2006-02-25

教会行ってきます。

今朝も寒かったですね。
-3.6度C。
今日はこれから教会学校の先生方のトレーニングなので、
夕方まで教会缶詰です。
夕方からはユースのプログラムです。
帰ってくるのが9時頃ですから、
今夜更新出来るか・・・。

聖書は読んでお祈りもしたのですが、
ここに書く時にはまたちょっと落ち着きたいので、
今夜か、明日になってしまうかもしれません。

今日は一時雨か雪。
午後からは冷たい風が吹きます。
今夜からは冷えて、明日、月曜日、火曜日と
氷点下でしょう。
お風邪などお召しにならないように。
ではでは。

2006-02-24

神に聞くのか、まねをするのか

今朝の最低気温は-0.8度C。
昨夜最後に見た時から、途中で少し上がって、
また明け方下がったみたいですね。

それほど厳しい冷え込みではありませんでした。
でも、とても風が強くなるようです。
そして、明日は雨か雪かも。
一日降ったり止んだり、みたいな予報です。

そして、何度も書いていますが、
日曜日からが鬼寒です。

今週は学校が休みのところが多く、
今日の午前中は教会の集まりがありませんが、
明日、教会学校の先生方のトレーニングなので、
今日はその準備ともう2つほどの仕事があります。
でも、昨日伺った話のように
「仕事の合間に祈るのではなく、祈りの合間に仕事をする」
ですよね。

あと、昨日のJOYJOY Kids Clubは
あの会場にしてはたくさんの19人の子供達が集まりました。
にぎやかでたのしい集まりでした。
いつも来ている子で、来れなかった子達もいたので、
それは残念でしたが・・・。

では、聖書。
今朝は列王記下9-16章を読みました。
心に留り、思いめぐらされたのが、
16章のアハズ王が自分の国には主の神殿があり、
主から示されて作られた祭壇があるのに、
ダマスコで大きな祭壇を見て、
びっくりして、
いいなあ、と思って、(そこまでは書いていなくて、想像なのですが)
エルサレムにもそれを作らせたところです。

私もいろんなことに影響されやすい方です。
人のまねをすることの多い方です。
それがいいこともあるでしょう。
でも、主にそれを求めないで、
主に聞かないでしていることはないだろうかと思いました。

主が示される方向に進んでいきたいと思いました。
主が導かれる一本の筋の通った働きをさせて頂きたいと思いました。

祈りの合間に働きがある。
もう、昨日から何回もそのことを繰り返し思わされています。
とにかく主と共に歩む者でありたいと思います。

主よ、
今日の私の時間もあなたのものです。
あなたの御手の中にささげます。
どうか導き、ささえて下さい。
なすべきことを教えて下さい。
人のまねではなく、あなたの与えて下さる道を歩む者としてください。

2006-02-23

天の倉が開かれたら

今日は何か暖かく感じました。
でも、夕方、一時雨が降って、
その後寒くなってきたと思います。

あっというまに夜になって、
今日もあと45分。
今-0.6度Cです。
この後真夜中過ぎに一時雪となり、
朝まで冷え込むでしょう。

そして、とにかく日曜日からが寒いです。

今日の朝の祈り会は
日本からゲストの松本先生をお迎えして、
とてもすばらしい祈り会となりました。
その先生のメッセージの中で、
「つとめの合間に祈りがあるのではなく、
祈りの合間につとめがあるのが本当だ」といわれた言葉、
心に留まりました。

いろんな奉仕があり、
仕事があるのですが、
それらはすべて祈りの合間にすべきことですね。
生活の底に流れるのが、祈り、という歩みをしたいです。

では、12時前に、今日の聖書。
列王記下5-8章を読みました。
その中で心に留ったのは、
エリシャが「明日には食べるものがたくさんあるようになっている」
と預言した時に、「天の窓が開かれても、そんなことはない」と言った、
王の僕が、「あなたはそれを見るが、食べることはない」といわれたところです。
「天の窓が開かれても、そんなことはあるわけがない」と
私たちは思っていないだろうか。
そんなことはあるわけはないと
決めてはいないだろうか?と。
神様には何でもできないことはないと、
本気で信じていないのではないだろうかと。

天の窓が開かれるのを待ち望もうと思いました。
そして、その奇跡を見せて頂きたいと思いました。

神様、
あなたには不可能はありません。
不信仰にも、
神様でもここまではできないだろう、
などと思うことがありませんように、
あなたがいつもいつも、
最高のことをして下さることを、
すばらしいことをして下さることを、
信頼して歩んでいくことができますように。

今夜もお守り下さい。
教会に連なる一人一人をお守り下さい。

今日は暖かいです

昨日は雨も雪も降りませんでしたね。(たぶん・・・)
昨日のNYは、先月ほどではありませんでしたが、
何人かの方とお会いして、14000歩、歩きました。
いい運動です。
そして、幸いな時です。

今日はまた夕方から夜にかけて、
一時雨か雪。
わかりませんが・・・。
そして、土曜日ももしかしたら、
一時雪。
そして・・・
日曜日から火曜日にかけて
激寒です。
もしかして、この冬で一番寒い3日間になるかもです。
バス通勤、電車通勤の方お気をつけて。

今日の聖書のみことばは夜になると思います。

これから祈り会です。

2006-02-22

神の恵みを受ける器

今、ミッドタウンの
Public Libraryにいます。
NYに着いてみたら、
結構暖かでした。

実は今日バスターミナルから早朝祈祷会の
会場のマクドナルドまで歩く中で、
したことがあるのですが、
それはみんなどんな帽子をかぶっているかを観察することでした。
私自身は中学生の時の学生帽以来帽子をかぶらない方で、
たまに野球帽をかぶるくらいなんですが、
こちらの冬は厳しいので、
外を歩くのは帽子が欲しくなります。

「足が冷えたら頭を暖めろ」というくらい、
体の熱は頭から逃げていくそうです。
そうですよね。
帽子をかぶっていなかったら、
冷たい空気にさらされているのは
首から上だけですからね。

だけどスーツにオーバーという格好に似合う帽子は何だろうなあ、
と思って、観察したのです。

でも、実際は帽子をかぶっている方は本当にわずかでした。
それも、ジーンズにジャケットなので
野球帽でいい、という方が多かったです。
スーツに帽子の方はおられませんでした。

来月のNYの早朝はもっと暖かいでしょうから、
次の観察は来年ですね。

では、聖書の言葉。
今日は列王記下の1-4章です。
エリヤからエリシャに預言者のつとめは受け継がれていきます。
今日心に留ったのは、
4章の最初のところで、
エリシャが貧しいやもめのために
油を出すところです。
彼が「もっと油を入れる器はないか」
と聞いて、
「もうありません」
と言った時に、
油は止ったのです。

これは私たちの信仰の姿勢のことをも言っているのだと思いました。
神様が私たちに恵みを、聖霊様を注ごうとされている。
だから、空っぽの器がもっともっと必要なんだと、
求める心があれば、注がれるのだと思いました。

私たちの心にいろんなものがたまって、
渦巻いて、それが聖霊様の注ぎの邪魔をしているのではないかと。

求めることを止める時に、
注がれるのは止ってしまうのだと、
思いました。

主よ、
聖霊様の注ぎをお与え下さい。
もっともっとお与え下さい。
満たしてください。
あなたの恵みの中に生かしてください。
それが止ることがないように、
止めるものがないように、
満たし続けてください。

今朝も寒い!

朝の6時で-5.7度C。
これからバスでNYに向かいます。
風がそんなにないのが救いでしょう。

昨日車でラジオを聞いていたら
今夜はにわか雪、という予報をしていましたが、
果たしてどうなるんでしょうか?

今日はNYでいろんな方々にお会いする日です。
更新のチャンスがあれば、
聖書の言葉をどこかでアップします。

ではでは。

2006-02-21

姑息な考えを尽くしても

寒いですねえ。
今朝も-6度C。
でも、これが平年の気温だそうですね。
明日の朝はNYの早朝祈祷会に行く日なので、
朝6時20分頃にバスに乗りますが、
今のところ予想は-4度。
毎朝、バスや電車で通勤されている皆さん、
大変なんですね。

車も、外に出しておくと、
ガチガチに凍って、
それから、車に乗ってもしばらく手がかじかみますが、
やはりバスや電車を待つ方が大変でしょう。

今日は6度くらいまで上がる予想です。
明日も同じくらい。
またNYの一日は楽しみです。
たくさん歩くことでしょう。

では、今日の聖書。
今日は列王記上20-22章です。
アハブ王の横暴と、その最期です。
今日、心に留ったのは、
22章でアハブ王が亡くなる時に、
彼は変装していたのに、敵の一人が何の気なしに放った矢が、
彼の鎧のすきまに当たったことでした。
アハブ王は「あなたの民は野原でさまようようになる」という
ミカヤの預言を聞いて、
不安を覚えたのでしょう。
ヨシャパテには王の鎧を着るように言っておいて、
自分は一兵卒に変装して軍に紛れ込んだのです。
そんな精一杯の知恵も、
関係ありませんでした。
主の御手の中では、
そんな姑息な手段も意味はありませんでした。
それがアハブ王だとも知らずに弓を引いた
敵の矢が当たりました。
それも、胸当てと草ずりの間に当たるなんて・・・。

私たちも主の御手の中にあることを、
忘れないでいたいと思いました。
神様の御手の中にあるのだから、
真実に、
そしてありのまま、
生きたい、と思いました。

主よ、
あなたの御手の中にあるのですね。
人の知恵を尽くして、
何とか抜け道をつくって、
なんてする必要はないんですね。
あなたの前に真実に歩ませてください。
いつもあなたの前に歩ませてください。
あなたが愛してくださっていること、
ひとり子をさえも与えてくださっていること、
そのあなたの愛をいつも覚えながら、
歩ませてください。
私の心を守ってください。
私の頭を、
私の目を、
私の手を、
私の口を、
私の足を、
守ってください。
あなたと共に歩ませてください。

2006-02-20

見えていないだけ

昨日は寒かったですねえ。
一日氷点下でした。
今朝も-8度Cくらい。
でも、今日はプラスになります。
晴れ。
うーん、教会的にはうれしいんだけど、
お天気的にはあまり変化のない一週間になりそうです。
だんだん寒さがゆるんで、
また、先週と同じように、週末に向けてまた急に寒くなる、
そんな感じだと思います。

アラバマとかまで寒そうですね。
南部の方はfreezing rainとかの危険もありです。

で、聖書。
今日は列王記上15-19章。
いよいよエリヤの登場です。
エリヤは預言者でした。
そのエリヤが人々を神のもとに帰らせるために、
警告を発したり、奇跡を起こしたりしている中で、
19章で急に弱きになって、
孤独を感じ、
もう死んでしまいたい、
と思った様子が書かれています。

大胆に神のメッセージを語っていたエリヤがなぜ急に、
と不思議に思いますが、
でも、こういうこともあるのだと感じます。
昨日まで「ハレルヤ!」と叫んでいた神の僕が、
今日は、しゅんとなって、孤独を感じて、
落ち込んでいる、そういうこともあります。
でも、今日心に留ったのは、
そこに与えられた神のメッセージ。
「私は7000人を残しておいた」
私たちがたとえ孤独を感じるような時でも、
本当は同じ思いの人がいる。
それに気がつかないだけ。

見えていないだけ。

昨日の説教の中でも語らせて頂いたけれども、
本当に単に見えていないだけ。
そういうことが私たちにはどれほどあるだろうかと思う。

目を開いてください。
そう思った。
神を信じ、人を信じる心を持ちたいと思った。

主よ、
御言葉に感謝します。
あのエリヤも、
落ち込むことがあったなんて・・・。
でも、あなたはそこに語ってくださいました。

「あなたは一人ではない」と。

あなたが共にいて下さるだけではなくて、
共に歩む仲間をも与えてくださっていることに
感謝します。

私の目を開いてください。
私の目を開いて、
あなたの愛を、
人々の愛を
もっともっとわかる者としてください。

私の目を開いて、
もっともっと人の痛みがわかる人にしてください。

2006-02-19

神の選びと傲慢

昨日は寒かったですね。
小雪も舞いました。
昨日の夜9時半頃帰ってきたら、
もう気温は-10度になっていました。
その後、ずっと-10度に張り付いたまま。
朝7時を過ぎて、やっと少しずつ、上がりはじめています。
でも、今日は一日氷点下です。

明日から少しずつ暖かくなってくるでしょう。
でも、今週天気がどうなるかはまだわからない部分が多すぎます。
でも、とにかくまた後半から来週にかけて寒くなるようです。

来週はもう3月が始まりますよね。
春が早く来て欲しくなってきました。

では、今日の聖書箇所。
列王記上11-14章でした。
ソロモン王が神に背き、
その子レハベアムの時にヤラベアムが立って、
王国が分裂するところです。
今日はヤラベアムが神に選ばれ、
「私に従いなさい」と言われていたのに、
いざ王になってみると、
傲慢になって、自分の好き勝手に、
都合に合わせて、神を作り、
祭司を立てて、自分の宗教を作ったのです。

どうしてだろうなあ、と思いました。
そして、人間の弱さを思いました。
自分はどうだろうかと思いました。

ただ、神様に従いたいと思いました。
神様に祈り、神様から答えをいただきたいと思いました。
いろいろな人間的な力に振り回されたくないと思いました。
自分の中の弱さを思いました。

主よ、
私たちを教会にしてください。
私たちの教会を教会にしてください。
あなたの前にひざまずき、
あなたのあなたの栄光を拝する者としてください。
あなたの輝きの前にひれ伏す者としてください。

今日の礼拝を祝福してください。
今日の教会学校を祝福してください。
今日の役員会を祝福してください。
私たちを一つにしてください。