2007-12-25

ほっぺたが落ちるのはこわい

今日は朝ちょっと冷え込みましたね。
確認するのはうっかり忘れていましたが、
朝、教会で祈るために外に出たら、空気がひんやりして、
残っていた雪もしまっていました。

でも、昼間は7度くらいまで行ったようです。

今は-1.5度。
明日の朝はこのまま-3度くらいまで下がるでしょう。

そして、明日は東の海上を低気圧が通ります。
ちょっと雨が降るかもしれません。

今日は朝教会でお祈りしたあと、
うちに帰ってまた一休みと思ったら、
昼前まで寝てしまいました。
そして、昼食を家族で食べていた時に、
「おいしいね」ということをどう表したらいいかと思って、
今風で言えば「これヤバイ」と言うことなんでしょうが、
昔はなんて言っていたかなあ思い出していたんですね。

そしたら、「おいしくてほっぺたが落ちる」という言葉を思い出したんですよ。

それはまだ私が大阪にいる頃ですから、
3歳か、4歳くらいの時だったのですが、
父がおやつに何か粉を溶いて・・・
考えるとホットケーキかクレープみたいなもんだと思うのですが、
何か作ってくれたんですよね。

でも、その時、父がつくりながら言った、
「これはおいしくてほっぺたが落ちるぞ」といった言葉で、
ものすごく怖くなってしまって、
「それなら、ボクは食べない」と言って、
兄や弟が食べているのをホラー映画でも見ているような気持ちで、
自分のほっぺたを押さえながら、柱の陰から見ていた記憶があります。

いや、本当に怖かったんです。

それから、しばらく甘いものとかほしくなかったですね。
マジでほっぺたが落ちる場面を想像していました。

でも、それを考えると、
いまの「これ、ヤバイ」というのは、
ちょっと表現としては余り内容がないですね。
自分も言葉が貧しいなあと思わされることが多いですが、
豊かな表現を身につけたいなあと思います。
子供に誤解されるのはまずいですが、
「誤解された時にコワイくらいの気持ちがする」言葉は貴重なんだと思います。

日本語を磨きたいなあ、と思わされた一時でした。

今日の聖書。

今日はアドベントの聖書日課の最終日。
マタイによる福音書2:1-15を読みました。

「そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」
11節の言葉です。

この「拝んだ」という言葉が心に留まりました。

自分は本当に主を拝むような歩みをしているだろうかと。
イエスを礼拝しているだろうかと。
この博士たちは、十字架も知らなかった、
イエスのメッセージも知らなかった、
ただ、赤ん坊の、何もできない、とても弱い赤ん坊のイエスを
礼拝した。

自分は知っているのに、
自分はわかっているのに、
本当に礼拝しているだろうかと。

主を拝む、
本当に文字通り跪いて拝む歩みをしたいと思いました。

主よ、
今年のクリスマスをありがとうございます。
あなたの前に出て、
あなたと共に歩むことができたこと、
教えられた一つ一つのことに感謝します。
どうか、あなたを本当の意味で拝む者とならせてください。

このクリスマスの喜びを日々の歩みの喜びとしてください。

明日から大晦日までの6日間は
ガラテヤ人への手紙を一日1章ずつ読みます。

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