でも、日本の春休みで帰ってきている大学生はいますし、
日本の大学に行って就職して、駐在で帰ってきている若者もいますね。
明日は、久しぶりの皆さんも多いかな?
でも、今日のWelcome Back!!!はこれ。
毎年恒例、クロッカスが芽を出しました。
11年前、引越してきた時から、毎年春一番に花を咲かせます。
そして、これも発芽。
こっちは3年目くらいに植えたチューリップ。
寒かった冬を耐えて、芽を出しましたねえ。
春ですねえ。
雪も、日陰や山になっていたところにちょっと残っているだけで、ほとんど融けました。
木々の芽も日に日に膨らんできています。
今日は20度近くまで上がりました。
明日は一日雨みたいです。
特に夜には本降りになります。
来週はちょっと気温は低めですが、
確実に春は進んでいます。
今日読み終わった、ヘンリー・クラウドの「神のシークレット」。
EC2010で、雪のため参加できなかった方にお土産で買って帰って、
でも、読んだ後に貸してもらって、読みました。
うーん、俺の目には狂いはなかった、と思ういい本でした。
今日読んだところにこんな意味のことが書かれていました。
「他愛のない雑談を楽しむ夫婦は、ほぼ確実に長続きする。神との関係もそうだ。特別な経験もするだろうが、それ以上に、日々の何でもない関わりがその土台である」
そうなんだ・・・。
なにか、おおきな、どかーんとくるような経験を僕らは求めていたりする。
でも、それよりももっと大切なのは、他愛のない話ができる関係。
「神様、ほら、またクロッカス、芽が出ました。ありがとう。神様。」
「なんだか、最近足が冷えるんですよねえ。あ、でも、今年は自分はほとんどパッチはいていない!これってすごいかも!」
「食べ過ぎたかなあ、おいしいからつい、食べ過ぎちゃうんですよね。以後気をつけます。よろしく!」
なんて、そんな何でもない話ができる関係、って大切なんでしょうね。
神様と、そんな雑談をたくさんたくさんする者でいたいです。
そして、教会のみなさんとも、そんな他愛のない話ができる関係、大切ですね。
「先生がいると、どうも優等生の答えをしてしまう・・・」みたいなのじゃなくて。(笑)
さて、今日の聖書。
今日は民数記の3:40-51。
「レビ人をイスラエルのうちのすべての初子の代わりに、またレビ人の家畜を彼らの家畜の代わりに取れ。レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは主である。」45節。
私たちのすべては神様のもの。
献金をどのようにささげるか、
いくらささげるか、時々、いろんな議論がなされるけれども、
元々、私たちの持っているものすべては神様のもの。
その出発点がずれている議論もたくさん見かける。
神様のものだから、神様の願われるように用いる。
そこで本当に本気でそれを信じているかが問われているように思う。
わたしの時間もお金も、能力も、健康も、人間関係も、
すべて神様のものであって、私たちは管理を任されている。
consumerではなくて、stewardなのだ。
神様、
あなたの与えてくださっている、あなたの任せてくださっている、
時間を、エネルギーを、お金を、あなたの喜ばれることに用いさせてください。
いえ、元々あなたのものです。あなたの願われていることを教えてくださり、そのように歩む行動力を与えてください。
そういえば、ハジが今日からシカゴ西部にあるAustinという町でボランティア。
かなり荒れた地域だったけど、少しずつ立ち直りつつあるみたい。
その町で、子供の集会をするのか、若者のための働きをするのか、
または、壁のペンキ塗りをするのか・・・。
ま、NJに帰ってきたら、ゴロゴロしているんだろうから、これは、いい経験なんだと思う。安全と、神様の祝福を祈る。