2008-12-16

聞くってむずかしい。

今日は昼間は雨がぱらぱら、時々あられがぱらぱらだったのですが、
夕方、薄暗くなってきてから雪が降り始めました。


たいしたことはないのですが、初めての積雪。
夜の12時頃でこんな感じです。

そして、まあ、こんなもんだそうです。
もうあられになってきていると思いますが、
明日の朝までには雨に変わるようです。


でも、このあと、あさっての夜にはまた雪の可能性。
そして、日曜日の夜から月曜日にかけても雪の可能性です。


日曜日はJOYJOYクリスマスが終わってからにしてもらいたいです。


今日の夜、日本のテレビを見ていたら、
5月に日本で放送していたケニアの状況についての特集 をやっていました。
ケニアはこの間のWatotoのウガンダの東隣の国。
エイズの問題やスラムの問題はあるのですが、
それでも、隣国ウガンダとは違って、
アフリカの中では平和に成長を遂げてきた「優等生」の国だそうです。
その国で去年の末から、今年初めに起った暴動と民族対立を描いていました。


その中で、痛々しかったのが、
現大統領の出身民族で富裕層を多く出しているA族と、
今回、そのA族と激しく対立したB族の話し合いの様子。


そこに至るまでにA族の一人の牧師の、献身的な働きがありました。
一人でB族の人々が逃げてキャンプをしていたところに出かけていって、
話し合いをしよう、もう一回一緒に町を築き上げよう、と、
B族の代表の人たちをなんとか話し合いの場に引っ張り出してきたのです。


「みんな一緒だから、同じケニアの国の仲間だから仲良くやろう」というA族に対して、
自分たちがどんなに不公平に扱われてきたか、
そして、いかに自分たちがこの暴動の中で身の危険を感じてきたか、
それを訴えるB族。(他の町では反対にB族の暴力でA族が被害者になった地域もあります)
そのB族の人々の訴えに、悲しいことにA族の人々は耳を傾けることができないのです。
地方政府の役人もA族。彼は「今はそんなことを言い合っている場所ではない、もう傷つけあうのはやめよう」と言います。
でも、たぶんB族の人はただ、自分たちの声を聞いて欲しかった、少数派で、弱者の立場にいる自分たちの声を聞いて欲しかった、そして、真剣に考えて欲しかった、わかって欲しかった、自分たちの恐れを理解してほしかった、それだけだったのだと思います。
でも、残念なことに、痛ましいことに、A族の人々は自分たちも傷ついていたのでしょう、その声を押さえ込んでしまうのです。傷口を消毒しないままふさいで、絆創膏を貼って、痛み止めを処方しているのです。


客観的に見たら、「え、聞いてあげてよ」と思うのですが、
たぶん、自分があの役人さんの立場だったら、やっぱり同じレベルのことを言っていたかもしれない、同じように傷口を消毒しないで絆創膏を貼るようなことをしたかもしれない、いや、今自分はそういうことをしていないだろうかと、思わされたのです。


「人の話を聞く」


とても大切なことだと思います。
でも、とてもむずかしい。


愛をもって耳を傾ける、
学ばせて頂きたいと思います。


水谷先生の15日の記事 も参考です。
自分は「人の言いなりになって聖書の原則に反する判断をしてしまう」と「人の話を聞かない」の両極端を行ったり来たりだなと思います。少しずつ学ばせて頂きたいと思います。




さて、昨日の聖書。
昨日は黙示録の13:1-10


「彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され・・・」7節。

神さまが共にいるから、大丈夫、
私たちはそう思っている。

でも、神に従う者たちが負けることがある。
それが神さまの許しの中で起ることがある、という。

それも主の御手の中にあると思うと、
かみさまにとってout of controlではないんだと思うと、
ものすごく心が助けられる。

大丈夫。

神さまはすべてを支配しておられるから。

敗北のように思える出来事があっても、大丈夫。
主の御許しなしには何も起こりえないから。

主よ、
私たちが敗北することがある、ということに驚きました。
でも、それと共に、私たちが敗北することも、
あなたの御許しなしにはあり得ないことを知りました。
だから、安心です。
あなたの御手の中にあるからです。
どうか、守り続けてください。
あなたの御手の中に生きる喜びに満たしてください。

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