2007-12-27

愚かになる

今日はまたどんよりな一日でした。
朝は2度くらい、昼間は5度くらい。

明日の朝は氷点下の予想が出ていますが、
今は夜の9時過ぎで4度あります。

明日の昼間は曇りのようですが、
夜にはまとまった雨になりそうです。

ところで、今、天気予報の世界では、
大晦日がどうなるかが、話題になり始めています。
Stormが東海岸に雪を降らせるかどうかです。

私は余り期待していないのですが、
可能性はあります。

さあ、どうなることでしょうか?
詳しくはまた明日に。

日本も年末年始は寒気みたいですね。

来年1月末から2月半ばまで日本を訪問します。
まだ詳しくは何も決まっていませんが、
東京圏と関西圏を中心に回ると思います。
また、詳しく決まり次第、予定をUPします。

余り寒くない2月となりますように。

今日、時間を作って、
(つまり、また後回しになってしまった仕事はあるのですが・・・)
右のリンクにあるCGNTVで、三浦綾子さんの特集を見ました。

その最後の方で、綾子さんが神を求め始める大きな転機となった
出来事を紹介しながら、「道ありき」から引用していた言葉が
心に深く留まりました。

「結局は、人間は死んでいく虚しい存在なのに、またしても何かを信じようとするのは、愚かだと思った。しかし、わたしはあえて愚かになってもいいと思った。」

彼女を導いた前川正さんの姿に綾子さんが「信じる」ことを取り戻すことができた出来事でした。

「愚かになってもいい」

そのように人に思わせるものがこの人の中にあった。それはまたその人のうちにある「愚かさ」だった。理屈は通らないんだけれども、信じてみようと思わせるものがあった。
そして、それはもっとさかのぼると、イエスの中にある、神の中にある「愚かさ」なのではないだろうか。

今、自分はもしかしたら、この愚かさを見失っているのかもしれない。
その神の愚かさに支えられて、造り替えられたのに、自分自身は愚かにならないようにがんばっているのかもしれない。損をしないように、バカを見ないように、愚かにならないようにがんばっているのかもしれない。

愚かになっていい。

いや、

愚かになりなさい。

そんな声を聞いたような気がしました。

さて、今日の聖書。

今日はガラテヤ人への手紙2章を読みました。

「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」20節

自分の信仰が、いつもいつも十字架のめぐみに根ざしているようにと願いました。

時には、「~らしい」ということを求めている自分を感じるからです。
「牧師らしく」とか「クリスチャンらしく」とか。
そのように生きているだろうかと考えている自分がいます。

それが私自身の歩みの土台にすり替わっていないだろうかと。
それが自分の生活の原動力になっていないだろうかと。

ただただ、十字架のめぐみが自分を生かしている、
自分の生活を導いている、
そのような歩みをしたいと思います。

その中で、「どうせ赦されるから・・・」と神様の愛をなめる者ではなく、
主の喜ばれる歩みを求めていく者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの愛を、
あなたの十字架のめぐみを、
もっともっと味わわせてください。
そして、そのめぐみに心満たされて、
喜びにあふれて歩む者でありますように。

3 comments:

  1. 錦織先生、

    こちらアラバマは比較的暖かい日が続いています。本日の気温は華氏で60度くらいまで上がりました。

    ガラテヤ人への手紙2章。1節が目に留まりました。

    「それから14年たって、」

    2章を読んでいて、年月を経った後もパウロの異邦人への使徒としての自覚が全く薄れていない、それどころか、その自覚がますます強くなっていることに引きつけられました。

    11節「・・・私は面と向かって抗議しました」、そしてガラテヤ人への手紙の骨格であろう16章。割礼を受けていない者=僕への福音でもあると諭され、パウロのメッセージが時空を超えてとてもリアルに感じられました。

    先生のコメントの中で「十字架のめぐみ」、とても心に響きました。

    >時には、「~らしい」ということを求めている自分を感じるからです。
    ↑僕も同じですわ。その中でもクリスチャン「らしく」謙虚に生きるとはどういうことかとこの頃考えていました。ひかえめに自分を殺して、謙虚になることが聖書で語られる謙虚なのだろうかと。時には自分を抑えることも必要なのだろうけど、それが続くと疲れちゃう。

    最近、兄弟姉妹に受け入れてもらっているという事実が僕に気負わなくていいよと言ってくれているんだなぁと思わされました。兄弟姉妹とのフェローシップを通して謙虚さを学んでいるようです。

    神様に信頼しているなら、虚勢を張る必要はなくなりますね。神様に愛されていることが自分のものになっているなら、背伸びをしなくても良い。受け入れられているなら、他人に対してcompetitiveにならなくてもいい。

    「謙虚になりなさい」という聖書のMSGを「虚勢を張る必要はなにもないんだよ」と置換えてみるとすんなりと心に沁みてゆきました。

    その兄弟姉妹に愛されていることで、虚勢を張らなくてもいいし、背伸びをしなくてもいい、また、competitiveになる必要もないと語られています。

    >そして、そのめぐみに心満たされて、喜びにあふれて歩む者でありますように。
    ↑アーメンです。

    J兄@アラバマ

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  2. かきごおり先生
    今日明日は、雨のようです
    あさっては、太平洋側雪になるらしいので
    帰省は、明日中になんてニュースで言っていました
    NJ、暖かいですね

    先生のコメントを読んで、三浦さんの特番
    もう一度見たくなりました^^

    「~らしい」「~らしく」
    ハイ、これよく考えます
    気負いすぎてしまうって言うか・・・

    来月再来月は、先生、ふるさとへご帰還ですか
    きっと毎日お忙しいでしょうね^^
    寒くならないように祈ります^^

    ガラテヤ 2
    先生と同じところで留まりました
    読みながら、先生ここかな??なんて思っていました
    >私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子
    クリスマスのメッセージと重なって
    グッと来ました
    十字架にかかるために、この世に来てくださった
    十字架の恵み
    >そして、そのめぐみに心満たされて、
    喜びにあふれて歩む者でありますように
    J兄さま同様に、アーメンです

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  3. J兄、

    60度!摂氏だと15度くらいですね。いいですねえ。
    実は2月に日本から帰ったあと、ホンの一瞬ですが(21日と22日)プライベートでアトランタに行くことになりました。もう春めいていてくれたらいいなあと思います。

    >兄弟姉妹とのフェローシップを通して謙虚さを学んでいるようです。

    「聖徒の交わり」という言葉が信仰告白に出てきますが、たぶん、そういうことなんだろうと思います。愛されることも感じるし、また謙虚になることも学ばされる。

    皆さんの存在に感謝します。


    旧ジャージーさん、

    >帰省は、明日中になんてニュースで言っていました

    これって、本当に懐かしい日本の風景ですよね。日本のお正月、最後に過ごしたのは92年ですから、16年前!!!お正月も3日まで休みでねえ。

    でも、本当にすごい寒気のようですね。
    森田さんの「天気で斬る!」でも大騒ぎしていますね。
    旧ジャージーさんのところも、ご主人が雪かきに精を出さなければいけなくなるのでは・・・(^^)

    >十字架にかかるために、この世に来てくださった

    こちらはクリスマスが終わっても2週間はクリスマスの空気が残ります。水曜日にNYの祈り会をしたマクドナルドの中でもまだしっかりクリスマスソングが流れていました。

    クリスマスのメッセージと、十字架のメッセージ、本当に一つですよね。そこまで愛されていること、もっともっと感謝が湧いてきますように。

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