2007-01-06

言葉だけではなく

今日はほんとうに暖かな一日でした。
22度を超えました。
ほんとうに春でした。
チューリップの芽も出ていました。

でも、ここまで暖かいのは今日限り。
明日は10度ちょっと、
月曜日は10度以下、
火曜日には5度くらいだそうです。

でも、それでやっと平年並みです。

明日は気持ちのいい一日でしょう。

一週間、きつかったので、
ここのページもあっさりと終わっておりましたが、
来週からはまたいろいろ手を広げようか・・・などと考えておりますが、

今日は土曜日、とにかく明日の礼拝のために祈っております。

あと、JOYJOYキッズクラブのための工作・・・あっ「ひみつタイム」用なので、
秘密なのですが、それをやっておりました。楽しいですよ。

で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙の第1、1章です。

「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。」5節の言葉です。

単なる言葉ではない、それを超えるものを伴ったことば。
明日の日曜日の礼拝の説教のことを思わされました。
単なる言葉ではなくて、力と聖霊と強い確信を伴ったメッセージを語ることができますように。

でかい声を出さなくてもいい、
講壇を叩かなくてもいい、
主にある平安と確信にあふれて、
大胆に語らせて頂きたいと思います。
聖霊様が、その場で豊かに、力強く、暖かく、激しく、
働いて下さいますようにと願います。

神様、
あなたが明日のJCCNJの礼拝にあふれて下さい。
満ちあふれて下さい。
そして、御言葉がいのちと力を持って、
一人ひとりの心に届きますように。
私を用いて下さい。




2007-01-05

御言葉を語れますように!

いやあ、今日の集会のうちにガンガン回復して、
やっとほぼ100パーセント宣言。

元気になりました。
お祈りに感謝します。

で、今日はまた暖かかったですね。
朝は7.5度くらいでしたが、
雨の中ぐんぐん温度が上がり、15度を超えました。
NYでは桜が咲いているとニュースで言っています。

今夜の集会では、「ぼけ」の花が咲いたと、ある方が持ってこられました。
「ぼけ(木瓜)」ですが、東京あたりでも2月とか、3月とかですよね。
明日は雨も上がって20度くらいまで上がるでしょうから、
もう、完璧春ですね。
いろんな花が咲くことでしょう。

でも、あさってからは下降線です。
火曜日あたりは冬らしい日になりそうです。

さてさて、今日の聖書です。
今日はコロサイ人への手紙4章でした。
心に留ったのは、まさに集会に行く前に書いたことと同じ言葉。
「また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」
4節の言葉です。

これは私自身の言葉でもあり、祈りでもあります。
「当然語るべき語り方」
ほんとうに確信を持って、
人におもねるのではなく、
主の願われるように、
主が語ってくださったとおりに
人々に語ることができますように。

そして、そのことができるように、
自分が祈るだけではなくて、
多くの人々に祈って頂かなければと思う。

誘惑から守られ、
みことばに養われ、
恐れから解放されて、
主の御言葉を語ることができるように、どうか祈ってください。

主よ、
どうか、私が明日も、あさっても、
大胆にあなたの御言葉を語ることができるように、
守ってください。助けてください。力を与えて下さい。
明日のために、
そして日曜日の礼拝のために、
あなたの守りを与えて下さい。

めきめき回復中・・・

今日は30パーセントの低空飛行からの出発で、
現在、夕方の5時で75パーセントまで回復。
これからまた集会です。

めきめき音をたてながら回復しています。

日曜日のためにお祈りしてください。

牧師のために祈る→牧師が霊的に整えられてご用ができる→一人ひとりが主に語られる→教会が安定する・元気が出てくる・・・といい風が吹きます。

もちろん、
牧師がみんなのために祈る→みんなが主によって整えられて支えられる→祈ろう、恵みを分ち合おう、という空気があふれてくる→教会が安定し・元気が出てくる・・・といういい風は私の責任ですね。

ではまた深夜に1日1章はアップということで・・・。

2007-01-04

天を見上げて

今朝も予想よりもちょっと冷えて-0.6度C。
病み上がりで学校に行く息子を乗せようと思って、
車を見ると真っ白に霜が降りていました。

でも昼間は12.5度まで上がり、春の陽気。
集会でも「このまま春になればいいのに」という声が・・・。

たぶん、そうはいかないでしょうがね。

今、午後8時過ぎで7.5度。
今夜も穏やかな夜です。
そして、今夜は曇ってくるので、気温もこれ以上余り下がらないでしょう。

明日は雨。
暖かな雨でしょう。
土曜日は雨も上がり20度近くまで上がるみたいです。
ガハハ。春ですねえ。

今日はさっそく聖書。
今日のところはコロサイ人への手紙3章でした。
「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」
2節の言葉が心に留りました。

「地上のもの」というときに、さすがに、「経済的なこと」「モノ」に対する執着はありません。
でも、それが、名誉だとか賞賛だとか、そういうものになると、どうかなと思います。

ほんとうにどこまで
「この世で認めてもらえなくても、神様が天国で受け入れて下さればそれでいい」
と思っているだろうか、問われたように思いました。

ただただ、天において与えて下さるモノだけを見上げながら、
この地上で誤解されたり、受け入れられないことがあっても、
ただただ愚直に御言葉をストレートに語っていきたいと思いました。

主よ、
あなたの御言葉を与えて下さい。
そして、あなたの御言葉をストレートに語る者であらせてください。
明日の集会も守り導き、
あなたのことを証しすることができますように。

また、50パーセントくらいに落ちてきてしまっているので、
今日はもう早く休んで、明日に備えます。
お祈り下さい。

2007-01-03

キリストに繋がる

今朝は-2.9度まで下がりました。
もちろん、今年に入って最低。
でも今晩はもう9時半ですが、気温は6.5度もあります。
昼間も10度を超えました。

明日はもっと暖かくなるでしょう。
そして、その後は雨。暖かい雨。
ですが、その後週末からはだんだん気温は下がり傾向。
そして15日以降はやはり冬らしくなるのでは・・・。

ちょっとおもしろくなりそうです。

元旦礼拝の後、2日間教会の集会はスローペースだったので、
助かりました。
明日からはフルスロットルで走り出します。

午前中は家庭集会、
夕方はキッズクラブのための作戦会議です。
楽しみです。

金曜日も朝と夜に集会。
土曜日も朝の6時半から祈り会です。

あっという間に日曜日になってしまいそうです。

今日の聖書はコロサイ人への手紙の2章です。

心に留ったのは、ちょっと長いですが、

「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。」18-19節

という言葉です。

「幻を見た」という人がいたら、
ああ、その人は信仰深いんだろうなあ、と思うでしょう。
でも、ここを読むと、必ずしもそうではなくて、
そこに安住して、傲慢になって、キリストに繋がることをしなくなってしまうこともあるというのです。

逆を言えば、その様な特別な経験が大切なのではなくて、
キリストに繋がっていく、へりくだって、教えられていくことが大切なのだ、ということなのでしょう。

日々、聖書を読むこと、
祈ること、
それによって生かされていくことの幸いを思わされます。

でも、それだけではないのかなあ、とも思わされます。
たぶん、人を大切にして生きていくこと。
人と共に歩んでいくこと、
その中で教えられることもたくさんあるでしょう。
私たちは仙人ではなくて、
人の中に生かされている者です。

キリストに繋がること・・・
その意味をもっともっと教えて頂きたいと思います。

主よ、
特別なことはなくてもいいです。
ただ、あなたに繋がって生きることをもっともっと経験させてください。
ああ、主に繋がっているなあ、という実感を持って歩ませてください。
明日の集会に、
あさっての集会に、
集う方々にも、「ああ、ここには確かにキリストに繋がるものがある」と
わかるような、そのような香りを満たして下さい。

2007-01-02

キリストにある成人

朝は80パーセントでしたが、
その後は50に落ちたり、80に戻ったりで、
「もう一晩寝れば、大丈夫かな」という感じです。

おかしくなってから36時間くらいで、
ものを食べようという気持ちになっていますから、
回復の早い方でしょう。ありがたいことです。

今日の最高気温は8.1度。
今、午後8時半で、1.1度まで下がっています。
今夜は氷点下でしょうね。

そして、明日、あさってと春のような日が続くみたいです。
不思議なもので、1月中に寒くないと、何か変ですよね。
2月になってから寒くなったりもするんですが、
そのころにはもう日が長くなってきていて、
「身にしみる」寒さではないように思います。

今、天気予報の世界では、
「いつ頃からアメリカ東部が冬らしくなるか」という話が
盛り上がっていますが、
早くても15日くらいだそうです。

さて、今日の聖書。
今日はコロサイ人への手紙の1章です。

心に響いてきた言葉は、
「それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」28節
です。

聖書の中には「子供のようになりなさい」という言葉があります。
そして、男である私は「永遠の少年」を公言してはばかりません。

ですから、この言葉はものすごく新鮮に響きました。
「キリストにある成人」。
神に対して子供のように信頼しながら、
でも、「キリストの形なるまで成熟していく」ということを
神様は私たちに計画して下さっているのです。

私もその様な円熟した働き人になりたいと思いました。
人を大切にすることにおいて、
配慮をすることにおいて、
成長させて頂きたいと思いました。

そして、それが「すべての人を」というところにも心が留りました。
「この人はこういう人なんだ」と決めつけてしまうのではなくて、
一人ひとりが主にあって円熟させて頂けるように、
祈っていくことの責任をも感じました。

主よ、
私をキリストにあって、
円熟したもの、成熟した者にならせて下さい。
人を大切にし、人に配慮できる者としてください。
無理にではなく、自然にそれができるような愛をあふれさせてください。
そして、教会の一人ひとりの中に、同じことを成就してください。
「すべての者」たちがそれを経験できますように。

今日も、弱さや痛みの中にある人々を助けてください。

考えも及ばない様な平安

2日の朝になりました。
いやあ、昨日はきつかった・・・。

今朝起きたら80パーセントまで回復しています。
もう、ちょっとペースダウンしながら通常の生活が送れます。

お祈り下さった皆さんに感謝します。

健康が与えられているってほんとうに大きなことなんですね。
病の中におられる方々のことを覚えてもっともっと祈りたいと思いました。

今朝起きたら、気温は6度くらい。
そして、今日は晴れ!
でも、気温は10度以下みたいですね。
暖かいのに慣れてしまっている体にはちょっと寒く感じるかもしれません。

これから数日の予想を見ていると、
大体昼間は10度以上ですね。
去年の1月も「暖かかったぁ」という記憶があるのですが、
これほどではなかったようで・・・
ありがたいことです。スキー場の皆さんには申し訳ないですが・・・。

ということで、今のうちに昨日の分。
昨日はピリピ人への手紙4章でした。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6-7

この言葉は、昨日の朝、ベッドの中で「気持ちわりー」とうめきながら、「このままでは礼拝の講壇に立てるか」と心配していた時に、ここに響いてきた聖書の言葉です。礼拝の中でもご紹介しましたし、また通読の箇所でもあったんですね。

とにかく祈りに導かれました。
「神様、今日の礼拝を守らせてください」と。
そしたら、「大丈夫だ」という思いが与えられました。
もちろん、「そうだ、大丈夫だ!」と起きあがると、
「やっぱりダメだぁ」となるんですが、
「大丈夫、神様何とかしてくださるよ」という思いは最後まで変わりませんでした。

主よ、
あなたの与えて下さった平安のゆえに感謝します。
これから、私が歩んでいく道で、
大きな困難であなたにこのように祈る時があると思います。
どうか、その時に、この御言葉の平安をまた味わわせて下さい。

今日も、体の弱さを感じ、
教会に行きたくても、
行けないでいる方々の心に、あなたの慰めを与えて下さい。

2007-01-01

あけましておめでとうございます

新年になりました・・・が、
新年になって4時間後、目が覚めて、
それから上へ下への大騒ぎ。

やっとここに座れるくらいになりました。

「何とか礼拝のご用は穴を空けませんように・・・」と祈っていました。
そう、今年は

「わたしの家は祈りの家」というみことばに立っていこうと思っていたし、
また昨日の聖書の箇所でも、苦しみの中で、
苦しみを呪うのではなくて、
復活の力を知らせて頂くために用いて頂くことを書いたので、

祈らされました。

そして、何とか、説教を終えて、
速攻で帰宅。

吐き気止めでなんとか、収まっています。

一日一章は明日からかな・・・。
今日はピリピ4章でした。

ではでは。
今年もよろしく。

2006-12-31

キリストの苦しみにあずかる

今日も、穏やかな日でした。
今、夜の9時ですが、
5度くらいあります。
でも今夜は雨。
新しい年のスタートは雨になりそうです。

今年の1月の分を読み返してみると、
去年の大晦日は雪が降って、
暖かい1月だったようですが、
それでも、何回か雪が降ったりしたようです。

この12月はほんとうに暖かかったです。
そして、この暖かさが1月も続くようです。

助かります。

でも、やっぱりちょっと寂しいところもあります。
冬は冬らしくないと・・・。

1年を振り返ってどんなことがあったかなあ、と思い出していました。
一つ一つの出会いにほんとうに心から感謝。
1月にはまだ出会っていなかった人たちの中からも洗礼を受ける方が起されたり、
もう出会っていたけれども、まだ信仰をもっていなかったけれども、
今はバリバリのクリスチャンの方もあり。

ほんとうに不思議だなあ、と思います。

そして、とてもうれしかったのは、
3人の子ども達が、今回のバケーションの行き帰りの車の中で、
3人並んで座って、じゃれ合っていたこと。

今まで、一人っ子を3人育てているような気分でいました。
ケンカにもならないのですが、
あまり兄弟で遊んだりしている光景もありませんでした。

15歳の男、12歳の女、5歳の女で、みんな見てる方向が違ったんですね。
それでしょうがないと思っていました。

でも、長男が成長したのか、
はたまた、下の2人が成長したのか、
今回は3人がケラケラ笑い合っているのを見て、
とてもうれしかったです。
これはほんとうに感謝。

個人的に自分のことで、ちょっと心配しているのは、
short memoryがひどくなっていることかな。
牧師としてはかなりまずいよな、ってくらい忘れていることがあります。

時には言われて「ああ、そうだった・・・」という時もあるのですが、
時には言われても「え、そうだったっけ?」みたいな時もあります。

脳の中のどこかの引き出しに入っているんだけど・・・
ということもあれば、
え、そんなのあったっけ?ということもあります。

自覚症状がない方がいいのか、ある方がいいのか、
分りませんが、とにかく心配しながら、
受け入れることも必要か、と思いはじめています。

やっぱりもっとメモをとることが大切ですよね。
高校生の頃の記憶力を今でも持っているつもりでいることが大体間違いなのかな?

さて、
今年最後の聖書。

今日はピリピ人への手紙3章を読みました。

「キリストの苦しみにあずかることも知って・・・」10節の言葉です。
苦しむことはあんまり好きではありません、
というか、嫌いです。
苦しいことからは逃げたいし、
目を背けてしまいたいところもあります。

でも、苦しむことも私たちには必要なのだと聖書は繰り返し繰り返し語っているのです。

キリストの復活の力を知るためには
キリストの苦しみをも感じることが必要だと
聖書は語っているのです。

だから、苦しみがやってくる時に、
それによって、
神様が私たちに復活の力を教えてくださるのだろうと思います。

その時にはそんなことを考えている余裕はないのですが・・・。

主よ、
心から感謝します。
一年間を感謝します。
これから歩んでいく道の中で、
想像できないような苦しみに出会うかもしれません。
そんな時、御言葉によって養ってください。
御言葉によって導いてください。

キリストの苦しみをあずかることによって
キリストの復活の力をも知ることができますように。