2010-10-23

やっぱり初霜。

最近、朝がきつい日が続いていて、
とくに明日は日曜日なので、
今夜は早く休みます。


ただ、一言。
今朝は最低気温が2.2度。
初霜が降りました。


去年は11月7日に最低気温-2.3度で
一昨年は10月20日に最低気温0.2度で
3年前は10月29日に最低気温1.6度で


初霜を観測していますので、
まあ、平年並みでしょうか。


まあ、よくも、こうも毎年、「初霜だ!」って騒いでいるなあ、と自分でも笑ってしまう。


今夜は11時で14度以上あります。
明日は暖かい一日なりそうです。


これで終わるのはやっぱり気がひけるので、
今日の聖書。
今日は列王記第一10章13−21節。


「あなたは、私こそ主であることを知ろう。」13節。


アハブ王は神を信じない、偶像礼拝を進める王でしたが、
神様の憐れみで、ここでは敵の包囲から守られます。
その中で、「あなたは私が主であることを知る」と預言者から告げられるのですが、
それでも、神の前にひれ伏そうとはしないのです。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということでしょうか。
ただ、自分が守られたらそれでいいのでしょうか。

先日、ある集会で、どれだけ、自分が神様に感謝をすることをしてこなかったか、思わされるときがありましたが、私たちもこのアハブを非難することはできないのかもしれません。

神様がいろいろな場面で、私を守り、支えてくださっている中で、
主を主として認めて、従っているだろうか、ひれ伏し、感謝し、賛美しているだろうか。

生活のあらゆる側面で主を認める、そのような歩みをさせていただきたい。

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」箴言3:6。

主よ、
あなたを認めます。
でも、祈りの時、聖書を開くときだけではなくて、生活の一つ一つの側面で、あなたを認める歩みをさせてください。


明日の日曜日も豊かに祝福してくださいますように。

2010-10-22

きっと初霜。

今朝はそれほど冷え込まないで、
初霜はお預けでしたが、
昼間は気温も上がらず、風も強く、
冬を思わせるような天気でした。
今、夜の11時前ですが、外の気温はすでに4度まで下がっています。
明日はほぼ確実に初霜になるでしょう。


でも、明日の昼間は今日より暖かくなって、いい天気で過ごしやすいと思います。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一20:1−12。


「王よ、仰せのとおりです」4節。

これは敵の無理な要求に対するイスラエルの王の言葉。
どうして彼は、そんな無理な要求に対して、
こんなに簡単にYESと答えてしまったのだろうか。

もっとひどい要求を敵に突きつけられたユダのヒゼキヤ王が
神の前にその手紙を広げて「神様、見てください」と言ったのとは、対照的だ。

ひとつひとつのことについて、
自分はどのような判断をしているだろうか?

まず、ひざまずいて神に聞き、
神から答えをいただいて歩んでいこうと思う。

主よ、
日々の歩みの中で、大切な決断をするときに、
あなたの御心を求めて知っていくことができますように。
人の反応や、勢いに流れていくことがありませんように。

2010-10-21

今年の冬は?

NOAAやWeather Channel、そして、Accuweatherなどで、
相次いで今年の冬の天気の予想が出てきている。


注目なのはAccuweather。
ここを見ると、NJはちょうどWintry Battle Zoneになっている。
Accuweatherの今年の冬の天気予報。


09−10の冬はとにかくDCからフィラデルフィアでは雪が多くて、
NJもそこそこ降ったけれども、
今年はもうちょっと北のほう、西の方に大雪の軸が来るみたいだ。
NJは雨だったり、雪が雨に変わったり、Ice Stormだったり、雪だったり、
いろいろなバリエーションが楽しめそう(!?)
とくに11月から12月は冬の訪れが早いみたいです。
寒さには気をつけて。


今日は朝、雨でしたが、昼には上がって晴れてきました。
昨日の予想よりもちょっと雨が早かったみたいですね。
おかげで、雷雨もなく、雨も大したことはありませんでした。


でも、夕方から冷えてくる、というのはあたったようで、
今、夜の12時頃ですが、すでに6.7度まで下がっています。


明日の朝は、この秋一番の冷え込みで、
3度くらい。霜もあるかもですね。


今夜8時頃、突然、携帯が鳴りました。
なんと・・・「FaceTime」と表示されて、相手の顔が出てきています。
おおお、機種変更で購入後3ヶ月にして初FaceTime Callです。
実は昨日のアップル社の発表を受けて、
Mac用のFaceTimeをダウンロードして、
MacとiPhoneの間で、家庭内FaceTimeテストをやってはいましたが、
外から掛かってくるのは初めて。


で、当然何の予告もなく掛かってくるので、
結構慌てて取る。


「お、なんだろう?」というのと
「どうやってやるんだ?」というので、
バタバタしてしまいました。


取ってみると教会の某家族。
やはり昨日発表のMac用FaceTimeを使ってみた、
という感じでした。


コンピューターではSkypeなんかでもう珍しくもなんともないテレビ電話ですが、
携帯でテレビ電話は、うっかり、風呂上りの裸のままで普通の電話と間違えて取ってしまっ
たりするのでは・・・なんて心配をしてしまいましたが、大丈夫なんでしょうか・・・。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一19:1−21。


「エリヤよ。ここで何をしているのか。」9節、13節。

神は今も、私たちに語られている。
「ここで何をしているのか」と。

神の前に立つ。
エリヤは、神が「そうか、大変だったなあ」と言ってくれるのを期待していたのかもしれない。自分だったらそうだろうと思う。

でも、主は「さあ、立ちなさい」と言われる。
そして、自分の道を帰って行きなさいと。

神の前に一人の人間として立つ。
なんだか原点に引き戻されたように思う。

神の答えは、もう一つ、
「あなたは決して一人ではない。あなたには同労者がいる」ということだった。

一人の人として立つから見えてくる、神が備えてくれる仲間。

互いにもたれ合っている中では見えてこないんだろうなあ。

主よ、
あなたの前に立ちます。
あなたから答えをいただき、
あなたとの関係の確立の中で、
周りの人々と共に歩むことを教えてください。


もたれあうのではなくて、
一人ひとりが神との関係に立つからともに歩んでいくことが出来る、その世界を見せてください。

2010-10-20

祭壇を建て直す。

今日も朝は4度くらいまで下がりました。
昼間も雲が多く、それほど気温は上がりませんでした。




ほんとに秋本番ですね。
教会の前のハナミズキもなんだか、この間花を咲かせたような気がするのですが、もう、しっかり紅葉しています。


明日は曇りがちで、昼ごろに雷雨もありそうです。
そして、夕方からはぐんと冷え込んできそうです。


夕方にはNYCに出かけて、7時過ぎからの集会。
今日は順調で1時間くらいで着きましたが、
着いた頃、ちょうど夕焼け空。
でも、マンハッタンは夕焼け空も狭い。




人は「土地の有効利用」と言うのでしょうが、
大切なものを見失ってしまっていないだろうかと思います。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一の18:30−46。


「彼はこわれていた主の祭壇を建て直した。」30節。


私も建て直さなければならない。
主の祭壇を、祈りの祭壇を主の前に建て直さなければならない。

これは今朝、いきなりの先制パンチでしたね。

そう、祈りの祭壇なんですよね。
それが壊れているときに、力がない。

「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい。」その中心は祈り。その祭壇が崩れていると、喜びも感謝も湧いてこない。

まず、それから。

主よ、
私の心のなかのあなたの祭壇を立て直します。
祈りの祭壇を立て直します。
どうか、私の祈りの生活を守り、祝福してください。


明日は午前中に我が家での家庭集会。
主が導いてくださるひとりひとりのために祈りつつ。

2010-10-19

火をもって応える神。

今朝は起きたら雨が降っていました。
でも、朝のうちに上がって、昼には晴れてきて、
またまた過ごしやすい天気。


今夜は5度くらいまで下がりそうですが、
まあ、10月も下旬に入りますから、そんなもんでしょうか。


芝刈り機は結局自分では直せず、入院中。
自分は昨日はまあまあ休んで、何とかリカバリ完了。


今日はハジの年末の帰省のチケットを取った。
そんなに早く予約しなくても・・・と思うし、
まだ学期末テストの予定が未定の部分があるそうだけど、
どんどん上がっていくので、もう待てない。


なんだかものすごい勢いで日々過ぎていく。
今年もあと70日あまり。


ここに来て、教会図書の中の一冊の本に目が留まって、
貸出ノートに記入、そして家に持ち帰った。
貸出ノートには、2008年にも借りている記録がある。
んー、覚えていない・・・。


「キリストに似るものとしてください」という題。
今日の願い。今日の祈り。


今日は早速「日々のみことば」。
今日は列王記第一の18:16−29。


「火をもって答える神、その方が神である。」24節。

火をもって答える。
やはり、ここでは、聖霊の炎のことを思わされた。
祈りに対して、聖霊の炎を持って応えてくださる方、
Fresh Fireをもって応えてくださる方。

私たちの心を砕き、きよめ、整え、強くし、元気を与え、喜びを満たしてくださる聖霊様を与えてくださる方。

だから、求めていこう。

「天の父は求めてくる者に聖霊をくださらないことがあろうか」とイエスが言われたのだから、求めていこう。求めなさい、と言われているのだから、求めていこう。

主よ、
火をもって応えてください。
私の心に火を下してください。
私の家庭に火を下してください。
この教会に火を下してください。

2010-10-17

神と向き合う。

今日も、先週に続いて、
穏やかな気持ちの良い日曜日でした。
明日は雲が増えてきますが、
昼間は天気も持って、先週のような雷雨もなく、
気持ちの良い、秋の一日になりそうです。


ちょっと先週は走り続けた1週間だったので、
明日の一日はしっかり休もうと思います。


でも、芝刈りだけはちゃんとやらないと・・・
多分今年最後の芝刈り。
なんだか、芝刈り機がスタートしなくなってしまったので、
明日はその修理から始まるかも・・・。





6日ぶりにジョギングをした土曜日の朝。
綺麗に色づいていた近所のカエデも、
ずいぶん葉っぱが落ちてきていました。
今年はぐっと冷え込む日が多くないので、
紅葉の具合も今ひとつ。
雨のたびに落葉する木と、まだ青々とした木と、それぞれで、
去年みたいにいろいろな木が一気に色づくことがなくて、
ちょっと物足りないです。


今から16年前、
「今年は特別きれい!」と地元の人達が言っていた、
初めてのNJの秋が懐かしいです。


さて、先週訪問してくださった方の影響で、
この週末、ずっと「神様に向き合う」ということを考えていました。


元々、私は神様が横にいてくださる、という気持ちが強いです。
一緒に同じ方向を見ていく、共に行ってくださる方。
でも、聖書の中には、「神様と向き合う」「神と顔と顔とを合わせて見る」と言う言葉のほうがずっと多く出てきます。


一緒に歩くって、寄り添っているような感じ。
一緒に夕陽を見ながら、語り合っている感じ。
バーのカウンターでちょっと本音トークをしている感じ。(自分はバーに行かないけど・・・)


でも、それはホントは向き合うのが怖いからもしれない。
自分をちょっと隠してもいいような感じるかもしれない。


目と目とをあわせて話すことができない人は、
恐れている、怖がっている、不安なんだ、と言われることがある。
ほんとにそうだと思う。


子どもが嘘を付いているときには、「目を見て話しなさい」と言う。


そう、顔と顔とを合わせて見る、ということは、
ちょっと勇気がいる。
心の底まで見透かされているような気持ちにもなる。


それはほんとに自分が神様に対して、
ちょっと逃げていたからかもしれない。
神様に対して、本当に真剣になっていなかったのかもしれない。


ちょっと試し始めている。
神様は私の方にみ顔を向けておられるのだということを信じて、
歩み始めている。


すべてを知ってもらっていい。
正直になろう、そんな気持ちで歩み始めている。


さて、昨日、土曜日の聖書。
列王記第一17:1−7でした。
いよいよ、エリヤの登場。


「わたしは烏に、あなたを養うように命じた。」4節。


すべてを支配しておられる神のもとで歩める、それはなんという幸いだろうかと思った。カラスさえも、命じたように従う。


そして、本当にそんなことが起こった。


毎日、カラスが食べ物を運んできた、という。


昔、「エリヤのカラスは今もいる」ということをしきりに言っておられた先輩牧師がいた。


本当に印象深く残っている。


本気で神様が必要を満たしてくださることを信じて歩んでいこう。
カラスさえも用いてくださる方だ。
そして、この後は、大金持ちのところでお世話になったのではない、
貧しいやもめのところで、養われた。
そして、彼の存在がその彼女と子供との祝福となっていった。


私は何を当てにしているだろうか?
本当に、全てを支配している神を見上げていこう。


主よ、
私は結局のところ、どこまであなたを信頼しているのでしょうか?
どこまで本気であなたを信頼しているでしょうか?
あなたが全てを支配していることを、
信頼して、あなたの最善を信頼して、歩ませてください。