ちょっと赤くなっているかも、
ちょっと顔がほてっているかも、
ちょっと腕がひりひりするかも。
昨日は集会の合間を縫って、
サキの学校のコンサートに行って来ました。
これはうたが終わって、「お父さん、お母さんたちのための写真ターイム!」ってやつ。
そんな気持ちを知って知らでか、子供たちはあっち向いたりこっち向いたり、
お父さん、お母さんたちは前の人の頭が入らないようにとカメラを高く持ち上げて撮っています。だから、どんなに自分が手をたかく上げても、誰か他の人の手が写真に入ってしまいます。
サキ、どこにいるかわかりますか?
サキは2年生だったのですが、
まあ、楽しかったのですが、
やっぱり1年生担当の先生がすばらしい。
JOYJOYシンガーズを始めようと思ったのも、
その先生の姿を見て影響を受けたのですが、
本当に子供たちが楽しそう。
サキに聞いても、その先生は楽しかったそうだ。
あと、今回目に付いたのは父兄のビデオの撮り方。
最近はコンパクトデジカメでも、立派なビデオが撮れる。
だから、コンデジをしっかりホールドしながら、
ビデオを撮っているお父さんお母さんがいっぱいでした。
その一方で、「ん?これは年代物だろう」という大きなビデオを使っているお父さんもいました。
そういえば、私がアメリカにきた17年前は日本ではもう「パスポートサイズ」の8mmビデオが主流でしたが、こちらでは、まだ肩に担いで撮る、VHSがそのまま入るビデオを使っている人がたくさんいました。それが、今や片手が当たり前、それにコンデジでビデオですからね。テープなんか使わないで、小さなカード1枚。そこにたくさんの情報が入って、頭出しも簡単。時代は変わりました。
さて、昨日、6月5日の聖書。
昨日は出エジプト記の28:15-43。
「主への聖なるもの」36節。
主への聖なるものとは、主のために取り分けられた、
特に主に使えるためにだけ、存在している者。
聖なる杯だったら、他のためには使わないで、
神様のためだけに使われる杯。
同じように、私たちも、神様のためだけに生きるようにと召されている。
私自身はどうだろうか?主のために生きているだろうか?
主のためだけに存在しているだろうか?
主のために、励んでいるだろうか?
主に対して、きよい、主に対して、真実な者とならせて頂きたい。
主よ、
どうか私の心をきよめ、
あなたに対して、聖なるものとならせてください。
人に対してではなく、あなたに対して、聖なるものでありますように。