2008-12-22

除雪遅くない?

今日は本当に寒い一日でした。
最低気温は-11度。最高は-5度。
一日氷点下の真冬日でした。


これは土曜日の写真ですが、
本当にきれいに雪化粧しました。



今朝、教会に祈りに行こうと、6時前に車を出そうとしたら、
Drivewayから道路に出たところで、スタック。
前にも後ろにも進みません。

こんな感じで、タイヤが雪にはまって空回りして
動かなくなってしまいました。


スコップで雪を掘ったりいろいろしたのですが、
うまくいかなくて、最後はのんちに助けを求めることに・・・。
もちろん、押してもらったんじゃなくて、運転席に座ってもらったんですが、
助けてもらったら、一発ですんなり出ました。ほっ。


でも、ウチの前だったから助けが呼べたわけで、
誰もいないところだったら、大変でしょうね。
いろいろ車に積んでおこうと思った朝でした。


そう、週末から思っているんですが、
今回の雪、除雪遅くないですか?


もしかして、ホワイトハウスと自動車業界から
ニュージャージーの各町にお願いが来ていたんじゃないかな、と勘ぐっております。


あんまり除雪をばっちりやらないでください・・・と。
特に日本のメーカーの小型車を置いている家の前は少し多めに雪を残すようにと・・・。
もちろん、そんな意図はばれないように、抜け目なくやれと・・・。


で、今日あたりはこの週末雪で苦労された方々が、
昨日の夜、「やっぱり四駆がいいねえ」と家族会議をして、
GMとFordとChryslerのディーラーにSUVを求めて殺到することをねらったと。
ここは何とかみんなで自動車業界を盛り上げていこうじゃないかと。


きっとそんな通知が来ていたんじゃないかなあ、なんて思っています。


その手は桑名の焼きはまぐり、ですが、
ホント大変でしたね。
あ、実際に作業しておられる皆さんには感謝しております。
町の予算とかいろいろ限られている中で、
がんばっておられるんですよね。
ハイ、感謝しております。


明日は今日よりもう少し寒さがゆるむみたいです。


さて、たまってしまいましたね。
ここで土曜日の聖書。
土曜日は黙示録の16章1-9節。


「あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」7節。

神さまのさばき、ということについて考えされられています。
ずっと、黙示録を読んでいる中で、
自分の心にこの「さばき」に対する抵抗感があることに気がつかされています。

この「さばき」を軽く見たいという気持ち、
神さまがこのようなことをなさることに抵抗を感じる気持ち、
いろんな思いが去来します。

でも、この裁きの深刻さ、この恐ろしさがあるからこそ、
イエスが救い主としてこられたことに意味があるんですよね。
この裁きが恐ろしいから、イエスは十字架にかからなければならなかった。
ここまで深刻だからイエスの十字架が必要だった。

その裁きの恐ろしさをDiscountしようとするときに、
救いのすばらしさも、神の愛の大きさも、
Discountされてしまう。

この裁きの恐ろしさに向き合うことの大切さを思わされます。
割引しないで、値引きしないで、向き合うことの大切さを思わされます。

主よ、
あなたの裁きの厳しさを、
罪の結果の恐ろしさを教えてくださってありがとうございます。
それがあるから、救いがすばらしい、
それがあるから、あなたの愛の大きさがわかる。
どうか、私の心のこだわりや恐れを取り除いて、
裁きの恐ろしさから目をそらさないで、
あなたの愛の大きさに目を開かせてください。

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