2010-06-10

感謝と期待。

今日の朝はいろいろな方々が来られました。
初めて私たちの家に来られた方々も。


松岡先生がお話をして下さいました。
先生は、仏教の研究を専門にされた方ですが、
やはり表情が一番生き生きとされるのは、
ご自分がどうしてキリストを信じるようになったかをお話になるとき。


やはり、内側にある喜びが溢れていることを感じました。


明日に備えてそろそろ休みます。


明日も神様が皆さんを送ってくださいますように。

2010-06-09

動かされないもの。

今日は午後から雨。
一日中、長袖が丁度いい涼しい一日でした。
一日20度以下。
今も、14.5度です。


そして、明日は雨は上がって、
今日よりもちょっと気温も上がりそうです。


今日の夕方、明日から集会でお話をしてくださる松岡先生がおいでになりました。
元僧侶で今はクリスチャンになって巡回しながら神様の話をしている伝道者。
貴重なお話が聞けるのでは、と楽しみにしています。


今日はほんの少しだけ、個人的にお話をさせていただきましたが、
ある意味家族との訣別をして、今の歩みをなさっています。


同じ牧師。
同じ東京の下町育ち。
同じ次男坊。
ほんの3週間ほどだけですが、同じ歳。
でも、先生はお寺に生まれ、私は教会に生まれた。
一人ひとりに与えられた人生はみんな違って、
それぞれそれを引き受けて歩んでいる。
それでいい、と思っている。


でも、先生の今の歩みの中に、自分の中にない勇気と確信を感じさせられました。


自分は決して、「親の期待に答えて」伝道者になった訳ではありません。
でも、周りの人々の多くは祈りを持って支えて下さいました。
励まされてきました。本当にありがたい事です。
でも、それに対して、反対の嵐のような中を通って、確かなものを握って歩んでいる
先生の姿に、圧倒されるような思いになりました。


静かな語り口の中に、そこまで確かな確信を与えたもの、
どんな反対の中にも動かないもの。
先生の中に感じました。
私もこの数日間、ともに歩ませていただく中で、
少しでもそれを知ることができればと思います。


さて、今日の聖書。
今日は第2テモテ3:10-17。


「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」16節。

私は教えられなければいけない。
知らないことが多すぎる。
私は戒められなければいけない。
失敗ばかりだ。
私は矯正されなければいけない。
独りよがりで、勝手に思い込んでいることが多い。
義の訓練を受けなければいけない。
甘ったれだ。

本当に聖書は自分に必要だ。

救いを教えてくれるだけではなくて、
私を戒めて、正しい道に導いてくれる。

甘えた自分に訓練を与えてくれる。

本当に整えて欲しい。
主の業のために整えられた者となりたい。

主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
私を戒めて下さい。
私を教えてください。
私を矯正して下さい。
私を訓練して下さい。
あなたの働きのために備えて下さい。


明日からの集会の一つ一つに聖霊様が豊かにご自由に働いてくださいますように。
集うお一人ひとりに祝福がありますように。

2010-06-08

いたわり合う・・・。

今日はまた涼しく気持ちのいい天気でした。
でも、明日は午後から雨。
夜も降り続き、
ちょっとまとまった雨になりそうです。


先週から、ハジにSummer Jobが与えられて、
毎日働いています。
大きなスポーツ用品店。
勤務時間は日によって違うのですが、
今週は夜、倉庫の整理をしているようです。


昨日の夜も10時前に自分で車を運転して、5分くらいのところにある職場に出かけていきました。そして、今朝7時半頃帰ってきて・・・いきなり話しだしました。


「昨日、Highwayを通るのがいやで、裏から回ったんだけどさ・・・」
ここまで聞いたら、親は「ああ、チケット切られたんだなあ」と思うものですが、それはハズレで、こんな話でした。


車で走っていたら、道の真中に動物が群れをなしていた。
車で近づいていったら、逃げていくと思ったけれども、逃げない。
そして、よく見たら、それは「スカンク」の群れ。
そんなもん、群れを作るか?と思うのですが、
そうだったそうです。
そして、危なく轢くところまで行って、止まったけれども、
よく見たら、一匹轢かれてしまっていて、
その一匹を囲んで、「おい大丈夫か?」ってみんなで聞いているみたいだった(ハジのことばそのまま・・・)。
そして、とてもかわいそうだったそうです。


でも、スカンクもいたわり合うんですね。
知りませんでした。
「負けられないな」と思いました。


でも、本当に間一髪で轢かなかったみたいですが、
ほんとに臭かったそうです。
パパがスカンクと対決したときに言っていた、『痛い』と言うのがわかる」強さだったそうです。


そのハジ、そろそろ今夜も出勤です。


さて、今日の聖書。
今日は第2テモテ3章1−9節。


「そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語をする者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者・・・」2−5節。

ここに出てくる世の終わりの人々の姿、
それを読みながら、自分は果たしてどうだろうかと、いろいろ思わされた。

これは自分とは関係ない、なんて果たして言えるだろうか?と。
というか、一つひとつの言葉に引っかかってしまった。

「自分を愛する者」
やっぱ最後は自分がかわいい、みたいなところは自分にはないだろうか?

「金を愛する者」
うーん、肯定はしたくないけれども、結構振り回されるよなあ。

「大言壮語をする者」
調子のいいことを言って、いつの間にか忘れていると言うことがどれだけあるか?

なんて考え始めると止まらない。

でも、一つ一つ整えていただきたいと思わされた。
こんなの人間なんだからしょうがない、と終わらせないで、
一つ一つ主に取り扱っていただきたいと思う。

主よ、
私の心を探ってくださりありがとうございます。
一つ一つ、あなたが私の心のなかの問題を取り扱って下さり、
あなたの用いやすい器となることができますように。


整えて下さい。


さて、明日は朝からNY。
そして、夕方にはゲストの先生が来られる。
楽しみ。

先生を迎えての集会はこちら。
沢山の皆さんが来られますように!

2010-06-07

主に用いられる事に対する情熱。

今日は本当に涼しく、快適な一日でした。
朝晩は半袖では寒いくらいです。


昼間はカラっと晴れて、25度くらい。
本当に理想的な初夏の一日です。


今日が日曜日だったら・・・と思わなくもないですが、
やっぱり、昨日のようなヒヤヒヤ感があった方が、
真剣に祈りますし、守られた時の喜びがひとしおです。


ですから、昨日は本当にいい日だったと思います。


今、10時前で17度台。
明日もまた朝晩涼しくて、昼間はカラッと晴れる最高の日になりそうです。


予想通り、今日の午後発表になりましたね。
24日に発売になるiPhone 4。
内容も特別にサプライズはありませんでしが、
この2年で、ずいぶん進んだんだなあ、というのは感じます。
日本でもアメリカでもApple Computerのトップページででかでかと紹介されています。


でも、なんで、月々30ドル払って、
こんなおもちゃみたいな携帯を使ってきたかと言うと、
自分にとっては、何よりも、
「住所録で日本語も英語も自由に使える+並べかえもパーフェクト」
という点に尽きます。


携帯と住所録が別々の時代、
Palm IIIという住所録を作れて、聖書をはじめ、いろいろソフトを入れられる電子手帳みたいなのを買って、愛用していましたが、
やはり、英語版だったので、日本語化して使っていても完璧ではなかったんですよね。
そんな中で、ソニーがその日本語版をClieという名前で出して、
それを日本から入手したときは、すげー便利、と思ったものでした。


でも、いかんせん、携帯とは別なので、
電話をするときには、Clieで番号を見つけて、携帯に打ち込む、という手が3本以上欲しい状態が我慢ならなくて、何とか、この2つをひとつに出来ないかと思ったわけです。


次に使ったのはNokiaの携帯。それを日本語化して使ったりもしていたのですが、
やはり、住所録は難しい。日本の連絡先と、こちらの連絡先を一緒に管理なんてできない。
できても、並べかえがダメ。漢字の名前にローマ字のふりがなを入れて並べ替えていた、と思います。


だから、2年前にiPhoneで日本語も使えるようになって、
それも「標準装備」なので、すごく安定していて、すごく行き届いている。
この住所録を経験したら、これ以外の道は考えられません。


まあ、後、聖書や辞書を入れたり、本を読んだり、
昨日みたいな日は、レーダーで雨雲の動きを見ながら次の行動を決めたり、
毎日の体重の増減をグラフにしたり、脳トレやったり、
いくらでも活用はできます。


今度新しくなって、初期投資は200ドルかかりますが、
月々通話料(どんな携帯でも同じ)+15ドル(今日から新料金)で使えるわけですから、これはデカイです。


あと、今度外付けキーボードも使えるようになるんですよね。
これも大きいです。


あと、カメラも2年前のよりはずっとよくなりますね。実用に耐えそう。


さあ、どうするか、ですね。


さて、今日の聖書。
今日はテモテ第二の手紙2章14−26節。


「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」21節

この前後関係を見ていくと、
神様はどんな人でも用いられる。
でも、本当に尊い働きのために用いられるためには、
「きよめられる」ことが大切であることをパウロは言っているようです。

「別になんでもいい」
「どんな働きのためでも用いられるならばそれはいい」
「主の御心にお任せしているから」
どれも謙虚なことばのように聞こえますが、
主は用いやすい器を探しておられる。

尊い働きのために用いることのできる器を探している。

自分のうちにある神様を悲しませるもの、
自分のうちにある神様の働きを止めるもの、
そういうものが取り除かれた器を求めておられる。

だから、その点では積極的でありなさい、とパウロは語っているのだと思います。

私も用いていただきたいです。
主の働きのためにも用いていただきたいです。
そのために必要なきよめの御業を私のうちになしていただきたいです。
すべて不義なものを取り去っていただいて、
神様の働きを妨げるもの、
神様に用いられるためにじゃまになるものを、
すべて取り除いていただいて、
主に大きく用いていただきたいです。
そのことは、貪欲なほど、真剣に求めて行こうと思います。

主よ、
どうか、私を用いて下さい。
あなたの御用のために。
そして、そのためにじゃまになるものを、
一つ一つ取り除いて下さい。
あなたのご自由に、あなたの思いのままに。
どうか、私をあなたの用いやすい器にして下さい。

キリスト共に生きるために。

昨日の聖書。
昨日は第2テモテ2章1−13節。


「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる」11節。


昨日の野外礼拝の中で、
神様が私たちとともに歩みたいと熱望されていることをお話しした。

そのためにイエスが十字架にかかられたことも。

私たちの応答・・・それは「ありがとうございます」と言うこと。
でも、そこには「悔い改め」があり、
もう一つ、「イエスの十字架によって、古い自分に死ぬこと」がある。

イエスと共に生きる歩みは、自分に死ぬ歩み。

自分の願いや人生設計よりも、
主が与えようとしてくださっている人生を引き受けて歩むこと。

その時に、私たちは生きる。
自己実現をしようとするときではなくて、
主の導かれるところに歩んで行こうとするときに、
私たちは本当に生きることが出来る。

主の導きに敏感になりたいと思います。

主よ、
あなたの導かれているところに
従う喜びを経験したいです。
どうか、御心を示し、
心に抵抗を感じるときにも、
それを見分ける鋭さを与えて下さい。

信頼。

土曜日の聖書。
第2テモテ1章9−18節。


「その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。」12節。


この世で「信頼」というと、
「自分が信頼されるような人間になりたい」という方向性で使われることが多い。
また自分が人から「信頼されている」かどうか、で、元気になったり、がっかりする。

でも、聖書で「信頼」というと、自分たちが神様を「信頼していいのだ」
「信頼して行こう」「信頼してしまえばいいのに・・・」
そんなふうに使われることが多い。

それは、やはり、本当に信頼できる方、信頼すべき方を信頼することの大切さを語っているのだと思う。

そう、いつもは自分がどう思われているかが気になり、
自分に気持ちが集中する。
もちろん、「信頼される人間になる」というのは決して自分のためだけではないし、決して「自意識過剰」ではないだろう。
でも、聖書に向かうときに、自分以上に、神に目が向く。
この方は、信頼しても大丈夫。
この方は自分の大切なものを、
自分の人生自体を、
委ねてしまっても大丈夫。

そう思ったら、楽になった。
楽しくなった。

そう、今自分の大切なものは、
教会の一人ひとり。そして、その心。
主がその一人ひとりの心、私などどう頑張っても届きようがない、その心を守ってくださるようにと祈る。この方はそうしてくださると信頼して。一時、離れてしまった人々の心もまた導いてくださるようにと祈る。

主よ、
あなたを信頼しても大丈夫なこと、
あなたに大切なものをおまかせして大丈夫なことを
感謝します。


どうか、これからの歩みの中でも、
あなたが主であり、支配者であり、
私の大切なものをすべて守ってくださると信頼します。
信頼して、お任せします。


私も自分の使命に忠実な者でありますように。

2010-06-06

すごい。

今日は年に一度の(って決まっているわけではないが・・・そう、いつも秋にもやりたいと思う)、野外礼拝。近くの公園で礼拝を守り、バーベキューと、リクリエーションで過ごします。


今日は雷雨の予報。
確率予報も60−70%。


でも、なんと、礼拝も、バーベキューも、レクリエーションもすべて守られ、
沢山の方々と楽しいひとときを過ごすことができました。


心から感謝します。


風が強くて閉口しましたが、
本当に神様が守ってくださった一日でした。
片付け終わったところで、ザーッと雨が降ってきて、
「本当に」守られたなあ、と思います。


もう写真もアップされています。
こちらから。
http://www.jccofnj.org/gallery/thumbnails.php?album=102


でも、写真はホンモノよりも髪の毛が白く見える・・・きっと。


バットを振っている写真もありますが、
最後20分くらい参加したソフトボールも珍しく2打数2安打。
<( ̄- ̄)v


今夜から冷え込んで、涼しくなるみたいです。
10時ですでに17.8度!


ここ3日の「日々のみことば」は明日にでも落ち着いて・・・。

明日は新型iPhoneの発表ですね(たぶん)。