2010-12-29

畏れの中で。

今日のムリエッタ, CAは雨。
ここに来ても、NJほどではありませんが、
肌寒いです。


こちらの今夜の最低予想が1度Cで、
明日の夜は氷点下に下がる予想が出ています。


昨日は6時25分のフライトのために朝4時に出ました。
「国際便に乗るのかよ!」という感じもしますが、
何があるかわかりません。
とにかく早く出ました。


そしたら・・・やっぱりありましたねえ。
空港の周辺の雪かきが全然終わってない!
NJ TurnpikeからI-78に乗り換えて、Airportに行く道が
しっかり閉鎖されているではありませんか・・・。


もちろん、迂回路の表示も何もありません。
この道大丈夫かなあ、という「閉鎖されてはいないけど、雪かきは終っていない」という道をうろうろしながら、迷いながら、雪かきのトラックに「お前ジャマだ!」と言われているんじゃないか、という恐れを感じながら、何とか1時間後の5時には空港入り。


で、建物の中に入ったら、大大行列。
朝5時でこれかい!ってくらい、めちゃくちゃ混んでいて、
一番すいている列に並んだら、ウンともスンとも動かない。
「やべえ〜」と思っていたら、アナウンスが・・・。


「念の為にアナウンスしますが、外のチェックイン(curbside check-in)は開いています。飛ぶ便のチケットを持っている方は、そちらでチェックインが出来ます。」と言っているではありませんか。「念のためじゃない!ちゃんと言ってくれないとわからない!」と、国内線なんて何年に1回しか乗らない自分は、とにかく「Thank you!」とつぶやきながら、無事チェックインを済ませたことでした。そして、やたら人が少なく、行列にもなっていないセキュリティをゆっくり通って(いつもは靴を脱いだり、ベルトを取ったり、PCを出したり、財布を出したり、ポケットの中を確認したり、すべて後ろの人の「早くしてよ!」オーラを気にしながらやっている)、中に入ってほっとして、パネルを見たら、


こんな感じ。




セキュリティがすいているわけです。
これって、いくつもあるパネルのうちの一つで、Cで始まる空港行きが並んでいるパネルですが、見事にCancelの列が・・・。


その中で、ポツポツと「On Time」の文字。私が乗る飛行機は下から5番目の6:25発のクリーブランド行き。ちなみに離陸の時にパイロットが「私たちの飛行機が今朝最初に飛ぶ飛行機です」と言っていたので、上のパネルの中で6:00発シカゴ行はキャンセルか遅延か、どっちかだったんでしょう。そして、特に目に止まったのは私のあとの便、9時45分発のクリーブランド行きもキャンセルになったこと。rebookの時に「念のためにもう一便遅い飛行機のほうがいいかも。何とか集会前に会場に入れるし・・・」と一瞬思ったのですが、「いやいや、少しでも早い方が・・・」と6時25分の便にしたのでした。


そんな中で無事乗り継ぎも1時間余りの予定が40分となったのですが、まあ、問題なくすんで、LAXに到着したのでした。


会場に着いて聞いたのは、NY周辺から8人が飛行機の便が取れなくて来れなくなったとのこと。


そんな中で、道が開かれたことに畏れを感じながら、昨日の夜のメッセージをさせていただきました。


テーマは「どん底での恵み」


私たちの本当の姿は嵐の中で見えてくる。見せつけられる。すべてが順調なときに、みんな仲良くやっているときに、しっかり立っていられて当然。でも、嵐が来たときに私たちはほんとうの自分の弱さや愚かさ、身勝手さを見せつけられる。でも、その時こそ、神さまの恵みを知るチャンスなんだ、自分のほんとうの姿が見えてきたときにこそ、神さまの愛を知ることができるのだ、ということを、自分自身の証しを交えながら、語らせていただきました。


私の証しはもうここで過去に書いているので、
まだの方はこちら。
証し第7章
証し第8章
証し第9章
証し第10章

昨日、終わった直後、そして今日も、皆さんが声をかけてくださって、
思わされたことを分かち合ってくださいましたが、
一人ひとり、神さまから触れられたところは違っていて、
その事の中にも主の御業を感じました。


みなさんのお祈りに心から感謝します。


今日のことも、朝はアメリカ人で日本の学生のために伝道しておられる方々、やがて日本に宣教師で行こうと思っている方々との交わりの時が与えられて、また午後には大倉信先生の分科会に出席させていただいて、いろいろ考えさせられて、書きたいことはいろいろあるんですが、明日の夜の集会のために準備をしたいので、これくらいにして、また今度。


今日の聖書。
今日はヘブル12:14−29を読みました。


「この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。」27−28節。


私たちは動かされないものを持っている。
これは実感の話ではなくて、
神の約束の言葉。

神さまが約束されてるのは、
揺り動かされないものなのだと、
だから、他のものが揺り動かされて、取り除かれても大丈夫。

本当にホンモノが与えられているから。

そんなモノが与えられているんだということに、
単純に感謝しました。

主よ、
あなたが与えてくださったこの時に感謝します。
あなたの与えてくださっているものが、
確かなものであることに心から感謝します。
ここに立って歩むことができますように。

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