2006-03-18

神を信じているのに・・・

今朝は-2.5度C。
東京だったら十分真冬ですね。
昼頃でも4.5度Cです。
でも、とにかく太陽が明るい!
それだけで十分、ってかんじです。

で、来週の火曜日の雪ですが、
GFSでは昨日同様、寒くて晴れ。
低気圧は南にそれる予報です。
NAMがその低気圧がこちらの方に上がってきて、
少し雪を降らせる予報を出しています。

どっちをとるか?
春の雪も楽しいでしょうが、
やはりいろいろ大変なので、
南にそれて欲しいです。

今日の聖書はヨブ記32-37章。
エリフの言葉です。
このエリフは最後に神様に「間違ったことを言った」と言われた
3人とは別にされているので、このエリフの言ったことをどのように評価したらいいのか、
わからない部分があるのですが、
私自身は読んでいて、やはりこのエリフも他の3人と同じレベルのことを言っているように感じました。
逆にエリフが引用しているヨブの言葉に心が留りました。
34章9節の「神に喜ばれようとしても何の益もない」です。
もちろん、これは間違った言葉です。
でも、これはヨブの心からの本心の叫びだったのではないでしょうか?
気軽にこんなことを言うのは間違いでしょう。
でも、ヨブは真剣に神に従い、
1章でも2章でも、苦しみも神様が与えるものとして受け取っていたのです。
真剣に神にいつも祈っていたのです。
真実に歩んでいたのです。
その中でのこの苦しみ。
真剣に従ったことがなければ、
これは不遜な言葉でしょう。
でも、ヨブは本当に神に喜ばれる歩みをしたのです。
神がサタンに自慢するほどヨブを喜んでおられたのです。

「私は神に従っているのに、どうしてこんなことに出会うのだろうか」
この叫びはまさに主に真実に歩んでいる者たちが挙げる時に、
初めて意味のある言葉になるのではないでしょうか?

それほど真実に主に従いたいと思いました。

主よ、
私があなたの前に真実に歩めますように。
あなたの前に誠実に歩めますように。
こころから、
「私は主の前に歩んでいるのに、どうして・・・」と
心に一点の曇りもなく、
後ろめたい気持ちもなく、
心から叫ぶことができますように、
私の歩みを導いてください。
私をきよめ、
あなたの御心を行う者としてください。

2006-03-17

私から神が見えなくても、神から私は見えている

今朝は久々の氷点下。
-1.5度Cでした。
昼間はそこそこ上がって、
8度くらいだったでしょうか?
本当に明るくなりましたね。
窓の外を見るとああ春だなあ、と思います。
また日の当たっているところを歩くと、
気温ほど寒く感じません。

実際、もうこれから最低一週間は10度以上には行かないでしょうから、
これが当たり前だと思った方がいいですね。
accuweather.comでは15日間の予報・・・これ当たらないですが、
17日午後4時現在の予報で、ずっと10度以下です。

「先週末の暖かさをもう一度」なんて思わないことですよね。
大体、6-8月は暑い日が多いんですから。

あと、ずっと寒くて、一気に暖かくなった方が、
花粉症の期間が短くていいかも、
なんて楽観的な期待もしています。

突然、という感じですが、
来週火曜日に次の雪の可能性が出てきたみたいです。
これもあまり期待しないで注目していきましょう。

今日の聖書はヨブ記の22-31章です。
ヨブの友人達の言葉は乱暴な、短い言葉になってきます。
そんな中で、一つ一つ答えていくヨブの言葉の中で印象的だったのが、
23:10の言葉でした。
ヨブは自分から神様のことは見えなくなってしまっていたかもしれない、
神様のことがわからなくなっていたかもしれない。
でも、神様が自分をご覧になっておられることは、
自分の歩む道を見ておられることは
確信していたのです。

本当にそうだなあと思いました、。
私も自分の方から神様が見えなくなる時がある、
神様がわからなくなることがある。
どう祈ったらいいのか、
どう聞いたらいいのか、
わからなくなる時がある。
でも、そんな時も、神様の方は私のことをずっと見ていてくださる。
いつでもわかっていてくださる。
だから、安心していいんだ、と思いました。
この時だって、
「ヨブの信仰がおかしくなった」わけではないのだと思います。
でも、私たちは、神様のことがわからなくなると、
「自分の信仰がおかしくなった」と思うものです。
でも、主が確かに私のことを見ていてくださる、
それを信頼するのが私たちの歩み。

神様、
あなたがいつもいつも、
私があなたのことがわからなくなる時も、
共にいてくださること、
共に歩んでくださること、
私のことを見ていてくださること、
信頼して感謝します。
あなたを信頼する思い、
そこに生かしてください。
私の目を開いて、
あなたを見せてください。

今日、これからの集会を祝福してください。
あなたが共にいて下さることに、
私たちの目を開いてください。


2006-03-16

神が私を弁護してくださる

寒いですねー。
今朝の最低は0.0度。
ちょうどぴったり0度でした。
いやあ、一度暖かさを経験してしまうともうダメですね。
でも、これから数日、この寒さです。
というか、週末はもっと寒いと思います。

金曜日の雪の予報はすっかりなくなりました。
低気圧が南にそれて、
弱くなる、という予想に変わり、
なくなってしまいました。

次の可能性は、来週の後半ですね。
それまでは、大体晴れ。
それで朝は氷点下、
昼も10度以下の毎日です。
ここはじっと我慢ですね。

今日の聖書は
ヨブ記の15-21章です。
ヨブの友人達がヨブに
「何か罪があるのではないか、神を責める資格があるか?」
と責めるのですが、ヨブは、かえって、
「神様ご自身が私の味方になって下さる」
という思いに導かれていくのです。
特に16:19-20が心に留りました。
誰が味方になってくれなくても、
神が味方になってくれる、
それだけでいい、
ヨブは苦しみの中で、
自分を理解してくれない友の言葉に
傷つきながら、そのように思わされるのです。

私はどうかと思いました。
人がわかってくれることを求めて、
神の導きよりも、人の言葉に振り回されることのいかに多いことか。

神の前に真実に歩むことを本当に真剣に求めているだろうか、
そこに生きているだろうか、
そのように問われました。

それでいい、主が味方であればそれでいい。
もちろん、人もわかってくださる方々が与えられている、
でも、第一に神様に聞き、
神様の導かれるところに歩んでいく者でありたいと思いました。

神様、
いつも、あなたのみ声を聞いて歩む者として下さい。
あなたが味方してくださることに
感謝しながら、あなたの御心を求めて歩ませてください。
人のサポートを感謝すると共に、
人の顔色に支配されることがありませんように。

2006-03-15

神を信じるからこそ

今日はサーバーの調子が悪かったようで、
やっとアップデート出来ます。

今朝は久しぶりの1.5度。

明日の朝はもっと冷えて、
多分氷点下でしょう。

風が冷たくて、
昼間の温度も7度くらいまで。
冬に逆戻りですね。

風は今日で収まるでしょうが、
これくらいの気温、しばらく続くようです。


昨日は思ったよりも暖かくなって、
17度くらいまで行きました。
そして、クロッカスも全開しました。


これからどんどんいろんな花が咲いてくるのでしょう。
楽しみ楽しみ。

今日の聖書は、ヨブ記の8-14章を読みました。
ここら辺になると、ヨブの友人達の議論もあまりにも乱暴に思えてきます。
そして、ヨブの言葉の中に、きらりと光る言葉が出てきます。
今日は13:16が心に留りました。
神を信じているからこそ、苦しむ時に悩む。
神を信じていなかったら、
悩まないのかもしれない。
ただ、偶然重なったとか、
運が悪かったとか。
でも、神を信じるから、
神の力と神の愛を信じるから、
神の最善を信じるから、
私たちは悩むのではないだろうかと思う。

そして、愛しているから、
自分を愛し、
友人を愛し、
仲間を愛し、
家族を愛し、
周りの人々を愛して、
また尊いいのちを愛しているから、
「どうしてこんなことが・・・」
と思うのではないだろうか?

ヨブ記、自分には深すぎると思う。
本当に苦しみにあった時に、読んだら、
どんな風に感じるだろうかと思った。

神様、
あなたを信じ、
あなたと共に歩む幸いを感謝します。
あなたと共に歩んでいる中で、
感じる疑問、葛藤、
ごまかさないで、
あなたにぶつけていく勇気と力を与えてください。
苦しみの中を歩む時があったならば、
どうか、この聖書の言葉を思い出させてください。
苦しみの中で聖書を読む力さえも失ってしまうことがあったら、
どうか、このヨブの苦しみの中での叫びを思い出させてください。
そして、彼をあわれんで、
答えを下さったあなたのことを
思い出させてください。

2006-03-14

わかっているけど・・・と思うほどつらい時

今朝は暖かくてやはり10度以上。
今9時半ですが、やはり13度くらいあります。
でも、今日はこれ以上、上がりません。
逆に下がっていきます。
そして、夜には0度くらいに下がるようです。

しばらくは「忍耐」です。
4月になって、急に暖かくなって、
一気に花が満開になるのを待ちましょう。

こちらでは、
「3月はライオンのようにやってきて、羊のように去っていく」
という言葉があります。

天気のことだと思います。
3月の初めの頃はまだまだ冷たい空気が支配的な中に、
暖かい空気が無理矢理入ってこようとする、
それで、雷や竜巻が起りやすい。
また雪が降ったりすることも多い。
でも、終わる頃には、ずいぶん空気が混じってきて、
冷たい空気が弱くなって、安定してくる、
という意味です。

ここ数日、北東部は暖かくて、
lambの日みたいでしたが、
全米レベルで見ると、
たくさんの竜巻の被害があって、
まさにlionの日々でした。
そして、このあと数日は冷え込みますが、
全米レベルで見ると、ずいぶん安定した日が続くようです。

今日の聖書。
今日はヨブ記の3-7章。
2章まで模範生のようだったヨブが、
友人達の出現によって、
荒れるんです。
そして、読んでいると、
友人達の言葉の方が
「うーん、そうだよな」と納得する部分が多いのです。
そして、ヨブの方はというと、
「自分は生まれなければよかった」
「もう死んだ方がましだ」という表現が続きます。

どうなってしまったんだろうと思いますが、
それは多分、今、自分に痛みが与えられていないからかもしれません。
本当につらい中で、苦しんでいる中で、
感じることと、
日常生活が守られている中で感じることとは、
全く違うんだなあと思います。

だから、
7章16節のヨブの「いつまでも生きていたくない」
という言葉に、
「そんなこと言うなよ」
なんて簡単に言えないような気がします。

消えてしまいたい、
死んでしまいたい、

そのように感じるほどにつらい時、というのが、
私たちにはあるんじゃないかと思います。
そして、そんな時に、
紋切り型の通り一遍の言葉が届かない時、
ってあるんじゃないかと・・・。

神様、
今苦しんでいる人たち、
人の言葉も、
励ましの言葉も、
届かないほどの
痛みの中にある人たちに、
主よ、あなたが触れてください。
私たちに愛を与えてください。
その方々に届くほどの愛を与えてください。
届かない時に、それを受け止める愛を与えてください。

愛を与えてください。


2006-03-13

幸いをも災いをも

昨日の国際飢餓対策機構の先生をお迎えしての
礼拝と礼拝後の報告会、
本当にすばらしかったです。
短い時間でしたが、飢餓対策機構が
どんなに人々のことを愛し、考えて活動されているかが、よく分かりました。


そして、自分もそういう生き方がしたいと、
単純にそう思いました。

そして、先生達を無事、空港にお送りして・・・。

帰ってきたら、

庭でクロッカスが咲いていました。
昼間は開いていたのですが、
夕方にはしっかりつぼんでいます。


このクロッカス、
前から植わっていて、
毎年同じところに花を咲かせます。

明日また開くでしょうか?

今日は暖かい一日でした。
20度くらいまで行きましたね。また。
でも、party is overです。
明日からは現実に引き戻されます。
寒くなりますよー。
お気をつけて。
金曜日、雪の可能性あり。

たいしたことはないでしょうが・・・。

今日からヨブ記に進みます。
今日は1-2章を読みました。
急にすべてを失ったヨブ。
最後に残ったのは自分のいのちと妻の存在。
でも、その妻には冷たい言葉を受けます。
その中で、彼は
「主が幸いをも与えてくださるのだから、災いをも受けるべきだ」と
妻に語るのです。

今日は、単純に、
この言葉を自分もそのまま受け取りたい、
そのまま語りたいと思いました。
自分がそのような立場に置かれるのはいつか分かりません。
また、自分がその立場に置かれたら、
すぐにこの言葉が出てくるかどうか分かりません。
でも、このような生き方をしたいと思いました。
主はいろんなものを与えてくださっているのだから、
奪われるもの、失うものがあっても、
それも主の御手の中にあること、
と受け取ることができるようにと願います。

神様、
あなたの与えてくださっているたくさんのもの、
感謝します。
どうか、私の心に感謝を与えてください。
感謝を満たしてください。
どうか、あなたへの感謝を満たしてください。
そして、もしも、それを失うことがあっても、
悲しみ、痛みの中でも、
それを受け止める力を与えてください。

2006-03-12

人の思惑と神のみわざ

今日の朝も10度。
うーんいいですね。
でも、この暖かさ、うれしすぎて、
あさってから帰ってくる冬にちょっと恐れを感じています。

昨日も先生をお迎えするために準備をしつつ、
家族で春を感じていました。
解放感を感じていました。
でも、また寒くなると、体が縮こまるんですよね。

3月後半、ホントに寒くなりそうです。
覚悟しましょう。
でも、外は明るいですから、それが救いでしょう。

今日は暖かくて、午後は雷雨があるかもです。

今日の聖書はエステル記の後半、5-10章です。
ハマンのたくらみ、エステルの苦悩、モルデカイの期待、
そして、一番何も分かっていなかった王様。
いろいろな思惑が交錯しています。
また、ハマンは自分が王様に重んじられていることを喜んで、
6章では、王様はモルデカイに栄誉を与えようとしているのに、
それを自分に与えようとしているのだと勘違いをしています。
いろんな考えがみんなすれ違っているのです。

教会でもあります。
いろんな考えがすれ違っていきます。
同じクリスチャンだからと、
同じ教会のメンバーだからと、
みんな当たり前のように自分と同じ考えを持っていると思いこみます。
それが少しずれたりすると、
すれ違ったりすると、
それは本当は当たり前のことなんですが、
どういうわけか、「信じられない・・・」なんてことになります。

・・・甘えです。

教会でいうならば、お互いの声を聞くこと、
お互いの考えを表すこと、
それが大切なんだと思います。

エステル記でも、
最終的には「神の御心だけが堅く立つ」ということも
感じます。
でも、エステルが勇気を出して、
祈りつつ、自分の願いを王に表したこと、
それがターニングポイントになりました。

神の御心を信じて祈りつつ、
でも、その御心の中で、私のなすべきことは何かと、
問いつつ、進んでいきたい、そう思わされました。

主よ、
人にはいろいろな思惑があります。
それがすれ違ったり、
ぶつかったり。
私たちはそんな中で、あなたの御心だけが堅く立つ、
ということを知っています。
でも、その御心の中で、私のなすべきことが何か、
私は何をなすべきなのかを教えてください。
エステルが勇気をふるって、
王の前に出て行ったように、
私もある時には自分の存在をかけて、
対決する勇気を与えてください。

今日の礼拝にあなたのご臨在を表してください。
あなたの御力を拝させてください。