2010-01-16

生かされて感謝。

今日も一日生かされて、守られて感謝。
夜の11時ですが、今日は更新を明日に委ねて、休みます。
明日の礼拝が祝福されますように。


今はちょうど0度。
でも、明日は雪ではなくて、雨の予報です。

2010-01-15

あったかいよ。

今日は朝は-5度だったのですが、
昼間はなんと10度まで上がりました。
夜の12時になっても、まだプラスの4度もあります。


明日もう一日暖かいと思います。
そして、日曜日は雨か雪。
メインは雨だと思いますが、
雪も混じるかも。


特に夜から月曜日の朝にかけては雪かもしれません。

さて、今日の聖書。
今日はマタイ7:13-29


「岩の上に建てられていたからです」25節。

今日の朝の集会で、
イエスの言葉の土台にあるものは何か、
そのことを考える時があった。

その集会で読んだのは、
「パーティーをするときには、招き返してくれる人ではなくて、招き返せないような人を招きなさい」というイエスの言葉。

その背後には、やはり、神様がまず、私たちを招いてくださった。神様に返礼なんてできない、そんな私たちを神様は招いてくださっている。その恵みへの感謝が土台にある。

確かな土台。
神様の愛と恵みという確かな土台。
自分のがんばりや、
自分の信仰心、
自分の納得、
そして、気持ちの盛り上がり、
自分の実感、
そういうものではなくて、
確かなもの。
確かな神の愛と恵み、そこを土台にするときに、
嵐がやってきても、堅く立っていくことができる。

確かな土台の上に、
人生を建て上げて行くことができますように。

神様、
あなたが与えてくださっている土台に感謝します。
自分が準備する土台はいかにもろく、頼りないか、つくづく思わされます。
どうか、あなたの恵みの御言葉という土台の上に、
あなたの愛の言葉の土台の上に、
わたしの生涯が建て上げることができますように。

良いものをくださる主。

今日は暖かくなりました。
最高気温はなんと5.8度。
日差しも暖かく、ああ、このまま春になるんじゃないか、
と思わせるような一日でした。


でも、夜はやっぱり寒いです。
今は夜の12時で、-2.4度。


明日の朝はやっぱり-5度とかになるんでしょうか?
昼間は10度近くになる、と天気予報は言ってくれているのですが・・・。


さて、今日は早速聖書。
今日の聖書はマタイ7:1−12。


「天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」11節。

主がくださるものはいつもよいもの。
良いものをくださらないことはない。

朝、祈ったときに思わされたことではないのだけれども、
午前中の祈り会で創世記17章のアブラハムがソドムとゴモラのためにとりなす祈りを読んだときに、アブラハムが最後まで、そこに座っていたことに気がついた。主が語ってくださって、語り終えるまで、アブラハムは座っていた、待っていた。

でも、自分はどうだろうかと。
主は良いものを与えようとしておられるのに、
良いものを与えたいと思っているのに、
私たちはそれを手にしなくても、立ち上がってしまう。
もっともっと私たちと語り合い、共に過ごそうと思っておられる主をそこに残して、
立ち上がって、他のことにとりかかる。

主が良いものを与えてくださるまで、そこに佇む、
主が答えを与えてくださるまで、そこに跪く、
そのような祈りのひとときを、そのような、私たちの人生の中で一番の方とのQuality Timeを持たせていただきたい。

主よ、
あなたがわたしのために準備しておられるよいもの、
それを与えられるまで、あなたを待ちます。
わたしに豊かに与えようと準備しておられるあなたをおいて立ち上がってしまうことがありませんように。

2010-01-13

1ドルの温かいオートミール。

今日の朝は寒かったです。
NYの日だったので、きつかった。
NJではいつも車なので、
寒い中、何分も歩くことはないです。
でもNYの人もこんな日は、ちょっと歩いてはお店に入って、
という感じで、長く歩かないそうです。
ですよね。
今日見ていても、スーツを着ている男の人達は、
ほとんど帽子をかぶっていない。
さぶいですよね。


明日は暖かくなる、って信じているんですが、
どうなんでしょう・・・。
今は夜の12時10分前。-2.6度です。結構冷えてきました。

で、そんな感じでNYを歩いていた私の目に飛び込んできたのが、
jamba juiceというフレッシュジュースの店。
色々なフルーツにアレルギーが出てきてしまった私は、
あまり縁がない店だと思っていました。


でも、2−3日前にEmailで入ってきたニュース。
1月13日から2月3日まで、毎週水曜日、Oatmealが1ドルってありました。
寒い中で歩いていて、それを思い出したら、食べないわけにはいきません。
「1ドルだよねえ」とお店の人に声をかけて、頂きました。





それがすごーい、おいしかったです。
スチールカットのOatmeal、もともと好きなのですが、
とても柔らかく煮えていて美味しかったです。
体も温まるし・・・。


いつもは3ドルくらいするみたいですよ。
他に食べている人はいませんでしたが、
注文しようとしているみんなに「これ1ドルだよ。美味しいよ、温まるよ。」と、教えてあげようかと思っちゃいましたよ。


あと3回の水曜日、街を歩いていてjamba juiceの看板を見たら、ぜひ、トライしてみてください。


Paramus では Garden State Plaza
Edgewater では Wholefoods
にあります。


www.jambajuice.com


さて、今日の聖書。
今日はマタイ6:16−34。


「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」31−32節。

私たちが求めるべきものは、
食べるもの、着るもの、ではなくて、
それよりももっと大切なもの。

必要なものは神様がご存知だから、
与えてくださるから
心配するな、と主は言われるのです。

「異邦人は・・・を求める。でも、あなたがたは、神の国と神の義を求めなさい」というのがイエスのポイントだ。

自分はいったい何を求めているだろうか、
せっかく救われて、
せっかく神を信じるものとされて、
それで、私は何を求めているだろうか?

神様ご自身を求めて、
神様と共に歩んで行く幸いを経験させていただこう。

主よ、
どうか、あなたと共に歩む喜びを満たしてください。
他のものに心を支配されてしまうことがありませんように。
あなたで心が一ぱいになりますように。

私たちに必要なもの。

今日の朝の集会にこられたひとりの方が、
「のだめ」にはまっている(これはすごくよく分かる)、といって、こんな話をされていました。


のだめと合わせることを課題に出された千秋は、
のだめのためだと、一生懸命練習に付き合う。
でも、結局最後はのだめによって、自分の中にある大切なものが引き出されてくるんだよねと。


それが面白いのだと。
そして・・・
これは、クリスチャンが神様から課されることなのではないかと。
「誰かのために」と思いながら、始めるひとつひとつのことが、
結局はその誰かのためではなくて、「自分のため」だったのだと。
一つ一つの出会いによって変わっていくのは、私たちに触れた誰かではなくて、
私たち自身なのではないかと。


本当にそうですよね。


神様が与えてくださる出会いの一つ一つにあって、
私たちは、その方々に、神様のことを伝えたいと思う。
私たちは「祝福の基」として、「神様のメッセンジャー」として、
そこにおかれていると思う。


でも、そのことを通して、変えられていくのは、
本当は私たちなんじゃないか。


それが神様の素晴らしい奇跡なんじゃないかと思うのです。


それにしても、のだめはおもしろい。というか、ためになる。


さて、今日の聖書。
今日はマタイ6:1−15。


「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」8節。

そうなんだ。
神様は、私にとって何が必要なのか、
全部ご存知。

だから、試練も与えられるし、
困難も与えられる。

それがなかったら、自分はダメだから、
自分は傲慢になってしまうから、
神様は必要な訓練を与えれる。

だから、祈るというのは、
神様よりも、私たちが私たち自身の必要を知るために必要なんだろうなあ。

だから、しつこく何度も何度も自分の願いを繰り返すことよりも、
「御国がきますように」「御心が天で行われるように、地でも行われますように」なんだろうな。

神様とつながっていく祈りのひととき。
これからも大切にさせていただこう。

主よ、
あなたが待っていてくださること、
あなたが聞いてくださること、
共に歩んでくださることに感謝します。
どうか、あなたの胸の内を私に分かち合ってください。
そして、私があなたの導きに従っていくことができますように。
あなたのみ声を聞き逃すことがありませんように。

2010-01-12

わくわくとぶるぶる。

寒いですねえ。
日本も寒いみたいですが。
今、夜の12時で-5.5度です。


でも、NJはこれから週末にかけて、
ちょっと寒さが緩みます。
40度(華氏で・・・摂氏は5度)を超える日もあると思います。
はい、これが第一のわくわく。


今日の朝、ハジはアトランタに戻っていきました。
つい、何日か前に、読んだ「小さないのちを守る会」の水谷先生の文章。


命と性の日記1月10日号


本当に私自身にとっても課題だと思いました。
牧師としても、親としても、
一人ひとりが神様につながって、神様から答えをもらって、
歩んでいくことを本気で求めているだろうか?


でも、本当に一人ひとりが神様に取り扱われて、神様から答えをもらって歩んでいくのを見せていただくのはわくわくすることですね。これが2つ目。


そして、今も何人かの日本の方々と電話でお話をしたり、メールをやり取りしたり、してますが、本当にわくわくしてきました。神様は今年はどんな素晴らしいことを見せてくださるでしょうか?これが3つ目。


そして、今朝から、あの元旦に与えられた、「あなたは祝福の基となる」という言葉がもう一度心に響いてきています。私もそうだし、教会の一人ひとりが祝福の基として、このNJの日本語を使う人々の社会に遣わされている。その神様の祝福に心からわくわく。です。


さて、2日分たまってしまいましたね。
まず、昨日、1月11日の聖書。
マタイ5:33−48。


「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。」46節。

いやあ、これはまたチャレンジですね。
自分によくしてくれる人、信頼してくれる人、愛してくれる人、
支えてくれる人、を愛するのはたやすい。
でも、そうではない人を愛するなんて・・・、これは半端なもんではありません。

聖書の基準、イエス様の基準の高さを感じさせられます。

だから、これは自分の力ではどうにもならない。
ただただ、イエスの愛によって、聖霊様の力によって、
そのような愛を与えていただきたいと思います。

多分、イエスがこのように言ってくださらなかったら、
自分も、当たり前のように、「そっちがその気なら、こっちはこの気だ!」となっている人間です。

ですから、ただ、このようにチャレンジを与えてくださった主の恵みと、助けを求めます。チャレンジしてくださった方が、それを行う力をも与えてくださると信じます。

主よ、
私には愛がありません。
自分によくしてくれる人にしか、愛することができない自分がいます。
なんてちっぽけな人間なんだろうかと思います。
どうか、あなたの愛を与えてください。
愛することを教えてください。



ぼちぼち。

今日はハジが大学に戻る前の最後の夜だったので、
ちょっとゆっくり食事をして、いろいろ準備をして、
遅くなりました。

ですから、まあ、更新はまた明日。
ぼちぼちやりましょう。

明日の一日に影響が出ないように休みます。

あ、東京、初雪みたいですね。
というか、「みぞれ」だそうですが。
「みぞれ」でも「初雪」。
あと2週間くらいしたら日本なので、
その頃には日本の寒波もすっかり緩んでいますように!!

2010-01-11

懲りてない。

日付変わっちゃいました。
月曜日の午前1時ですが、
昨日の朝は−11.5度でした!
いやあ、寒かったです。
昼間もあまり上がらなかったと思います。


今は−7.7度。
どうでしょうかね。
朝の気温は昨日ほど下がるでしょうか?


明日はちょっと気温が上がって、プラスになると思います。


さて、土曜日の続きなんですが、
土曜日、OHPのランプが切れたので交換していました。
セットして、コンセントをつないで、
スイッチを入れようと思ったのですが、
そのスイッチが上蓋についていたので、
その上蓋を本体にはめるのが面倒で、
ついつい、そこにあったはさみ(金属)で、
スイッチをつないで、つくかどうかチェックしました。


そしたら、ものすごい明るい光で電球が光ったと思ったら、
ばちっと切れてしまいました。


後で考えたら、ちょっと危ないことをしていたかなあ、という感じ。
ほんと、風車事件で「もう絶対やらない」と思っていたのに、
全然懲りてない・・・。


あちゃあ、電球一発でダメにしてしまった!
と責任を感じて、もう一個探して、買ってきて、
昨日の朝、トライ。
今回は注意深く、絶対にミスはしないぞ!
と、素手で触れないように注意しながら、セットして、
上蓋をしっかりはめて、
そして、スイッチオン。


でも、今度も一瞬で切れてしまいました。


可能性は2つあります。
1)もともと壊れていた。
2)一回目にはさみでスイッチをつないだときに、大切な部品をダメにしてしまった。・・・コッチのほうが責任が大きい。


で、多分、じぶんに都合がいいように、前者だと思っていますが、
後者だったら、大切な教会の備品を壊しちゃいましたねえ。
でも、2)だったら、つかないんじゃないか、つかなかったら電球も無駄にならなかったのにねえ、でも、やっぱり1)なんだろうなあ。


でも、つくづく、「子供の頃から何も変わっていない」と思いました。
やっぱり、どんなに怖い思いをしても、
時間がたつと、やっぱり同じようなことをくりかえすんだなあと。


気をつけようと思いました。


さて、昨日、日曜日の聖書。
マタイ5:21−32。


「しかし、わたしはあなたがたに言います。誰でも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」28節。

これは、ポルノとかへの戒めとしてとられてきました。
ポルノは人格を否定している関係だから問題だ、と、そういう説明を聞いてきました。

確かに、続くイエスの言葉は、「あなたの目が罪を犯させるならば」とありますから、そういうことなのかもしれません。

でも、若いときに、John Whiteという人が書いた本の中に、「写真の中で一糸纏わぬ姿でなまめかしい視線を送る人や、ビーチの美女の姿からの誘惑よりも問題なのは、隣人の妻からの誘惑だ」と書いていたのを読んで、「そんなもんなんだ・・・」と思った覚えがありますが、最近、本当にそうだなあと思います。(あ、別にそういう誘惑で悩んでいるということではないですよ、念のため・・・)
ここでイエスがどのようなことを言いたかったのかは別としても、
本当に私たちにとって大きな問題は、ピンナップの中の女性の裸に心ひかれることよりも、妻以外の生身の女性と生きた心と心が絡み合っていくことです。生きた人格があるが故に、そちらの方がずっと危険であり、ずっと大きな罪、ずっと深刻な誘惑なんだと思わされます。

自分は大丈夫、だなんて思わないで注意していくこと、気をつけていくことの大切さを思わされます。そのような状況を作らないこと、本当に大切です。

この件に関しては、どうしてもわたしは律法的になってしまうのですが、自分に対してはそれでいいのだと思わされています。自分に対して、このことについては厳しすぎるということはない、そう思います。もう一度主から戒めを頂きました。

主よ、
わたしが身を清く守っていくことができますように。
そして、身だけではなくて、心も清く保っていくことができますように。
主よ、守ってください。いつもいつも御言葉によって支えてください。

2010-01-10

好奇心もほどほどに。

今日は寒かったです。
朝は−8度台だったと思います。
そして、今、夜の12時前ですが、
−9度です。


明日の朝はマイナス二桁です。


でも、ほんと、今回の寒気の底です。
これからはちょっと冷え込みの緩む日も出てきそうです。


昨日のGizmodo.jpで、こんな記事を見ました。


豆電球をコンセントにつなげた男の子の話


でも、自慢じゃないですが、
わたしは、風車をコンセントにつっこんだことがあります。
どっかで書いたような・・・と思って検索したら、
(左のコラムの「サイト内検索」で、このブログの記事を検索出来ます)
ありました。3年あまり前。


2006年11月30日の日記


で、今日それに似たようなことがありました・・・が、
そんなことを礼拝の前の晩に丁寧に書けませんので、
また、明日の夜にでも・・・。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の5:13−20でした。


「もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取り戻されようか。」13節。

主に救われた者は、
主を信じた者は、
そのような者として生きる。

せっかく救われたのだから、
せっかく神の子となったのだから、
そこに生きる。
徹底的に神様の救いに感謝して、
そこに生きる。

それがなにかを「する」事よりも大切なんだろうと思う。
悩みながら、迷いながら、
でも、いつもいつも、主が私たちのために命を捨ててくださったことに、
心から、感謝して、
その主が私たちの人生にいつもいつも最高のことをしてくださるんだと、
信じて、信頼して歩んでいく。
試練があっても、それは、すべて私たちを形作っていくもの。
その試練を通して、わたしたちをご自分に近く作ってくださる主を信頼していきたい。

そのように歩みたい。
徹底的に福音に生きる者でありますように。

主よ、
あなたを信頼して歩ませてください。
半端じゃなく、本気で信頼して歩ませてください。
そして、地の塩として歩ませていただけますように。