2007-12-08

心に留めない

今日の朝は結局氷点下に下がらず、+0.2度。
昼間も7度くらいまで行きました。

でも、今は夜の10時で-0.8度。
冷えてきました。
明日の朝は-2度くらい。
そして、午後からは雨になりそうです。
ちょっとSleetが混じるかもしれません。

このSleetは透明の氷の粒で、日本語では「凍雨」というらしい。
あられだと思っていたけれども、Wikipediaで調べていたら、
そう言う言葉が出てきた。
初めて聞いた。
変換候補にも出てこなかった。

知らなかったということ自体が、

・・・かなりくやしい。

そして、Freezing Rainのことを、
雨氷というらしい。
これは「うひょう」と呼ぶらしい。
これは一発で変換された。

または、「あめごおり」と読むこともあるらしい。

ちょっと親近感。

これは氷点下の中で雨が降って、
過冷却された水が、落ちた瞬間に凍る現象。
ふつうは-1度とかで、起こるのですが、
時々-5度くらいでも、起こることがあります。
それはホント大変です。
歩道がスケートリンクになります。
もちろん、車道もそうですが、
車が通るとでこぼこになります。

でも、NJの歩道は人が余り通らないので、
みごとにスケートリンクになります。
そうなると、ほとんど歩けません。

いつだったか、朝教会に祈りに行って、そういうことがありました。

1998年1月のモントリオールからオタワでのFreezing Rainは7日間に渡って降り続き、
最大で12センチの厚さの氷のシートができたらしい。
枝につくと、単純計算で、直径24センチ。
ほぼ、足のサイズ。

ウヒョー!


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ書の31章31-34節。

「再び彼らの罪に心を留めることはない。」
34節の言葉です。

主の赦しの恵みは、
私の罪を「心に留めない」ほどなんだと、うれしくなりました。

私たちは、人の過ちを赦しても心には留めておくものです。
なかなか忘れられないものです。
忘れるもんか、なんて思うこともあります。
忘れてやるもんか、絶対忘れない・・・と。

でも、主は私の罪をもう心に留めないでくださる。
自分ではいつまでもいじいじしているかもしれない。

でも、主は心に留めないでいてくださる。

なんとありがたいことでしょうか。

主よ、
あなたがわたしの罪を心に留めないでいてくださることに、
心から感謝します。

あなたの赦しの恵みに感謝します。

そこに感謝して、歩む者としてください。
喜びにあふれて歩む者としてください。

主は待っておられる

日付変わっちゃいましたが、
7日のつもりで書きます。

今日の朝は冷え込んで-6.4度。
昼間も1.4度までしか上がりませんでした。
そして、2時半頃から雪。
またうっすらと雪化粧しました。

でも、今夜は冷え込みがゆるんで、
今、夜の12時過ぎですが、0.7度と0度を超えています。

明日はこのところの寒さからするとずいぶん暖かくなりそうです。
でも、10度までは行かないでしょう。
やっぱり冬ですから・・・。

で、数日前に、
winter is over(冬は終わった)と言っていた、天気予報のおじさんが、
「冬の寒さが厳しくない、ということは、暖かい空気と、冷たい空気がぶつかるので、
雪が多いかもしれない・・・」なんて言い出しました。

ずるい・・・。

でも、確かにそれは一理あります。
東京の雪が2月に多いのも、同じことなんですが、
冬の寒さが厳しいと、南の海上を低気圧が通ることが少ない、

こちらでも、冬の寒さが余り厳しいと、東の海上を低気圧が通ることが少ない・・・のかなあ。
でも、1995年11月から1996年2月の雪の多さは、
厳しい寒さの中を、東の海上を低気圧が通ったからで、
やっぱり寒さの厳しい冬の方が、雪が多いように思いますが・・・

まあ、どうなることでしょうか。
個人的には今日みたいなうっすら雪化粧、みたいな雪の降り方が、
風情があっていいと思うのですが・・・。

さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書の30章8-17節でした。

昨日見た、QT基礎セミナーの学びを生かして、
「何か適用を見つけよう」と一生懸命になるのではなく、
神様と共に時間を過ごし、神様に話しかけながら、読みました。

「それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。」
17節です。

アドベントです。
自分が神様を待ち望んでいるかのように思っていました。
自分が祈りながら、クリスマスを待ち望んでいるつもりでした。

でも、主が私のことを待っていてくださる。
毎朝、毎朝、主が私が主のもとに行くのを待っていてくださる。

私が主の胸に飛び込むのを、
ずっと待っていてくださった。

ちょうど、放蕩息子のお父さんが、
お兄さん息子を待っていたように。
自分の胸に飛び込んでくるのを待っていたように。

そう、お兄さん息子の方。

主が待っていてくださることに感謝しました。
努力してそのことを思い出そう、というよりも、
一日の歩みの中で、
「ああ、主は今も私を待っていてくださるんだなあ」と何度も思いました。

「私たちに正しいことを預言するな。私たちの気に入ることを語り、偽りの預言をせよ。」
という人々の預言者に対する言葉、10節の言葉も心にぐさっと来ました。

主の語られることに、
主が語られることに、
主が命じられることに、
忠実に聞いていくものでありたいと思います。

主よ、
待っていてくださるあなたに感謝します。
待っていてくださるから感謝します。
どうか、語ってください。
そして、あなたに語られたこと、
大胆に語る者とならせてください。

2007-12-06

ハワイで吹雪

今日は寒い一日でした。
朝の最低気温は-7.2度。
昼間も、何とか0度は超えましたが、
1.5度止まり。
今は、夜の9時半を回ったところですが、
-4度まで下がってきています。

明日の朝も-6度くらいでしょう。

ハワイで吹雪だそうです。
Big Islandにある二つの高い山は富士山級。
とゆうか、富士山より200メートルくらい高い。

で、今2100メートル以上の所は雪になっているようです。
こちらでもなかなか出ないBlizzard Warningが出ています。

下の方は大雨だそうです。
そちら方面の方、お気をつけて。

今日は子供のプログラムのために、
材料を探しに、模型やさんに行ってきました。
Ramsey, NJの17号線沿いにあるHi-Way Hobby.
鉄道模型や、プラモデルなどいろいろあります。

日本にはたくさんあるこの手の店をこちらで探すのは、
結構大変です。
日本ではおもちゃ屋さんでもプラモデルは売っていますが、
こっちはそんなのありません。

で、結構見入ってしまいました。
TAMIYAのプラモデルや、
モーターのセットとか、
そうそう、何年か前に「モーター」をさがして、
(これも子供のプログラムのため)
やっぱりなかなかなくて、何時間もかけて1個見つけた覚えがありますが、
ここにはあります。
「ガンダム」のプラモデルもいろいろあります。

小学生の頃、友達の誕生日に呼ばれたら、
「戦車のプラモデル」を持っていくのが定番でした。
戦車には余り興味はなかったですが、
それでもいくつか作りました。

そのころは、「リモコン」の戦車のプラモデルもありましたが、
今日は見あたらなかったですね。
でも、ちょっとはまってしまうかもしれません。
プラモデルの世界。

あ、あと、アメリカらしいのでは、
「ノアの箱舟」のモデルもありました。
プラモデルじゃなくて、木でできたキット。

探していた材料は見つからなかったのですが、
後学のためにかなり勉強になりました。

いつか紹介したCGNTV。
(右にもリンクを貼りました)
今日、ちょっと時間を作って、
QT基礎セミナーのQTの分かち合いと証し(1)を見ました。
こちらが前半。(リンクをクリックすると音が出ます。注意)
こちらが後半。(リンクをクリックすると音が出ます。注意)

本当に良い内容です。
韓国語に日本語の字幕なので、
ずっとコンピューターの前に座っていなければいけないのが、
結構大変なのですが、その価値はあります。

QTとはQuiet Timeの略で、
クリスチャンの人が、聖書を開いて祈って過ごす一時のことです。

この方は、本当に神様と過ごす一時を楽しんでおられると感じました。
そして、それが生活の一部になり、生活にimpactを与えているんですね。
そのような神様との一時を持てるようにと願いました。

さて、今日のわたし自身のQTから。
今日はイザヤ書の42章を読みました。

「彼は衰えず、くじけない。」4節。

イエスは私たちのために忍耐して、歩まれた。
そして、十字架の勝利を得られた。
そのことを思わされました。

今のわたしにもどれだけ忍耐してくださっているだろうかと思いました。
どれだけ、耐えて、待っていてくださるだろうかと。

歩みの遅いわたしのために、
失敗ばかりで、
試行錯誤ばかりで、
あっち行って、失敗して、
こっち行って、失敗しているわたしのために、
どれだけ忍耐してくださっているか。

でも、あきらめないで待っていてくださる。
十字架の道を開いて、
今も待っていてくださる。

そのことに心から感謝しました。

主よ、
あなたの忍耐に感謝します。
あなたがわたしのことを見捨てないでいてくださることに、

心から感謝します。
どうか、これからも、よろしく、一緒に歩んでください。
あなたがいてくださることに、心から感謝します。

2007-12-05

何を求めるか

今日はまた寒い一日でした。
朝は-5度。
最高気温も2度止まり。
夕方にはちらほら雪が降ってきて、
うっすら雪化粧です。

今は夜の11時ですが、-2.4度。
明日の朝は今朝と同じくらいかもっと冷え込むかもしれません。

昼間もまた2度止まりでしょう。
金曜日にはまたちょっと雪の可能性があります。

もうすぐ読み終わる「天国の人」。
中国のブラザー・ユンの自伝です。

最後の方まで来て、ずっと中国の「家の教会」で信仰を守ってきた彼が
エスタブリッシュメントである西洋の教会に触れるあたりが、
またものすごいチャレンジングです。

そして、この言葉にうならされました。

「迫害を止めるように祈ることは止めてほしい!重荷を軽くしてほしいと祈るのではなく、それに耐える背骨を強くしてほしいと祈るべきである」

何十回も逮捕され、何度も死にそうになるくらいの拷問を受け、3度の長い投獄生活を送っていた彼の言葉であるゆえの重み。そして、西洋の教会の眠っている状況を目の当たりにした彼の言葉の重み。

自分はいつも共産圏やイスラム圏のクリスチャンのために祈る時には、迫害からの解放を求めていました。でも、それが必ずしもその人々の祝福になっていかないことを教えられました。必ずしも彼らの願いではないことを教えられました。

私たちの歩みもそうだと思わされました。必ずしも試練が取り除かれることが祝福ではない。主への祈りがあり、主の臨在があるところが祝福なのです。

わたしはいったい今何を求めているだろうか。快適さ、comfortableであること、便利であること、お金の心配をしなくていいこと、祈り支えてくれる人々、心の通じ合う仲間、平和な家庭・・・でも、何よりも主を、主の臨在を求めているだろうか・・・。

今日の聖書。
今日はイザヤ書35章。

「主に贖われた者たちは帰って来る。」10節。

贖われる・・・買い取られる、買い戻される、ということだとよく説明される。
わたしは主に買い戻された者。

どれほど幸いなことだろうかと思いました。
どれほど恵まれているだろうかと思いました。

それと共に、自分は神様のものなのだと思いました。

自分のものではなくて、
神様のもの。
イエスの血潮という代価を払って買い取られた神様のもの。

時間を神様の喜ばれるように使っているだろうか、
与えられた財を神様の御心に従って使っているだろうか。
人生自体を神様の為に使っているだろうか。
神様の導きに忠実に従っているだろうか。

一つ一つ問われました。

感謝をどのように生きているだろうか。

言葉だけの感謝で終わっていないだろうか。

心が探られました。

主よ、
わたしを買い取ってくださって、
買い戻してくださって、
あなたのものとしてくださったことを感謝します。

あなたのものとされていることに感謝します。

どうか、あなたの使命に生きるものとしてください。
あなたの与えられた、わたしのために準備された
使命に生きる者としてください。

自分の好き勝手にすべてを使いたい、
自分の好き勝手に生きたい、
という誘惑から、わたしを守ってください。

2007-12-04

冬もあとすこし

今日は寒かったです。
朝は-2度くらいまでしか下がりませんでしたが、
その後、小雪が舞って、最高も2度止まり。

今、夜の9時半ですが、
-2.2度まで下がってきています。

明日の朝は-5度くらいでしょうか。
そして、また明日も小雪が舞う天気になりそうです。

息子のいっている高校では、
「明日は雪だ!No Schoolだ!」なんて、噂が流れていたそうですが、
休校になるようなことは決してありません。
残念でしたねえ・・・。

でも、今日みたいにちらほら降る雪を見るとなんだか、
冬なんだなあと思います。
朝のニュースでやっていましたが、
湯たんぽ、欲しいなあと思います。

しかし・・・。

天気予報の世界では、なんと、
東海岸の寒さは、今週が峠、という話が盛り上がってきています。
来週からは5度以上の日が多くなって、
降っても雪よりも雨が多いようです。

その傾向が2月頃まで続くので、
「今年の冬は今週が峠」だそうです。

わたしの中では、「これ、結構あたるかも」と期待しているのですが、
さて、どうなることでしょう。

今日は、早速聖書。
今日はイザヤ書11章1-9節でした。

「主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。」
9節の言葉です。

今朝、この聖書の箇所を読みながら祈りながらいたのですが、
この情景が目に浮かぶようで、
楽しみになってきました。

最近、中国のクリスチャンの経験を書いた本を読んでいるので、
よけいそう思うのかもしれませんが、
神を求める人々、信じる人々が海のようにこの地に満ちる、
そのようなことが約束されているのが、
とても楽しみになってきました。

今は人々は無関心に見えても、
今は人口の1パーセント以下と言われても、
海のように地に満ちる時が来る、
単純に「そうなんだあ」と思ったら、
本当に楽しみになってきました。

現実は現実としてある。
でも、現実に縛られる必要はない。
いつまでも今の現実が続くと思う必要もない。

この聖書の言葉の通りにして頂きたいと思いました。
中国のクリスチャンが経験したような、
すばらしい神様の御業を経験したいと思わされました。
そこには迫害があり、犠牲を払う場面があったことを思うと、
気軽に言えないことですが、
それも含めて、主に奇跡を見せて頂きたいと思います。

神様、
あなたの約束を信じます。
この地に、私たちの同胞の中に、
「海のように」主を知る者たちが満ちる時を、
待ち望みます。

どうか、この幻を、現実のものとしてください。
現実に落胆しない自由を与えてください。

2007-12-03

いのちを前にして

昨日12時過ぎに寝る頃に、0度を超えて、
今日は朝起きたら1.1度。
氷点下ではなかったので、安心して、車に乗れました。

氷点下で雨が降るFreezing Rainはほんとうに、怖いですから・・・。

で、昼間は9度まで上がりましたが、
午後、パラパラと雨が降ってきて、急に冷えてきました。
今は夜の10時過ぎですが、2度。
このあとも、どんどん冷えて、明日の朝は-3~-4度。

ちらほらと小雪が舞う日が続きそうです。

さて、先週の「医龍2」(第5話)からの名言。

「いのちを前にして、おびえのないヤツはいない」

もちろん、ドラマの中で、手術室の中での言葉なのですが、
自分に置き換えて、「永遠の命を前にして、おびえのないヤツはいない」
と思うと、本当にそこには「正当な恐れ」があることを思わされました。
本当に、自分の働きの重さを思うと、本当に恐れがあります。
それは単なる恐れではなく、やはり「畏敬」という言葉で表すべきものなのだと思います。
逆に、それを、その「恐れ」をなくしてしまったら、牧師としての働きは失格なのでしょう。
「いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。」(コリント第2の手紙2:16)

時に、それに「おびえ」、逃げ出したくなることもあるでしょう。

このドラマの中ではその「おびえ」を乗り越えるための「チーム」が強調され、
「支え合うみんながいるんだ」ということで、歩んでいけることがアピールされています。

わたしもその「チーム」ということにものすごい魅力を感じるのですが、
それ以前に、「主が共にいて下さるが故の力」を思わされます。

「チーム」にも魅力を感じますが、もしも、「チーム」を作ることが許されるならば、
わたしは、あくまでも「主の力を信じる」という信仰で一致できるところで、
チーム作りをしたいと思わされています。

さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書9:1-7でした。

「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。 死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」2節。

光を見たのは「闇の中を歩んでいた民」でした。
光が照らしたのは「死の陰の地に住んでいた者たち」でした。

そのような中で、歩んでいる時に、
私たちは「光が照る」のを想像できるでしょうか。
神は私たちを見捨てた、と思ってしまうのではないでしょうか。

でも、主はそのような人々の所に光を照らされました。

自分がつらい中を通っている時に、
なかなかそれを信じられません。
自分がトンネルの出口が見えない時に、
「あなたのことを光が照らすんだよ」と言われても、
実感は湧きません。

そんな言葉を聞いても、「自分が順調だから、そんなこと言えるんだ」
と思うこともあるでしょう。

でも、主はそんな状態に歩んでいる者にこそ、
光を照らそうとしておられるのです。

暗闇の中こそ、光の力を感じるチャンスなのです。

主よ、
あなたの光を感謝します。
あなたの光が必要です。
あなたからの光が必要です。

どうか、わたしを照らしてください。


アドベント聖書日課

2007-12-02

恵まれた環境での信仰

さて、今日の天気ですが、
朝は「外れた!」と思ったのですが、
朝3センチくらい雪が降った他は、

午後は結構雪が上がっている時間が長かったし、
今、夜の10時過ぎですが、これから雨が降ってくるようですが、
結局は、「朝の雪が終わったあとは、『降り始めが遅くてほとんど雨』」ということで、
まんざら外れたわけではないと。

ちょっと負け惜しみ・・・、ですが・・・。

気温は今-1.2度。
どんどん気温が上がって来ますから、
結局Freezing Rainからふつうの雨に変わりそうです。

今日は礼拝の後、
中国に伝道に行ったご婦人のお話をお伺いしました。

最近、本も読んでいるので、
厳しい状況の中で、
人々が熱い信仰を持って、
主に真実に従う姿に心動かされます。

自分はどうだろうかと思います。
黙示録に出てくるラオデキヤの教会へのメッセージが心に響きます。

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(3:15-20)

私たちのような社会の中で、どのように信仰を守っていけばいいのでしょうか。考えさせられます。

さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ書の29章10-14節です。

「それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」11節。

主が準備してくださっている計画。
その中心はもちろん、イエスによる救いだけれども、
わたしの人生にも計画を持っていてくださる。

平安と将来と希望を与える計画。

それを信頼していこうと思いました。
本気で信頼していこうと思いました。

ユダヤの人々は、絶望的な状況にあったのです。
でも、ただ、神様の言葉だけを信頼して待ち望みました。

状況と神の言葉、どちらを取るでしょうか?
状況の方がずっと大切なような気がするのです。
神の言葉を信頼する者としてください。

主よ、
あなたのみことばを信頼することを教えてください。
状況の厳しい中で、あなたを信頼することを教えてください。

将来と希望と平安を与えてくださる、あなたの計画を信頼する者としてください。

アドベント聖書日課

雪ですねえ

外れましたねえ。
朝、起きたら雪が降って、うっすら雪化粧。
朝8時の段階で-6度で雪が降っています。

雨に変わるのは夜になってからのようですので、
日曜日の礼拝、気をつけてお出かけ下さい。