2009-02-14

与えられた時。

今日もどちらかというと暖かい一日でしたが、
夜になって、久々の氷点下。
今は11時半ですが、-1.6度。


明日の朝は-5度くらいまで下がりそうです。


で、しばらくは晴れ。


ついこの間までの寒さを考えれば大したことはありませんが、
一度暖かいのを経験した身としては、
ちょっと冷えるかも・・・。


昨日の飛行機事故、
やはり自分が生かされているのは、
当たり前ではないんだと、思わされる出来事でした。


昨年の新年には、
聖書学院時代にお世話になった先輩が、
半年前に急に天に召されていたことを知りました。
・・・緑の牧場教会 


そして、そのころ、同じ聖書学院時代の同窓生の同世代の姉妹が、
命の危機を経験されました。本当に祈らされました。
そして、主はまた命を与えてくださっていることをお読みしました。
・・・Servants ミュージックミニストリー 



同じ仲間で、10年前NJの教会にも来て頂いた先生も
今闘病生活を送っておられます。
闘いの中で生まれた賛美は心に響きます。
・・・ハワイでハレルヤ! 


先生方のために祈りながら、
神さまの癒しを祈りながら、
そして、支えてくださっている神さまの恵みを見ながら、


振り返って自分の姿を見つめてみると、
本当に与えられた命、
与えられている健康、
当たり前ではなくて、
与えられた時間、
特別なことであることを思わされます。


神さまに託された時間。
ちゃんと正しく使っているか、
反省させられています。


さて、昨日の聖書。
昨日は伝道者の書4章4-16節。


「三つ撚りの糸は簡単には切れない。」12節。

何でここで三つよりなのか、
二つじゃなくて、三つなのか、
直前には、困難にも2人なら立ち向かえる、とあるのに、
何でここで三つよりなのか。

それはおそらく、三つよりには、
神さまという糸も撚られている、ということなんだろう。

私と誰かではなく、
そこには必ず、神さまという存在が、共にいてくださる。
その神さまと共に歩んでいく。

それによって強くされる。
その恵みを感じました。
主が共にいてくださるから大丈夫。

主がそこに共に歩んでくださるから。

主よ、
三つよりの糸はたやすく切れない。
それを本当に経験させてください。
もう、既に与えてくださっていることに、
私の目を開いてください。

2009-02-13

ろくむし。

日付変わっちゃいましたが、
12日(木曜日)の記録。


いやあ、今日はすごい風でしたねえ。
寒さの面で現実にはまだ引き戻されていないようですが、
とにかく風がすごかったです。


あちらこちらで枝が落ちてきて、3人の亡くなった方がおられたようです。


さて、明日からはホントに現実が待っています。
朝は0度くらい。昼間も5度くらい。
夜はバリバリ氷点下です。


今日はJOYJOYキッズクラブだったのですが、
始まる前、人数がそろうまでの間、「ろくむし」をやりました。


どんな遊びかというと、
こんな遊び。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/boxbox/rokumushi.html


いまだに「ろくむし、やったよねえ」という方にはお会いしたことはないのですが、
ググルと結構たくさんヒットするので、全国区だったみたいですね。
そして、この手のゲームによくある地方ルールがいっぱい。
私が知っているのは基本ルールだけです。


いやあ、ちょっとやっただけなんですが、
汗をかきました。
パッチはいていて後悔しました。


でも、つくづく思いましたが、
やっぱり体を動かすっていいですね。
自分の中で眠っていた何かが動き出すのを感じました。


帰る時に、ある男の子が「ろくむし、またやりたい」と言っていました。

はい、またやります。
JOYJOYシンガーズでもやろうかな。


からだを動かすのは今の子供たちにホントに必要だから、
JOYJOY体を動かすクラブとか、
もっと思い切って、
JOYJOYろくむしクラブ、みたいな、ニッチな活動もいいかも。


もっとオヤジっぽく、
JOYJOY「俺は子供の頃、こんなことして遊んだぞ」クラブとか。


聖書のメッセージと共に、「遊び」を伝承していくのも大切な使命かも・・・。


さて、昨日(11日)の聖書。
11日は伝道者の書3:16-4:3でした。


「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」3:18

神さまが与えられる試練にはどんな意味があるか、わからない。
いろんな可能性がある。意味がわからない場合もある。

でも、ある時には、自分の真相が見せつけられる。
普段はもっといい人間だと思っていたのに、
本当はとんでもない自己中心的な、
醜い思いを持った存在かということを見せつけられることもある。

そして、そっちの方が本当であることに愕然とする。

でも、それも、私たちが神さまに出会うための第一歩。
ほんとうの姿を知ることこそ、
ほんものになるための第一歩。

本当の自分を押さえ込むのではなくて、
認めていく中で、主が取り扱ってくださるのです。

主よ、
あなたが与えてくださる試練の中で、
本当の姿を見せつけられること、
とてもきついことです。
でも、それが恵みでもあります。
いつもいつも、つらくても、
自分の本当の姿を直視して、
そこからあなたを見上げていく者とならせてください。


今、
飛行機の事故のニュースが入ってきました。
前回はみんな助かりましたが、
今回は炎に包まれている映像が流れています。
どうか、犠牲になられた方々、家族の皆様に、
慰めと癒しを与えてください。


もう一度、私が今生かされているのは、
当たり前ではないことを、忘れないように守ってください。

2009-02-11

ご~じゃすな一日。

いや、特別なことがあったわけではありません、念のため。
いえ、ホントは毎日が特別な日ですが・・・。


でも、本当に暖かかったですね。
朝NYに行くバスの中では着るものを暖かくしていたので、
よく眠れた・・・という感じで、
初めて、NYに着いて、周りのお客さんが降りていくので、その物音で起きた、
という経験をしました。
(うーん、次は「お客さん!終点ですよ!」と運転手さんに起こされる or いつの間にか車庫に入っている、だろうと思います。)


でも、その重装備が後になっては「暑くてしょうがない」状態。
特にNYの図書館はめちゃくちゃ暑かったです。
帰りのバスは冷房かけていたかも・・・。


家に帰って見たら、今日のかきごおり家の庭の最高気温は17.8度。
これは4月下旬並の陽気です。


でも、夕方から順調に気温が下がって、今は11時過ぎですが、
6.8度。
今、まさに雨雲が来ています。
気温が下がってきているので、それほどではないと思いますが、
雷が鳴るかもしれません。


明日は現実に戻ります。
気温はまあまあ、高めだと思いますが、
風が強い一日になりそうです。


今日は早速聖書。
昨日、火曜日の聖書は伝道者の書3章1-15節。


「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」11節。

多くの人に愛されている言葉。
でも、それは前半だけ。
でも、本当にこの人が言いたかったことは、
この後半なんだろうと思う。

後半が私たちの実感に寄り添う。
前半は信仰の告白。

わからないことはある。
でも、主のなさることはいつも最善。
それをバカのように、単純に信頼して、
そこに身を委ねて歩んでいく。

それでいいんだと思う。
わからないことがあっていいんだと。
でも、主の最善を信頼して、ついていく。
それが大切なんだと思います。

主よ、
あなたを信頼して歩みます。
いつもすばらしいことをしてくださるあなたを。
どうか、私の心が揺らぐことがないように守ってください。



一人の人として。



日付が変わって、水曜日になってしまった。
火曜日の夜は8時頃からTaxのファイルから、
ハジの大学のFinancial Aidの書類の準備まで、どーっと進めた。
今週いっぱいにファイルしなければいけないところがいくつかあって、
水曜日、木曜日と時間が取れないので、
もう絶対今日やらないとまずい・・・と必死に進めた。


何だか頭が痛い。
いや、気持ちの問題じゃなくて、physicalに。


どういう訳か、自分のW-2が見つからなくて、
1時間くらい探していた。
数字はわかっていたのだけれども、
2つの大学がW-2のコピーを送れ!というので、
結構必死に探した。


他のTAX関係の書類と一緒に置いておいたつもりだったのだけれども、
去年のレシートに紛れてShoe Boxに入っていた。


自分の整理力のなさにつくづくあきれる。


でも、まあ、見つかったんだから、ましな方かな。
机の上に積み上がっている資料の中じゃなくて、
一応「家計に関するものが入っている箱」の中に入っていたんだから・・・。


月曜日はハジの誕生日祝いで外に食べに行ったのですが、
「行き帰り運転するか?」と聞いたら、
「する」というので、ほぼ2週間ぶりにハジの運転に乗せてもらった。


結構いけるかも・・・。


時々助手席側を縁石ぎりぎりまで寄せるので、
ちょっと怖いこともあったけど、のんちに言わせると、わたしもそうらしい。


ほんと、こういう一つ一つのことの中に、
ああ、もう旅立っていくんだなあ、と思わされる。


それ以上に、言うこと、態度など、一つ一つ、
親の願い通りにして欲しい、と思っている自分の気持ちの方を見せつけられる。


本人に任せること、
そして神さまに任せること、
その大切さを思わされます。


正直なところ、
わたし自身の子供の頃満たされなかったことを、
たくさん投影してきたと思います。
そして、それにハジは答えてくれてきたと思います。


特に、スポーツができなくて悔しい思いをした
自分は、息子が生まれた時に、
とにかくスポーツをやって欲しいと思いました。


別に親の期待がどうと言うことがあったかどうかわかりませんが、
一生懸命スポーツをやってくれました。


それが一番大きなことでしたが、
それだけではなくて、
たくさんたくさん、いろんなこと、
期待に応えてきたと思います。


大学を選ぶ時にも、少し、そんな感じもあるのかもしれません。


決してプレッシャーをかけてはいないと思いますし、
口に出して「ここに行け!」とか、
「こういう仕事に就け!」と言ったことはありません。


でも、結構、無言の期待を鋭く察知する方なのかもしれません。
いい選択をしていると思います。


神さまがハジの人生にとって最高の道を開いてくださいますように。


火曜日、ちょっと肌寒かったですが、
プラスの8度くらい。
今は水曜日の午前1時過ぎですが、4.5度。
夜になってからずっとこれくらいで一定しています。


今日は15度くらいまで上がって、
「ゴージャス」な日になるみたいですよ。
ラジオで言っていました。
「水曜日はゴージャスな日」だって。
でも、夜には雷雨があって、
木曜日は気温は高いけど、風が冷たくなってきて、
夜からはまた冬に戻るみたいです。


ゴージャスな一日を楽しみたいですね。


ということで、月曜日の聖書箇所。
月曜日は伝道者の書2:18-26


「どんなに人が知恵と知識と才能をもって労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分の分け前を譲らなければならない。これもまた、むなしく、非常に悪いことだ。」21節。

正直言って、この感覚はわからない。

「自分の分け前」が本当に大きなものだったら、
そんなことをも思うのだろうか?

自分の働きが自分だけで終わらない、ってなんてすばらしいことだろうか?って逆に思うんですよね。

次の世代に手渡していけるものは何か?
次の世代に何を伝えていくのか?

これからもこれにこだわっていくのだと思います。
時には「うまく伝わらない」と苦しみながら。
こんなはずじゃないのに・・・と思うこともあるでしょうね。

でも、それでいい、
私たちが種を蒔けば、
誰か他の人が刈り取ってもいい。

いや、刈り取ってもらえれば本当にうれしい。

そのことに気がつけばうれしいけど、
最後までそれを知らないでいるかもしれない。

それでもいい。

神さまからもらった自分の使命を果たせばいいのだ。

主よ、
あなたを知っていることが、
生きるためにどれほど力になっているか、
「伝道者の書」を読んでいて、本当に深く知らされます。
感謝します。
あなたの与えてくださっている使命に歩ませてください。

2009-02-09

プライド。

今日の朝は-2.4度。
まあ、思ったほどは冷えませんでした。
そして、昼間もそこそこ暖かくなり、
庭に残っていた雪も一気に消えました。
日陰や雪かきをしてたまったところだけに残っています。


今夜もそれほど冷えていません。


明日はまた暖かくなるようです。
週末まで冷え込みはゆるんだままみたいです。


今日はひとりの同労の牧師が訪問してくださり、
共に祈る一時を持ちました。


語り合い、祈り合う中に、
自分自身の問題が明らかにされていきました。


最終的にはプライドなのでしょう。
それでどれだけ時間や労力を使っている部分があるかと思います。
簡単な話が複雑になることもどれだけ多いかと思います。


本当に祈らされます。
やっぱり主に期待して、主に祈って、
主が教会(教会堂じゃなくて教会)を建ててくださるんだ、ということを
信頼していくことの大切さを思わされます。


教会の土台はイエスであり、信仰です。
「この教会は音楽がすばらしい」とか、
「この教会は盛り上がっている」とか、
そういうことが教会に集うことの決め手になる時に、
そこでは、教会の土台がキリストではなくなり、
違う何かになってしまっています。


盛り上がっていようがいまいが、
賛美の時に手を挙げようが挙げまいが、
神さまがイエスを私たちのために十字架にかけて、
救いの道を開いてくださった事実は何にも変わらない。


自分の祈りが自分の願ったように聞かれようとも、
願ったようにはならなくても、
神さまの私たちへの愛は全然変わらない。


私たちが神さまの愛を感じようが、感じまいが、
神さまが私たちを愛してくださったという事実には、何の変わりはない。


主を見上げていこうと思いました。


昨日、日曜日の聖書。
昨日は伝道者の書2:12-18


「事実、知恵ある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。」16節。

何日か前の聖書箇所でも同じようなことを感じましたが、
死んだ後も、人々の心の中に生き続ける、
それを信じている人々がどれだけいるでしょうか?

イエスの復活さえ、「イエスは弟子たちの心の中によみがえった」なんて、
噴飯ものの解釈をする人もいるくらいです。

信じていると言うよりは、それを支えにしている、
つまり、誰かに覚えてもらっているから、淋しくない。
誰かの心の中に生き続けることが生きたことの証、みたいな。

だって、神さまを信じなかったら、
どうやって死の問題に折り合いをつけて生きていくのか、
わたしにはどうしても想像できません。

よく聞く一つの解決が、
その「人の心の中に生き続ける」という論理です。

でも、この「伝道者」は思いっきり否定するのです。
「すぐに忘れられる」と、
善人も悪人も同じように、
勤勉な人も怠惰な人も同じように、
忘れられていくのだと。

でも「日々のみことば」にあったように、
主は忘れない。
主は私たちのことを心に留めていてくださる。

主との関係があるから、
神さまが心に留めていてくださるから、
生きる使命を与えてくださっているから、
私たちは生きることができる。

主よ、
あなたがいてくださるから。
あなたがわたしを心に留めていてくださるから感謝します。
あなたが与えてくださっている使命に生かしてください。

2009-02-08

18年。

今日はハジが生まれて18年の日。
今日は何にもしてやれなかったけど、
日曜日だからしょうがない。


去年なんか、日本行ってたから、それよりはまし、か。
去年のブログを見ると、息子の誕生日のこと、なーんにも書いていない。
日本での日々のことだけ。


今年は、とりあえず、明日ですね。


でも、個人的には、18年間、あの息子を預けてくださった、神さまに感謝。
責任を持って育てられたかというと・・・「???」ですが、
私たちが励まされ、助けられ、支えられて来たと思います。


そして、同じ2月8日誕生日のカルフォルニアに引っ越して行かれた「教会のおかあさん」に電話。
こんな時は時差がありがたい。11時に電話してもあちらは8時。
「夜分遅く・・・」なんて挨拶はいらない。
懐かしく、お話しをさせて頂きました。


世界中の仲間たちに祈られ、支えられています。


でも、今日は暖かでした。
あさから10度あって、ホント、春の陽気でした。
そして昨日の予想最高気温を大きく上回る14.7度。


本当に気持ちのいい一日でした。


でも、夜の11時半には0.5度まで下がってきています。
このあと、氷点下に下がって、明日の朝は-5度くらい。
でも、今週は先週までに比べると、ぐっと暖かくなりそうです。
もう、2月も中旬になりますから・・・。


さて、昨日、土曜日の聖書。
昨日は伝道者の書2:1-11。


「私は心の中で言った。『さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんとむなしいことか。」1節。

そうきたか!と思った。
知恵を求めることがむなしいと知った時に、
今度は「快楽を求めた」か。

それはむなしいだろうなあ。

うーん、それはむなしいだろう。

楽しいものは楽しい。
楽しいことがたくさんある。

でも、それは生きる意味がわかっているから。
自分の使命がわかっているから、
楽しいことは他愛のないことでも楽しい。

でも、楽しいこと自体を生きる目的にしたら、
それ自体で心が満たされることを求めたら、
それはむなしいだろうなあ、と思う。

主にある「楽しさ」これを求めていきたい、
そして経験させて頂きたい、
そのように思いました。

主よ、
あなたに感謝します。
あなたが喜びと楽しみを与えてくださることに感謝します。
あなたにある楽しみをもっともっと知っていくことができますように。