ホントに日本のリーフみたいな厚いのがない。


お店の人に聞いても、「これ使ってみなよ」と言われるのは、
今まで使っていたのと同じヤツ。


そこで気がついた。
「普通の紙に罫線をプリントして穴を開けて自家製ルーズリーフを作ればいい。」そう、普通の紙でも、「Lined Paper」よりもずっと分厚い。


それでワードのテンプレートとか、色々探してみたけど、
一番いいのはコチラからPDFファイルをダウンロードすること。


http://incompetech.com/graphpaper/writing.html


これを両面印刷でプリントして、三つ穴をあけて、
バインダーにファイル。


一家族あたり一ページの今まで書きためた「祈祷課題」を丁寧に写して「新祈祷課題ノート」作成中。


古い祈祷課題を、改めて読み直して、応えられた祈りに付けられた「感謝!」の文字を見ながら、感無量。
祈祷課題をずっと取っておきたい人もいるみたいですが、多分荷物が増えるだけなので、今回はあっさりシュレッダーにかけています。


この新しい祈祷課題ノートにもたくさんの「感謝!」の字が踊りますように!!!


さて、今日の聖書。
今日は第一ヨハネ5:1-12でした。


「生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。」1節。

この「生んでくださった方」はお母さんじゃなくて、「霊的に新しいいのちを与えてくださった神様」です。1節の前半は「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。」ですからね。

その神様を愛するならば、その同じ神様がいのちを与えた、クリスチャンの兄弟姉妹を愛します、ということ。

そうなんだね。

本当に「兄弟姉妹」って言葉だけじゃなくて、ホントに同じ方から生まれた者として、愛するんだね。

私を生んでくださった方が、私を生んだのと同じような思いで、このかたも生んでくださった。この方にも霊的な新しいいのちを与えてくださった。

だから、愛していく。
私が弱さを持っているように、この方も弱さを持っている。
私が愛し受け入れられなければいけないように、この人も愛し受け入れられなければ生きて行くことはできない。

そのように造ってくださったことに、目を向けて、感謝して歩んで行こう。

主よ、
多くの兄弟姉妹を私の人生に与えてくださっていることに、心から感謝します。どうか、愛することを、受け入れることを、大切にすることを、心にかけることを、教えてください。