2007-12-31

感謝。

昨日の予報はずれましたね。

昨日寝る時には2度で雨。
そして、朝起きたら1.2度で晴れ。

その間に何があったかはわかりませんが、
雪化粧はしていませんでした。

そして、今日は一日晴れ。
このあと曇ってきて、
明日は雨になるようです。

今は夜の10時45分。
今年もあと1時間あまりの時点ですでに
氷点下0.9度です。

今年一年を振り返って
やっぱり今日、感謝が湧いてきます。
もちろん、きついことや悲しいこと、
「どうして・・・」ということもありました。
まだ解決を見ていなかったり、
どのようにしたらいいか迷うこともあります。

でも、やはり感謝が湧いてきますね。

なんだろうと、
今日、車の中で、家族と話しながら、考えたら、
やはり新しい方向性が見えてきたことでしょうか。
何が教会にとって大切なことか、
見えてきたことでしょうか。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」
ヘブル12章2節。

そのことの大切さが見えてきて、
何か本当に平安です。

だから、感謝します。
そして礼拝でお話ししたように、
主に祈りつつ進んでいきたいと思います。

やはり教会は神様の奇跡を見ながら歩まないと・・・。

それから、今年はちょっと健康のことも曲がり角。
基本的には元気なのですが、
今年は元旦から1週間、
それから5月の修養会の時、
1年で2回もかなりひどく体調を崩して、
教会の皆さんにご迷惑をかけました。

それから、膝の痛みがとにかく手すりがなければ階段が上れないくらいになってきました。
こんな小さないくつかの弱さも、なってみないとわからないものですね。

ちょっとくやしいというか、
でも、大切なことですよね、
その小さな弱さを受け入れていくこと。

(ホントは、明日教会でバレーボールができるように着替えと靴を持っていこうかと思っているのですが・・・。)

アレルギー以外でお医者さんに行くことも余り無かったのですが、
これからは、ちょくちょく、お世話にならないと・・・です。


さて、今年最後の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙の6章を読みました。

「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」14節。

私の好きな聖書の言葉の一つですが、
今日はその一番最後の「私も世界に対して十字架につけられた」という言葉も心に深く留まりました。

私と世界との関係にも、十字架が、イエスの十字架がそこに立っている。
そして、私もすでにこの世界に対して死んでいる。

世界に対して何か自分がアピールする必要もない。
何か認められる必要もない。
ただ、イエスの十字架が見られてほしい。
イエスの十字架に感動する人々が起されてほしい。

本当にそこに生きる、徹底的にそこに生きる者でありたいと思います。

主よ、
この一年に感謝します。
一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つの出来事に感謝します。
あなたとの関係がもっと深くなったことに感謝します。

どうか、これからも、あなたとの関係の中に
生きることができますように。

出会った一人一人のうちに神様、あなたの守りと祝福がありますように。

明日から、「日々のみことば」を使って、
聖書を読みます。
聖書箇所はこのページの右の上の方に出ています。

今11時24分・・・今年もあと36分です。

2 comments:

  1. かきごおり先生

    本日のこちら、快晴で気温は華氏60度ほどまで上がり最高のお天気でした。でも、半日は仕事でしたけど。これでようやく年が明けることになります。

    今年一年間ありがとうございました。ミシガンキャンプでは感謝に恵まれた再会の機会となりました。その後、箴言とガラテヤ人への手紙の通読へと導かれ、霊的にたいへん励まされました。ありがとうございます。

    今年はほんとうに長~い一年でした。歳を重ねる毎に年月の流れの早さが身にしみますが、今年はこの歳でこんなにも一年を長く感じることが出来きたのはある意味でラッキー☆だったのかもしれませんね。

    マジでいろいろありましたが、辛い時、悲しい時こそが絶好の感謝の時であることを諭されました。

    いつも先生に祈られておりますこと感謝です。来年も引き続き多くの兄弟姉妹の方々に祈られる信仰者でありたく願います。よろしくお願いいたします。

    ガラテヤ人の手紙第6章。目に留まったのは15節。

    「割礼を受けているか受けていないかは、大事ではありません。大事なのは新しい創造です。」

    この章を読んだ時に、あれ?これ、どこかで似たような聖句があったよな…と思いました。よくよく思い出してみると、それは5章6節の箇所でした。

    「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」

    6章15節と5章6節を重ね合せてみると、大事なのは「新しい創造」=「愛によって働く信仰」と読むことができました。なるほど!愛によって働く信仰とは神様の新しい創造だったのだと。信仰が神様の創造、しかも、キリスト・イエスにあっては、その信仰が愛によって働くとの理解が与えられたのは実に衝撃的でした。

    神様の創造を考える時、形あるものばかりに目を留めていましたが、形のないものも神様の創造であるのは当然であり、その点をすっかり見落としていました。そして、神様の力はイエス様を通して形のないものにも働かれているのだと。「すげー!」聖書の理解がグイグイと数段深まったという感じです。

    先生との聖書通読を通して、一人よりは二人、二人よりは三人で進めて行くことで、理解がより深まるものだと学びました。つまるところ「人が、ひとりでいるのは良くない。」ということですね。これからの神様の新しい創造に大いに期待しつつ。

    ありがとうございました。また、機会があれば聖書通読をご一緒させて頂ければ幸甚です。

    倉田淳次郎@アラバマ

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  2. J兄、

    本当に一年、いろんな形で共に歩めたことを感謝します。

    ミシガンでの再会、あれは本当に特別でしたね。二人でグラウンドで寝そべって見た星空。たくさんの流れ星の中で、でも、もっともっと語り合いたかったですね。

    そして、このページへの兄の書き込みがどれほど私を励ましただろうかと思います。

    ここに来られる方々にとって、J兄の存在は本当に身近になって、大きくなったのではないかと思います。

    兄に与えられた試練の一つ一つ、主がみそば近くに兄を招かれていたのだと心から思います。それは本当にキツイことで、受け入れるのも難しいことだったと思いますが・・・。

    >愛によって働く信仰とは神様の新しい創造だったのだと。

    本当にそうですね。神様の創造でなければ、それはあり得ない!

    兄の御言葉に対する情熱にもいつも励まされます。

    >一人よりは二人、二人よりは三人で進めて行くことで、理解がより深まるものだと学びました。

    本当にそう思います。これからもどうぞよろしく。

    心から感謝しつつ。

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