2006-12-02

罪が示されて

いやあ、今日はあっという間に時間が過ぎていきました。
夜の11時半。
昨日の分だけでも更新しておかないと・・・
でも、とにかく早く休んで早く起きたいので、とにかく昨日の分だけ。

昨日の分だけ、と言いながら、しっかり、あさって、月曜日の雪の予想をチェック。
たぶん、「降ってもたいしたことはない」ということです。
低気圧は発達しながら、東海岸を進むのですが、
ちょっと沖合を離れて進むことになりそうで、
主力は海上。
雪は降っても大したことはないでしょう。

この際、個人的なスケールを考えました。
「小雪がちらほら」を1として、
「1996年1月のBlizzard」を10とすると・・・
インプレッションですが、
今年の2月の礼拝を中止にしたのは7かな。
数年前のPresident Dayの大雪は8。

今回は2か3くらいでしょう。

まあ、ちょっと残念なような、ほっとしたような・・・。

で、昨日の聖書。
昨日読んだのは、第1コリント14章。
その中で心に留ったのは、

「しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。」という24-25節の言葉です。

これはすごいなあと思いましたし、
これが教会なんだろうと思いました。

そこに入ってきた時に、初めての方々が、
心に罪が示されて、悔い改めに導かれるような、その様な雰囲気があふれているところ。
「自分には関係ない」
「何言っているかわからない」
そういう印象を与えるのではなくて、
また、何か単に「居心地のいいところ」というところではなくて、
心が探られて、
罪が示されて、
「わたしはどうすればいいのですか」という問いが出てくるような、その様なspiritualな空気が流れているような、その様な礼拝、そのような教会を目指していきたいと思いました。

そのためにはやはり神様にいつも聞いて、
神様に祈って、教会のひとりひとりが心が探られて、
きよめられて、神様のspiritで満たされることが必要なのではないだろうかと思いました。

私から、その様にして下さい。
その様に私を整えて下さい。

主よ、
あなたを求めます。
「教会運営」とか「リーダーシップ」について学ぶことも大切だと思います。
でも、それ以上に、あなたのspiritに満たされることが私には必要だと思います。
どうかあなたがあふれて下さい。
私のうちに満ちあふれて下さい。
明日の礼拝にあふれて下さい。
そして、人々の心を探り、触れて下さい。
新しくあなたを信じて歩み始める方々も起されますように。

2006-12-01

ちょっとお休み

今日は先ほど集会から帰ってきて、
明日はまた早いので、
更新はまた明日ゆっくりとします。
今夜の嵐は大騒ぎしたほどではありませんでしたが、
(もうちょっと西の方ではすごかったのかな?)
今夜はこれから冷え込んで来るみたいです。

ではでは。

2006-11-30

愛は期待する

今日はほんとうに暖かかったですね。
予想通り20度C突破!
ウチの温度計で20.2度まで行きました。
明日も暖かいようですが、
雨が降り、また雷雨になるようです。
そして明日の夜半から急に冷え込んで、
あさってからはちゃんと冬になるみたいです。

今夜はオクラホマ、カンザス、ミズーリ、イリノイあたりは大雪です。

NJは月曜日に注目ですが、
まだまだ分かりません。
何にもないかもしれませんし、小雪が舞うかもしれませんし、大雪かもしれません。
4日後の天気の予想なんて、そんなもんです。

昨日の夜、
トイレの電気がつかない。
うーん、いつものように電球が切れたのかなあ、と振ってみても、
「カラカラ」という音はしない。他の電球に換えてもつかない。
うーん、たぶんスイッチだ。
ということで、スイッチを買いにお店に。
取り替えるためには、電気を落とさなければいけない・・・。

そんなこと夜中に出来るか!
ということで、今朝まで待って、今朝取り替えました。
取り替え自体は簡単だったのですが、
スイッチに電気が来ていると感電して、びりびりして、コワイです。

そう、小学校の1年生の時だったかな。
風車で遊んでいて、その風車が金属のヤツだったんだけど、
その手に持つところをコンセントに差込んだらどうなるんだろうか、って、
思って、「どうしようかな、どうしようかな」って迷ったことがありました。

迷ってどうしたかというと、「えいっ」と思い切って差込んだんですねえ。(バカ)


ボン


と音がして、家中の電気が切れました。
ブレーカーかヒューズか分かりませんが、飛んだんですね。
そういう「安全装置」がなかったら、私は今この世にはおりませんです。

もちろん、それから両親にめちゃくちゃ怒られました。
2度とこんなことしてはいけない、死んじゃうよ、と。

でも、たとえ、両親が怒らなかったとしても、
「死んじゃうよ」と脅かされなかったとしても、
絶対2度とあんなことしません。

めっちゃこわかったです。

ですから、電気の怖さはもう身にしみて分かっています。たぶん。

でも、アメリカでこんなことがあって、子供がけがをしたり、亡くなったりしたら、
コンセントに穴が開いているのが悪いとコンセントを作った会社が訴えられたり、
風車の持つところが金属なのが悪いと、風車メーカーが訴えられたり、
こんなおもちゃを与える学校が悪いと、学校が訴えられたりするんでしょうか。
まさかね。

まあ、そんなことはいいでしょう。
そう、話を今朝の作業の話に戻して・・・

スイッチに来ている電気を止めなければいけません。

でも、わからない・・・。

いろいろ書いてあるんですが、「bedrooms」っていうブレーカーを切っても、落ちない。
あっちこっち消しまくって、でも、なかなか見つかりませんでした。

だって、配電盤はガレージで、一つスイッチ切るたびに、「さあ、トイレの電気は切れたかな」と
調べに行かなければいけなかったんですから。
それも、電球は元々つかないので、スイッチに繋がっている電線にテスターを当てて、
チェックしなければいけなかったんですから。
何往復したことか。
配線をする方には必ず「どのブレーカーでどの部屋の電気が落ちる」かを正確に書いてもらいたいです。

でも、やっとの事でブレーカーが見つかり
(そこには、なんと「地下の倉庫」とラベルが付いていました!)
電気を切って、作業をして、無事に完了。
当たり前のことなんですが、電気がついた時には、何かうれしいですよね。
家族のいない時間帯に作業をしたのですが、
夕食の時には、「ねえ、トイレの電気つくようになったよ!」とアピールしないではいられませんでした。(家のことを何かした時には、ほめて欲しいと、やたらに家族にアピールする典型的な「夫」。)

今日の聖書。
今日は「愛の賛歌」と呼ばれる、コリント人への手紙13章でした。

4節からの一つ一つの言葉がぐさぐさ来るのですが、
その中で、7節の「すべてを期待する」という言葉が、心に暖かく響きました。
愛は期待する。

自分は何を期待しているでしょうか?

神様の御業を期待する。
神様が助けて下さることを期待する。

そんな感じで、神様がいいことをして下さることを期待することが多いと思います。

でも、今日はそれに加えて、

「人に期待する」
ということを考えさせられました。

人を信じること、
人の神様に向かう姿勢を信じること、
人に神様が語ってくださるのだ、と信じること、

自分には必要なこと、
自分に必要な「愛」であることを感じました。

神様、
わたしはあなたを信じます。
あなたが人の中にしてくださる大きな御業を。
人に語ってくださって、人の人生を大きく変えてくださること。
人があなたを求めて、
あなたに語って頂いて、答えを頂いて立ち上がること。
期待します。愛をもって。

2006-11-29

神はお一人

今日はまたどんよりとした日でした。
でも、寒いまではいかないありがたい日でした。
朝から10度くらいあったし、
昼間は15度くらいいきました。

明日は!
20度突破も夢ではありません。
何か、JOYJOYキッズクラブの日は
なんだか、暖かい日が多いですね。
明日は気をつけて、パッチを履かないで行こうと思います。

そして、金曜日!
雨です。
16日の予報では60センチの雪だったわけですが、
それはさすがに外れました。
でも、50ミリくらいの雨が予想されています。
1ミリの雨がちょうど10センチくらいの雪になりますから、
雨か雪かの違いということで許してもらいましょう。
(その違いが大きいのですが・・・)

そして次の注目が日曜日の夜から月曜日。
あちらこちらで「snowstorm」の文字が躍り始めました。
大体、今仕事で天気予報やっている皆さんの精神構造は、
私と似ていますから、
ちょっとでも可能性があると、
「お、おおっ」と盛り上がってしまうんでしょうねえ。

さあ、もう目が離せません!

でも、その一方で、今、物忘れのひどさに落ち込んでいます。
今日も、言われても「そうだったかなー、確かにそんな気もするけど・・・」
程度にしか思い出せないことがあって、悲しかったです。

つい2週間くらい前の話なんですが、
すっかり忘れておりました。
言われて、「あーっ」と焦るのもイヤですが、
言われて、「そうでしたっけ・・・」ってのはまた怖いですねえ。

月曜日、出かけた時も、郵便局に寄ってから・・・
と思って、その時間も計算して家を出たのに、
郵便局の手前でハイウェイに乗ってしまっている自分に気がついて、
がっかりしたところでした。
それは、「あーっ」っと思ったケースですが・・・。

今月はJOYJOYキッズクラブで、
「私たちのことは神様が造ってくださったんだよ」という話をしているのですが、
この忘れっぽくなってきて、
頭の中のどの引き出しに記憶が入っているのか、
それさえも分からなくなってしまってきているのは、
なかなか受け入れがたいです。

でも、神様は私をこのように造ってくださったんですよね。
こんな間抜けなヤツに。
感謝します。

今日の聖書はコリント人への第1の手紙の12章。
ここはよく読むところです。
わかりやすいところでもあります。

その中で心に留った言葉は、
「働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。」という6節の言葉。

私たちはキリストのからだで、
手足、いろんな器官で、お互い違う、
でも、その私たちのウチに働いてくださる神様はお一人なんだと。

ちょうど私たちの手足がすべて脳の命令で動いているように、
私たちも神様の導きによって、
神様からひとりひとりが力を頂いて、
ひとりひとりが恵みを頂いて、
御言葉を頂いて歩んでいくことがほんとうに大切なことなんだと思いました。

そうやって、それぞれの器官は脳と直接繋がっているんだけれども、
右手が痛い時は左手が右手の働きをしたり、
かばったりする、それがキリストのからだなんだと思います。

教会も、私たちお互いも、その様な歩みをさせて頂きたいと思いました。

イエスさま、
あなたがわたしたちの頭でいてくださることに感謝します。
ひとりひとりの導き手でいてくださることに感謝します。
どうか、あなたの導きをひとりひとりが頂きながら、
でも、お互いに「われ関せず」ではなくて、
支え合い、かばい合っていくことが出来ますように。
その様な愛を、あなたご自身から頂いて、
与えていくことが出来ますように。

私たちをほんとうのキリストのからだとしてください。





2006-11-28

disciplined by the Lord

今日は予想通り、昨日までよりも肌寒かったですね。
今日の朝、「まあ大丈夫か」とパッチを履かないで過ごしていたら、
カラダが冷える冷える。
午後からはちゃんとパッチを履いて、セーターを着込んで挽回しました。
最高気温は15度Cくらいまで上がったのですが、
太陽が出なかったからでしょう。
肌寒く感じました。

明日も今日みたいな天気。
あさってはもう一回暖かくなって、
金曜日は雨。
そして土曜日からは冬です。

お風邪などお召しになりませんように。

夜、車を運転しながらラジオを聞いていたら、
明日の夜、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーの点灯式なんですね。
もうそんな時期になるんですね。
NJに住んで13回目のクリスマス。
あのツリーも毎年まではいかなくても、
2年に1回以上は見に行っています。
やっぱり、見事ですから・・・。
今年はこの暖かさのせいか、
Thanksgiving Dayの翌日に買い物に行かなかったせいか、
なんだか、クリスマスがやってくる、という感じがしません。

もう、JOYJOYクリスマスまではあと2週間を切ったわけだし、
いろいろ準備始めないと・・・。

今日の聖書はコリント人への第1の手紙の11章でした。
心に留った言葉は英語の方で、
32節の「we are being disciplined」という言葉です。
日本語だと、「訓練される」「弟子として整えられる」という意味です。

主によって訓練される、整えられる。
それはきついことです。
逃げ出したくなることもあります。

今までの経験の中で一番きつかったことを思い出してみると、
「自分が神様にもっともっと用いられるための訓練だったから、ああいうことがもう一回あってもいい」とはどうしても言えません。
いつだったか、「神様に整えられるために試練をも厭いません」と祈ったことがありましたが、それは間違いだったのかなあ、と思うこともあります。

でも、その様なきついことを通して、
神様は確かに、私をご自身の近くに引き寄せて下さったと思います。

次に試練が襲ってきた時には、
やっぱり「早く抜け出したい」と思うだろうと思います。
だから、今、ほんとうに心に留めておきたいと思います。

その様な時は、神様が私をご自身の近くに引き寄せて下さる時だと。
祈りに導き、神様の御思いを分ち合って下さる時だと。

主よ、
今、試みの中にある方々を守って下さい。
共にあって下さい。
支えて下さい。
私が次に試練に合う時には、
あなたの御手をその中に認めることが出来ますように。
あなたの招きの手を認めることが出来ますように。

2006-11-27

何とかして幾人かを

今日はほんとうに暖かくなりました。
18度くらいまで上がりました。
明日は、東風が入ってくるので、
今日ほどは行かないようですが、
それでも、15度くらいまで上がるでしょう。

今日は先週亡くなられた方の葬儀に参列してきました。
ご高齢だったのですが、Heart Attackで急に亡くなられたとのこと。
印象に残ったのはお嬢さんがお父さんの思い出を語られたところ。
お父様はunconditional loveを与えてくれた。
だから、私は天のお父様のunconditional loveを素直に受け入れることが出来た。
と仰っていました。
英語の方で、私たちの教会には年に1度か2度来られる程度でしたので、
その信仰を余り深く知ることはできませんでしたが、
思い出を語られる皆さんの言葉の中に、
故人の人柄と信仰を感じさせられました。

最近、いろんなことから、人の生き死にについて、考えさせられ、
また当然、自分の問題としても考えさせられています。

ほんとうにいろんなことを考えているんですが、
やっぱり自分の今の願いは、次の世代を担っていく子ども達に、
出来るだけたくさんの子ども達に、聖書のメッセージを伝えたい、
そう思っています。
そのために出来ることを一日一日していくこと、それを考えています。

そして、しょうもない話に聞こえるかもしれないのですが、
もしも、今、自分が神様に召されて、この世を去るとしたら、
自分が主人公である「葬儀」という場では、
私のことを知っている子ども達はもちろん、
初めての子達も、たくさん来てもらって、
思いっきり子ども達のためのプログラムを取り入れて欲しいのです。
簡素にとは思います。棺桶とかは一番安いヤツがいいです。
でも、プログラムは思いっきり楽しく派手にして欲しいです。
これは、その場では自分で指示を出せないので、
今のうちにみんなに言っておかなければいけないと思っているんですが、
子供のためのメッセージを葬儀ではして欲しい、
そして、思いっきり、この世で神様の愛を感じながら生きることのすばらしさを、
そして、天国の希望を語って欲しい、と思います。
故人は天国でイエスにお会いして喜んでいるのだということをはっきりと伝えて欲しいです。
子ども達にもわかる歌をたくさん入れて、
踊りも入れてくださったらいいと思います。

自分が主人公の集まりはそんなにないから、
そんなわがままを是非許してください。
自己顕示欲強すぎ?
でも自分のためじゃなくて、神様のためだから、許してやってください。

これ読んだ方、覚えててくださいね。
もしかしたら、今日明日かもしれないけど、
もしかしたら、何十年も後になってからかもしれないし、
実際自分が死に直面したら、こんなことも言っていられないかもしれないので、
覚えててください。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙9章を読みました。

「それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(22節)

よく知っている言葉ですが、
今日また大きなインパクトで私の心に響いてきました。
何とかして幾人かを救うために、いろんなことをしてきたパウロ。
力を尽くしてきたパウロ。
自分もその様に歩みたいと思いました。
これからも人が救いに導かれることを祈り求めていきたいと思いました。
もっともっとそのために出来ることをしていきたいと思いました。

そのための方法をもっともっと真剣にいろいろ考えていきたいと思います。
そのことで頭がいっぱい、みたいな日々を送りしたいと思います。

主よ、
あなたの愛を知ることができた幸いを感謝します。
どうか、あなたの愛を伝える方法をもっともっと教えてください。
もっともっとどのようにしたらいいか、考える力を与えて下さい。
知恵を与えて下さい。
そして、ひとりでも多くの方にあなたの愛を伝えることが出来ますように。
私自身をあなたの愛で満たして下さい。


2006-11-26

知識と愛

日曜日が終わりました。
今朝は0.4度。
最高気温は15度くらいいきました。
まだしばらく暖かい日が続くようです。
助かりますね。

21日の記事にある、メールをくれた大学時代の友人が
教会に行ってくれたそうです。

その様子を教えてくれました。
こちら
それから
こちら
またまたうれしかったですねえ。

是非、続けて通って頂きたいです。
お祈りしております。

さてさて、
今日はコリント人への第1の手紙8章を読みました。

「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1節

いい言葉だなあと思いますが、
またどきっとする言葉でもあります。
自分が知っていると思うことは、傲慢へと自分を導き、
それは愛の道とは反するのだと・・・。

自分が分かっていると思っているならば、
分かっているはずのことも分かっていないことを知らなければいけないと・・・。

自分はどうだろうかと思います。
ほんとうに愛があるだろうかと。

もっと愛を教えて欲しいと思います。
自分が知ったようにならないように守って頂きたいと思います。

主よ、
どうか私を傲慢の罪から守り、
愛に満たされて歩むことが出来ますように。
この地に福音を伝える者として、
私を用いて下さい。