2008-01-02

沈黙の恵み

今日は寒い一日でした。
朝からずっと氷点下。
最高はちょうど0度くらいでしたが、
今は夜の11時で-9.1度です。

ちなみにシカゴは-13度。
ミネアポリスは-17度です。

明日の朝は-10度から12度くらい。
華氏で1ケタになるかもしれません。

そして明日の最高気温の予想は-4度くらいです。

寒い一日となるでしょう。

でも、その寒さも、金曜日にはゆるんで、
週末からは冬らしくないくらい暖かくなるようです。

そして、それが1週間以上続くようです。
助かります。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書1章18-25節。

「やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。」22節。

ザカリヤが口がきけなくなったことは、
「信じないことに対する罰」というイメージが強かったのですが、
今日、ここを読みながら、
「沈黙」の大切さを思いめぐらしていました。

私もコミュニケーションの大切さを感じていますし、
このように聖書を読んで感じたことを分かち合うようにと、
皆さんに勧めています。

腹を割って話し合うこと、
感じたことを腹の中にしまっておかないで、
話すことの大切さが、いつも語られています。

でも、というか、だからこそ、
「沈黙」がどれほど大切なのだろうかと思います。

ヨシュア記でエリコの町を攻略する時に、
話をすることが禁じられたのはどうしてだろうか、
と考えたことがあります。

おそらく、「何のためにこんなことしているんだろうなあ」という、
思いになって、そういう話が盛り上がることを、
神様は禁じられたのではないだろうかと思います。

沈黙を守っている中で、
自分が神様との関係の中で、
解決を頂けることも、
人に話す中で、
大きくなってしまうこともあります。

こう書きながら、「話をすることの大切さ」を
やっぱり感じている自分がいます。

でも、いや、だからこそ、
沈黙が与えられる時がある。
沈黙を守らなければならない時がある。

そう思いました。

ちょっと先のことを書きますが、
ザカリヤが再び口がきけるようになった時、
そこから出てきたのは神への賛美でした。

私もそのような者でありたいと思いました。

沈黙の中で神に向かい、
沈黙の中で、神と語り、
神に教えられ、
御言葉によって語られて、
解決をいただいていく、
そのようなことも必要だと思いました。

主よ、
沈黙の大切さを教えてくださりありがとうございます。
語るべき時と、黙るべき時、
あなたが教えてください。
あなたが導いてください。

そして、私があなたの導きに対して、
いつも敏感であることができますように。

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