2006-02-18

奉仕ができないほどの・・・

今朝の最低気温は-1.8度C。
予想されていたよりも、冷え込みは厳しくはありませんでした。
今朝は、曇り。
少し小雪が舞うことがあるかもしれません。
夕方に向けて晴れてきます。
そして、今夜は-10度以下の鬼寒ナイトになります。

来週の後半、また何か天気イベントがあるかもしれませんね。
そしてその後、グリーンランドにブロッキング高気圧が現れる可能性があって、
それが表れると、3月初めまで、寒さが続きそうです。
さてどうなることか。

今日の聖書。
今日は列王記上の7-10章。
今朝の祈りの時もとてもsweetな時間でした。
このような祈りの朝を毎朝持ちたいと思いました。

特に8章11節の言葉が心に留りました。
神の栄光が現れて、祭司達が奉仕ができなかった、と。
ただ、単純にその様な神の栄光を見せて頂きたいと思いました。
それほどに神様の臨在のあふれる礼拝を持ちたいと思いました。
奉仕する者たちが、その圧倒的な臨在に触れて、
奉仕出来ないほどになるような、
その様な神の栄光の現れ、ってどんなのだろうか?

私たちは、いつも、自分たちの奉仕が主を喜ばせていると思っている。
自分たちの賛美が神の栄光を表していると思っている。
でも、本当に神様のすばらしさが表れた時には、
そんなの本当にちっぽけなものだとわかる。
100%神様なんだなあ、と思わされる、
その様なものなのだと思う。

主よ、
あなたの臨在を見せてください。
明日の礼拝において、
本当に真実な礼拝を持たせてください。
パフォーマンスではなく、
エンターテインメントではなく、
真実な礼拝を持たせてください。
あなたの臨在を表し、
栄光を表してください。
そして、私たちを造りかえ、
新しい者としてください。

今日の一日の上に、
そして、夕方の祈り会の上に、
あなたの喜びを満たしてください。

2006-02-17

何を求めているか

遅くなりました。
午後6時前の更新です。

今朝は暖かく、
昼間も暖かく、でも風も強く、
夕方から冷え込んできました。
夕方6時前の温度が4.4度C。

火曜日も木曜日も天気はいいみたいですね。
それはそれでいいことです。
でも、金曜日くらいに何かが起るかもしれません。
いやあ、でも、火曜日には「来週の火曜日くらい」
木曜日には「来週の木曜日くらい」
金曜日には「来週の金曜日くらい」
と言っていると、
まるでオオカミ少年みたいですね。

目先は、月曜日までは激寒。
火曜日からだんだん暖かくなってくるでしょう。

明日の夜は激冷ですので、
お気をつけて。

ではでは聖書の話。
今日は列王記上の1-6章まで読みました。
昨日の夜、祈りについて聖書を読み、
本を読んでいる中で、本当に一人で「戸を閉じて」祈ることの大切さを思わされました。
それで、今日の朝は、神様ととてもsweetな時を持ちました。
「神の国と神の義を先ず求めなさい」ということが本当に深い意味で、
「ああ、こういうことなんだな」とわかる一時でした。
あと30分早く起きたいな、と思いました。マジで。

で、きょうのところですが、
ダビデの後に王になったのはソロモンでした。
今日は3章でそのソロモンが神から「何が欲しい」といわれて、
「民を治めるための知恵を」と祈ったところが心に留りました。
自分は今何を求めているだろうか?
今何が欲しい?と神様に聞かれているような気がしました。
いったい自分は何を今本当に欲しているだろうか?
建前ではなく、心の底から・・・。
一つ一つ心に浮かんでくることは、
本質的なことではない、と思わされました。
そして、いろんなことがあぶくのように浮かんでは消える中で、
最終的には、ただ、神様が共にいて下さること、
神様が共にいて下さって、
道を「こっちだよ」と教えてくださること。
人に語るべきこと、なすべきことを教えてくださること、
そうだと思いました。

神様
あなたご自身を私に与えてください。
私と共に歩んでください。
他のものは、すべて結果です。
おまけです。
そのおまけを求めて、
あなたを求めていなかった私を赦してください。
そして、あなたと共に歩む喜びの中に生かしてください。
人との出会いを祝福してください。
まもなく始まる夜の集会にあなたの喜びが、
あなたの命があふれますように。
御言葉によって、養われ、
語られ、生かされますように。
交わりをも祝福してください。
それが単に表面的なものではなく、
心が触れ合うようなものとなりますように。

2006-02-16

王の責任

昨日も暖かかったですね。
10度を超えました。
今朝も-1.5度C。
今日の予想は12度C。
2週間前までなら、何とも思わなかったのでしょうが、
大雪が降った後は、
ちょっとした暖かさがとてもうれしいですね。
春が来るんでしょうか?

でも、明日の朝に雨が降って、
午後からは冷えますよー。
冬に逆戻り。
残っていた雪はがちがちになります。
滑らないようにご注意。

注目の火曜日。
今朝の段階では南にそれる予報ですね。
そしてもう一つは来週の木曜日。
こちらも要注目です。

では、今日の聖書の言葉。
今日はサムエル記下20-24章を読みました。
サムエル記が最後まで行きました。
半年で最後まで、という目標に向けて、今のところ順調です。

今日心に留ったのは最後のところ、
ダビデが人数を数えて、それが罪だったというところです。
いつ読んでも、何が罪なのか、
神が彼の心を動かしたのに、なぜその責任をダビデと王国とが
負わなければいけなかったのか、
疑問として残ってしまうのですが、
今日は、それ以上に、
24章17節のダビデの言葉に心が留りました。
民が疫病で苦しんでいるのを見たダビデが、
「罪を犯したのは私です」と告白している言葉です。
王として、その罪の結果が民全体に広がっていくのは本当につらかっただろうと思います。
かつて、サウル王にサムエルが言いました。
「あなたは自分では小さな存在だと思っているかもしれないけれども、
神様はあなたを王様とされたのですよ」と。

私は牧師としての自分の責任を思いました。
本当に教会の一人一人のために祈り、
一人一人の魂のために、救いときよめのために、
祈っていく責任、語っていく責任を思わされました。

もちろん、教会は牧師が動かしていくものではありません。
中心は牧師ではありません。
一人一人が教会を担っていくのでしょう。
でも、責任は、特に霊的な状態についての責任は
牧師である私が負っていることを忘れないでいたいと思います。
祈り続けていくこと、
語り続けていくこと、
それを担っていきたいと思います。

主よ、
あなたの前に祈ります。
教会をお守り下さい。
教会に連なる一人一人の今日をお守り下さい。
今日もあなたの恵みの中に、
命の中に生かしてください。
一人一人の心にあなたの命を流し込んでください。
命の泉を与えてください。

そして、私を用いてください。
あなたの御心語る者として、
あなたの熱い思いを分かち合う者として、
私をお用い下さい。

祈り続けることができますように。
もっと熱く祈る者としてください。

2006-02-15

呪いも幸いに

今朝も思いの外冷えましたね。
我が家の温度計で最低が-5.0度C。
でも、今日は暖かくなって10度を超えるだろう、
と言っています。
朝の9時前でもう0度Cを超えました。

明日も暖かいようです。
金曜日の昼くらいまで暖かいようです。

でも、夕方から夜にかけて冷え込んで、
土日は寒い日が続きます。

そして、今注目しているのは来週の火曜日。
まあ、これも1週間後ですから、どうなるかわかりません、
というか、なかなか当たりません。

でも、この間の日曜日のように、
「ビンゴ!」というパターンもありますので、
また期待しないで注目していこうと思います。

それでは今日の聖書。
今日はたくさん読みました。
サムエル記下13-19章。
王子アブサロムが王ダビデに反逆するところです。
その中で、心に留ったのが、ダビデの姿勢です。
アブサロムに追われながら、
自分が神様の御手の中にあることを
確信して止まないのです。

特に16章12節には、
サウル王朝を支持していたシムイがダビデを呪った時に、
部下達が、ダビデに「こんな奴、一刀両断にしてやりましょう」と
進言するのですが、
それに対して、ダビデが言った言葉が記されています。
「神は彼の呪いに代えて幸いを返して下さるかもしれない」と。

私たちは神の御手の中にある、
その感覚はとても大切なものだと思いました。
いろんな人の言葉が聞こえてきます。
時には悪意のある言葉が聞こえてくる時もあるでしょう。
そんなときにも、それに振り回されないで、
神様を見上げていくこと、
神様を信頼していくこと、
神様はどんなに周りの悪意があっても、
幸いを与えることができるお方。
主は与え、主はとられる方。
必要ならば、「災い」と思えるような、
その様に感じないではいられないようなことも、
必要ならば、与えられる方。

だから、勇気を出して歩んでいこう。
一人一人の祝福をお祈りしていこう。

主よ、
あなたの御手の中にあることを感謝します。
安心して歩んでいくことができます。
どうか、私を守り、
家族を守り、
教会の一人一人を守って下さい。
教会に関わるたくさんの方々、
私が出会うたくさんの方々にあなたの祝福が流れていきますように。
そのために、私自身の内側をあなたの命で満たして下さい。

今日の出会いを祝福して下さい。
今日の集会を祝福して下さい。

必要な方のところに私を送って下さい。

2006-02-14

自分を省みて

今日は昨日よりもぐっと冷え込みもゆるんで、
朝で-4度C。
10時には2度Cまで上がりました。
何か、雪もぐっと減って、
2月いっぱい雪が残っているのではないかという私の予想も、
いきなりはずれそうです。
やはり日差しが違うのでしょうか?

明日は10度Cくらいまで上がる予報が出ています。
でも、それにあまり慣れると大変でしょう。
週末はまた昼間でも氷点下の寒さに戻ります。
そして、来週は一週間、そこそこ寒い日が続きそうです。

では聖書の話。
今日はサムエル記下8-12章を読みました。
11-12章はダビデが大きな罪を犯してしまったところです。
今日、思わされたのは、
ダビデがナタンのたとえ話を聞いて、
そんな奴は死刑だ!と怒鳴ったところです。
彼はこのときまだわかっていなかったのだろうか?
詩篇32篇や51篇を見ると、
自分の罪に苦しんでいたのではないかと思うけれども、
ナタンの話を聞いた時は、それが自分のことだとはわからないで、
「そんな奴は死刑だ」と怒鳴った。
人はどこまでも、
自分の目の中の梁は見えないのかと思う。
自分の姿はわからないのかと思う。
私もそうだ。
自分の姿がわかっていないのかもしれない。
特に人のことで、いろんなことを心配したり、
評価している時には、
自分のことはわかっていないのかもしれない。

そう思わされた。

神様、
私の心を探って下さい。
人のことではなく、
先ず自分が一人の人間として、
神様の前に出られますように。
一人の人として神様の前に出られますように。

今日も弱さを覚えておられる一人一人をお守り下さい。
癒し、支えて下さい。
立ち上がる力を与えて下さい。
落ち込んでいる人の隣にたたずんで下さい。
背負って、共に歩んで下さい。

声をかけるべき方、
祈るべき方、
教えて下さい。

2006-02-13

主の前に踊る

今朝は寒かったですね。

昨日の雪で、道路も凍結していて、
子供達も学校が2時間遅れでした。

我が家の温度計で、今朝の最低気温は-10.0度C。
でも、順調に温度は上がって、
午後1時現在で3度Cを超えています。

木曜日くらいまでは日に日に暖かくなるようです。
でも、週末にかけて、また寒くなるでしょう。
願わくは今度の土日の天気が守られますように。
大体、1週間周期で天気が崩れることって多いですからね。

この雪が消えるのは多分3月になってからでしょう。
春が待ち遠しくなりました。

今朝は成分献血に行ってきました。
問診などを含めると3時間近く。
血を採っているだけで1時間半もかかりました。

あれって、ただ血を採るだけよりも負担が大きいように感じます。
機械の中を血が巡って、成分がとられて、
温度もちょっと下がるのでしょうか?
毛布を何枚も掛けて頂きました。
体が冷えるので、
終わった後に何か飲むか?と言われて、
「ホットチョコレート」と答えましたが、
「冷たいもの飲まなくてもいいのか」と逆に聞かれました。
本当は水分が必要なんでしょう。特に血を献血する時には。
でも、「成分献血だったよ」と言ったら、OKしてくれて、
暖かな、ココアにありつけました。
夏のクーラーの温度にも感じますが、
アメリカの人たちはみんな体温が高いのでしょうか?

成分献血の時、ちょっとuncomfortableな感覚になるので、
毎回、もう今回限りにしよう、と思うのですが、
おじいちゃん、おばあちゃん達が献血しているのを見ると、
また来ようかな、と思います。
だいじょうぶだよって。

そんなことで、更新が遅れました。

聖書行きましょう。
今日はサムエル記下1-7章を読みました。
心に留ったのは6章で、ダビデが踊ったところです。
人がどんな目で見ているかも、気にせずに、
ただ、愛して下さった、
導いて下さった、
守って下さった、
神様に感謝をして踊ったダビデ。
ダビデにとっても、
神様と自分との関係が
自分と周りとの関係に先立っていたことを見ます。

私たちも神様との関係の中に生きることがどれくらい大切かと思います。
人との関係の中に生きている私たち、
やっぱり人との関係の方が手っ取り早いし、
人との関係の方が結果がすぐ出るし、
人との関係の方が振り回されやすい。
だからこそ、神様との関係の中で自分を見つけていく、
それが大切だと思う。

今日も、明日も、いろいろな人と出会うだろう。
いろいろな人の反応を見るだろう。
でも、そんなときにも、
主のなさることを見つめながら、
主の愛を見つめながら、
主の前に歩んでいることを覚えながら、
歩む者となりたい。

神様、
ダビデが踊った踊りを
私にも踊らせて下さい。
あなたとの関係が、
人との関係に先立つように、
助けて下さい。
あなたとのもっともっと深い交わりに
私を導いて下さい。



2006-02-12

かきごおり家の家庭礼拝

もしかしたら、教会のHPにメッセージが載っているか、
と思ってアクセスする方もおられるかも・・・。
と思い、今日は号外で、
かきごおり家の家庭礼拝の聖書の言葉を分かち合います。
去年、雪で礼拝をお休みにした時は、
12時頃にはもう雪も一段落して、
教会にいったら、一人の方が来られましたが、
今日も、1時半にやっと車を掘り出して、

教会に行ったのですが、
雪が深くて、駐車場にも入れませんでした。

もしも、教会に行かれた方がおられたら、ごめんなさい。
今日の礼拝は雪のため、お休みでした。

ということで、かきごおり家の礼拝。

賛美を何曲か歌いました。
特に4歳の娘、咲がいろいろリクエストして、
たくさん歌いました。
このまま行くとエンドレス賛美大会になるかもしれない、
という勢いだったので、
4曲くらいにして、聖書を読みました。

今日はマタイによる福音書13章13-20節。
イエス様が5つのパンと2つの魚で5000人を養われるところです。
たくさんの人々を見て、
弟子たちは、どうしよう、と思ったことでしょう。
「それぞれめいめいが自分で買ってきたらいい」
と思いました。
それしか方法がなかったでしょう。
それが当然だったでしょう。
でも、イエスは言われました。
「あなた方の手で食物をあげなさい」と。
途方に暮れたと思います。
その中で出てきたのは、
自分の手の中にあるものです。
自分の手の中に何があるか・・・。
私たちは簡単に「何もない」といってしまいます。
そう感じる時もあります。
でも、本当は神様は私たちの手の中にいろんなものを任せていておられるのです。
それを、もう一度神様のところにもっていくこと、
それが必要なのではないでしょうか?

5つのパンと2つの魚、それは5000人を前にしたら、
「何の役に立つか」というものだったと思います。
でも、それでも、
主の御手のなかに入ったら、
それは大きく用いられるのです。

そして、みんなは満腹になりました。
満腹です。
なんとか、どうにか、ではなく、
有り余るほどだったのです。

そんな神様の御業を見たいと思います。

今週、この御言葉通りに生きることができるようにと祈りました。

今日の雪、
家の方では40センチくらいかな。

こんなもんです。ミニバンの後ろから見たところ。

でも、NY Cityでは1996年のあの吹雪の記録を抜いて、
60センチ近く積っているみたいですね。
私は1996年の時は違う町にいたのですが、
今回より、ずっと多かったように思います。
車を「掘り出す」という感じでしたから・・・。

でも子供達の目にはものすごい雪に見えるんでしょうね。
今日は子供達の顔も出してしまいます。
来週の日曜日は皆さんに教会でお会い出来ますように。

悔い改めるか逃げるか

本日のJCCNJの聖日礼拝はお休みになります。
とても残念ですが、
また、日本の雪国の教会の方には「え?」と思われるかもしれませんが、
今日の聖日礼拝は大雪のため、お休みし、それぞれ自宅で礼拝を守ります。

昨日の夜、寝る前は、
「ああ、こんなもんか」と思っていました。
もしかしたら、東海岸の教会が
みんな「明日の礼拝のために雪が東にそれますように」
と祈っていたので、それが聞かれたのか、と思っていました。
でも、寝ている間に、よく降りました。
上の写真は朝7時45分頃。
今もかなり激しく降っています。
30センチくらいでしょうか?
昼頃までは強く降り、
夕方まで残るようです。

レーダーを見ると、ここら辺はもう峠を越したようです。
今Fort LeeやNY Cityで激しく降っているようです。
外の気温は-5.4度C。雪質は軽そうですね。
雪かきのためには助かります。
吹雪というほどは風が強くありません。
ボストンの方はひどいのでしょうが・・・。

今日は一日氷点下。
夜まで晴れてこないと思います。

そして、明日からは数日晴れ、
日に日に暖かくなっていくでしょう。
2月ですからね。

では聖書の言葉。
今日はサムエル記上25-31章。
ダビデが逃げ、サウルが追っていたのですが、
とうとうサウルが戦死してしまうのです。

今日、心に留ったのは、
28章のサウルが霊媒師のところに行く場面です。
サウルが神に尋ねても答えがなかった時に、
彼は霊媒師のところに行ったのです。
不安になったサウルの気持ちもわかるし、
わらにもすがりたい、というのもわかる。
呼び出したのがサムエルであるというのは、
やはりサムエルが彼には頼りだったのだろうと思う。
でも、どうして、霊媒師なんかに頼ったのだろう?

本気で悔い改めることなしに、
彼は終わってしまった。
最後までプライドにしがみつくような姿勢で、
死んでいった。

そこまでするならば、
霊媒師のところにまで行くほどならば、
どうして悔い改めなかったのだろうか?

でも、またこのことは、
私にも悔い改めを迫ってくる。
どんな中でも、
「こんな自分はもう赦されないのでは」と思うようなところでも、
悔い改めて、神様の前に出ることの大切さを思う。

主よ、
ありがとうございます。
どこまでも、
どこまでも、
悔い改めてあなたのもとに帰っていく者としてください。
あなたの元に帰る者としてください。
あなたの胸に迎えてください。