2007-12-08

主は待っておられる

日付変わっちゃいましたが、
7日のつもりで書きます。

今日の朝は冷え込んで-6.4度。
昼間も1.4度までしか上がりませんでした。
そして、2時半頃から雪。
またうっすらと雪化粧しました。

でも、今夜は冷え込みがゆるんで、
今、夜の12時過ぎですが、0.7度と0度を超えています。

明日はこのところの寒さからするとずいぶん暖かくなりそうです。
でも、10度までは行かないでしょう。
やっぱり冬ですから・・・。

で、数日前に、
winter is over(冬は終わった)と言っていた、天気予報のおじさんが、
「冬の寒さが厳しくない、ということは、暖かい空気と、冷たい空気がぶつかるので、
雪が多いかもしれない・・・」なんて言い出しました。

ずるい・・・。

でも、確かにそれは一理あります。
東京の雪が2月に多いのも、同じことなんですが、
冬の寒さが厳しいと、南の海上を低気圧が通ることが少ない、

こちらでも、冬の寒さが余り厳しいと、東の海上を低気圧が通ることが少ない・・・のかなあ。
でも、1995年11月から1996年2月の雪の多さは、
厳しい寒さの中を、東の海上を低気圧が通ったからで、
やっぱり寒さの厳しい冬の方が、雪が多いように思いますが・・・

まあ、どうなることでしょうか。
個人的には今日みたいなうっすら雪化粧、みたいな雪の降り方が、
風情があっていいと思うのですが・・・。

さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書の30章8-17節でした。

昨日見た、QT基礎セミナーの学びを生かして、
「何か適用を見つけよう」と一生懸命になるのではなく、
神様と共に時間を過ごし、神様に話しかけながら、読みました。

「それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。」
17節です。

アドベントです。
自分が神様を待ち望んでいるかのように思っていました。
自分が祈りながら、クリスマスを待ち望んでいるつもりでした。

でも、主が私のことを待っていてくださる。
毎朝、毎朝、主が私が主のもとに行くのを待っていてくださる。

私が主の胸に飛び込むのを、
ずっと待っていてくださった。

ちょうど、放蕩息子のお父さんが、
お兄さん息子を待っていたように。
自分の胸に飛び込んでくるのを待っていたように。

そう、お兄さん息子の方。

主が待っていてくださることに感謝しました。
努力してそのことを思い出そう、というよりも、
一日の歩みの中で、
「ああ、主は今も私を待っていてくださるんだなあ」と何度も思いました。

「私たちに正しいことを預言するな。私たちの気に入ることを語り、偽りの預言をせよ。」
という人々の預言者に対する言葉、10節の言葉も心にぐさっと来ました。

主の語られることに、
主が語られることに、
主が命じられることに、
忠実に聞いていくものでありたいと思います。

主よ、
待っていてくださるあなたに感謝します。
待っていてくださるから感謝します。
どうか、語ってください。
そして、あなたに語られたこと、
大胆に語る者とならせてください。

No comments:

Post a Comment