2010-06-19

神を信頼すること。

暑いです。
今日はまあ、それほどひどくなかったですが、
明日はまた蒸し暑くなりそうです。
雷雨も30−40%の予報が出ています。


さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙4章1−11節。


「そして、あなたがたは子であるがゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わして下さいました。」6節。


イエスが御父を信頼していた信頼を、
その内側にある思いを知っておられる御霊を、
私たちのために送ってくださった。

同じ信頼を持つことができる。
イエスがもっておられた信頼を、私たちも神様に対して、持つことができる。
聖霊様によって、私たちはそのような思いで神様の前に立つことができる。

その味を、経験させていただきたい。
もっともっと経験させていただきたい。

どっぷりと、主を信頼する。
身をゆだねる。

そこに広がってくる世界。
そこに見えてくる世界、
そこに生きていきたい。

主よ、
聖霊様によって、
イエスが御父に持っていた信頼に生かされることに感謝します。
どうか、その素晴らしさをもっと経験させて下さい。
もっともっと、「ああ、これが神様への信頼なんだ、イエスがもっておられた信頼なんだ」ということを味わうことができますように。

2010-06-17

信頼。

いろんなことがあった一日でしたが、
今の思いは、水、木の「日々のみことば」の聖書箇所、
ガラテヤ3章1−18節のパウロの言葉に表されているので、
今日は早速「日々のみことば」から。


「あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。」5節。

主が新しいことを始めておられることを感じる。
ただ人が集まるとか、集まらないとかではなく、
主を求め、主をしたう人々が起こされてきていることを感じる。
新しいことが始まっている。
とてもエキサイティングな主の御業が始まっている。

それは私たちが何かをしたからではなく、
神様がそのように決められたから。
神様がそのようにされているから。

松岡先生のお話を聞きながら、
本当に人間の力ではない、人間の努力ではない、
神様が御業をなされるときはなされる。
だから、それを信頼して、ただ、見せていただくことが大切なのだと、
思わされている。

そう、信仰は「主への信頼」。

もちろん、それを潰そうとする力も働いている。

だから、注意しながら、でも、主を信頼して、
主の奇跡を祈っていこう。
主がこれからもさらに奇跡をなしてくださることを、
待ち望んでいこう。

主よ、
あなたを信頼します。
私たちの力ではなく、あなたを信頼する信仰の大切さを思います。
単純に、幼子のように、あなたを信頼する者とならせて下さい。

ホンモノを大切に。

日付が変わって、17日になりました。
昨日は雨の予報でしたが、
雨が降り始めたのは、日付が変わった12時過ぎ。
12時半から雷雨で激しい雨がふりました。


今日はまた爽やかに晴れるみたいです。


さて、一昨日、火曜日の朝に、
松岡先生を空港まで送る道すがら、
いろんな話をしていました。


その中で、私は一つ質問しました。
「先生は、自分がお坊さんからクリスチャンになった経験から、『入り口はどこでも、最後はおんなじところに行くんだよ』と宗教はみんな同じみたいなことをいう人にはどんな風に話したいですか?」と。


それに対する先生の答えは大体こんな感じ。


自分はもうこの真理に出会ったので、これが唯一の道だ、と言える。
真理に出会ったら、坊さんをやめるのも、仏教をやめるのもあたりまえだった。
でも、最初から、「他のはみんなダメ」と言っても、しょうがないでしょう。
自分も、「坊さんやめないならば、教会に来るな」だったら、途中でやめていたでしょう。
大切なのは、この真理に出会うことです。ホンモノにであってもらうことです。
他の道を否定することではなくて、本当の道を示すことです。
神様につながる道はイエスしかないけれども、そのイエスに至る道は沢山あるでしょう。自分の場合は仏教の道を通って、ホンモノであるイエスに出会ったんだと。


・・・なるほど。でした。


そしたら、その午後、「エホバの証人」の方が来られました。
岩井さんというお上品なご婦人。
86年頃からエホバさんとうベテラン。


いつもは時間もないので、すぐに帰っていただくのですが、
「ホンモノを伝えることです」ということで、
エホバさんの問題を指摘することよりも、
ホンモノを伝えようと、思いました。
でも、いかんせん、やっぱり時間の制約はあり、
「聖書に答えがある」という事では「そうですよねえ」ということになったので、
「インターネットで『ニュージャージー』『教会』で検索してみて下さい。聖書のメッセージが聞けますよ」とお伝えしました。
生意気な態度だったかもしれません。エホバさんに負けない丁寧さを身につけたいと思いました。


さて、火曜日の聖書。
火曜日はガラテヤ2:11−21でした。


「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」20節。

これは本当にそのとおりだと思います。
私が生きているのは、わたしを愛して命を与えてくださった方を信じる信仰がすべてです。

本当に感謝です。
私を愛してくださった方に。
わたしのためにご自身を与えてくださった方に。

本当にこの感謝が原動力です。
これが私の命の源です。
ここから私の目がそれるときには、
元気がなくなります。
違うものから力を得ようとすると、
欲求不満になります。

主の恵み、主の愛、十字架の力、
それに焦点が合う時に、
自分は前に進んでいけます。

いつもここに目を注いでいけますように。

かみさま、
あなたの愛に感謝します。
あなたの十字架の愛に感謝します。
今日もこの生命に生かしていただけますから感謝します。
あふれる命に生かして下さい。

2010-06-15

沈没だな。

はい、今朝、無事、松岡先生を空港にお送りして、
その道すがら、いろんな話をして、
いろいろ書きたいことはあるのですが、
今日はおとなしく、沈没しておきます。

いろいろ溜まっていることがあるので、
明日更新できるかどうか分かりませんが、
日々、守られて、元気でやっています。

2010-06-14

この街に生かされて。

日本、勝ちましたね!
「はやぶさ」に続くグッドニュース。
これからも良いニュースが続きますように。


今日は朝はどんよりしていましたが、
だんだん晴れてきました。


夜もすかっと晴れています。
明日も気持ちよい天気でしょう。


週後半はまた暑くなりそうです。


さて、今日は、松岡先生をご案内して、NY。
夜はNYで集会だったので、
午前中、先生を船着場に送り、自分は地区の日本語教会牧師会。
そして、午後には合流して、NYを歩きました。


またあのTimes Squareの階段に座って、ボーッとしてしまいましたが、
すごい人口密度。
たくさんの人々が歩いているのを見ながら、
また有名な「裸でギターを弾いているおじさん」(・・・え、自分よりもずっと若い!おじさんじゃなくてお兄さんだったんですね!)を横目で見ながら、
ああ、自分はこの街に神様から遣わされているんだなあ、と思いました。


さあ、神様はどんなことを考えておられるんでしょうか。


松岡先生はお坊さんの息子として生まれ、
でも、神様の使命をしっかり受け止めて、
神様に従って、その経験を用いて頂いている。


私も神様の使命に立って、
今まで与えらえれてきたこと、
自分の生い立ち、
自分の才能、すべて主のために用いていただきたい、
そのように思わされました。


さて、土日月の聖書、
ガラテヤ人への手紙が始まりました。
1章〜2章10節まで。


実は土曜日、ガラテヤ人への手紙が始まった日に、
もう止まらなくて、今日の分まで読んでしまっていたのでした。


「けれども、『以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている』と聞いてだけはいたので、彼らは私のことで神をあがめていました。」1:23-24

これはすごいですよね。
松岡先生を見ていてもそうですが、
神様のなさることはすごい。

神様のなさることはすごい。
それを崇めていくことが、
私たちの生涯なんでしょう。

自分の何かではなくて、
神様のなさることはすごい。

これからもすごいことを見せていただきたい。

神様、
これからも、すごいことを見せてください。
そして、それを見た人が、あなたを崇めますように。
私も、一つ一つの出来事の中にあなたを崇めることができますように。

2010-06-13

困難を乗り越えて。

久しぶりの更新です。


更新出来ませんでしたが、
松岡先生をお迎えしての3回の集会、
そして、個人的なお話の時、幸いな一時を持たせていただきました。


今日は蒸し暑さと雨と。
夜になって、しとしと系の雨も降っています。


明日もちょっと雨がふりそうです。
でも、大崩れはしないみたいですし、
またちょっと蒸し暑そうです。


今週はずっとそんな天気みたいです。


さて、今日は日本は「はやぶさ」のニュースが大きかったみたいですね。
私も密かに注目していました。
7年前に打ち上げられた小惑星探査機。
いくつもの困難、トラブルを乗り越えての帰環には励まされた方々も多いはず。


途中、行方不明になったり、エンジンが壊れたり、姿勢制御ができなくなったり、
どんなに大変だっただろうかと思います。
時々流れてくるニュースに「もうダメでしょう」と思った記憶もあります。
でも、スタッフは諦めなかった。投げ出さなかった。


そして、今回の帰環。


私も、どちらかと言うと簡単に諦める方。
でも、この粘り強さに本当に励まされました。


ちょっとだけでも見習うものになりたいと思います。


さて、先週の木、金の聖書。
木金、2日間にわたって、第2テモテ4章を読みました。


「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても・・・」2節。

本当に単純にこの御言葉に聞こうと思います。
どんなときにも単純に、愚直に御言葉を語る者でありたいと思います。

「時」を言い訳にすることがありませんように。
私の心が「時」を言い訳にすることがあったら、
この御言葉を思い出すことができますように。

主よ、
御言葉を語り続けます。
主がお一人ひとりに触れてくださいますように。
私は私の使命を果たし続けていくことができますように。
あなたを信頼します。