2009-06-18

輝け!教会の子供たち。

今日は嫌な雨でしたねえ。
もう、寒いし、濡れるし(傘使え!)、一日中降っているし・・・。


でも、やっと止んだみたいですね。


明日は降水確率20パーセントといいますから、
まあ、大丈夫でしょう。


今日の夜は、東海岸のいつも教会に行っている小学生のためのキャンプのために、
Skypeミーティングでした。


こちらの3教会が主体になって、
5つの日本語教会、そして、そのほかの英語の教会に行っている子供たちが、
25人ほど集って、2泊3日のキャンプをします。


そのテーマが、
「輝け!教会の子供たち。」


教会の子供たちが、神様の愛に満たされて輝いていること、
それが将来の教会の力になります。


教会は、「1週間に1回行かなければいけないところ」だったり、
「1時間我慢していたら、友だちと遊べるところ」だったりしては、いけないと思うのです。
時代遅れのところだったり、
小さい子が行くところだったり、
女の子だけが行くところだったらいけないと思うのです。


教会の子供たちが、
教会に生きることが喜びとなって、
輝いて歩んでいくことができる、
そして、その輝きを教会の外にもっていくようになる、
そのような目を輝かせた子供たちがあふれる教会を目指していこうと思います。


だから、「輝け!教会の子供たち。」
6月29日から7月1日です。
お祈りください。


さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記35:1-19です。


「すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。」5節。

心から喜んでする。
その心を主は求めておられる。
それを主が喜んでくださる。

そのようなささげものだけでいい、と言うかのようです。
嫌々だったり、惜しむ心からだったりのささげものはご遠慮する、
というかのようです。

私たちはすぐに、
「そんなこと言っていたらやっていけない」とか、
「どんな気持ちでもささげてくださったのは尊いのだ」とか、言ったりしますが、
やはり、主に感謝して、喜びあふれてささげるささげものが大切なのであって、
そのような雰囲気があふれて、周りの人々も変えて行かれるようにと願います。

主よ、
あなたの与えてくださっているものの豊かさの故に感謝します。
どうか、喜んでささげる者とならせてください。
そして、そうではないものを見極める目を、
そして、そのようなささげものをしている人を見極める目を、
与えてください。

まじヤバイ。

こっちのヤバイは・・・昔ながらの使い方の「やばい」です。
何がヤバイって、体重。
月曜日の朝、1時半ごろ、左の薬指が痛くて目が覚めた。
そう、結婚指輪のところ。
何か虫の知らせかと思ったけれども、
そうでもないみたい。
ただ単に、指輪が指を締め付けて痛い。
というか、指がどんどん太くなって、指輪が痛い。


今朝(17日朝)、1ヶ月ぶりに乗ってみたら、大台に乗っていました。
ヤバイですねえ。マジやばい。


いやあ、「最近食べ過ぎだよねえ」と思っていたんですよ。
そしたら、3キロくらい落とそう、と思っていたのですが、
1. 5キロも増えてしまいました。


だから、もう、食べてすぐ寝るのはヤバイので、
もう一日分、更新して、追いついておきます。


はい、目標が4.5キロおとす、に変わりました。
楽に入る日まで、指輪ははずしておくことにしました。


今日も寒かったです。
明日も、もう一日寒いみたいです。
明日は冷たい雨も降りそうです。


さて、水曜日の聖書。
水曜日は出エジプト記34:18-35です。


「あなたは六日間は働き、七日目には休まなければならない。耕作の時も、刈り入れの時にも、休まなければならない。」21節。

「刈り入れ」の時は、休んではいられない、と言うのがホンネだったのではないだろうか。
でも、そんな彼らに向かって、「借り入れの時にも、7日目には休まなければならない」と主は言われた。

私たちはどうだろうか?
「休んでなんかいられない!」というときはないだろうか、
「こういうときだからしょうがない」とか、
「一年に一回だけ」とか、
いろいろ理由をつけて、休むべき時に休まないことはないだろうか?

主は、一番忙しい、刈り入れの時でも7日目には休め、
人間の都合で待ってくれない、耕作の時にも7日目には休め、
と言われた。

自分の都合ではなくて、
神様の命令に従う、
忙しさとか、特別なとき、という言い訳を一切捨てて、
ただ、単純に主に従っていく、
そういう者となりたいと思います。

主よ、
あなたの命令に従います。
いろいろ理由をつけて、あなたに従わないことがありませんように。
単純に主に従う者でありますように。

ハーレムの夜。

日付変わってしまいました。
17日の夜ですが、もう18日になっています。
というのは、夜、NYで集会があったあと、
日本から来られているゴスペルシンガー
(マジでいわゆるBlack Gospel系の「ゴスペル」)西村あきこさんが、
ハーレムのライブハウスで歌うということで、
行ってきたからです。

夜の8時からということだったので、
「ああ、ちょうど予定がぶつかっちゃうなあ」と思っていたのですが、
昼間、お電話で話したときに、「間に合うかもしれませんよ」と言われたので、
「終わっているかもしれないけど・・・」と行ってきました。

あまりなじみがないところですが、
コワイというほどでもない。
でも、すれ違う人がこっちをじろっと見ると、
「お金くれ」とか言われるかもなあ、と
(1回言われましたが・・・)
そんな場所でしたが、
中は人でいっぱい。


終わっているかも・・・どころじゃない、
10時前に着いたのですが、
まだまだ、始まったばかり。
終わったのは11時20分でした。

かぶりつきの席しか空いていなくて、
こ~んなにかぶりつきでききました。

圧倒されました。
豊かな声量と、表現力、
そして、何よりも厚い信仰にいや、熱い信仰にあふれた賛美でした。

セッションは、
去年お会いした、サックスの北守さんがリーダーで、
それがまたすばらしい。
まじヤバイです。

そして、北守さんの新婚の奥さんも参加しておられて、
とてもすばらしい、楽しい一時でした。

西村さんは、今度の礼拝で賛美リードと特別賛美をしてくださいます。
お楽しみに。

YouTubeから。



あ、このビデオでローランドを弾いているのが、
北守さんのおくさん。
日曜日にご一緒くださるそうです。
楽しみです。

さて、火曜日の聖書。
火曜日は出エジプト記34:1-17。


「あなたはその地の住民と契約を結んではならない。彼らは神々を慕って、みだらなことをし、自分たちの神々にいけにえをささげ、あなたを招くと、あなたはそのいけにえを食べるようになる。あなたがその娘たちをあなたの息子たちにめとるなら、その娘たちが自分たちの神々を慕ってみだらなことをし、あなたの息子たちに、彼らの神々を慕わせてみだらなことをさせるようになる。」15-16節。

世の影響力を甘く見るな、ということを教えられました。
サタンはいろいろな方法で攻撃してきます。

その中の一つが「世と妥協させる」ということです。

仲間になって、最初は影響を与える者でありたいと思います。
でも、いつの間にか、影響を受けて、一番大切なものさえも、
譲ってしまっているのです。

闘いがあります。
だから、祈りのサポートが必要だと思いました。
一人一人のために祈ることの大切さを思わされました。

世の中で、歩んでいる一人一人が、
神様に支えられて、世に染まらないで、
世に影響を与えるような者として、
用いられていくように、
祈ることの大切さを思わされました。

主よ、
世の影響力を、甘く見ていた私を赦してください。
どうか、一人一人が守られていきますように。
あなたの香りを放つ者となりますように。
影響を受ける者ではなく、影響を与える者となることができますように。

2009-06-16

さむい~。

今日はまた寒いですねえ。
今、夜の12時前ですが、
(9時更新なんて夢のまた夢・・・)
15度です。


それでもバスの中は冷房がかかっていたりするわけですからたまりません。


いつになったら夏になるんでしょうかねえ。


暑くなったら暑くなったで、
「あちい!」とかいう題で書くんでしょうが・・・。


さて、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記33章12-23節。


「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」17節。

求めよ、さらば与えられん。
そして、
あなたが信じるようになるだろう。
それらのイエスの言葉を思い出しました。

私自身、主に求めているだろうか、
主に大胆に求めているだろうか、
ここでも、モーセは主にいわれて、
「はい、そうですか、わかりました」とはすぐにはいいませんでした。
「でも、神様、何とかお願いします」
「一緒に行ってください、あなたが一緒に行ってくださることを示してください」
と一生懸命願い求めました。

主に対して、
主がしてくださることの素晴らしさを信じて、
求めていこうと思いました。

「あなたが言ったそのことも、私はしよう」
主が直接語ってくださったように感じました。

主よ、
あなたが私の願いを聞いてくださることに感謝します。
あなたがそれを待っていてくださることに感謝します。
あなたに求めます。
あなたに祈ることを大切にします。
あなたが他の誰もすることのできない、
誰が見ても、神の御業だ、と思うような、
御業をなしてください。

2009-06-15

神様が造られたもの。

毎年野外礼拝をしていて、もう、10回以上になるのですが、
いつも「別に外で話さなくてもいい」内容のメッセージをしていました。


でも、今年、祈りの中で、
外だからこそ、伝わる、ものはないだろうか、
外だからこそ、神様に触れて頂く、
そのようなことはないだろうかと、思わされました。


そして、今年は、
メッセージの中で、ちょっと時間をとって、
「神様が造られたものをさがそう」と、
みんなで神様が与えてくださったものをさがしました。


虫、木、葉っぱ、草、石、空、雲・・・
そんな目に見えるものから始まって、
風、音、色、におい・・・
そして、
こころ、たましい、自分・・・。


私たちはどれほどすばらしいものを神様から与えられているか、
目が開かれるような思いでした。


さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は出エジプト記33章1-11節。


「民は、みな、天幕の入口に雲の柱が立つのを見た。」10節。

モーセが天幕で神様のところに行くときに、
そこに雲の柱が立って、主がそこにおられることを示した。
そして、それを民は見ていた・・・と。

自分は牧師として、
主の前に行くとき、に主がそこに確かにいてくださることを知っているだろうか。
そして、それがまた教会の一人一人に見えているだろうか。
モーセは隠れていったのではなかった。
「誰も知らないけれども主の前に行くのだ」と行ったのではなくて、
人々に見える形で、主の前に進んでいった。
そして、主も、確かにモーセに語られることを雲の柱で示された。

私の祈りの生活が、このモーセの祈りのようなものとなりますように。

確かに、主のもとに行って聞いていることが、
教会の一人一人にわかるように、伝わるように。
そのような豊かな祈りの時を持つことができるように。
そう、伝わることよりも、まず、そのような豊かな主との一時を持たせてください。
私の心と思いをきよめて、あなたの前に喜んで出ていくことができますように。

罪に対する怒り。

今日も、起きたら雨。
でも、昼間にはいい天気になりました。
そして夕方は空が曇って雷雨。


ちょうど、学校から帰ってきて、玄関先にいたサキが、
その雷鳴にびびって泣き出すくらい。すごい音でした。


明日は今日よりもいい天気でしょうが、
でも、やはり雨の可能性もあります。


なんだか、今年の夏は変です。このまま変な夏になるのでは・・・って気がしてきました。


と思って、最近ご無沙汰していたお天気サイトを回ってみると、
やはり北東部の今年の夏は、あまり夏らしくない夏になりそう、という予報もあります。
その一方で、これは6月だけ。7-8月は例年より暑い、という予報も・・・。


プールのシーズンパスを買うべきか、買わざるべきか・・・。


昨日の野外礼拝の写真、教会のHPの方にアップされていますね。
左側のコラムから、ニュージャージー日本語キリスト教会のリンクをクリックして、
そこから「イベントフォト」へジャンプです。
楽しそうでしょう。伝わるでしょうか?
でも、ホントは写真で見るより、ずっと楽しかったですよ。ハイ。


さて、土曜日の聖書。
土曜日は出エジプト記32:15-35でした。


「宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。」19節。
「私がこれを火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。」24節。

24節の方はアロンの言葉です。
アロンの言い訳は何なんだと思います。
でも、聖書はいつも私の姿を映し出します。
私もこのように言っていることもあるだろうか、と思います・・・。

そして、それに対して、モーセの怒り。
わかっていたのに、想像していたのに、
実際に、その人々の姿を見たときに、
彼は怒りに燃えた。
彼は怒りに燃えて、石の板を投げつけないではいられなかった。

私はどうだろうかと思いました。
人々の罪を見たときに、
そこまで怒ることがあるだろうかと。
「そういうもんだよ」とわかったようなつもりになったり、
やたら、物わかりが良くなってしまったり。

罪に対して、本気で怒る者でありたいと思いました。
主の思いを私の思いとさせて頂きたいです。

主よ、
あなたの思いを私の思いにさせてください。
罪に対する怒りを忘れることがありませんように。
いい加減にすることがありませんように。
そして、あなたの憐れみ深さを、深く知ることができますように。









2009-06-14

感謝。

今朝は、7時半頃の更新のあと、8時半頃からは、
雨が降ってきてしまって、ハラハラしました。


レーダーには全く雨雲が映っていないのですが、
霧雨が降っています。
「今日、本当にやるんですか?」って電話はあっちこっちからかかってくるし・・・
(実際は北の方に住んでいる方々ばかりだったのですが・・・)
だいたい、朝、しっかり上がった雨が、また降ってきたから、
このあともまた降ってこない保証はない・・・ということで、
「大丈夫!」と強気の返事をしながら、内心はハラハラでした。


でも、10時前には大体雨も上がって、
昼頃には青空が広がってきました。


たくさんの方々と楽しい一時を過ごしました。
野外礼拝だからこそ、語ることのできるメッセージを語らせて頂きました。
目が開かれる思いでした。


神様の造られる天気と、
人間がそれにチャレンジする天気予報の、
違いを見せつけられた一日でした。


まとめて、更新宣言をしていたのですが、
そんな元気はちょっとないので、
金曜日、一日分だけ。

金曜日、6/12は、出エジプト記32:1-14。
「それで、アロンは・・・」2節。

人々が「私たちのために神を造ってください」とアロンに言ったときに、
「しかし、アロンは・・・」となるべきところ、
「それで、アロンは・・・」となってしまった。

アロンの弱さというか、致命的な問題がここにあると思う。
人々が言ったから・・・。
このあとも、アロンがモーセに言い訳をして、
「人々が悪いんです」と。

でも、それはまた自分の弱さでもあると思います。
人々が言ったから・・・と言うことにどれほど振り回されることが多いか。
今日も、自分では、雨は大丈夫、と思っていました。
でも、みんなが「え~、やっぱり中がいいですよ」と言ったら、
「そうですか~」となってしまうのではないか、という迷いがありました。
天気のことなら、任せておいて・・・と言っているくせに、
最終的に責任をとりたがらないのです。

そう、アロンのように「みんなが言うから・・・」というのは、
結局責任をとりたくないんです。
アロンは、責任を持って、「いや、それはいけない、私たちは待っていなければいけない」と言わなければいけなかったのです。
私も、自ら進んで責任を負っていく者でありたいと思います。
神様の語られることをしっかり聞いて、
それを伝えるという、責任を果たしていきたいと思います。

主よ、
アロンの逃げの姿勢、反面教師です。
でも、私も他人のことを責める資格のない者であることも知っています。
自ら進んで責任を負う者であることができますように。
逃げることがありませんように。
「人々が言うから・・・」ということではなくて、
あなたの語られることを聞いていくことができますように。

ハレルヤ!

昨夜の雨がうそのように、
今朝はきれいに上がっています。
レーダーを見ても、
雨雲は北東に足早に去っていっています。

朝、天気が守られたことに感謝をささげ、
メッセージのために祈っている間に、
主が与えてくださっているすべてのものに感謝が沸いてきました。

今日の野外礼拝が神様のすばらしさを
大きく感じるひと時となりますように。

そう、今日のメインはバーベキューではなくて、礼拝です!
一人一人が神様に触れていただくひと時となりますように。

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と、ここまで6:45ごろ教会で書いて、
家に帰ってきたのですが、
途中からまたどんより。


西に行くほど、北に行くほど、
雲が厚いみたいですね。


守られますように。