2007-09-22

直して使うか、新しいのを買うか

今日は昼頃に想定外の雨。
いやあ、全く予想もしていなかった天気は
ちょっと久しぶりでした。

その後、雨は上がって、温度も決して高くないのですが、
なんだか湿度が高くてもやもやしています。
今、夜の11時ですが、19.5度です。

明日の朝にはすかっと晴れて、湿度も下がってさわやかになると思います。
温度は高めですが、湿度が低いので余り暑く感じないと思います。

つい、この間ですが、
掃除機の先っぽが折れました。

アメリカの掃除機はでかいのが多くて、取り回しが大変なんですが、
どうしてもカミさんはそれが嫌で、軽い掃除機を探して使っています。
日本式の軽い掃除機はいいのですが、
なんだか、一生懸命掃除をするせいか、
バキッと折れてしまったんですねえ。

切断面はこんな感じ。
さすがに強力接着剤でもどうにもならず、
買わなきゃなぁ、という話をしていました。


ところが、今日、一生懸命部品を探してみると、
売っているサイトあり。

onlinevacuumparts.com
って、そのまんま、っていう名前のサイトで、壊れた部品を売っていることを発見。
9ドル。
安い。
でも、minimum orderが10ドル・・・。
まあ、いい、ねじ一つでも足せばいい。
と思って、買おうかなあと思って、送料を調べたら12.5ドル。
うーん、送料の方が高い・・・。

でも、分解して、直すのは嫌いではない、っていうか、好きなんで、
(本当に直せるかどうかは別・・・)
とにかく分解・・・。



何とか行けそうなんで、部品を注文することにしました。

なんだか、わくわくしてきました。
直って寿命が後何年か延びれば、それはものすごいお得。

問題は部品がいつ届くかで、
・・・それまで掃除機使えない。

さて、今日から新約聖書のヨハネによる福音書。
しばらく旧約聖書を読んでいて、
ちょっと新約聖書から読みたいなあ、と思っていました。
それに新約聖書しか持っていないから、一緒に読めない、
と思っていた方もおられるかと思い、
この書物を選びました。

今日は1章。

「はじめにことばがあった・・・」で始まるイエスの生涯が書かれている書物。

今日はその序文ともいうべき最初の部分の中から、
心にとまったのは、

「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」

13節のことばです。

コリント人への第2の手紙の5章17節に、
「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った、見よ、すべては新しくなったのである」ということばがありますが、まさにそれを連想させることばです。

キリストを信じる時に、私たちは新しい者にされる。
新しいアイデンティティーを与えられて、
何人とか、人種とか、民族とか、
何々家の長男とか、次男とか、
男とか、女とか、
そういうことを超えて、
「私」というものが確立する。
神の子としての他の誰かと違う、
他の誰かの付属物でも、
「~さんの息子」でもない、
私という存在を取り戻すことができる、
そんなことを思わされました。

神から生まれたもの。
新しい存在。
古い自分には死んで新しい自分に生きるのです。

そのことを今日はとてもうれしく思わされました。
うれしく感じました。

自分もいろいろ背負って生きてきたんだと思います。
それらすべて、もう関係ない。
自分のアイデンティティーは
ただ、「神から生まれた者」なんだと。

主よ、
あなたの子供であることを、
あなたの者であることを感謝します。
他の何者でもなく、
他の誰かのもの、所有物でもなく、
ただ、あなたから生まれた者であることを感謝します。
あなたの与えられた使命に生きたいと思います。
どうか、導いてください。
これからヨハネによる福音書を1日に1章ずつ
読んでいく中で、
新しく私の目を開いてくださいますように。

2007-09-21

箴言読了

9月21日が終わりました。
今日もこの時期としては暑い一日でした。
最高気温は29度。
今は夜の12時ですが、17度。
夜はさすがにしのぎやすいです。

明日、もう一日こんな天気が続くようです。

アメリカでは不思議なことに秋分の日が秋の始まり。
ですから、明日まで夏なんです。
だから、明日までは暑い日があってもいいんだそうです・・・ラジオのニュースによると・・・。

その後も、気温は高めですが、湿度がぐんと下がるそうです。
心から秋を歓迎します。

今日は先に聖書の言葉。
箴言の31章でした。

「麗しさはいつわり。  
美しさはむなしい。  
しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」
30節。

ハイ。わかりました。
という感じです。
主を恐れる妻を与えられた自分は幸いだと思いました。

でも、それと共に、女性だけではなく、
自分はどうだろうかと思わされました。

他のすべてをおいても、
神様を恐れる者であるだろうかと。

本当に主をおそれる者でありたいと思います。
何よりも主をおそれる者でありたいと思います。

今日で箴言を読み終わりましたが、
その最初は「主を恐れることは知識のはじめである」と始まり、
最後は「主を恐れる女はほめたたえられる」と終わります。

主を恐れることがどれほど大切なことか、
それが繰り返し書かれているんですね。

自分が恐れていることは何なのか、
自分は本当に主を恐れているのか、
そして、主を恐れるとは具体的に、どんなことなのか、
実際的に、どんな生き方なのか、
考えさせられています。

これから、教えて頂きたいと思いました。
もっともっと主を近くに感じ、
主を恐れることの深い意味を教えて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたを恐れることの大切さを教えられて感謝します。
そのことを一つ一つの経験の中で、
もっともっとわからせてください。

明日からは久しぶりに新約を読みたいと思いました。
ヨハネによる福音書を1日1章(またはそれ以下)でゆっくり読んでいきたいと思います。

2007-09-20

死をもって償う

今日は暑かったです。
午後からは半袖で十分。

キッズクラブは西日のはいる部屋で、
子供が25人来たので、
暑かったです。
これももう今週限りでしょうが・・・。

最高気温は28.6度。
今、夜の10時で20度あります。

明日は30度くらいまで行くでしょう。

天気は引き続き、晴れ。

メキシコ湾の低気圧は、まだTropical Stormになっていませんが、
引き続き要注意です。

今日の朝のニュースで、
山口県かどこかで若いお母さんと赤ちゃんが少年に殺された事件の、
裁判の様子を取り扱っていました。

遺族の方々の、「死をもって償うべき」という思い、
今までは、余りそのようなことを感じたことはなかったのですが、
今回はさすがに「当然だなあ」と思わされました。
もちろん、それが償いにはならないことも確かですが・・・。

それはやはりその元少年が、
罪の重さをわかっていないように感じてしまうからです。

でも、その後、祈り会で、
ローマ人への手紙1:32
「彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、・・・」
というところを読んで、自分は本当に深い深い罪を犯してきたのだということを思わされました。それなのにまさに自分は「罪の重さがわかっていない」。
その元少年と違って、人を殺めたことはない。でも、それは自分が恵まれているから、守られているから・・・。でも、やっぱり自分は同じくらい罪深い、やはり、自分も死に値する罪深さを持っている。それもこの地上の死刑ではなくて、永遠の死を経験すべき罪を持っている。でも、それをイエスが私の身代わりに負ってくださったことによって、自分も赦されているんだと思わされました。

その元少年、やはり社会正義に照らして、死刑が妥当なんだと思います。

でも、自分もまた「自分の罪の重さがわかっていない」ということももっともっと知らなければいけないと思わされました。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の30章。
いよいよ終盤です。

今日心にとまったのは、
「確かに、私は人間の中でも最も愚かで、  
私には人間の悟りがない。
私はまだ知恵も学ばず、  
聖なる方の知識も知らない。」
2-3節です。

この知者の謙虚さ、それを感じます。
実際、知っている人ほど、自分は何も知らないのだと知っているのだと思います。
逆に知っていない人ほど、自分は何かを知っているのだと思いこんでしまうんですよね。
本当にもっともっと主の知識、神様の世界を教えて頂きたいと思います。
目を開いて頂いて、神様がどんな道を開いてくださっているのかを知りたいと思います。
そして、耳を開いて頂いて、神様がどこに導こうとされているかを知りたいと思います。

主よ、
どうか私の目を開いて、
あなたの導きを、あなたの守りを見せてください。
私の耳を開いて、
あなたのみ声を聞かせてください。

幼子のように

さて、19日2回目の更新。
実はもう12時すぎていますが、
まあ、まだ12時半なので、気持ちは19日ということで・・・。

アメリカでお天気的に、今注意しなければいけないところはメキシコ湾。
この週末にTropical Stormが発生して、ハリケーンに発達するかもしれません。
今もまだ海水温が30度近くあるようです。
2年前のカトリーナのようになることはないと思いますが、
要注意です。

今日は午後に近くの老人ホームに入っておられる方を訪問しました。
お名前を日系人会から紹介されて、初対面だったのですが、
とても歓迎されました。

94歳のおばあちゃん。
ニコニコ笑顔で、
香港の中国語(広東語?)、台湾語、日本語、英語がしゃべれるそうですが、
もちろん、私は日本語で会話。

子供の人数と年齢を7-8回繰り返して話さなければいけませんでしたが、
それが苦にならないのが、初めての訪問だったせいもあるかもしれませんが、
何よりもおばあちゃんのうれしそうなお顔のせいでした。

クリスチャンの方ですが、
お祈りをしましょう・・・と言うと、
それまで耳が遠くて大変だったのですが、
お祈りの最後に「イエスさまのお名前によって・・・」と言うと、
大きな声で「アーメン」と唱えてくださいました。

車いすの生活なのですが、
帰り際には「ホント来てくださってうれしかった」と
何回もハグをされました。

このおばあちゃんの姿を見ながら、
「幼子のようだなあ」「会ってて楽しいなあ」と思いました。
ちょっとはまりそうです。
この近所のいろんな老人ホームに「日本人は入っていませんか?」って聞いて回ろうかなあと思いました。

こんな歳の取り方、いいな、と思いました。
呆けて、何を言うかわからない時に、「ありがたいねえ」「感謝だよ」とばかり言っているお年寄りになりたいなあ、と思いました。(やっぱり内側が大切?)

さて、今日の聖書。
今日は箴言の29章です。

「人を恐れるとわなにかかる。  
しかし主に信頼する者は守られる。」
25節の言葉です。

完全な愛は恐れを取り除く・・・。
人を恐れる時に、その人を愛していない。

そして、神を信頼していない。

ホントに愛が必要だと思います。
愛に満たされたいと思います。

愛にあふれた者になりたいと思います。

そのためには主に信頼することも大切なことなんでしょうね。
主を信頼する中で、人を信頼する。
主への信頼がいつも土台。
主を信頼するから、
人を恐れないで、人を愛することができる。

だから、やっぱり人を見るのではなくて、
神を見ることなんだろうと思います。

神様ご自身を見上げて、
神様ご自身がなしてくださる御業を期待して、
大胆に歩んでいきたいと思います。

主よ、
愛することを教えてください。
恐れから解放してください。
あなたの愛で満たされますように。
そしてその愛で人を愛することができますように。

2007-09-19

一番考えるべきこと

今日は19日。
朝は9度でしたが、
昼間はずいぶん暖かくなりました。
24.8度。

そして、今、夜の12時前ですが、15度あります。
明日の朝は10度は切らないでしょう。

そして、明日の昼間は確実に25度を超えます。
たぶん、28度くらい。
ちょっと汗ばむかも・・・。

最近、夫も妻も、心も体も純潔を守るということで、
いろんなことを考えます。
そして、昨日、おとといあたり気がついたことがあるんですが、

私は、妻は夫の前で、一番きれいで色っぽくて、あでやかで、かつ清楚であってほしいと思うんです。(欲張りすぎ?)
うちのカミさんはもちろんのこと、皆さんが、ご自分の夫の前で一番そうあってほしいと思うんです。
自分の夫に対してはそうでもないのに、他の人に対して、そのような姿を見せるのはやっぱり嫌だなと思うわけです。

でも、反対に自分のことを考えたら、どうかなあと思ったわけです。
自分のカミさんに対して、一番その期待に応えているか、というと、そうではないかも・・・と思わされるのです。逆に甘えて、勝手なことを言って、(まあ、自分のカミさん以上に他の人に甘えたり、勝手なことを言ったらまた問題ですが・・・)わがままをやっているのではないかと思ったのです。

人の話は聞くのに、妻の話は聞かない・・・。

それはまずいな・・・と。

そして、やっぱり自分は自己中心的なのかな・・・と。

妻に「夫に対して最高の姿を見せてほしい」と願うならば、自分も妻に対してそのようにすべきだなあと思いました。そして反省。それが実生活に生きているかというと・・・うーん、これからですね。発展途上人。乞うご期待。(いいのかなあ、そんなことを宣言して・・・)

さて、昨日の聖書。
昨日は箴言の28章。

「人を責める者は、  
へつらいを言う者より後に、恵みを得る。」
23節。

この訳はわかりにくいので、対訳になっているNIVを見る。

"He who rebukes a man will in the end gain more favor
than he who has a flattering tongue."

その場では「責める人」は喜ばれないで、
「へつらう人」が歓迎されるけれども、
最終的には、「へつらう人」よりも「責める人」の方が、
喜ばれるのだということでしょう。

でも、本当に祈って祈って、「責める」ことは
「へつらう」ことの何倍ものエネルギーがいることかと思います。
自分の目の中に梁がないかと何度も思わされて、
言わない方がいいのかと何度も考えさせられて、
でも、どうしても主がそのように導かれていると思わされて、
そして、初めて言葉になります。

そして、多くの場合、それはすぐには受け入れられない。
煙たがれ、反発を買い、批判をされる。

でもいいのかな、と思います。

強い者でありたいと思います。
めげない者でありたいと思います。
慎重な者でありたいと思います。
逃げない者でありたいと思います。

主よ、
あなたの守りを与えてください。
勇気と愛を与えてください。
へつらう者になることがありませんように。

2007-09-18

また明日・・・

久しぶりですが、
今日はもう、眠いので、また明日改めて・・・。

2007-09-17

心を向けるところ

今日の朝は7度まで下がりました。
ホントに涼しい一日で、
最高気温も20度くらい。

秋らしい一日でした。
夏のズボンに夏の靴下では、ちょっと足が冷えるかなあ、
と、オヤジっぽいことを感じるくらい涼しいです。

今週の後半には27度くらいまで上がる日もあるようですが、
これだけ涼しい日があると、
そういう日も待ち遠しいくらいです。

日本からのお客さん、
今日は一人でNYに行かれたのですが、
そこで、通りがかりの日本人観光客に、
「ヤンキースのチケット安く買える方法知っていますか?」
と聞かれたそうです。

うちの客人も、実は、日本では巨人ファンで、
ヤンキースに行こうかなあ、と日本で旅行社に聞くと、
送迎込みながら、3万円以上すると言われたそうです。
(どこの席でしょうかねえ・・・)
観光客相手で成り立つ商売といえば言えると思いますが、
誰もがそれを買えるとは思いません。

そこで、使ったことはないのですが、
よく宣伝しているStubhub.comで見てみました。
なんと、試合直前まで買えるではありませんか。
チケットが余っている人が、売りに出すサイトです。

その中の一番安いのは1セントまであります。

もちろん手数料を取られますので、それなりの値段になるのですが、
それでも、べらぼうに高いわけでもなく、
直前に買って、球場のそばの引き渡し所で受け取って入れる、
ということであるようなので、これはいいかも・・・と思いました。

今夜、予定が入っていたので、
お連れできませんでしたが、
一ヶ月以上なかったマツイ君の一発も出た日ですし、
勝ちムードですが、ハラハラさせられる展開で、
いやあ、惜しかったですねえ。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の27章でした。

「あなたの羊の様子をよく知り、  
群れに心を留めておけ。」
23節です。
この聖書の箇所が特別に牧師に対して書かれたわけではないでしょう。
でも、教会の方々のことを言っているように思いました。

元々楽観的で、あんまり心配しない人間なんで、
別の言い方をすると、人の心の動きに鈍感で、
失敗をすることが多いです。

だから、主からの忠告として聞こえました。
心をどこに向けているか、
鈍感であったとしても、
自分の心を人々の心に向けていれば、
見えてくるものがもっともっとあるのだろうと思いました。

もっともっと人を心にとめて、
主からの示しもいただいて、
人を大切にしていけますようにと祈ります。

知ろうという努力も、
心に留めるという気持ちも、
大切だと思いました。
忠告を与えてくださった主に感謝します。

主よ、
あなたの忠告に感謝します。
人々を愛し、人々を知り、
人々の霊的な状態を心に留める者となれますように。

2007-09-16

子供たちの心に何を残すか

今日は気持ちのよい一日でした。
最高気温も20度くらい。
教会でも窓を開けると気持ちのいい風が入ってきました。

今はまたBrrrrrrです。
今、夜の10時半ですが、10.8度Cまで下がってきています。
今朝は8度くらいでしたが、
明日の朝は6度くらいまで下がるようです。
ほんと、風邪に注意です。

今日は日曜日、
礼拝の日でした。

第3週の日曜日だったので、
月に一回の子供たちのためのお話を礼拝の中でしました。

マタイ7章の
「自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。」という言葉を話したいと思いつつ、でも子供たちにどのように伝えたら伝わるかいろいろ考えて、カニの親子の話をしました。

カニのお父さん、お母さんがこどもたちに「何でまっすぐ歩けないで、横に歩いているの?」と指摘するのですが、やっぱりお父さん、お母さんも横にしか歩けなかったという話です。
そして、イエスさまも・・・と話をして、子供たちも大喜びだったのですが、あとで、6歳の娘に聞いてみると、その心に残っているのは、イエスさまの話ではなくて、やっぱりカニの話。まあ、想像できたのですが、なかなか大切なポイントを子供たちに伝えるのは、難しいものです・・・。

でも、とにかく、子供の心に楽しい空気や、暗唱聖句がとどまってくれるといいなあ、と思いました。いつもいつも、チャレンジャーです。

さて今日の聖書。
今日は箴言の26章でした。

「自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。  
彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。」

12節の言葉です。

いやあ、キツイ言葉ですね。
そうそう、こういう人いる・・・なんて言っているうちに、
「それはあなただよ」と主から言われそうな言葉です。

何かを知っていると思っている者は、
知らなければならないことさえ知っていないのです、
という言葉も聖書にありましたが、
わかったようなつもりになっていることは、
本当に危険なんだろうなあと思いました。

いつもいつも、本当の自分の姿を知らせて頂きながら、
歩んでいきたいと思いました。

主よ、
どうか、私を傲慢な思いから守ってくださいますように。
自分の真相を知らされた時に、
そこから目をそらさない勇気を与えてください。
御言葉によって、いつもいつも教えてください。