2011-10-13

contagiousなクリスチャンになる。

昨日から雨の予報だったのですが、
ほとんど降らずに、夜になってから降ったみたいです。
そして、今日もほとんど降らずに曇りがち。


今夜もこれから降ってくるようです。
そして、暖かかった日々も終わって、
この先は秋らしい日が続くようです。


さて、今日は早速「日々のみことば」から。
昨日の聖書の箇所、使徒行伝24章前半から。


「この男は、まるでペストのような存在で・・・」5節。

これは言われてうれしいことではありませんよね。
「伝染病のような、疫病のようなヤツで・・・」なんて言われて。

でも、考えてみたら、これはすごいことです。
パウロの存在が、当時の権力者たちにとって、脅威になっていた。

今、教会がそんな存在になっているだろうか?
別にわざと嫌われる必要はないかもしれないけれど、
毒にも薬にもならない、社会にとって何の影響も与えないものになっていないだろうか?

そして、何よりも、contagiousな存在だろうか?
昨日も、今朝も、教会に集う方々のことを覚えて、
主に「新しい方を送ってください」と祈らされた。
でも、それ以前に、自分たちが周りの人々を引きつける存在になっているか、
新しい方々を主から任されるような存在になっているか、
問われているように思わされた。

主よ、
私をcontagiousなクリスチャンにしてください。
そのために、まず、私にあなたのメッセージを語ってください。
私があなたに聞いて、それを人々に伝えることができますように。
強力な伝染力を持った存在になりますように。

2011-10-11

聞くこと。

ここ数日暖かい日が続いています。
特に、日曜日、月曜日は30度くらいまで上がって、
暑いくらいでしたね。


でも、そのいい天気も今日まで。
明日の午後からは雨のようです。
そして、また金曜日くらいまでぐずつくようです。


日曜日の夕方から、月曜日にかけて、
グリニッチの教会で3ヶ月ご奉仕をされた黒田先生が導いてくださって、
「米国東海岸アシュラムの集い」がもたれました。


3ヶ月前、こちらに来られてすぐに、
その集まりをしたい、ということをおっしゃっておられたのを伺って、
ぜひ、参加したいと思いました。


名前は聞いていた「アシュラムの集い」。
ただただ、御言葉に聞く、
誰に教えられるのでもない、個人的に聖書を読んで、
それを分かち合うだけの集まり。


教会の集まりではいつも主催者側で、
集う方々に配慮をして過ごしてばかりいる中で、
今回は、自分が養われることだけを求めて参加しました。


ですから、ウチの教会の方々には「こんな集会があるよ」と案内こそすれ、
「一緒に行きましょう」とは誰も誘いませんでした。
申し込まない方に「どうですか?」ということも聞きませんでした。


それが淋しかったとか、誘ってほしかったとか、
そういう方々もおられるかもしれませんが、
それはしょうがありません。
今回は、とにかく自分が一参加者として行きたかったので。


のんちは「行きたい」と言っても、
「それはよかった」と答えることもなく、
「自分が行きたければ、行けば?」という感じ。
「あの人を誘おうかな?」と言って来ても、
「自分が誘いたければ誘えば?」とつれない夫をしていました。


で、どうだったかというと、
あまりに短かったので、「こういう答えが与えられた!」ということはなかったのですが、黒田先生が言っておられたように、「これがスタート」という感じでした。


これから、一昨日、昨日と神様の前に時を過ごしたように、
ただ、自分が養われるために時間を過ごすことを大切にしていきたいと思いました。


黒田先生は、バッチリ、昨日のうちにブログを更新しておられました・・・。
早!


おたすけマンブログ


で、一昨日の夜はキャンプファイアー。






でも、なんだか、ただ、スモアをやっただけでしたねえ。
スモアをやるのにはちょっと火が強すぎましたねえ。
めっちゃ熱かったです。


スモアのためにはもっと小さな火の方が、外はこんがり、中はとろとろの最高の焼きマシュマロができるんだけどなあ、と・・・星空を見ながら思ったのでした・・・。


さて、久しぶりですが、「日々のみことば」から。
9月の後半、日本で読んだところですが、
使徒の働き15章。


「そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので・・・」2節。
「激しい論争があって後・・・」7節。


初代教会の人々は、激しい議論、激しい論争をいとわなかった。
そして、聖霊様によって導かれて、正しい決断をした。

自分の姿勢を問われているように思いました。
事なかれ主義になってしまったり、
ただ波風を立てるのが面倒になってしまったり。
「まあまあまあ・・・」で済ませたくなったり。

恐れない心を与えていただきたいと思いました。
そのためにもっともっと主と深い関係を持たせていただきたいと思います。

主よ、
もっともっと確信を持って歩むことができるように。
そのために、もっともっと近くあなたとともに歩むことができますように。
人を恐れないで、主を恐れる心を与えてください。