2013-04-13

命の力。

今朝は4度くらいまで下がっていましたが、
とにかく、一日晴れて18度くらいまで上がりました。
昨日が寒かったので、ほっと一息。
そして、明日も今日と同じくらい。
あさって、月曜日から本格的にぽかぽかになりそうです。


さて、どんどん春になりますが、
ちょっと気分転換に庭に出てみたら、
我が家のほったらかし畑に、
もうニラがガンガン生えて来ています。



来週には食べられそう。
ぎょうざと、ニラ玉と、おひたしと・・・。

そして、その根元をちょっと探してみると、
出てきていました。ちょっと細めのですが、アスパラ君です。


今日はそこまで余裕がありませんでしたが、今度、いつか土をかぶせて「ホワイトアスパラ」というヤツにも挑戦してみようかと思います。

そして、レンギョウはもう満開。


桜もあちらこちらで咲き始めていますね。
来週は「春本番!」です。

でも、この命がずっと、あの寒い冬の間、待っていたかと思うと、感動ですね。
そして、この鮮やかな色の数々。
見事としか言いようがないです。

かみさままじやべえ。

さて、今日の「日々のみことば」。
今日はサムエル記上の13章でした。

「サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。」8節。

これ、きついですよね。
7日待ちなさい、と言われて、
待っていたのに、サムエルは現れなかった。

人々がそこに一緒にいてくれたら、
同じように信仰をもっていてくれたら、
サウルも失敗をしなかったと思う。

でも、人々が去っていった。

その中で、なんとかしなければ・・・という焦りがあったのだろうと思う。
勝手にささげものをささげてしまった。
祭司だけがすべきことをやってしまった。

でも、わかるなあ、これ。

本当に、人がどんどん減っている中で、
なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ、と。

でも、大切なのは神様を信頼して動じないこと。
忍耐を持って動じないこと。

神様、
動じない心を与えてください。
単に動じないのではなく、あなたを信頼するからこそ、動じない心を持つことができますように。

2013-04-12

さむかった〜。

こちらの夕方には、関西でまたかなり大きな地震があったというニュースが流れてきましたが、怪我をした方もおられるようです。どんなに怖かっただろうかと思います。
このあと大きな地震もなく収まりますように。

こちらは一日雨で、とても寒い一日でした。

明日にはいい天気になって、来週前半にかけて、また気温も少しずつ上がってきそうです。

今日の「日々のみことば」。
今日はサムエル記上の12章。

「わたしは主が、あなたがたとあなたがたの先祖のために行われたすべての救のわざについて、主の前に、あなたがたと論じよう。」7節。

歴史の中に神様のメッセージが込められている。
自分はどちらかと言うと、あまり振り返ることの好きな方じゃない。
歴史の点数を取るのは嫌いではなかったけれども、
「歴史から学ぶ」というほどの哲学を持ち合わせていなかった。

でも、サムエルは歴史をひもときながら、神様の御業を論じた。

自分の歴史でも、教会の歴史でも、
失敗を含めて、振り返っていく時に、
そこに人間の弱さの中にも働く神の御業を見ることができるのではないだろうか?

うーん、本当は自分の失敗や弱さから目を背けたいから、
見たくないから、振り返るのが嫌なのかもしれないなあ。

もっともっと歴史をしっかりと見る目を持たせていただきたい。

主よ、
サムエルが歴史の中から神の御業を見たように、
私の歩いて来た道の中で、神様の御業をはっきりと見ることができますように。
自分の弱さを認める勇気も、神様の御業を見て行く目も、与えてください。

2013-04-11

切り捨てない。

やっぱり、読んだその日にアップした方がフレッシュなので、
やっと追いつけて、とてもうれしいです。

ということで、今日、4/11の「日々のみことば」。
今日はサムエル記上の11章。

「サウルがこの言葉を聞いた時、神の霊が激しく彼の上に臨んだので、彼の怒りははなはだしく燃えた。」6節。

聖霊様が与えられるときに、
わからないことがわかるようになる、とイエスは言われました。
罪のこと、救いのこと、イエスのこと。
そして、平安が与えられる、ということも。

でも、聖霊様が与えられる時に、愛が与えられる、
勇気と、情熱が与えられる。
困っている人、危機の中にいる人々のために、
何としてでも立ち上がらなければ、という思いが与えられる。

誰かが苦しんでいるのに、切り捨てることなんかできない。
危機に瀕している人々がいるのに、無視することなんかできない。

聖霊様はそのことを行動に移させてくださる力がある。

怒ることがあってもいい。

自分は「福島」のことを思わされた。

切り捨てられてはならない。
義憤が湧いてくるのを抑えることができない。

聖霊様が助けてくださっているのだ。

聖霊様、
あなたは私たちに怒りを与えてくださる方であることも知りました。
にげたり、無関心になっているのでなく、神様によって怒ること、
その情熱を持たせていただきたいと思います。

野の花をもっとよく見てごらん。

昨日、もう週末まで15度以上上がらないでしょう、と言っていたのですが、
しっかり、今日は20度まで行っちゃいましたね。

でも、夜になって冷えてきました。今、10時半ですが、10度ちょうどです。

そして雨が降って来ています。
明日は一日肌寒い雨で、本降りみたいです。

昨日の花の画像ですが、あんまりひどいので、
今日はもう少しよーく見えるように編集し直してみました。



野の花の中に込めた神様の思いをちょっとだけ感じさせられます。

さて、昨日、4/10の「日々のみことば」。
昨日はサムエル記上10章でした。

「その時、主の霊があなたの上にもはげしく下って、あなたは彼らと一緒に預言し、変って新しい人となるでしょう。これらのしるしが、あなたの身に起ったならば、あなたは手当りしだいになんでもしなさい。神があなたと一緒におられるからです。」6-7節

神様の導きの下にあるならば、
とにかくなんでもしなさいと。
手当り次第やってみなさいと。

保守的になって、守りの姿勢になりやすい自分。
思い込みでガンガンやってはいけないと、トラブルを避ける傾向もある。
もっともっと大胆に、主を信頼して、手当たり次第、主のためにさせていただきたいと思わされた。

神様、
大胆さを与えてください。
あなたを信頼して、大胆に歩む者とならせてください。

2013-04-10

「野の花を見てごらん」

微速度撮影というのがある。
コマ撮り撮影、というのか、
タイムラプス、というのか、

今日、花が開くところを10秒おきに撮って、
それをつないでみた。
試しの習作。


自分のカメラ、その10秒間に1枚、というシャッターを切る機能がない。
そのようなことをしてくれるリモコンもない。

ということで、探してみたら、L5 remoteというiPhoneにつける万能リモコンを発見。
http://www.amazon.com/L5-Universal-Control-Players-DirectTV/dp/B003B22U8Y

でも、30ドルは高い!ということで、
eBayで張ることに。
そして、待つこと1週間。多分初めての経験ですが、うまく落札。
18ドルで手に入れることができました。

10秒に1回ずつ自動でシャッター。
その間自分は、庭掃除。

でも、こうやって見ると、植物も命があるんですよね。
生きるために必死。
でも、神様に守られて生きている。

「野の花を見てごらんなさい」とのイエスのメッセージを思い出します。

さて、火曜日の「日々のみことば」。
火曜日はサムエル記上の9章。

「わたしはイスラエルのうちの最も小さい部族のベニヤミンびとであって、わたしの一族はまたベニヤミンのどの一族よりも卑しいものではありませんか。どうしてあなたは、そのようなことをわたしに言われるのですか」21節。

このところ、自分の小ささ、無力さ、未熟さ(もうそんな言葉を使うことが許される年齢ではなくなってしまったが・・・)を思い知らされている。

でも、そこに神様が働いてくださるならば、
それでいいじゃないか。
神様がそれでも用いようとされているならば、それでいいじゃないか。

自分もそうだし、
自分の周りの人々もそう。

神様が用いようとする時に、その人の弱ささえも、
未熟ささえも、主は用いることができる。

神様の自由だ。

だから、神様に用いていただける、用いやすい、オープンな思いが必要だ。
神様がご自由に働いていただけるようなそんな者でありたい。

主よ、
サウルを選ばれたあなたは、私をも用いることができる方です。
あなたの不思議な御業をなしてください。
私の周りの一人一人も、あなたのご自由な方法で、用いてください。

キノコの春。

今日も暑いくらいになりました。
27度C。

でも、夕方には雷雨になって、夜には15度くらいまで下がって来ています。
これから週末まで、ぐずついた天気が続き、この15度を超えることはないと思います。

そんな暖かさに誘われて、キノコがぽこぽこ出てきました。
これはヒラタケですね。菌床で作っているので、はい、ヒラタケです。



合わせてわずか50グラムくらいですが、ホント美味しかったです。
どんどん生えてくれるといいのですが・・・。

さて、月曜日の「日々のみことば」。
サムエル記上の8章。

「われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」20節。

他の国々のようになりたい。
それがイスラエルの民の願いだった。

神との関係よりも周りと比べることによって、
周りのようになりたいと願ったのだ。

でも、自分もそのようなことを考えることもあるなあ。
神様と自分との関係だけ見ているといいのに、
周りと比べて、「ああいう風になりたい」と、願う。

そして、自分を見失ってしまう。

本当に神様との関係にしっかり立っていきたいと思う。

主よ、
あなたとの関係に私を生かしてください。
どうか、周りと比べて、それに振り回されることがありませんように。
あなたのみ声を聞いて歩むことができますように。

2013-04-09

歴史から学ぶ。

勢いがついて来たので、4/7日曜日の「日々のみことば」から。
サムエル記上の7章。

「その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた。」12節。

先週、現地校でも補習校でも6年生となったサキが、

「Historyは何で勉強しないといけないの?終わったことでしょう。mathは計算のために必要、Englishは読んだり書いたりするのに必要、scienceは天気予報のために必要(あ、これは私の脚色)、だけど、Historyは何のためにやるのかわからない。」

とのたまわった。

どこまで本気かわからないし、「これから、mathやscienceの意味もどんどんわからなくなるぞ〜」と思いながら、「そりゃあなあ、歴史の中には神様からのメッセージが隠れているからなんだぞ」と大真面目に答えてしまいました。

そう、歴史の中には神様のメッセージが込められている。

私もどちらかと言うと、前に向かって歩んでいきたいと思う方で、
あんまり後ろを振り返りたい方ではない。
歴史は好きでしたけど。
歴史小説なんかも好きでしたけど。

でも、教会で過去を振り返ってとか、あんまり好きではなかった。

もっと前に向かっていけばいいじゃん。
過去のよかったこととか、そんなのにしがみついてもしょうがないし。

そんな風に思っていた。

でも、ここでサムエルは「ここまで守ってくださった主」に感謝をささげている。
詩篇の103:2には「主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな」と書かれている。

歴史の中に、自分のここまでの歩みの中に、教会の歩みの中に、
神様の声を聞いていこう。

主よ、
歴史から学びます。
あなたがそこから語ってくださっている声を聞きとることができますように。


占い師とか・・・。

さて、今日2回目の更新は、なんとか追いつくことを目指して、
最初から「日々のみことば」の4/6のところ。先週の土曜日の分。
サムエル記上の6章。

「ペリシテびとは、祭司や占い師を呼んで・・・」2節。

占い師や異教の聖職者も、神を知っていました。
でも、神に従うことはありませんでした。
ここでも、的確なアドバイスを与えることができました。
でも、それでも、自分自身、神の前にひれ伏すことはありません。

今も、占い師や霊能者の言うことが当たることがあります。
彼らはやはり霊的な能力を持っているのでしょう。
明らかに悪霊の働きであることもあります。

でも、神を知っているだけで、
神に従ってはいません。

大切なのは神に従うこと。
神に従う時に、そのような霊的な力を失ってしまう人もいます。
それはそうです。
彼らは悪霊によって、霊的な力を得ていたのですから。

霊的なものに振り回されないで、
神様の導きを求め、
聖書の語る生き方を求め、
神様に従っていくことが、
霊的に、超自然的に何か見えることよりもずっと大切です。

主よ、
霊的な力を求める者であるよりも、
あなたを求める者でありますように。

一気に春を駆け抜けた!

昨日は暖かかったですね。
でも、今日は暑いくらいでした。
昨日は20度を超えましたが、
今日は28度まで行きました。

いやあ、もう春じゃなくて夏です。

先週は氷点下の朝だったのに・・・です。

明日、もう一日25度を超えて、しばらく雨が降ったりやんだり。
気温は15度くらい、春らしい、というか、
こんな暖かい日が続いたあとなので、「肌寒い」と感じる日が続きそうです。

お気をつけて。

昨日の夜のエンパイアステートビル。
ライトアップは何色かなあ、と思ったら、
二つの色がぐるぐる回ってしました。




こんなの初めて見た、ということで、調べてみたら、これは全米大学バスケットボール選手権(?)・・・通称March Madness(3月の大騒ぎ)・・・の決勝戦の2チームのチームカラーだったんですね。そして、勝負か決まった時には、勝ったルイビル大のカラーになったそうです。

今まで、途中で色が変わるということはなかったのかと思いますが、昨年の選挙あたりから、いろいろな使われ方をしているようで、すごいのがこちら。

http://youtu.be/7YbIPDPJISQ

これからもどんどん新しいのが出てくるんでしょうね。楽しみです。ウチの窓から見えるとホントに楽しいでしょうけどね。

さて、先週金曜日、4/5の「日々のみことば」。
サムエル記上の5章。

「その次の朝また早く起きて見ると、ダゴンはまた、主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。そしてダゴンの頭と両手とは切れて離れ、しきいの上にあり、ダゴンはただ胴体だけとなっていた。」4節。

人間を造った神と、人間が造った偶像。
人間を背負う神と、人間に助けてもらう偶像。

対照的だ。

でも、自分もいつの間にか、
神様を、自分が助けているかのような勘違いをしていることがあるかもしれない。
神様が私を守り、支えていてくださるのに。

神様のために一生懸命になっているのかもしれない。
神様に支えられているのに。

神様、
あなたの大きさ、あなたの強さを、忘れて、自分で一生懸命になって、
自分があなたを支えているかのような、あなたを助けているかのような、
勘違いをすることがありませんように。


2013-04-07

明日から更に春に。

昨日、土曜日の朝はやはり0度くらいまで下がりました。
そして、昼間も10度くらいまで。
金曜日が20度近くまで上がったので、
昨日はひんやり感がありました。

でも、今日は暖かかったです。
そして、明日から水曜日までは20-25度まで上がって、
一気に春が進みそうです。

さて、3日ビハインドになりましたが、
木曜日、4/4の「日々のみことば」。
サムエル記の4章。

「シロへ行って主の契約の箱をここへ携えてくることにしよう。そして主をわれわれのうちに迎えて、敵の手から救っていただこう」3節。

イスラエルの民は悔い改めようともしないで、
契約の箱によってお守りみたいな、ご利益を期待しました。
その結果は契約の箱が奪われ、エリと二人の息子たちが命を落とす、ということになったのです。

悔い改めもしないで、ただ、ご利益を求める姿勢は信仰ではありません。

神様への信仰は必ず悔い改めを伴うものです。
この契約の箱のご利益を期待する姿勢は、
単に自分のために神様を利用することに他なりません。
ヨシュアが神の軍勢の将の前に靴を脱いだのとは全く正反対です。
http://njotenki.blogspot.com/2013/03/blog-post_28.html

自分の信仰はどうだろうかと思わされます。
神様を利用するような信仰になっていないだろうか。
神様の前にひれ伏すのではなく
不信仰、自己中心を悔い改めて、主のもとにへりくだって歩ませていただきたいです。

神様、
あなたを利用するような態度から守ってください。
あなたを主としてあなたに従っていくことができますように。