2008-12-31

一年の感謝。

寒いです。本当に寒いです。
風もありますが、気温が夜の10時半で-9度。
明日の朝は何度まで下がるのでしょうか?


ホントに寒いカウントダウンの夜です。
NYに行く人はどれくらいいるんでしょうか?


からだがおかしくなると思います。
タイムズスクエアで100万人押しくらまんじゅう大会でもやらないと、
ほんと、危険なくらい寒いです。
トイレの数も限られていますし、
いやあ、考えられないです。


明日も晴れますが、一日氷点下の真冬日でしょう。
明日は教会で11時から元旦礼拝です。
教会の中は暖かいですし、人々は熱いです。
お近くの皆さんは是非、お出かけください。


アメリカ東部は、今年もあと1時間あまりです。
ホント神さまが守ってくださいました。
何が大きかったでしょうかねえ。


たくさんの方々との出会いがありました。
2月に日本に行った時、
その後、アトランタに大学見学をかねて家族で14年ぶりに行った時、
そして、教会に初めて来られたたくさんの方々、
こっち や、こっち の泊まってくださった方々、
遊びに来てくださった方々、
奉仕にお招きできた方々、特にこっちの先生 。
ホント、例年にまして、新しい出会いが、
「ああ、神さまが出会わせてくださったんだなあ」というものでした。


朝、「日々の光」という聖書の言葉をまとめた日課があるのですが、
その今日のところを読んでから、朝食を取りました。


「あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった。」申命記1章31節。


ホントにそうだなあと思いました。
今年の3月、イースターを前にして、
教会のオフィスで毎朝6時に祈るようになりました。


家の自分の机だと、途中でいろいろ仕事が始まってしまったり、
集中できなかったり、眠かったら甘えてしまったり・・・。


でも、あえて、教会に出向くことによって、
毎朝早く起きることが苦ではなくなりました。(年齢的なこともあるかもしれませんが・・・)


今、本当にその時間が自分にとってどれほど大切な時間になっていることでしょうか?
きつい朝もあります。・・・でも、何度、主が用意してくださったみことばの恵みに満たされる経験をしたことでしょうか?


今年「日々のみことば」を読み始めました。
1日1章の半分だったり、3分の一だったり、もっと少なかったり、
その少しずつ味わう時が本当に幸いな時となりました。


教会で弟子訓練のグループが5つになりました。
まだ、わたしがすべてのグループに出ていますが、
やはり、これが教会の歩みの中でどれほど大切なことかと思わされます。


今まで、どこまで楽天的で、どこまで信仰を持ったばかりの方々に対して、不親切だったことかと思います。


たくさんたくさん、新しいことに気付かされる一年でした。
感謝がいっぱいです。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録の22章6-21節。


「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」17節。


主が与えてくださる、タダで与えてくださる命の水。
英語ではfree giftになっている。
私たちにギフトとして与えられている。

ギフトなのに、私たちは、いつの間にか、何だか、もっと一生懸命やらないといけない気持ちになってしまう。

ただ、求めよう。
ただ、求めて待ち望もう。
命の水をいただいて、出ていく者となろう。

主よ、
新しい年も、あなたが与えてくださる命の水を求めます。
あなたがいつもいつも満たし続けてくださいますように。
わたしの心をいつもあなたが潤してくださいますように。
心から感謝して。

雪の大晦日。

 朝起きた時は曇り空だったのですが、
8時頃に小雪が降り始めて、



9時45分頃にはこんな感じ。
今は激しく降っています。


でも、一時的なことのようで、
午後は風の方が大変のようです。
風で雪が舞って、視界が悪くなることもありそうだとのこと。
運転の方は気をつけて。


日本はあと10分ほどで2009年ですね。

でも、私はこの一年を振り返るのはニュージャージー時間の夜の更新にとっておいて、
これから明日の元旦礼拝の準備です。


さて、昨日、火曜日の聖書。
昨日はヨハネの黙示録の21章22節から22章5節。


「そこには夜がないからである。」21:25
「もはや夜がない。」22:5

日曜日の礼拝の中で、
何度も、「クリスチャンになったからと言って苦しみや悩みがなくなってしまうわけではない」とお話ししました。お話ししながら、お一人一人が抱えている問題や、痛み、悩みに、心が向いていました。
そして、できるならば、本当にできるならば、それから解放されたらいいのに、と思いました。
私たちは痛みや苦しみによって成長する部分もあります。
それによっていろんなことを知らされるのです。
でも、できるならば、その痛みを通りたくない、また痛みに傷ついて、後遺症に苦しんでおられる方を拝見すると、できるならば、その苦しみを通って欲しくない、そんな気持ちになります。

ですから、やがて「夜のない」ところに迎え入れられること、
本当に大きな希望です。

主は私たちのために夜のない世界を準備しておられる。
感謝します。

主よ、
あなたが準備しておられる天の御国は、
夜のない世界だということを知りました。
感謝します。新しい希望です。
今朝も訃報を聞きました。
ご遺族の方々、ご友人の方々に、
天国の希望があなたから与えられますように。

2008-12-30

寒い大晦日だよ~。

今日は天気は良くて、気温もさほど低くはなかったのですが、
風が強かったので、寒く感じましたね。
今は夜の12時前ですが、-2.1度まで下がってきています。


今夜これから、または明日の朝早く雪が降ってくるそうです。
5-10センチの積雪の予想。


そして、明日の夜のカウントダウンの時間には、
-5度以下に下がるようです。
そして、風も強く、体感気温は-15度以下。


ほんと、それでも「カウントダウンに行く!」というつわものの人は、
防寒対策ばっちりで、行ってくださいねえ。
私は、元旦礼拝に備えてばっちり休みます。


そう、教会では元旦礼拝をします。
一年の最初に、神さまの前に出て、
一緒にスタートする、幸いな礼拝です。
礼拝の後はお餅です。
是非、是非、NY近郊の方々お出かけください。
お問い合わせは、
右のAbout Meのところから、
View My Complete Profileをクリックすると、
Emailアドレスが出てきます。
そちらにご連絡ください。


新しい年がお一人一人にとって、
喜びにあふれたものとなりますように!!

さて、昨日、月曜日の聖書。
昨日は黙示録の21:9-21でした。


「都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。」18節。

これは天国の情景を書いている箇所の続きです。
宝石だったり、貴金属だったりするので、
個人的には着いていけない(知らないので、どんな情景かわからない・・・)
のですが、ヨハネも自分の知っているもので何とか、そのすばらしさをわかってもらおうとしたのだと思います。「絵にも描けない美しさ」「言葉では表せない」とか言ってしまったら、それで終わり。実際そうだと思うのですが、それを言わないで、何とか、自分たちの知っているこの地上のもので表そうとしたら・・・という苦闘がわかります。

「ガラスに似た純金」というのもわかったようなわからないような感じです。

でも、天国は本当に輝いている、
キラキラと光っている、
それはわかるような気がします。
でも、言葉にすると、なんだか違う、っても絶対あるでしょうね。
ホントはもっとすごいんだと。

私もその努力を惜しまないものでありたいと思います。
すぐに「すごい」という言葉で片づけてしまうことが多いのですが、
それを他の言葉で、もっと伝わる可能性のある言葉で、
伝えようとする努力、それをもっともっとしていこうと思います。

でも、それと共に本当の神さまのすばらしさは言葉では伝えきれないものなんだということを、
忘れないでいたいと思います。

神さま、
あなたが私たちのために準備しておられる天国のすばらしさを垣間見せてくださっていることに感謝します。
そのすばらしさを何とか伝えようとした、ヨハネの情熱に感謝します。
私も同じ情熱をもって、あなたの救いのすばらしさ、
あなたの愛の大きさを、何とか伝わるように、語る者であらせてください。
でも、最終的には、一人一人が、あなたの圧倒的な力に触れて頂くことができますように。
聖霊様が私の上に、私が出会う一人一人の上に、満ちあふれてくださいますように。

2008-12-29

また明日。

最近、不定期になりつつありますが、
今日も、遅くなったので、
また明日更新します。

ではでは。

皆さん夜更かししないでくださいね。

2008-12-28

暖気がんばる。

今日は暖気がんばりましたねえ。
朝起きたら、まだ4度台でしたが、
昼間は本当に暖かくなりました。


最高気温は16.8度。
今は夜の11時で8度です。
今夜はぐっと冷えるようですが、
まだまだ高めです。


明日は今日の暖かさに比べるとずっと寒くなるでしょう。
そして、大晦日の夕方から元旦にかけて結構冷えそうです。
カウントダウンにお出かけの方は要注意ですね。


今日は礼拝に日本からのお客さんが3人来られました。
いろんなところからつながりが生まれているのは本当にわくわくします。


そして、午前中、そのうちのお二人と一緒に
お約束のコースになりつつある、
Brooklyn Tabernacleの9時の礼拝に行ってきました。


うーん、またまた、賛美の渦に巻き込まれて、
心からの賛美を捧げる一時が与えられました。
宇宙に広がる神さまへの賛美の一翼を担わせて頂いているというか、
宇宙に広がる賛美に参加している喜びを感じました。


そんな思いを持ちながらJCCNJの礼拝に行ったものですから、
JCCNJの礼拝が祝福されないわけがありません。


真の礼拝者でありたい、真の礼拝者を育てたい、
そんな日曜日でした。


さて、今日の聖書。
今日は黙示録の21章1-8節。


「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」4節。

やはり、この言葉が大きな慰め。
先に天に召されていった方々のことを考えても、
自分の行く末を考えても、
主のもとに行く時に、
これが待っているかと思うと、
本当に慰め。

死も、悲しみも、叫びも、苦しみも、
そういうものから一切解放されて、
平安の中に入れられる。
圧倒的な神の臨在を覚えて、
その中で歩む。
そのような世界が待っている。
大きな慰めであり、力です。

パウロが「私の本当の願いはこの世を去って、キリストと共にいることです。でも、私には地上での使命がありますから、板挟みです」と言ったことがだんだんわかるようになってきました。

神さま、
あなたがこのような世界を準備して待っておられることに感謝します。
どうか、私のこの地上での歩みが、それを見つめながら、
でも、この地上で精いっぱいを尽くす歩みでありますように。

暖気、苦戦。

今、午前1時過ぎですが、
外はかなり濃い霧が出ています。


これは暖かく湿った空気が、
雪の地面に冷やされて、
水蒸気が飽和状態になり、
結露してできる霧です。


で、土曜日の予想最高気温は10度で、
夜も上がり続ける、と言う予想だったので、
あたれば、今頃10度以上はあるべきなのですが、
今の家の庭の気温は4度。
暖かい空気がかなり苦戦しているようです。


日曜日の予想は18度くらいですが、
さて、どうなるか。
がんばれ!暖気!


あ、でも、それも1日限りで、
月曜日からはまた冬の「まあまあ」の日になるようです。


さて、土曜日の聖書。
土曜日は黙示録の20章でした。


「この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。」6節。

世の終わりの復活の恵みについて書かれている。
その勝利、その解放、その力、
第二の死が何の力もない、ということに力をいただいた。

その勝利は完全な勝利なんだと。

楽しみだ。

今、私たちはいろいろな戦いがある、
悩みがある、でも、そのときには、
そのようなものから、解放されて、
本当に今とまた違うレベルの自由を与えられるのだ。

楽しみに待ち望んでいこう。

主よ、
今日の日曜日もあなたをほめたたえさせてください。
心からほめたたえさせてください。
あなたのすばらしさを知ることができますように。


そして、やがての日、
天国であなたをほめたたえる時を楽しみにしています。




2008-12-26

みことばの勝利。

とにかく追いつきたいので、
今日の聖書、行きます。
今日は黙示録の19章11-21節。


「天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。」14節。

これは、「日々のみことば」の解説にあったのですが、
武器を持っていたのは先頭のキリストだけで、
後に続く者たちは、ただ、それに付き従っていた、と。
なるほど、と目が開かれるような思いがしました。

戦われるのはイエスであり、
みことばの剣をもって戦われるのであり、
私たちはその背後に従いながら、
その戦いを見せて頂く立場なんだと思いました。
自分が戦うような気持ちが強くなってしまう自分です。
主が戦われる、それを見せて頂く、
そこに自分も連れて行って頂いて、
主の勝利を経験させて頂く、
そのようなところに招かれているのだと思います。

主よ、
あなたの勝利に感謝します。
あなたのみことばの勝利に感謝します。
私は説教者です。
どうか、あなたのみことばの力を見せて頂く者でありますように。

やっぱり失うものあるよね。

今朝は予想通り-5度。
昼間は5度くらい。
今夜は雨のようです。


明日、あさってと10度を超える暖かさになりそうですし、
来週もこの季節としては暖かめみたいです。


でも、来週末からは冬が戻ってくるかも・・・。


今1月3日頃のStormに注目が集まっています。
ちょうど1週間後なので、
「全く当てにならない」から「結構可能性ある」になる境界線ですね。
さて、どうなるか。


クリスマス前後でばたばたしている間に、
またまた、まさにタイムリーな話題が、
水谷先生のブログに。


忙しさの問題。
1回目、
http://blog.chiisana.org/?eid=1013209

2回目、
http://blog.chiisana.org/?eid=1015212

3回目、
http://blog.chiisana.org/?eid=1015198



うーん、とうなってしまいました。
というか、まさにその真ん中で過ごしていた自分の目を覚まさせてくれたように感じます。
っていうか、ブログ愛読者のはずの私が今日まで気がつかなかったのは、まさに「忙しかったから」!!!


この際、私は仕事の多忙さにはコメントしませんが、
教会の多忙について、本当に1回目の(3)に出てくる、
「理屈抜きの充実感や自己効力感」をもたらす、
ということ、ほんとうに大きな問題だと思います。


いろいろな奉仕をしている中で、集会をたくさんしている中で、
何かをした気分になっている、神さまに仕えている気になっている、
そういうことがどんなに多いかと思います。


本当のところ、神の名を汚すようなことをしているかもしれない、
新しく教会に来られた方々に、神さまのことを誤解させるようなことをしているかもしれない。
でも、一生懸命働く中で、忙しく奉仕をする中で、
もしも、人数的に多くの方々が集うならば、
何か「やった」という充足感をもってしまう。


そして、その充足感のことを、
神と共に歩む喜びだと思い込んでしまう。


まるで、高校の文化祭のように(別に高校の文化祭が悪いわけではないです。私にとってはいい思い出です。念のため・・・)、みんなで一生懸命力を合わせて何かをやった充足感を、キリストと共に歩む喜び、「聖徒の交わり」だと思い込んでしまう、そういうことがあるのでは、と思うのです。


自分はどうだろうかと。
カレンダーに予定が入らないことに不安を感じたり、
逆に予定が埋まっていくことの中に、自己満足していたり、
そんなことはないだろうかと、問われました。


でも、また、反対に、その「教会の忙しさ」に、
「ついていけない・・・」となっていく方々もおられるわけで、
そのときに、「ああ、こんなことを感じてしまう私はダメだ」自分を責めたり、
「昔はあんなにがんばっていたのに、あの方、最近お疲れみたい・・・それとも信仰的にダウンかしら」みたいな、ネガティブな評価が与えられたり・・・。
そうじゃないのに。


何もしないでいると、一番平気でできてしまう人が標準になってしまうから、
ブレーキをかけるのも牧師の大切な仕事の一つなんだろうと思います。
ブレーキをかけるのが目的ではなくて、
本当に大切なものを見失わないように、そこにじっくり時間をかけることができるように。
もしかしたら、そこでみんなが「ああ、今日は忙しくなくて、とても大切なことに時間が使えて良かった」なんて思わなくて、反対に「ああ、あれもこれもやらなければいけないのに、どうして、こんなことにこんなに時間をかけるんだろう」とイライラする人がいるかもしれない、たとえそうだとしても動じない強さ、目的意識、霊的な敏感さ、必要だなあと思いました。


さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネの黙示録18:21-19:10。


「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」8節。

花嫁は教会のこと。
教会が世の終わりにキリストの花嫁として着飾るのは、私たちの正しい行い、という衣装だという。
「信仰」が「行い」と切り離されてしまった現代の教会の中で生きている者として、
自分の中にも「正しい行い」がここでことさらに教会の着物として言及されていることに違和感を覚える。でも、その違和感は、聖書が問題なのではなくて、私の方が問題。

教会はもっともっと正しい行いに熱い存在でなければいけないと思う。

私はもっともっと信じているように行動すべきだと思う。
信じているように生きていく、そのために聖霊様に満たして頂きたいと思う。

聖霊様の力をいただいて、正しい歩みをさせて頂きたいと思う。

教会の使命、この世に存在している使命、それをはっきりと知って、
そのように、歩んでいく者でありたいと思います。

主よ、
どうか、良い行いをさせてください。
あなたが私にどんなことをさせようとなさっているのか、
その使命をはっきりと見させてください。
そして、そこに生きていくことができますように。

2008-12-25

メリークリスマス!


「ユダヤ人の王としてお生れになったかた・・・」マタイ2:2

イエスよ、あなたを私の人生の王とすることができますように。

人と出会う喜び。

さて、もう一日分更新。
遅ればせながら、アドベント聖書日課第4週もアップしておきました。
右のリンクから。


昨日の朝はFreezing Rainでアイススケートリンク状態でしたが、
昼間に温度が上がり、キャンドルライトサービスの時には全く問題なし。
そして、今日も風はありましたが、この時期としては過ごしやすい一日でした。


夜になって冷えては来ています。
今、11時過ぎですが、-2.3度。
-5度くらいまでは下がるのでは・・・。


明日はまた穏やかな日になりそうです。


今日、日本からお客さんが来られました。
それがまた9月に来られた方々の教会の方々。
でも、考えてみれば、その方々とも、そのときに初めてお会いしたわけで、
その方はまた、前に知っていた方から紹介された・・・と。


本当に不思議な出会いが与えられた、次々と与えられた一年でした。
一つ一つの出会いに、不思議な神さまの導きを感じます。


夕方にはNYのホテルまでお送りして、
そして、家族も一緒に行って、5番街を散策。
でも、すごい人混み!!!
野球の後のスタジアムのよう。
火事場の野次馬の人の波のよう。
たまにしかない経験に子供たちは戸惑っているようでした。


商業化されているクリスマスの一面ですが、
それでも、暗くなって、イルミネーションがともる中に、
私たちのところに光としてきてくださったイエスを感じないではいられません。

さて、昨日、水曜日の聖書。
水曜日は黙示録18:9-20でした。


「それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。」19節。

このバビロンの繁栄は、今日のアメリカの繁栄と通じることがあるのではないだろうか。
私たちもこのアメリカの繁栄がそんなに簡単に失われることはないと思っている。
今、本当にこの国の経済は苦しんでいるけれども、
やがて、持ち直すと信じている。

今の状況よりも悪いことが起ったとしても、
また、必ず不死鳥のように、起きあがってくる、
そのように信じている。

次の大統領も、
We can do it!
と人々に語り続けている。
励まし続けている。

でも、それは本当なのだろうか?
そんなに楽観的でいいのだろうか?

神の言葉以外に確実なものはないはず。
この世のものはどんな国も、どんな繁栄も、やがて廃れていく、
というのが聖書のメッセージだったのではないだろうか?

アメリカも日本も中国も例外ではないはず。

それも、この場合は「一瞬のうちに」滅びてしまう、という。
本当に私たちが何を頼りにすべきか、
何を変わらないものとして信頼していくべきか、
問われていると思いました。

主よ、
どうか、私があなた以外のものを頼りにすることがありませんように。
あなただけを私が依って立つ土台としてくださいますように。
あなたを信頼することの意味を、もっともっとわからせてください。

キャンドルサービス感謝。

昨日の夜は教会でキャンドルライトサービス。
5時から、と言う早い時間帯だったので、
来られなかった方もおられたと思いますが、
その時間帯だったので、来られた方々もおられたと思います。
子供たちを入れて100人あまり。


久しぶりの方、初めての方、たくさんの方々が来られました。


そして、何よりも感謝したのは、
賛美を心から主に捧げることができたこと。
イエスが私たちに与えられていることを心から感謝できたこと。
来られたお一人一人の心にその神さまのすばらしさが届いたでしょうか?


特別にすばらしい音楽家を迎えたわけでもなく、
特別なスピーカーを迎えたわけでもなく、
でも、共に集まり、イエスの誕生を喜ぶ一時、
とても楽しい、幸いな時でした。


その後は、牧師館に40人くらいの方々が来られて、
日付が変わるくらいまで、楽しい一時を持ちました。


「すべての民に与えられる大きな喜び・・・」(ルカ2:10)


さて、火曜日の聖書。
火曜日は黙示録の18:1-8でした。


「地上の王たちは、彼女と不品行を行い、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。」3節。


「バビロン」と呼ばれる女が裁かれることが書かれているところですが、
これは商業主義、利潤至上主義、拝金主義のようなものでしょうか。
とにかく何としてでももうけよう、という精神のような感じがします。

それと深い関係になる人々がたくさんいる、というのです。
もうそれがなくなったら、どうしようか、という人々がたくさんいるのです。

でも、自分ももしかしたら、これに巻き込まれてしまうことはないだろうか、
いや、もうすでに気がつかないうちに巻き込まれてしまっていないだろうか、
そんなことを思わされたのです。

間違ったことを見極める、見抜く鋭い目をあたえていただきたいと思いました。

主よ、
あなたを主として見つめていけますように。
見上げていけますように。
そして、主が、正しいように見えて、本当は違っていることを、
見抜く目を与えてくださいますように。

2008-12-23

信仰と行い。

今朝も冷えましたね。
やっぱり-11度。
そして、最高気温も-0.2度。
2日連続の真冬日となりました。


今、夜中の1時半ですが、-1度。


今夜はこのまま気温は下がらずに、
逆に上がって行くようです。


そして朝から雨。


クリスマスなんで雪の方が雰囲気が出るのですが、
ちょっと週末の雪で苦労したので、
雨がちょうどいいかも。


今、月2回の午前中の祈り会では、
新約聖書のヤコブの手紙を読んでいます。
その中で、信仰と行いの関係が論じられています。


ヤコブは教会の中にいた、
「私には信仰があるから行いは必要ない」と言っている人たちに、
「それはないだろう、行いを伴わない信仰って何だ?」と挑戦しているのです。


読んでいると本当にそうだなあと思います。
信じていたらそのように生きる。
その人の生き方が、その人の信仰を表す。
信仰は気持ちの問題じゃない。生き方の問題。


思い切って言えば、やっぱり信仰は行いなんですよね。
うーん、誤解されるなぁ、この言い方では・・・。


信仰は行いにあらわれて当然。
行いが信仰の証拠とは言えないけれども、
信仰があったら、行いはある。
それはくっついているもので、
今は行いはないけど、信仰があるから、
そのうち、行いもついてくるでしょ、じゃなくて、
信じていたら、そのように生きるべき。
その瞬間から、そのように生きるはず。


生き方にあらわれない信仰なんて、
結局のところ信仰じゃない、ってことでしょう。


失敗することもある。
誘惑に負けることもある。
でも、神さまが全能であると信じて、愛であると信じていたら、
それを信じている者としての歩みがあるんだろうな、と思うのです。


信仰を生きる者であることができますように。


さて、月曜日の聖書。
月曜日は黙示録17章でした。


「この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。」14節。

イエスの勝利が書かれています。
サタンの勢力はイエスに挑戦をしますが、
イエスは勝利をすることが約束されています。

ここを読みながら、月曜日はなんだか、本当にほっとするような気になりました。
主は勝利をしてくださる。
それはもう約束されている。
だから、私たちははらはらしながら見る必要はない。
主が勝利してくださっていて、
私たちも勝ち戦に参加する。

なんだか、ものすごい参加しないことが損であるように思えてきました。

大丈夫。

主が勝利してくださるから。

主よ、
あなたの勝利に感謝します。
あなたの勝利に参加できることに感謝します。
恐れず戦う者となれますように。

JOYJOYシンガーズ・デビュー!

日付が変わってしまいましたが、
日曜日のJOYJOYクリスマスでJOYJOYシンガーズがとうとう初舞台。
いやあ、私も緊張しておりましたが、
子供たちも結構緊張していたみたいですね。
でも、子どもによってはその緊張がちょうど良かったようで、
練習の時よりも、ずっと集中して、よく歌えました。


中高生5人と小学生以下が12人のあわせて17人。
みんな元気に明るく歌ってくれました。


元気に歌ってくれたメンバーの一人一人に、
応援してくださった皆さんに、
そして、誰よりも、この歌を喜んでくださっている神さまに、
心から感謝!


大喝采でちょっとびっくりするくらい。
「アンコールの声が出なくても、無理矢理アンコールやるからね」
と子供たちに話していたのですが、心配なかったですね。


次の目標はイースター。
心は動き始めています。
でも、8週間ずっと休まず練習してきたので、
27日と1月3日はお休み。


「教会のプログラムはいつもエキサイティング!」を目指して、
1月10日にばっちり準備して、再開です。


さて、日曜日の聖書。
日曜日は黙示録の16章10-21節。


「目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである」15節。

土曜日の「さばき」のことを考えれば考えるほど、
この着物を与えられていることのすばらしさ、
その安心感を感じさせられます。

義の衣と言われる時もあります。
本当は罪人なんだけれども、
神の義を着せてもらっている。
イエスの十字架によって、
私たちは義の衣を着せてもらって、
罪のない者として見てもらっているのだという。

自分で準備する衣は、あのアダムとイブのイチジクの葉っぱで作った腰巻きのように、
すぐにしおれて、ぼろぼろになってしまうけれども、
主の与えてくださる衣は、完璧に罪を覆う衣。

その恵みに心から感謝。

主よ、
あなたが与えてくださっている衣の故に感謝します。
この衣の価値を見失ってしまうことがありませんように、
恵みに慣れっこになってしまって、感謝を失うことがありませんように。

2008-12-22

除雪遅くない?

今日は本当に寒い一日でした。
最低気温は-11度。最高は-5度。
一日氷点下の真冬日でした。


これは土曜日の写真ですが、
本当にきれいに雪化粧しました。



今朝、教会に祈りに行こうと、6時前に車を出そうとしたら、
Drivewayから道路に出たところで、スタック。
前にも後ろにも進みません。

こんな感じで、タイヤが雪にはまって空回りして
動かなくなってしまいました。


スコップで雪を掘ったりいろいろしたのですが、
うまくいかなくて、最後はのんちに助けを求めることに・・・。
もちろん、押してもらったんじゃなくて、運転席に座ってもらったんですが、
助けてもらったら、一発ですんなり出ました。ほっ。


でも、ウチの前だったから助けが呼べたわけで、
誰もいないところだったら、大変でしょうね。
いろいろ車に積んでおこうと思った朝でした。


そう、週末から思っているんですが、
今回の雪、除雪遅くないですか?


もしかして、ホワイトハウスと自動車業界から
ニュージャージーの各町にお願いが来ていたんじゃないかな、と勘ぐっております。


あんまり除雪をばっちりやらないでください・・・と。
特に日本のメーカーの小型車を置いている家の前は少し多めに雪を残すようにと・・・。
もちろん、そんな意図はばれないように、抜け目なくやれと・・・。


で、今日あたりはこの週末雪で苦労された方々が、
昨日の夜、「やっぱり四駆がいいねえ」と家族会議をして、
GMとFordとChryslerのディーラーにSUVを求めて殺到することをねらったと。
ここは何とかみんなで自動車業界を盛り上げていこうじゃないかと。


きっとそんな通知が来ていたんじゃないかなあ、なんて思っています。


その手は桑名の焼きはまぐり、ですが、
ホント大変でしたね。
あ、実際に作業しておられる皆さんには感謝しております。
町の予算とかいろいろ限られている中で、
がんばっておられるんですよね。
ハイ、感謝しております。


明日は今日よりもう少し寒さがゆるむみたいです。


さて、たまってしまいましたね。
ここで土曜日の聖書。
土曜日は黙示録の16章1-9節。


「あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」7節。

神さまのさばき、ということについて考えされられています。
ずっと、黙示録を読んでいる中で、
自分の心にこの「さばき」に対する抵抗感があることに気がつかされています。

この「さばき」を軽く見たいという気持ち、
神さまがこのようなことをなさることに抵抗を感じる気持ち、
いろんな思いが去来します。

でも、この裁きの深刻さ、この恐ろしさがあるからこそ、
イエスが救い主としてこられたことに意味があるんですよね。
この裁きが恐ろしいから、イエスは十字架にかからなければならなかった。
ここまで深刻だからイエスの十字架が必要だった。

その裁きの恐ろしさをDiscountしようとするときに、
救いのすばらしさも、神の愛の大きさも、
Discountされてしまう。

この裁きの恐ろしさに向き合うことの大切さを思わされます。
割引しないで、値引きしないで、向き合うことの大切さを思わされます。

主よ、
あなたの裁きの厳しさを、
罪の結果の恐ろしさを教えてくださってありがとうございます。
それがあるから、救いがすばらしい、
それがあるから、あなたの愛の大きさがわかる。
どうか、私の心のこだわりや恐れを取り除いて、
裁きの恐ろしさから目をそらさないで、
あなたの愛の大きさに目を開かせてください。

2008-12-21

今日も感謝。

今日も子どもを入れて100人くらいの方々が礼拝に出席されて、
クリスマスを共に祝いました。

そして、礼拝後はJOYJOYクリスマス。
JOYJOYシンガーズの子供たちも「本番に強い!」でしたね。
とってもすばらしかったです。

神さまが助けてくださいました。

中高生の劇も良かったです。

ゲストのサンタさんも良かったです。

ほんとに、感謝感謝の一日でした。
でも、「日々のみことば」はまた明日。

ではでは。

2008-12-20

いよいよ明日!

いよいよ、明日がJOYJOYクリスマスです!
JOYJOYシンガーズも今日が最後の練習でした。
子供たちに「大丈夫、自信を持って!」と言うのですが、
一番間違えそうなのが自分。
結構本番弱いんですよねえ。
最近は、すかっと「あれ、次、何だったっけ?」というのがありますからねえ。
まあ、失敗もまた楽しいから・・・という気持ちで臨みたいです。

天気はちょっと心配ですが、予報によると雪が雨に変わって、
大したことにはならないそうですが、
でも、心配。
今真夜中の12時でー5度くらい。
外は小雪が舞っています。

今年は、例年以上に「行きますからね!」という方々が多い。
楽しみにお待ちしています。
最高に楽しい、そして、心に残るクリスマスになりますように。

「日々のみことば」の更新はたぶん明日の夜・・・。

2008-12-19

感謝。

夜は「集会ありますか?」「はい。どなたが来られても大丈夫なようにお待ちしております」「ではこれから雪かきして出ま~す」といううれしい電話もあり、子どもを入れて11人。ま、ウチの家族だけで5人ですから、いつもより少なかったのですが、でも、少ないが故に話せる話もあったりして、とても、いい一時を持ちました。

今日、とうとう自動車業界への緊急支援決まりましたが、
本当に大変なんですね。
クライスラーは1ヶ月全米の工場止めて、ながーいクリスマス休暇になるとか。
資金繰りもいろいろあるでしょうが、
売れる車を造らないと何の解決にもなりません。
「アメリカ車を買おう」なんてわざわざ言われなくても買いたくなるような、
そんな車を造って欲しいものです。
支援が無駄にならないように、
是非とも体質改善も。


体質改善と言えば、自分の減量ですが、
うーん、一進一退ですねえ。
今夜、集会だったので、またたくさん食べてしまいました。
雪かきで結構エネルギーを使ったので、
もしかしたら、収支が合っているかもしれませんが、
この「満腹になるまで食べる」というのを何とかしなければダメですね。


「腹八分目」とはよく言ったものです。


さて、今日の聖書。
今日は黙示録15章でした。


「すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。」4節。

神さまの前にひれ伏す。

これが礼拝なんだろうと思います。
自分のしてきたこととか、
自分の姿勢だとか、
誇るものは何もなくて、
ただ、主の前にひれ伏してしまう。

ありがたさ、かたじけなさ、自分の愚かさ、
神さまの愛の大きさ、力の大きさ、
そんなことに心がいっぱいになってしまって、
ひれ伏さないではいられない、
そんな礼拝をささげたいと思いました。

本当に文字通り「ひれ伏す」ことも大切なのでしょうね。
イスラムの人たちのように。
そのときにわかってくる、身に付いてくる感覚もあるでしょうね。

主よ、
言葉だけではなく、
信じて行動に表していく者であることができますように。
本気であなたの前にひれ伏します。
あなたの大きさ、きよさ、愛に感謝します。

こんな感じ。

今日の夕方5時頃。

雪降りましたね。

予想通り雪が降りました。
20センチくらい。
結構雪かきは重かったです。
17歳男がいるのは助かります。
来年からはもしかしたらこの男手が一つ減るので、
機械がいるかなあ、と思いつつ、
でも、まだまだ大丈夫、と自分に言い聞かせつつ、
そんなことを考えながら、雪かきをしました。

朝の集会はばっちりぶつかってしまった+子供たちがみんな学校休みだった、ということでお休みにしたのですが、夜の集会はカレーを作って、雪かきをして準備していたので、お一人でも来られたら・・・と期待しながらお待ちしています。

さて、そろそろ時間ですので・・・。

2008-12-18

今も語っている。

遅くなりましたが、右のリンクに「アドベント聖書日課第3週」を追加しておきました。
クリスマスまであと1週間ですね。心の準備をさせて頂きたいです。


今朝、教会に行ったら、
「百万人の福音」という雑誌が届いていました。
日本のクリスチャンの月刊誌で、
とてもいい内容で、私も愛読している雑誌です。


でも、船便で送ってもらうので、
今月はまだいい方なんですが、
1ヶ月から2ヶ月かかってしまいます。


で、今日来ていたのは12月号。


そこに、去年の11月5日 と、2年前の9月13日 に2回紹介した、
若くして天に召されていったご婦人のことが書かれていました。
写真とイントロはこちら。 


またいろいろ思い出してしまいました。


クリスマスはいつも一番にカードをくれました。
写真を見ると、左右のカードで微妙に違いますよね。
一枚一枚手書きで、丁寧に書いて、作っていたんですね。


「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」ヘブル11章4節。


さて、今日の聖書。
今日は黙示録の14章14-20節。


「地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。」15節。

ここで刈り取って頂くのは、
豊かに実を結んだ者たち。

喜びの収穫の時。
主が私たちのことを喜んでくださる時。

私たちは自分のことを見て、
こんなんでいいのだろうかと思う。
でも、主の目から見たらそうではない、
収穫を迎えている穀物。
実を結んでいる麦。

主が持っているものの見方を与えて頂きたいと思いました。
主が私たちを見ているように、私も自分や周りの人々を見ていきたい。
そのように思います。

主よ、
あなたが私たちを喜んでくださっていることに
感謝します。
どうか、私もあなたの見ておられる見方で自らを、
また周りの人々を見ていくことができますように。


日曜日の天気を守ってください。
たくさんの方々をお迎えしてクリスマスをお祝いできますように。

明日は雪だよ、たぶん。

さて、明日はマジでWinter Stormです。
Winter Storm Warningが出ています。
朝から夜まで雪とあられが降り続き、
15-25センチの積雪が予想されています。
NYでは2-7センチ。
こちらは雨も混じりそうです。


さて明日は学校はあるのでしょうか?


集会がいくつかあるのですが、
できるのでしょうか?


特に夕方は激しく降りそうですから、
「大丈夫じゃん」と仕事に行って、
「早く帰れ!」指令が出ない職場だったりすると、
帰りの道に要注意です。


まあ、ここら辺は除雪が早いから、そんなに困ることはありませんが・・・。


昨日、NYのゼロ集会で、クリスマスの聖書を読んでいる中で、
神さまが私たちとどこまでも行ってくださることを感じました。


言葉にするとちょっとうまく表現できないのですが、
神さまが共に行ってくださる、どこまでも共に行ってくださるのが、
どれほどすばらしいこと、ありがたいことかと思いました。


ほっとさせられる感じでしょうか。
ありがたいことです。


さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の14章1-13節。


「彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。」

主が行かれるところにどこまでも導かれていく。
どこまでもついていく。
この黙示録が書かれた時代、
本当にクリスチャンは命がけでした。

今でも場所によっては命がけです。

自分はどうであろうかと思います。
どこまでも忠実に従っているだろうか、と思います。

「どこまでもついていく」
単純な言葉であるが故に、
ものすごい力のある言葉です。

主よ、
単純に、本当に単純に、
あなたについていく者でありますように。
あなたについて歩んでいく者でありますように。
どこまでも、どこまでも。

2008-12-17

産み逃げ!?

数日前から、iPhoneで産経新聞が読めるようになった、
それも無料で・・・という話を読んだ。


でも、そのときは「どうせ日本国内だけのサービスだろう」と思っていた。
でも、ためしにやってみたら、アメリカのiTunes Storeでも入手できる。
もちろん、無料。


新聞も今やWeb上で記事を読めばいいから、それでいいのだけれども、
日本の新聞を読んでいるような気持ちになれるのがちょっといい。


で、時々、産経新聞、読んでいます。
絶対日本では読まないタイプの新聞だったのですが、
このサービスはありがたいです。


で、今日、17日の記事を読んでいました。
「産み逃げ」なる言葉があるそうですね。


Web版にもありました。  


ちょっとびっくり。
ちょっとじゃないですよね。
ホントにびっくり。
ありえないでしょう。
ブランドもののバッグを買うお金はあっても、
子どもを産んで病院に払うお金がないとは・・・。


でも、続けて「産み逃げ」でググると、
なんと、生まれる直前まで産婦人科に行かない「飛び込み出産」の人は、
半分以上が産み逃げするんだそうで。


もう日本もヤバイですよねえ。


その親に育てられた子供たちはいったいどうなってしまうんでしょうか?
子供たちだけでも救いたい。マジでそう思います。


天気ですが、
今朝はまだ凍り付いていたので、
祈りには教会まで行かないで、
家で守りました。


でも、昼間は晴れてきて、そこそこ天気が良くなりました。


そして、今度、金曜日、日曜日、水曜日とStormが来ます。
それぞれどうなるか、まだまだわからないことだらけですが、
今、金曜日のStormについて、
15~30センチの予報が出ています。


特に日曜日のStormについてはJOYJOYクリスマスに影響が出ないようにと祈ります。
水曜日もクリスマスイブ。5時からキャンドルライトサービスなので、ちょっと心配。
大雪になりませんように。雰囲気だけのちょい雪を期待します。


さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の13:11-18


「また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」17節。

ここは何度読んでも、考えさせられる。
本当にこのようなところに追い込まれたら、
私たちは神さまだけを頼って生きていけるだろうか。

買い物に行っても、ものを売ってもらえない。
食べるものも手に入らない、
そんなことが起ったら、私たちはこの「獣」に対して
妥協することはないだろうか。

本当に大変なことが起るんですね。

今から、骨抜きにされないように、
鋭い感性と見極める目が必要だと思いました。
そして、妥協しない強さも必要だと思いました。


主よ、
どうか助けてください。
私が敵の策略にはまることがないように。
だまされることがないように、
安易な妥協をすることがないように。
ものごとを鋭く見極める目をお与えください。

2008-12-16

聞くってむずかしい。

今日は昼間は雨がぱらぱら、時々あられがぱらぱらだったのですが、
夕方、薄暗くなってきてから雪が降り始めました。


たいしたことはないのですが、初めての積雪。
夜の12時頃でこんな感じです。

そして、まあ、こんなもんだそうです。
もうあられになってきていると思いますが、
明日の朝までには雨に変わるようです。


でも、このあと、あさっての夜にはまた雪の可能性。
そして、日曜日の夜から月曜日にかけても雪の可能性です。


日曜日はJOYJOYクリスマスが終わってからにしてもらいたいです。


今日の夜、日本のテレビを見ていたら、
5月に日本で放送していたケニアの状況についての特集 をやっていました。
ケニアはこの間のWatotoのウガンダの東隣の国。
エイズの問題やスラムの問題はあるのですが、
それでも、隣国ウガンダとは違って、
アフリカの中では平和に成長を遂げてきた「優等生」の国だそうです。
その国で去年の末から、今年初めに起った暴動と民族対立を描いていました。


その中で、痛々しかったのが、
現大統領の出身民族で富裕層を多く出しているA族と、
今回、そのA族と激しく対立したB族の話し合いの様子。


そこに至るまでにA族の一人の牧師の、献身的な働きがありました。
一人でB族の人々が逃げてキャンプをしていたところに出かけていって、
話し合いをしよう、もう一回一緒に町を築き上げよう、と、
B族の代表の人たちをなんとか話し合いの場に引っ張り出してきたのです。


「みんな一緒だから、同じケニアの国の仲間だから仲良くやろう」というA族に対して、
自分たちがどんなに不公平に扱われてきたか、
そして、いかに自分たちがこの暴動の中で身の危険を感じてきたか、
それを訴えるB族。(他の町では反対にB族の暴力でA族が被害者になった地域もあります)
そのB族の人々の訴えに、悲しいことにA族の人々は耳を傾けることができないのです。
地方政府の役人もA族。彼は「今はそんなことを言い合っている場所ではない、もう傷つけあうのはやめよう」と言います。
でも、たぶんB族の人はただ、自分たちの声を聞いて欲しかった、少数派で、弱者の立場にいる自分たちの声を聞いて欲しかった、そして、真剣に考えて欲しかった、わかって欲しかった、自分たちの恐れを理解してほしかった、それだけだったのだと思います。
でも、残念なことに、痛ましいことに、A族の人々は自分たちも傷ついていたのでしょう、その声を押さえ込んでしまうのです。傷口を消毒しないままふさいで、絆創膏を貼って、痛み止めを処方しているのです。


客観的に見たら、「え、聞いてあげてよ」と思うのですが、
たぶん、自分があの役人さんの立場だったら、やっぱり同じレベルのことを言っていたかもしれない、同じように傷口を消毒しないで絆創膏を貼るようなことをしたかもしれない、いや、今自分はそういうことをしていないだろうかと、思わされたのです。


「人の話を聞く」


とても大切なことだと思います。
でも、とてもむずかしい。


愛をもって耳を傾ける、
学ばせて頂きたいと思います。


水谷先生の15日の記事 も参考です。
自分は「人の言いなりになって聖書の原則に反する判断をしてしまう」と「人の話を聞かない」の両極端を行ったり来たりだなと思います。少しずつ学ばせて頂きたいと思います。




さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の13:1-10


「彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され・・・」7節。

神さまが共にいるから、大丈夫、
私たちはそう思っている。

でも、神に従う者たちが負けることがある。
それが神さまの許しの中で起ることがある、という。

それも主の御手の中にあると思うと、
かみさまにとってout of controlではないんだと思うと、
ものすごく心が助けられる。

大丈夫。

神さまはすべてを支配しておられるから。

敗北のように思える出来事があっても、大丈夫。
主の御許しなしには何も起こりえないから。

主よ、
私たちが敗北することがある、ということに驚きました。
でも、それと共に、私たちが敗北することも、
あなたの御許しなしにはあり得ないことを知りました。
だから、安心です。
あなたの御手の中にあるからです。
どうか、守り続けてください。
あなたの御手の中に生きる喜びに満たしてください。

2008-12-15

BIG CHANGE IS COMING!

今日はものすごい暖かい一日でした。
最高気温は18.8度。
でも、西の方には寒気が流れ込んでいます。
シカゴでは-13度くらいですか。
デトロイトあたりでは-8度くらい。


で、この寒気、こちらには直接流れ込んでこないですが、
それでも、ここら辺でも今夜これからぐっと冷え込んできます。
今はまだ15度もありますが、
朝には2度くらいまで下がっているそうです。


そして、明日は雪。
今年初めての積雪となりそうです。


この急激な変化が大陸性の気候なんですよね。


さて、今夜は早速聖書。
昨日の聖書は黙示録の12章でした。


「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」11節。


私たちの勝利のための力はどこにあるか、
それをもう一度、確認させられました。

私たちの力はイエスの十字架の血潮にある。
私たちの力は私たちのために神さまがどんなにすばらしいことをしてくださったのか、
どんなに大きな愛を注いでくださったのか、
それを伝えていくところにある。

それによってサタンとの戦いに勝利する。
マンパワーではなく、経済力でもなく、
雰囲気でもなく、勢いでもなく、
イエスの十字架の血潮の恵み、
神の愛の大きさ、
それこそが私たちの力の源なのだ。

主よ、
私たちが見るべきポイントを間違えないように、
守り導いてください。
どこを見て、「ああ、大丈夫だ」「これは問題だ」と言っているでしょうか。
見るべきところを見ることができますように。
あなたに愛されている喜びにあふれた者でありますように。



神さまには何でもできないことはない。

今日は昨日に比べるとぐっと暖かくなりました。
夜中の12時でも5度もあります。

明日はもっと暖かくなります。
でも、雨が降ってきそうです。


で、その後は寒くなるんだからならないんだか。


火曜日はみぞれとか言い出している。

さて、どうなるか。

今日の礼拝で、「神には何でもできないことはない」という聖書箇所を読みました。
ホント、大切なことだと思います。
神の全能を信じること。
神さまには何でもできないことはない。
マリヤがその言葉を受け入れて、解放されたように、
私もいつもいつもその言葉を口ずさんで、
それを本気で信じて、そのような生き方をしたいと思いました。


「神さまには何でもできないことはない」


さて、昨日の聖書。(なかなか追いつけない)
昨日は黙示録の11章14-19節。


「諸国の民は怒りました。」18節。

イエスが王となられると怒りを覚えるそういう人々がいる。
そうだろうなあ、自分が王だと思っていたんだから、
あのヘロデ王のように。

でも、とても残念。
イエスさまを王として迎えたら、
こんなに幸いなのに・・・。

この方に従う時に、本当に楽しいのに、
この方に反抗すると、本当に怒りが湧いてくるのに、
どうしてだろうね。どうして反抗するんでしょうね。

この方を王として迎える方がもっともっと起こされますように。
私自身、本当に神さまを王として迎えることができますように。

主よ、
あなたを王とします。
あなたに従います。
もっともっとあなたを王として受け入れる喜びを満たし、
またこの王国に入る方々を多く起こしてくださいますように。

2008-12-13

月が近い。

今日はまた寒い一日でした。
朝は-4度くらいと、まあそこそこ、だったのですが、
昼間は最高が0.1度。
まあ本当にぎりぎりプラスになりましたが、
寒かったです。


でも、この寒さも今日まで、
明日、あさってと暖かいようです。


さて、今朝、起きて空を見たら、本当にきれいに晴れて、
月が明るく輝いていました。


そして、とても月が大きかったんです。
もう手が届くかなあ、と思うくらい近くに感じました。


うそ。


でも、ホントに近かったんですよ。 
こんなに大きな満月は15年ぶりだそうです。


そう、私がまだ30歳の頃以来。
あれはまだアトランタにいた頃・・・


なんて全然覚えていませんが。


とにかく、月と地球の距離は平均して38万キロですが、
今日はなんと35万キロまで接近!
太陽よりも7パーセントくらい月の方が大きかったんですよ。


って、言われても全然わからないですけどね。


ちなみに今日はふたご座流星群の日です。
この大きな月が邪魔ですし、
寒いので、見ようとも思いませんが・・・。


さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の11章1-13節。


「わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。」3節。

この二人の証人が教会を指している、というのが、
「日々のみことば」の解釈だった。

それは本当に新鮮だった。

今まで、これは本当に二人の人、と言う解釈を多く見てきたから。

でも、今回、この解釈を読みながら、
今までこれを他人事のように読んでいた自分に気が付かされた。

「ああ、こういう働きをする人が現れるんだ」と傍観者として読んでいた。

でも、昨日、この解釈を読みながら、
ああ、これは自分たちのことなんだな、と思いながら、
もう一度聖書を読んだら、
教会の使命の大切さを思わされました。

試練の中でも、反対の中でも、
大胆に神のメッセージを語り続けること、
世界中の人を敵に回しても、
忠実に主のメッセージを伝え続けることの大切さを思わされます。

神さま、
あなたに与えられている使命の大きさを思わされました。
どうか、忠実にあなたに従う者でありますように。
人々の反応で妥協してしまうことがありませんように。
大胆にあなたのことを伝えるものでありますように。

2008-12-12

冬は太る?

今日は午後から寒くなってきました。
最高気温は5度くらいだったと思うのですが、


今は夜の8時半で、0.4度。
この後間もなく氷点下になって、次にプラスになるのは日曜日の昼頃でしょう。
今夜から明日にかけて寒くなりそうです。
そして、月曜日には10度を超えて春の陽気です。
なんだか、ジェットコースターですね今年は・・・。


リスと同じだといつも思うのですが、
こっちは冬眠しないんですが、
なぜか冬は太ってしまいます。
BMI値が25を超えると太りすぎだそうですが、
今朝の私のBMI値は24.7!
体重もキログラムで次の大台目前です。
メタボ片足つっこんでいます。


どうしてなんだろうと思い、誰でもそうなんだろうと思って、
「冬 太る」でググルと、たくさんヒットします。
やっぱりそうなんですね。
で、理由としてあげられるのは、
体温を保つためにはたくさんのエネルギーがいる、
だから、おなかが減る。
でも、おなかが空くので、勢い余って必要以上に食べ過ぎる。
あと、どうしても自然にカラダに脂肪をため込む傾向がある、
ということだそうです。


確かに、私もとにかく最近おなかが空いて、
低血糖状態で、気が狂いそうになります。
で、何でもいいから糖分のあるものを口に入れて、
落ち着かせますが、
たまたまそのようなものが手元になくて、
そのまま食事になると、
どうしても勢いがついて、
満腹感を求めて、ついつい食べ過ぎてしまいます。


あとおいしいものをたくさん食べるチャンスがあるとか・・・
そういうこともあるらしいです。

でも、いずれにせよ、
このまま、冬は太り、夏は戻り、を繰り返しながら、
でも、毎年毎年徐々にメタボ街道を走っているのはまずい、
ということで、ちょっと本気になっています。


99セントのWeightbotという体重管理ソフトをiPhoneに入れて、
モーティベーションを引き上げています。
99セントを無駄にしないように、
99セントの投資で何万ドルも浮かせようと、
ローリスク・ハイリターンを目指しています。
もちろん、エクセルでノートパソコンに記録していけば、
投資はいらないわけですが、やはりこの99セントの投資、というのがミソなんでしょう。
ま、一種の「測るだけダイエット」ですね。


是非、皆さんも、私にプレッシャーをかけてやってください。
食べ物を前にすると意志がすこぶる弱くなるヤツなんで・・・。


さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の10章。


「七つの雷が言ったことは封じて、書きしるすな」4節。

見たこと、聞いたことはすべて一つも書き逃すまい、と
一生懸命書いていたヨハネは、
「それは書くな!」と言われたという。

どうしてなんだろうなあ、と思います。

でも、私たちが歩んでいる中で、
やはり「言うべきこと」「言うべきでないこと」があるんでしょうね。
それが良いものであるか、悪いものであるかは別として・・・。

だから、そこに知恵と神さまの導きが必要だなあと思います。

ある本に書いてありました。
「恐れとは言わなければいけないことを言えなくし、言わなくてもいいことを、言わせてしまうものなのだ」と。

どこまでも、神さまが「言いなさい」と言われることを言い、
「言わないでいなさい」と言われることを黙っている者でありたいと思います。

主よ、
言うべきことを教えてください。
黙っているべきことを教えてください。
そして、それに従う勇気を与えてください。
言うべきことを言い、黙っているべきことを黙っている
愛と勇気をお与えください。

2008-12-11

冷たい雨。

今日は朝はだいたい2度で、昼間には3度くらいまで上がって、
夜になってまた2度台に下がってきました。
10時で2.3度。
でもFreezing Rainの心配はなくなったようで、
明日、雪の予報を出しているところも、
「たいしたことはない」というモードです。


それより、大雨で、川が増水したり、
道路が冠水したり、の方が大変のようです。
今もかなり激しく雨が降っています。


今日の夜は高校で大学の奨学金を得るために、
という話があったので行ってきた。


こっちの大学の授業料体系はどうなっているんだろうと思うのですが、
普通に考えたら払えないような授業料です。
一年間に3万ドル=300万円。
プラス寮費で合計4万ドル。
ウチの5人の生活費超えてるじゃん。


ということで、ほとんどの学生は奨学金を得ます。
で、結局ほとんど払わない、と言うことになることも結構あります。
(もちろん、成績とか、どれくらい必要か、ということも計算されます)
なんだかねえ。


でも、ハジはもう永住権があるので、大丈夫なんですが、
15年前の私のような留学生は大変。
15年前で寮費別で年2万ドルのところ、
40パーセントくらいしか、奨学金が出なかったので、
1万ドル以上自己負担。
払えなければ、留学しなきゃいいでしょ、というんでしょうね、
まあ、そりゃごもっともで・・・。


病院なんかもそうですよね。
ちょっとした救急で1万ドルとかかかっちゃいます。
そう、1万円ではなくて、1万ドル。
保険が出ればそれでいいのですが、
一部しか出なかったり、全く出なかったり、
それで、「こんなに払えない」と言えば、
2000ドルとかにまけてくれるとか、いうこともあります。
それでも、日本では考えられない金額ですけどね。


いやあ、アメリカって国はどうなっているんだろうと思います。


いやいや、来年の秋からのすべての必要が与えられるように、祈らされます。


さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の9章13-21節。


「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け・・・」20節。

いろんな苦しみがやってきて、
その中で生き延びた人々が悔い改めて神さまを信じるようになるかというと、
そうではなくて、占いや死者との交信や偶像礼拝に走っていった、
というのは、まさに私たちを取り巻く人々の姿だと思う。

災害のニュースがあると、それによって悔い改める、というよりも、
「だから神なんて信じられない」となる。
「神がいるなら、どうしてこんなことが起るのか?」と。

このように客観的に書かれているのを見ると、
どうしてだろう?と思いますが、
本当に難しいんだろうと思います。
神を求めるよりも、呪いたい気持ちになってしまう。

私たちはどんなメッセージを語っていったらいいのでしょうか。
愛が必要だなあと思わされます。

神さま、
災害に遭うと、あなたのことをどのように考えればいいかという気持ちになります。
でも、そんなことがある中で、あなたは私たちを招いておられるんですね。
どうか、その招きに目を留めることができますように。
人々に、あなたの招きを語ることができますように。
私の使命をもう一度確認させてくださって、ありがとうございます。

知ってました?

今日気が付いたんですが、
あと2週間でクリスマスで、
あと3週間で新年なんですね。

ヤバイですねえ。

一日一日を大切にしなければ・・・。

また、遅くなったので、「日々のみことば」はまた明日。

あ、今日は本当に暖かくて20度近くまで上がったのですが、
今は、夜の12時過ぎで6度。
明日はFreezing Rainの予報も出ています。

お気をつけて。

2008-12-10

Watoto Concert!

今日は暖かい雨です。
かなり降るようなことを言っていましたが、
今のところ、それほどでもありません。


で、これが今夜から冷たい雨になり、
明日も冷たい雨で、
金曜日は雪も混じるかもしれません。


先週の段階では雪の予報もあったのですが、
なんだか、今年は降りそうで降らないですね。


ということで、昨日のWatotoのコンサート。
ちょっと途中で混んでいるところがあって、
10分くらい遅れてしまって、
もう始まっていたのですが、
席がなくて、なんと一番前の席に通されてしまいました。


本当に子供たち、訓練+喜び、いや、反対かな、
喜び+訓練って感じで、すばらしかったです。


歌も一生懸命ですが、
何よりもダンスがすごい。
1時間ずっと激しいダンス踊りっぱなしでした。


で、一曲だけ、皆さんも一緒にって踊らせて頂きました。
これは1年半前のどこかでのコンサートの様子ですが、
この曲です。



これは全部の中で一番おとなしい、簡単なダンスです。
よく見ると、この映像でもみんな踊らされています。(笑)


で、一番心に留まったのは、
この団体が、「次の世代を育てることが使命」と言い切っているところです。


RESCUE A CHILD, RAISE A LEADER, REBUILD A NATION


が彼らのミッションです。わかりやすくて、集中されています。
でも、たくさんのことを言っていると思います。


心から共感しました。
日本も、本当にそれを本気でやらなければいけないところにいるのではないでしょうか。
ウガンダの方が厳しいことは確かでしょう。
AIDSや内戦の傷跡や、まだ続くゲリラ活動によって、
子供たちが孤児になったり、少年兵士にならされたり。


でも、日本でも次の世代を育てることは急務です。
ゲーム漬け、塾漬け、習い事漬け、テレビ漬け、Web漬け、
いえ、すべて本質的に悪いものではないでしょう。
でも、Watotoの子供たちを見ていると、
日本やアメリカの子供たちが持っていないものを持っていると思います。


次の世代を育てる。
ここでも、そのことをさせて頂きたいですし、
そのために歩ませて頂きたいです。


さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の9章1-12節。


「その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。」6節。

恐ろしいことです。
死んだら楽になると思うのに、
それさえも許されない。
そんなことが起るというのです。

でも、それは聖書が言う「永遠の滅び」自体もそうです。

トンネルは出口があるから通っていける。
光が見えるから、見えなくても、やがて光が見えてくるとわかっているから、
そうでなくても、その希望を持っているから、通っていける。
苦しみも、やがて抜けられるとわかっているから、耐えていける。

でも、永遠の滅びは「永遠」。
その恐ろしさを思う時に、
神さまの救いの大切さ、大きさを思わされます。

そして、それを任された者の使命を感じます。

先日、ちらっと見た、「プロフェッショナル」で、
あるお医者さんの言葉が紹介されていました。
「患者さんは命をかけて、医者を信頼している」

牧師の働きには「永遠の命」がかかっています。

忠実に歩ませて頂きたいと思いました。

主よ、
私に託された責任の大きさを思います。
どうか、力を与えてください。
支えてください。守って、あなたの手で用いてください。
あなたの御手に陥ることができますように。

2008-12-09

Watoto行ったよ。

行ってきました。
Watotoのコンサート。
いろいろやることはあったけれども、

JOYJOYシンガーズのためにも刺激になるかと思い、
自分の中でのpriorityはかなり高かったので、
行ってきました。

とても良かったです。

Children's Choirと言う名前なんですが、
どちらかというとダンスチームです。

で、詳しい報告と、今日のみことばは、また明日。

2008-12-08

自分のつばでおぼれる?

アドベント聖書日課第2週、アップしておきました。
こちら か、または右のリンクからどうぞ。
また例によって、回転がうまくできないので、
顔を90度に倒すか、画面で回すか、プリントして読むか、してくださいね。


いやあ、今朝は本当に寒かったですね。
-10度まではいかなかったですが・・・。
今朝の最低は-8.4度。
昼間も-0.3度までしか上がらず、真冬日。
今も夜の9時半で、-2.3度です。


明日は暖かくなりますが、雨も降ります。
水曜日も暖かくなるようです。
なんだかNYに行く日はあまりめちゃくちゃ寒くならない日が多いです。
助かります。


でも、木曜日からは雨だったり雪だったり、
予報もかなりぶれていますが、
とにかく寒いみたいです。
夕方6時のGFSだと、
金曜日の夜が雪、という予報ですね。
さてどうなるか?


先週の「ためしてガッテン」 なんですが、
まだちゃんと見ていないのですが、
(なんだか、座って見ると、いつもいつの間にか寝ている・・・)
声帯の話をしていたようですが、
その中に「自分のつばでおぼれる」ということが言われていたそうです。


で、実は私は、それあるんですよ、特に最近何ヶ月か。
よく、寝てて、突然、自分の唾液の誤飲で目が覚めるんです。
気管に入って、むせるんですよね。
安眠は妨げられるわ、苦しいわ、で、何とかならんか、と思っていたところでした。


声帯を鍛えるといいとか。
でも、「加齢」が大きな要因だなんて、
ちょっとコワイですねえ。
まだまだなんですけど・・・。


ま、昔から、大切な会食になると、
むせたり、みそ汁こぼしたりする方だったので、
まあ、いろんなことが若いうちに来るのは覚悟していたのですが・・・。

さて、今日の聖書。
今日は黙示録の8章。


「第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現れ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。」7節。

ここだけではなくて、この後にも、次々と災害が起ってくる。

こういうことが起るたびに、「どうして?」と思うし、
「助け合わなければ」と思う。

でも、今日の「日々のみことば」では、
これも神の私たちへの警告と、悔い改めへの招きなのだ、と書かれていました。
そうだと思いました。

自分は今まで、頭では、聖書では、
そういうことがある、とわかっていました。
でも、実際の災害のニュースを聞く時に、
これは神さまからの警告なのではないだろうか、
と聞くことがあっただろうかと思います。

人間の力の限界、それを知って、
本当に神さまの前にひれ伏すチャンスなんだと。

そのような視点で見たら、見えてくるもの、
それは何なんだろうかと思います。

それを見せて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたの警告を聞く耳を与えてください。
それに気付く鋭さを与えてください。
敏感さを与えてください。
そして、警告を受け取って、
それに従って行動することができますように。