2008-12-26

みことばの勝利。

とにかく追いつきたいので、
今日の聖書、行きます。
今日は黙示録の19章11-21節。


「天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。」14節。

これは、「日々のみことば」の解説にあったのですが、
武器を持っていたのは先頭のキリストだけで、
後に続く者たちは、ただ、それに付き従っていた、と。
なるほど、と目が開かれるような思いがしました。

戦われるのはイエスであり、
みことばの剣をもって戦われるのであり、
私たちはその背後に従いながら、
その戦いを見せて頂く立場なんだと思いました。
自分が戦うような気持ちが強くなってしまう自分です。
主が戦われる、それを見せて頂く、
そこに自分も連れて行って頂いて、
主の勝利を経験させて頂く、
そのようなところに招かれているのだと思います。

主よ、
あなたの勝利に感謝します。
あなたのみことばの勝利に感謝します。
私は説教者です。
どうか、あなたのみことばの力を見せて頂く者でありますように。

やっぱり失うものあるよね。

今朝は予想通り-5度。
昼間は5度くらい。
今夜は雨のようです。


明日、あさってと10度を超える暖かさになりそうですし、
来週もこの季節としては暖かめみたいです。


でも、来週末からは冬が戻ってくるかも・・・。


今1月3日頃のStormに注目が集まっています。
ちょうど1週間後なので、
「全く当てにならない」から「結構可能性ある」になる境界線ですね。
さて、どうなるか。


クリスマス前後でばたばたしている間に、
またまた、まさにタイムリーな話題が、
水谷先生のブログに。


忙しさの問題。
1回目、
http://blog.chiisana.org/?eid=1013209

2回目、
http://blog.chiisana.org/?eid=1015212

3回目、
http://blog.chiisana.org/?eid=1015198



うーん、とうなってしまいました。
というか、まさにその真ん中で過ごしていた自分の目を覚まさせてくれたように感じます。
っていうか、ブログ愛読者のはずの私が今日まで気がつかなかったのは、まさに「忙しかったから」!!!


この際、私は仕事の多忙さにはコメントしませんが、
教会の多忙について、本当に1回目の(3)に出てくる、
「理屈抜きの充実感や自己効力感」をもたらす、
ということ、ほんとうに大きな問題だと思います。


いろいろな奉仕をしている中で、集会をたくさんしている中で、
何かをした気分になっている、神さまに仕えている気になっている、
そういうことがどんなに多いかと思います。


本当のところ、神の名を汚すようなことをしているかもしれない、
新しく教会に来られた方々に、神さまのことを誤解させるようなことをしているかもしれない。
でも、一生懸命働く中で、忙しく奉仕をする中で、
もしも、人数的に多くの方々が集うならば、
何か「やった」という充足感をもってしまう。


そして、その充足感のことを、
神と共に歩む喜びだと思い込んでしまう。


まるで、高校の文化祭のように(別に高校の文化祭が悪いわけではないです。私にとってはいい思い出です。念のため・・・)、みんなで一生懸命力を合わせて何かをやった充足感を、キリストと共に歩む喜び、「聖徒の交わり」だと思い込んでしまう、そういうことがあるのでは、と思うのです。


自分はどうだろうかと。
カレンダーに予定が入らないことに不安を感じたり、
逆に予定が埋まっていくことの中に、自己満足していたり、
そんなことはないだろうかと、問われました。


でも、また、反対に、その「教会の忙しさ」に、
「ついていけない・・・」となっていく方々もおられるわけで、
そのときに、「ああ、こんなことを感じてしまう私はダメだ」自分を責めたり、
「昔はあんなにがんばっていたのに、あの方、最近お疲れみたい・・・それとも信仰的にダウンかしら」みたいな、ネガティブな評価が与えられたり・・・。
そうじゃないのに。


何もしないでいると、一番平気でできてしまう人が標準になってしまうから、
ブレーキをかけるのも牧師の大切な仕事の一つなんだろうと思います。
ブレーキをかけるのが目的ではなくて、
本当に大切なものを見失わないように、そこにじっくり時間をかけることができるように。
もしかしたら、そこでみんなが「ああ、今日は忙しくなくて、とても大切なことに時間が使えて良かった」なんて思わなくて、反対に「ああ、あれもこれもやらなければいけないのに、どうして、こんなことにこんなに時間をかけるんだろう」とイライラする人がいるかもしれない、たとえそうだとしても動じない強さ、目的意識、霊的な敏感さ、必要だなあと思いました。


さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネの黙示録18:21-19:10。


「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」8節。

花嫁は教会のこと。
教会が世の終わりにキリストの花嫁として着飾るのは、私たちの正しい行い、という衣装だという。
「信仰」が「行い」と切り離されてしまった現代の教会の中で生きている者として、
自分の中にも「正しい行い」がここでことさらに教会の着物として言及されていることに違和感を覚える。でも、その違和感は、聖書が問題なのではなくて、私の方が問題。

教会はもっともっと正しい行いに熱い存在でなければいけないと思う。

私はもっともっと信じているように行動すべきだと思う。
信じているように生きていく、そのために聖霊様に満たして頂きたいと思う。

聖霊様の力をいただいて、正しい歩みをさせて頂きたいと思う。

教会の使命、この世に存在している使命、それをはっきりと知って、
そのように、歩んでいく者でありたいと思います。

主よ、
どうか、良い行いをさせてください。
あなたが私にどんなことをさせようとなさっているのか、
その使命をはっきりと見させてください。
そして、そこに生きていくことができますように。

2008-12-25

メリークリスマス!


「ユダヤ人の王としてお生れになったかた・・・」マタイ2:2

イエスよ、あなたを私の人生の王とすることができますように。

人と出会う喜び。

さて、もう一日分更新。
遅ればせながら、アドベント聖書日課第4週もアップしておきました。
右のリンクから。


昨日の朝はFreezing Rainでアイススケートリンク状態でしたが、
昼間に温度が上がり、キャンドルライトサービスの時には全く問題なし。
そして、今日も風はありましたが、この時期としては過ごしやすい一日でした。


夜になって冷えては来ています。
今、11時過ぎですが、-2.3度。
-5度くらいまでは下がるのでは・・・。


明日はまた穏やかな日になりそうです。


今日、日本からお客さんが来られました。
それがまた9月に来られた方々の教会の方々。
でも、考えてみれば、その方々とも、そのときに初めてお会いしたわけで、
その方はまた、前に知っていた方から紹介された・・・と。


本当に不思議な出会いが与えられた、次々と与えられた一年でした。
一つ一つの出会いに、不思議な神さまの導きを感じます。


夕方にはNYのホテルまでお送りして、
そして、家族も一緒に行って、5番街を散策。
でも、すごい人混み!!!
野球の後のスタジアムのよう。
火事場の野次馬の人の波のよう。
たまにしかない経験に子供たちは戸惑っているようでした。


商業化されているクリスマスの一面ですが、
それでも、暗くなって、イルミネーションがともる中に、
私たちのところに光としてきてくださったイエスを感じないではいられません。

さて、昨日、水曜日の聖書。
水曜日は黙示録18:9-20でした。


「それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。」19節。

このバビロンの繁栄は、今日のアメリカの繁栄と通じることがあるのではないだろうか。
私たちもこのアメリカの繁栄がそんなに簡単に失われることはないと思っている。
今、本当にこの国の経済は苦しんでいるけれども、
やがて、持ち直すと信じている。

今の状況よりも悪いことが起ったとしても、
また、必ず不死鳥のように、起きあがってくる、
そのように信じている。

次の大統領も、
We can do it!
と人々に語り続けている。
励まし続けている。

でも、それは本当なのだろうか?
そんなに楽観的でいいのだろうか?

神の言葉以外に確実なものはないはず。
この世のものはどんな国も、どんな繁栄も、やがて廃れていく、
というのが聖書のメッセージだったのではないだろうか?

アメリカも日本も中国も例外ではないはず。

それも、この場合は「一瞬のうちに」滅びてしまう、という。
本当に私たちが何を頼りにすべきか、
何を変わらないものとして信頼していくべきか、
問われていると思いました。

主よ、
どうか、私があなた以外のものを頼りにすることがありませんように。
あなただけを私が依って立つ土台としてくださいますように。
あなたを信頼することの意味を、もっともっとわからせてください。

キャンドルサービス感謝。

昨日の夜は教会でキャンドルライトサービス。
5時から、と言う早い時間帯だったので、
来られなかった方もおられたと思いますが、
その時間帯だったので、来られた方々もおられたと思います。
子供たちを入れて100人あまり。


久しぶりの方、初めての方、たくさんの方々が来られました。


そして、何よりも感謝したのは、
賛美を心から主に捧げることができたこと。
イエスが私たちに与えられていることを心から感謝できたこと。
来られたお一人一人の心にその神さまのすばらしさが届いたでしょうか?


特別にすばらしい音楽家を迎えたわけでもなく、
特別なスピーカーを迎えたわけでもなく、
でも、共に集まり、イエスの誕生を喜ぶ一時、
とても楽しい、幸いな時でした。


その後は、牧師館に40人くらいの方々が来られて、
日付が変わるくらいまで、楽しい一時を持ちました。


「すべての民に与えられる大きな喜び・・・」(ルカ2:10)


さて、火曜日の聖書。
火曜日は黙示録の18:1-8でした。


「地上の王たちは、彼女と不品行を行い、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」3節。


「バビロン」と呼ばれる女が裁かれることが書かれているところですが、
これは商業主義、利潤至上主義、拝金主義のようなものでしょうか。
とにかく何としてでももうけよう、という精神のような感じがします。

それと深い関係になる人々がたくさんいる、というのです。
もうそれがなくなったら、どうしようか、という人々がたくさんいるのです。

でも、自分ももしかしたら、これに巻き込まれてしまうことはないだろうか、
いや、もうすでに気がつかないうちに巻き込まれてしまっていないだろうか、
そんなことを思わされたのです。

間違ったことを見極める、見抜く鋭い目をあたえていただきたいと思いました。

主よ、
あなたを主として見つめていけますように。
見上げていけますように。
そして、主が、正しいように見えて、本当は違っていることを、
見抜く目を与えてくださいますように。

2008-12-23

信仰と行い。

今朝も冷えましたね。
やっぱり-11度。
そして、最高気温も-0.2度。
2日連続の真冬日となりました。


今、夜中の1時半ですが、-1度。


今夜はこのまま気温は下がらずに、
逆に上がって行くようです。


そして朝から雨。


クリスマスなんで雪の方が雰囲気が出るのですが、
ちょっと週末の雪で苦労したので、
雨がちょうどいいかも。


今、月2回の午前中の祈り会では、
新約聖書のヤコブの手紙を読んでいます。
その中で、信仰と行いの関係が論じられています。


ヤコブは教会の中にいた、
「私には信仰があるから行いは必要ない」と言っている人たちに、
「それはないだろう、行いを伴わない信仰って何だ?」と挑戦しているのです。


読んでいると本当にそうだなあと思います。
信じていたらそのように生きる。
その人の生き方が、その人の信仰を表す。
信仰は気持ちの問題じゃない。生き方の問題。


思い切って言えば、やっぱり信仰は行いなんですよね。
うーん、誤解されるなぁ、この言い方では・・・。


信仰は行いにあらわれて当然。
行いが信仰の証拠とは言えないけれども、
信仰があったら、行いはある。
それはくっついているもので、
今は行いはないけど、信仰があるから、
そのうち、行いもついてくるでしょ、じゃなくて、
信じていたら、そのように生きるべき。
その瞬間から、そのように生きるはず。


生き方にあらわれない信仰なんて、
結局のところ信仰じゃない、ってことでしょう。


失敗することもある。
誘惑に負けることもある。
でも、神さまが全能であると信じて、愛であると信じていたら、
それを信じている者としての歩みがあるんだろうな、と思うのです。


信仰を生きる者であることができますように。


さて、月曜日の聖書。
月曜日は黙示録17章でした。


「この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。」14節。

イエスの勝利が書かれています。
サタンの勢力はイエスに挑戦をしますが、
イエスは勝利をすることが約束されています。

ここを読みながら、月曜日はなんだか、本当にほっとするような気になりました。
主は勝利をしてくださる。
それはもう約束されている。
だから、私たちははらはらしながら見る必要はない。
主が勝利してくださっていて、
私たちも勝ち戦に参加する。

なんだか、ものすごい参加しないことが損であるように思えてきました。

大丈夫。

主が勝利してくださるから。

主よ、
あなたの勝利に感謝します。
あなたの勝利に参加できることに感謝します。
恐れず戦う者となれますように。

JOYJOYシンガーズ・デビュー!

日付が変わってしまいましたが、
日曜日のJOYJOYクリスマスでJOYJOYシンガーズがとうとう初舞台。
いやあ、私も緊張しておりましたが、
子供たちも結構緊張していたみたいですね。
でも、子どもによってはその緊張がちょうど良かったようで、
練習の時よりも、ずっと集中して、よく歌えました。


中高生5人と小学生以下が12人のあわせて17人。
みんな元気に明るく歌ってくれました。


元気に歌ってくれたメンバーの一人一人に、
応援してくださった皆さんに、
そして、誰よりも、この歌を喜んでくださっている神さまに、
心から感謝!


大喝采でちょっとびっくりするくらい。
「アンコールの声が出なくても、無理矢理アンコールやるからね」
と子供たちに話していたのですが、心配なかったですね。


次の目標はイースター。
心は動き始めています。
でも、8週間ずっと休まず練習してきたので、
27日と1月3日はお休み。


「教会のプログラムはいつもエキサイティング!」を目指して、
1月10日にばっちり準備して、再開です。


さて、日曜日の聖書。
日曜日は黙示録の16章10-21節。


「目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである」15節。

土曜日の「さばき」のことを考えれば考えるほど、
この着物を与えられていることのすばらしさ、
その安心感を感じさせられます。

義の衣と言われる時もあります。
本当は罪人なんだけれども、
神の義を着せてもらっている。
イエスの十字架によって、
私たちは義の衣を着せてもらって、
罪のない者として見てもらっているのだという。

自分で準備する衣は、あのアダムとイブのイチジクの葉っぱで作った腰巻きのように、
すぐにしおれて、ぼろぼろになってしまうけれども、
主の与えてくださる衣は、完璧に罪を覆う衣。

その恵みに心から感謝。

主よ、
あなたが与えてくださっている衣の故に感謝します。
この衣の価値を見失ってしまうことがありませんように、
恵みに慣れっこになってしまって、感謝を失うことがありませんように。

2008-12-22

除雪遅くない?

今日は本当に寒い一日でした。
最低気温は-11度。最高は-5度。
一日氷点下の真冬日でした。


これは土曜日の写真ですが、
本当にきれいに雪化粧しました。



今朝、教会に祈りに行こうと、6時前に車を出そうとしたら、
Drivewayから道路に出たところで、スタック。
前にも後ろにも進みません。

こんな感じで、タイヤが雪にはまって空回りして
動かなくなってしまいました。


スコップで雪を掘ったりいろいろしたのですが、
うまくいかなくて、最後はのんちに助けを求めることに・・・。
もちろん、押してもらったんじゃなくて、運転席に座ってもらったんですが、
助けてもらったら、一発ですんなり出ました。ほっ。


でも、ウチの前だったから助けが呼べたわけで、
誰もいないところだったら、大変でしょうね。
いろいろ車に積んでおこうと思った朝でした。


そう、週末から思っているんですが、
今回の雪、除雪遅くないですか?


もしかして、ホワイトハウスと自動車業界から
ニュージャージーの各町にお願いが来ていたんじゃないかな、と勘ぐっております。


あんまり除雪をばっちりやらないでください・・・と。
特に日本のメーカーの小型車を置いている家の前は少し多めに雪を残すようにと・・・。
もちろん、そんな意図はばれないように、抜け目なくやれと・・・。


で、今日あたりはこの週末雪で苦労された方々が、
昨日の夜、「やっぱり四駆がいいねえ」と家族会議をして、
GMとFordとChryslerのディーラーにSUVを求めて殺到することをねらったと。
ここは何とかみんなで自動車業界を盛り上げていこうじゃないかと。


きっとそんな通知が来ていたんじゃないかなあ、なんて思っています。


その手は桑名の焼きはまぐり、ですが、
ホント大変でしたね。
あ、実際に作業しておられる皆さんには感謝しております。
町の予算とかいろいろ限られている中で、
がんばっておられるんですよね。
ハイ、感謝しております。


明日は今日よりもう少し寒さがゆるむみたいです。


さて、たまってしまいましたね。
ここで土曜日の聖書。
土曜日は黙示録の16章1-9節。


「あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」7節。

神さまのさばき、ということについて考えされられています。
ずっと、黙示録を読んでいる中で、
自分の心にこの「さばき」に対する抵抗感があることに気がつかされています。

この「さばき」を軽く見たいという気持ち、
神さまがこのようなことをなさることに抵抗を感じる気持ち、
いろんな思いが去来します。

でも、この裁きの深刻さ、この恐ろしさがあるからこそ、
イエスが救い主としてこられたことに意味があるんですよね。
この裁きが恐ろしいから、イエスは十字架にかからなければならなかった。
ここまで深刻だからイエスの十字架が必要だった。

その裁きの恐ろしさをDiscountしようとするときに、
救いのすばらしさも、神の愛の大きさも、
Discountされてしまう。

この裁きの恐ろしさに向き合うことの大切さを思わされます。
割引しないで、値引きしないで、向き合うことの大切さを思わされます。

主よ、
あなたの裁きの厳しさを、
罪の結果の恐ろしさを教えてくださってありがとうございます。
それがあるから、救いがすばらしい、
それがあるから、あなたの愛の大きさがわかる。
どうか、私の心のこだわりや恐れを取り除いて、
裁きの恐ろしさから目をそらさないで、
あなたの愛の大きさに目を開かせてください。

2008-12-21

今日も感謝。

今日も子どもを入れて100人くらいの方々が礼拝に出席されて、
クリスマスを共に祝いました。

そして、礼拝後はJOYJOYクリスマス。
JOYJOYシンガーズの子供たちも「本番に強い!」でしたね。
とってもすばらしかったです。

神さまが助けてくださいました。

中高生の劇も良かったです。

ゲストのサンタさんも良かったです。

ほんとに、感謝感謝の一日でした。
でも、「日々のみことば」はまた明日。

ではでは。